第10話「タカマガハラ-1」
微妙に天気が悪く、灰色の雲が空を覆っている日の午後。
「…………」
「アキラちゃん不機嫌ねぇ……それでも絵になる辺りは流石だけど」
『似合っているぞ。アキラ』
俺は機嫌が最悪の状態でジャポテラス神療院の裏口に仁王立ちしていた。
理由?言うまでもない。だが敢えて言おう。
全力で拒否したにも関わらずばっちりメイクを決められた上に豪華な女物の着物を着せられているからだよ!
くそう……「タカマガハラに行くのに一切着飾らないなんて有り得ない!」と女医さんが全力で主張して、例の貞操に危機を覚えさせる看護士さんが無駄に良い動きをしつつ張り切ったせいで抵抗する暇も無かった……。
ついでに言うと、化粧が終わった後の俺の姿は、「これは下手な相手には見せられない」と化粧をした看護士さんが鼻血をドバドバと垂らしながら言っていた。
おかげで裏口に回して貰えたわけだが。
「あ、来たわね」
「ん?」
と、ここで外から二頭立ての馬車と、それに付き添う形で治安維持機構の人間が複数人やってきて俺たちの前に停まる。
馬車には太陽と月と剣を組み合わせた治安維持機構の紋章が付けられている事から見て、これが俺の乗る馬車なのだろう。
そして集まってきた人間の中で一番偉いであろう人が俺に向かって一礼をしてから口を開く。
「スサノオ様より貴方様の護衛を預かりました鈴鳴クリと申します。アキラさんどうぞこちらへ」
「分かった」
馬車の扉が開けられたので俺は一人でその中に入る。
で、俺が席につき、扉が閉められると同時にゆっくりと人間が歩き出すのと同じ程度のスピードで動きだす。
さて、流石に治安維持機構の紋章が付けられている上にこの護衛の数、加えてタカマガハラに向かっている馬車に何かをしようとする人間は居ないだろうし、着くまでゆっくりとさせてもらいますかね。
そうして俺は馬が歩く音を聞きながらゆっくり休もうとしたのだが……
『そう言えばアキラよ』
「何だ?イース」
『我はこの都市……ジャポテラスの構造に詳しくないから教えて欲しいのだが、タカマガハラと言う場所まではどれくらいの時間がかかるのだ?』
「そんな事か。そういや、名前からいってイースはこの都市の神じゃないし、知らない方が普通か」
その前にイースからこの都市について説明することを求められたので、説明しておく。
ここジャポテラスは、三方を城壁に囲まれ、南東方面は海に面している都市である。
で、都市の外については今回はさておくとして、都市の内部に関しては治安維持機構の本部に政治の施設が内部に入っているアメノヤマという小山が有り、その頂上にタカマガハラが有る。
そして、その周囲を貴族街が囲み、更にその周囲を先程出発した神療院や工業施設、市場に住宅街などが囲っている形である。
加えて言うとジャポテラスの中には河が一本通っていてこの河は海に流れ込んでいるのだが、タカマガハラが有る此方側を西街と呼ぶなら、河の向こう側は東街と呼ばれており、東街は街と言うよりは砦に近い感じになっている。
で、イースの聞きたい事であるタカマガハラに着くまでの時間だが……
「このペースなら一時間ぐらいだと思う。たぶん」
『たぶん?』
「俺が務めていたのは西街の中でも外れの方に位置する住宅街だったんだよ。治安維持機構に入る時の集まりで一度本部に行った事は有るけど、その時はアメノヤマの麓部分だったしな。要するに俺もタカマガハラに行ったことが無いから分からない」
『何だそれは……』
イースが呆れた様子で溜息を吐くが、行ったことが無いものが分からないのは当然だろうが。
と言うか神々が普段居るような場所だぞ。俺みたいな平の平隊員が用も無く立ち行ったら殺されるわ。冗談抜きに。
「ん?」
『お?』
「少々よろしいでしょうか?」
と、ここで馬車が僅かに傾くとその状態で停まり、外から鈴鳴と名乗った先程の男の声が外から聞こえてくる。
「どうした?」
「申し訳ありませんがこの先は神聖な場ですので、スサノオ様たちに許可を頂いていない我々は入る事は出来ません。ですが、馬たちは御者無しでも登って行ってくれますのでご安心を」
「……。分かった」
俺が返事をすると同時に再びゆっくりと馬車が進みだし、俺は念の為にと言う事で軽く馬車の扉を開けて外を覗いてみる。
「これは……」
『結界だな……尤もここまでの規模の物を我は見た事が無いが』
俺が馬車の外を覗くと、丁度馬が注連縄が吊り下げられた木々の間をすり抜けていくところで、此処まで俺の護衛をしていたであろう治安維持機構の隊員たちは遠目に見ても羨ましそうにしている顔を浮かべてこちらを見ていた。
と言うか今更ながらに思ったが、護衛の人間に妙に俺と同い年ぐらいの若い人間が多い気がするな。どうしてだ?本当に今更ながらだが。
そうこうしている間に俺が居る場所も注連縄が吊り下がっている場所を越え、その瞬間に俺は周囲の空気が変わるのを感じとり、イースの言う結界と言う言葉の意味を理解する。
「なるほど。こりゃあ普通の人間は入れないわけだ……清すぎる」
『そうだな。此処まで清浄だと我に近くなっているアキラはともかく、ある程度は淀みが必要であろう普通の人間にとっては毒でしかないだろうな』
そこはまさに別世界と言っても良かった。
辺り一帯に神力と言う神が使う力が満ち溢れており、普段は非実体化しているはずのイースが自然に実体化していた。
草木は活力に満ち溢れ、空気には一点の淀みも無く、鳥たちの囀りは人が奏でるどのような音楽よりも素晴らしいと言えるだろう。
だがあまりにも綺麗過ぎて俺にはここが現実のようには感じられなかった。
何となくだが長時間此処に留まっているのは勘弁願いたいと感じるが、用件が済むまでは耐えるしかないだろう。
『見えてきたな』
「だな……」
と、ここで俺とイースの視界に下で神々と契約するために用意されている神社を何倍にも大きくしたような社が見え始め、やがて社の前にまで到達した馬車はその場で停止する。
「入れって事か」
『そのようだ』
そして俺たちが馬車を降りて地面に両足を着いたところで、正面の扉が音も無く誰の手も触れずに俺たちを中に招くように開いたため、俺とイースは一度肯きあってから社の中へと入って行った。
タカマガハラは一種の異界です。
だから普通の人間は耐えられません