第60話「氷鏡の儀」
「それにしても氷柱のせいで寒い」
『我慢しろ。それに本来なら金属系の装飾品を身に付けるし、今は夏で儀式をやる上では一番楽な季節だ』
「へいへいっと」
祭儀場に入った俺はイースの指示に従ってこれからする儀式の準備として氷柱の設置をしたりしつつ、自分が今着ているグレイシアン様式の巫女服を改めて見直し、本物のグレイシアンの巫女がどれだけ大変なのかを思わず考えてしまう。
と言うのもだ、ジャポテラスの巫女服が白の千早に赤の切袴、それに草鞋など加えたものなのに対して、グレイシアンの巫女服は色が青、水色、白、銀の四色で背中の部分が露わになるように大きく開かれている他、両手足首に布地を三枚ほど重ねた帯が付けられていて、これで千早も切袴も先端をすぼませる様になっている。
で、この巫女服の問題点としては背中部分が開いているために肌が外気に直接接触して冬場なら相当寒くなるのが予想できる他、両手足首に付けられている帯のおかげで動き回るのは楽になっているが、その帯が濡れていると体温を実に効率よく奪い取ってくれる。
はっきり言って俺はイースとの契約で身体能力が大きく向上しているからいいが、神の声が一応聞こえる程度の巫女だと夏場でも風邪を引くのではないかと思う。
「ああでも、本来ならここに羽衣や靴なんかも加わるんだっけ」
『そうだ。他にも楽器等の祭具なども加わるぞ。それと冬に屋外で儀式をやる場合には靴は無しだ。足で直接雪を踏みしめた方が儀式の効果が上がるからな』
「なにそれ……」
『心配しなくてもアキラならそんな事をする必要はないぞ。我一柱を丸々取り込むだけの素質があるのだから、季節や天候、地形の影響の大半は無視できる』
「ならいいけどさ……」
俺はイースとの会話を進めつつも部屋の四隅に塩分けの儀で作った守り塩を設置し、部屋の中央、水が入った盆が置かれている祭壇の前に正座する。
それにしても現時点でも季節等を無視できるのなら、今開発班に製作を頼んでいる祭具類が一通り完成すれば結構な事を出来る気がするな。それはちょっと楽しみかもしれない。
『ではアキラよ。そろそろ始めるぞ』
「分かった。手順の説明よろしく」
『うむ。全体の流れとしては祭儀場を清め分ける結界の儀を行ってから、タカマガハラと情報をやり取りするための氷鏡の儀を行う。それなりに長引くだろうから最初から根を詰め過ぎるな』
「了解っと」
俺は両目を閉じてから一度深呼吸をし、その後にゆっくりと両目を開けてイースの指示を聞く体勢を取る。
『まずは四隅に置いた守り塩に向かって印を結びながら呪文を唱える』
「『あらきとねもいことぐす あふもぞなげらう』」
イースの指示に従って俺は守り塩の一つに向かって印を結びながら呪文を唱える。
「『おやりさほにぶすみあく いせらしあひにむそい』」
印を結び呪文を唱えると同時に守り塩を包んでいた紙が勝手に解ける。
「『えっともうぃえすんいす いせられみひにつおのす』」
紙が解けて中の塩が見えると、隣にある他の守り塩と天井に向かって氷の線が現れて独りでに走り始める。
「『おいぇそたまざふ おのよちほといまっく おをこかみ』」
やがて祭儀場の四隅に配された守り塩から伸びた氷の線は互いに結びつき合い、天井に向かって伸びた氷も床の線と平行に伸びて行き、最終的に氷の線を辺とした直方体が作り出される。
『では、祭壇に向けて続けて四つの印を結んでから、四隅に置いた守り塩を強く意識しつつ最後の呪文を唱えるぞ』
「すぅ……『えあまてもいく えあまちろまむ えあまちあらふ えあまちせみす ああす!』」
そして最後の呪文を唱えた瞬間、俺とイースが今居る場の空気が明らかに変化してまるでタカマガハラと現世の間の様な空気……要するに邪悪なもの、穢れたもの、汚いもの大半が排除され、ギリギリ俺が不快感を感じない程度に清浄な空気が満ち溢れ始め、それと同時に室内の気温が明らかに下がる。
恐らくだが空気が綺麗になったのはこの場がタカマガハラに近づいたからで、気温が下がったのはグレイシアンの儀式を使っているからだろうな。
グレイシアンの儀式は出来る限り気温が低い方が良いらしいし。
「で、これでまだ半分なんだよな」
『むしろ本題がこれからと言ったところだな。さ、早いところ準備を済ませて取り掛かるぞ』
「へいへいっと」
俺はイースの指示通りに筆を取ると予め準備しておいたジャポテラスでもかなり上質な紙にイースの指示通りに文字を書いていき一つの文章とする。
文章の内容は勿論これから俺とイースがジャポテラスの神々に訊きたい事である。
で、文章が書き終わったところでこちらもこの手の儀式専用である蝋燭を幾つか灯して元々の部屋の照明を落とす。
「ところで一つ気になったが、グレイシアンの儀式でジャポテラスの神に連絡を取るのって問題ないのか?」
『問題ない。今の我はジャポテラス所属だし、各都市の儀式の差異によって生じる問題もアキラと我の能力なら十分に抑えられる範囲だからな』
俺は暗くなった室内で何処にどの道具が有るのか改めて把握するのと同時に、今やっているこの儀式が問題なく成功するかどうかを聞くが、どうやら多少の問題程度なら俺とイースの能力でどうにかなるらしい。
『さて、そろそろ始めるぞ。アキラが風呂に入っている間に連絡すると言う連絡も向こうにしておいたから、向こうの準備も既に整っているはずだ』
「了解っと」
俺は目の前の水入りの盆に波が立っていないのを確認しつつ姿勢を整える。
まあ考えてみれば神にも神の事情があるし、変な場面と時間で繋がっても困るから俺とイースの場合なら事前連絡はしておいて当然だよなぁ……。
『では、まずは盆に向かって印を結びながら呪文を唱えろ』
「了解っと……『およまにもいがん いことがぎまがく』」
俺はイースの指示通りに目の前の盆に向かって印を結びながら呪文を唱える。
『次に呪文を唱えつつ盆の上で先程質問を書いた紙をそこの蝋燭で燃やし、その灰を盆の中に入れて行け』
「『えあとこにおつ おぬとちふ あふれもとむ』」
俺は蝋燭の火の熱さを指先で感じつつも呪文を唱え、質問を書いた紙の灰を可能な限り多く盆の中に入れていく。
不思議な事に盆の中に張られた水に灰が入っても、波が立たないどころかまるで見えない何かに飲まれる様にどこかへと灰が消えていく。
『続けて左手親指の腹に包丁で十字の傷を作り、呪文を唱えつつ血を一滴盆の中に入れろ』
「ん?その程度の傷だと血が垂れる前に再生しちまうけど?」
『意識すれば傷の再生を止める事も出来るから問題ない。ついでに言えば今のアキラの血は我の血に近い性質……つまりは触れたものの温度を急激に下げる力を持っているはずだからな。この儀式はその力を使えるようにするための修行も兼ねている』
「なるほど」
イースの言葉に納得したところで俺は右手に包丁を持ち、肌を十字に浅く切って血をにじませる。
そしてイースに目配せをして儀式の続きを始める。
「『いとのきむ うらんねりえす あふれたちまん』」
俺の血が一滴盆の中に吸い込まれていき、血が完全に吸い込まれると同時に盆に張られた水の表面がゆっくりと凍り始める。
『此処からは時間勝負だ。胸の前で両手を組んだら我に続いて急いで詠唱していけ』
「分かった……『しらごおりあきら おきもん いーす えがこちろおく あはながう』」
ゆっくり、ゆっくりと盆の中の水は氷に変わっていく。
恐らくだが、盆の中の水が全て氷に変わる前に儀式を終えなければならないのだろう。
「『うもぞのをとくれらわら あぎまくとめあとっく えっともうぃあがう いらのつおぃくおぃふさぢすつおう たかまがはら あほまにむさぢすつ おをいすつ えっともわながう……』」
故に俺は頭の中に響くイースの詠唱を輪唱するように唱えていき、気が付けば自然に目を閉じていた。
「『えらかりはふんおむ えってもわながう!』」
『成功だ』
「…………」
そして詠唱を完了した瞬間、目の前の盆に張られた氷の変化を感じ取った俺は目を開き、出来上がっていた物を見て思わず口を開く。
俺の目の前にある盆からは氷で出来た蔓の様なものが何本も上に向かって伸びていて、俺の顔の高さ程の場所で円を描くように纏まり、その内側には鏡のようになった氷が張られていた。
だが鏡のような氷と言っても映し出されたのは俺の顔では無かった。
映し出されたのは……
『どうやら無事に繋がったようだね』
『…………』
「誰?」
全身を拘束衣に包まれた長身の女性を後ろに従えた、黒髪に黄色い目であどけない感じがする少年だった。
巫女としての素質は高いんですよ。
と言うわけで毎度の如くクレバーと言う名の適当な暗号化が行われる前の文章を置いておきます。
「我が望むは守護と清めの力」
「四隅に配されし界結びの柱よ」
「その内に秘められし神性を以て」
「今ここを神世と人世の狭間とせよ」
「さあ 示したまえ 祓いたまえ 守りたまえ 清めたまえ」
「鏡が如き凪の水面よ」
「求めるは一つの問の答え」
「波立てるは清廉なる巫女の冷血」
「我が名はアイスバジリスク“イース”の巫女“白氷アキラ”」
「我が名を以て門は開かれ、我が血を以て現世を映し出す水面は“タカマガハラ”を映し出す氷鏡と成り、我が意を以て答え持つ神が顕れる事を望む」
08/27誤字訂正