第39話「塩分けの儀」
「で、これから何をするんだ?」
イースの祭儀場に移動した所で俺は部屋の四隅に先程の風呂場で作っておいた氷柱を立て、祭儀場内の気温を下げる。
それにしてもこの祭儀場って普段はイースがタカマガハラとの連絡用に使っているけど、普通に修行の用途で使っても問題ないんだな。
『まずは塩分けの儀だな。修行にも良いし、儀式の結果として出来る物も便利だ』
「じゃあ、指示の方よろしく」
『うむ』
俺は祭儀場の中心で正座をするとイースに言われて事前に運び込んでおいた包丁や大量の塩、薄い紙などの道具類を自分の前に並べる。
さて、この道具で塩分けの儀とやらをやるわけだがどういう儀式なんだか。
『まずは一番大きな紙を広げてそこに両手で鉢から塩をすくって山の様にしろ』
「分かった」
俺はイースの指示に従って一番大きな薄くて白い紙を広げると、大量の塩が入った鉢に両手を入れてすくえるだけの塩をすくい、すくった塩を先程広げた紙の上に移すとそれを山の形に整える。
『では、塩分けの儀を始めるとしよう』
「ああ」
『まずは印を一つ結んでから氷水で包丁を洗い、塩の山を洗った包丁で二つに分ける』
イースの指示が頭の中に響いてくる。
俺は顔の前で印を結んでから包丁を手に取って氷水に付ける。
そして俺の目の前にある塩の山を二つに等分する。
『包丁を口に咥えたら片方の塩山を別の紙に移し、今度は印を二つ結んでから氷水で包丁を洗い、移した方の塩山を三つに分ける』
「……」
『同様にして塩山をそれぞれ別の紙に移したら、今度は四つの印を結んでから氷水で包丁を洗い、塩山を五つに分ける』
「……」
ザクザクと言う塩山を切る音とイースの声だけが儀式場の中に響く中、作業の経過に伴って塩山がドンドン小さくなっていく。
『再び塩山をそれぞれ別の紙に移した後、六つの印を結んでから氷水で包丁を洗い、塩山を七つに分ける』
「……」
やがて計十四個の大きさの異なる塩山の乗った紙が俺の前に並び、俺は包丁を氷水で洗って表面に付いた塩を落としてから自分の前に横向きにして置く。
一番小さい塩山はもはや山と言えない程に少ないが、まあ集めれば山に見えるだろう。
『では塩山が乗せられた紙を大きい順から我が言った言葉を言った後に、指示した手順で畳んでいってくれ』
「分かった」
「『おとまにもにとに いせがさしんにそししゃ あへろっく』」
最初に分けた一番多くの塩が乗った紙を折って袋状にする。
「『あらきとにあら いせがさしのさがれら わえろっく』」
次に大きいほぼ同量の塩が乗った二つの紙を折ってやや小さ目な袋にする。
「『ありさほにぶすみあ うるそぐしょ おをりさがれあ わえろく』」
四つある少なめの塩が乗った紙を折りたたんで小さな袋にする。
「『おいそねもいく うれこじりそわいじ うもしひにつあがれら あえろく』」
最後に七つある一つまみ分程度の塩が乗った紙の内六つを折りたたんで小さくまとめる。
『では最後にこれから我が言った言葉を言った後に八つの印を結び、その後最後に残った塩山の塩をコップ一杯分の水に溶かして飲むのだ』
「あいよ」
俺は木製の杯一杯によく冷えた水を注ぎ込むと、失敗をしないためにも集中の度合いを強める。
実を言うと今の俺の舌は結構変な感じになっているんだよな……今までの変な発音の呪文と寒さのせいで。
「『おをとかった えどのみこいかぎごのく うおせみさへらう』」
『では』
「言われなくても」
俺は印を結んでから呪文を唱え、唱え終ったところで紙の上に乗っていた一つまみ分の塩を一粒も残らず水の中に入れると、それを一息で飲み干す。
何と言うか……不思議な感覚だった。
ただの水に市販品の塩を一つまみ分を入れただけのはずなのだが、妙に体がすっきりした感じがする。まるでそう……身体の中の悪い物が抜け落ちた感じだった。
『おーい、何を呆けているのだアキラよ』
「はっ、悪い悪い。なんか妙にすっきりしたもんだから」
『塩分けの儀が上手くいった証拠だな。ではこのままもう一儀式しておくぞ』
「別の儀式か?」
『正確には塩分けの儀の延長線上にある物だがな。まあ、我の指示通りにちょっとした作業をしてもらうだけだ』
「了解っと」
と、イース曰くもう一作業有るらしいので、俺は気を引き締めなおすとイースの指示に従って先程分けた塩入りの紙は別の場所に置き、代わりに必要な物を目の前に持ってくる。
えーと、香辛料に塊肉に一番大きな塩山入りの紙……ん?
『ではアキラよ。我の指示通りに調理を始めるぞ』
「調理!?」
俺は至極嬉しそうにしているイースの言葉に思わず大声を上げる。
いやちょっと待て、さっきまでの真面目な空気は何処に行った!これ絶対にイースが食べたいだけだろうが!
と、思っていたら。
『ふふん。これは塩分けの儀によって清めた塩を使って神への奉納品を作る儀式なのだ。尤もグレイシアンではこうして作った奉納品で実際に神に収めるのは半分程度で、もう半分は祭りの時などの祝いの席で振る舞うのだがな』
至極真面目な顔でイースがそう言いきった。
「神への捧げものを食っていいのかよ……」
『美味しい物ほど神も人も分け合って一緒に楽しんだ方が良いに決まっているだろう』
「そういうものなのか……?」
『そういうものだ。と言うわけで肉が悪くなる前にとっととやるぞー』
「へいへいっと」
ただ、口の端から涎らしきものが垂れているのを見てしまうと……説得力が無いぞイース。
まあ、神も人も一緒に楽しんだ方がいいってのは共感してもいいと思える考え方だから作業は進めるけどな。
具体的には大量の塩と少々の香辛料を一つの桶に入れてからよく混ぜ、そこに塊肉などを投入。
その表面によく塩と香辛料を揉みこんだ上で塩の中に埋め、少量の水を加えて塩を固まり易くしておく。
その後、桶をゆっくりとひっくり返して出てきたそれの表面を右目の力で凍らせて密閉する。
後はこれを適当な冷暗所に数日から数週間保管すればいいらしい。
……。完璧にただの塩漬けじゃねえか!
『何の事だー、これは大切な儀式だぞー』
「ぐっ……」
『まあ、いずれにせよ今日やるべき修行は終わりだ。日も暮れかけているしとっとと後片付けをするぞ』
「分かったよ……」
内心では絶対にイースが食べたかっただけだなと思いつつも、俺は荷物を纏め、濡れた巫女服から元の服に着替えるためにも儀式場の外に出る。
「…………」
「あっ……」
「ん?二人ともお帰り」
と、俺が儀式場の外に出た所でトキさんとソラさんの二人に遭遇する。
どうやらいつの間にか二人とも今日の訓練が終わって帰って来ていたらしい。
と言うかどうしてソラさんは小刻みに震えているんだ?訓練で何かあったのか?
「ソラさ……」
「ぬれスケお姉様キタアアアァァァ!!」
「「!?」」
俺がそう思ってソラさんに話しかけようとした瞬間、ソラさんは奇声を上げつつ表現しちゃいけない類の顔を浮かべると、人間よりもモンスターに近いのではないかと思わせるような動きで俺に飛びかかる。
逃げる暇なんて無かった。
と言うかそれ以上にその表情と速さにあの軍服女を僅かではあるが思い出してしまって、俺は完全に竦んでしまっていた。
そして俺が自らの未来を案じつつも何も出来ない中でその手が俺の体に迫り触れる直前……
「アババババ!!?」
「「へ?」」
『まあ、あの顔ではそう判断されてもしょうがない』
ソラさんの全身に俺の来ている巫女服から青白い電撃のような何かが走って、ソラさんはその場に倒れ込む。
その時俺の脳裏に思い浮かんだのは清めの儀式の後にイースが言っていた今の俺の体と巫女服についている水は簡易の聖水だと言う言葉。
どうしてソラさんが迎撃の対象になったのかは分かりたいような分かりたくない様な微妙なところだが、一つだけ確かな事がある。
聖水の力すげぇ!
オチもついたところで一言。
儀式中にアキラちゃんが言っていた呪文はある程度特定法則に基づいて変換されているので、解読可能です。
と言うわけで下記に答えを記載しておきます。
「これは始祖神に捧げし命の源」
「これは我らが祖に捧げし祓いの力」
「これは我らが城を守護する界結びの柱」
「これは我らが内に潜む邪を退ける清めの塩」
「我は示そうこの儀が清きものであったことを」
08/06誤字訂正