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ヒーローなんだろ、俺は



「村正と下緒を養っていたのは俺だぞ!? あいつらの両親が事故で死んで、仕方なく引き取ってやったんだ。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないっ。下緒は俺が殺したんじゃない、病気で死んだんだ。治る見込みがない、不治の病だった! 今まであいつを育ててきたんだぞっ、アレが死んだ後どう使おうが俺の勝手だ。なあ、そう思うだろう? 違わないよな? ……下緒の遺体を生き神と言えば箔がつく。俺はアタ教を大きくして、金を稼いだ。それは事実だっ、村正を育てるためだったんだ! お前に何が分かる!? お前のような若造がはした金欲しさに俺たちをかき回した! 俺たちの生活をめちゃめちゃにしたんだ! どうしてくれるんだ、ええっ!?」

 俺はグローブをはめなおした。

「……何様なんだ、お前は。スーツも持っていない、たかが木っ端のヒーローがアタ教に逆らうのか? お前に、それだけの価値があると」

「ヒーローなんだろ、俺は。で、てめえは何だ? スーツは奪ったんだろ。黒武者の妹を良いように使ったんだろ? だったら、話は早いんだよボケが」

 手近にあった壷をぶっ壊す。悲鳴が上がった。壁をぶん殴って抉り抜く。声は無視する。机を壊して椅子を蹴り飛ばして、札束の詰まった鞄をぶん投げる。

「やめろォ! やめろっ、やめろやめろ……!」

 目の前に立ったジジイの鼻面を捉える。確かな手応えを感じて、知らずの内に口元がつり上がった。死んだか? ……いや、まだ生きてんな。鼻は折れ曲がってだらだらと血ぃ流してるが、まだ動いてやがる。案外、しぶといもんだな。

「こ、ころさ……ないで……」

「ダメだ。何せ、俺はヒーローだからな」



「――――違う」



「……?」

「違うよ……」

 ジジイの胸倉を掴んだところで、後ろから声が聞こえた。幻聴かと思ったが、彼女は、確かにそこにいる。いなせだ。アタ教に突っ込み、捕らえられていたはずのいなせは、何故かレンを背負っている。

「無事だったのか。レンは? 寝てるのか?」

「ああ、薬を嗅がされてるだけだよ。こいつに効くくらいだ。強力なやつだろうね。……マサヨシ、その手を離しな」

 ひとまずは安心出来た。レンといなせが無事ならここに来た意味はある。だったら、やり残した事は一つだ。

「よかった。ちょっと待ってろ。今、片付けてくからよ」

 そう言うと、いなせは怒ったような――――いや、いなせは怒っているらしかった。彼女は俺を強く見据えつけている。

「違うよ。マサヨシ、違うんだ」

「すぐ終わる。待たせて悪かったな、いなせ」

「違うって! あたしが言ってるだろ!?」

 何が。何が違うと言うんだ。どうしてそんな風に言われなくちゃならねえんだよ。俺は、お前らを助けに来たんだぞ。

「その手を見なよマサヨシっ、そんなの、違う! おかしいんだよ!」

 俺の手が。何だと言うんだ。俺の右腕はヒーローの右腕だ。悪いやつらをぶっ飛ばして、ぶん殴って、ぶっ殺す為にある。だからこんなにも、べっとりと血がついてるんだろうが。これは証だ。悪いやつらをやってやったっていう、ヒーローの証明なんだ。

「いなせ。いい加減にしろよ。俺はヒーローだぞ」

「そんなのヒーローでもなんでもないっ、ただの人殺しじゃないか!」

「…………人殺し?」

 俺が?

「さっき、別のやつが倒れてるのを見たんだ。放っておいたら間違いなく死ぬ。マサヨシがやったんだろ? やり過ぎだよ、あんなの」

「やらなきゃやられてたんだ。俺は生身でヒーローやってんだぞ? 中途半端な真似したら、返り討ちに遭う」

「だけどっ! あたしは、嫌だ。人を殺すのなんて……」

 ……俺か? 間違ってるのは、俺なのか? でも、いいのかよ。俺がボコボコにされんのはいい。けど、黒武者は騙されてた。あいつの妹は利用された。スーツを奪われた人だっているし、何よりも。

「お前は、こいつらに何もされなかったか?」

「……ああ。眠らされて、部屋に閉じ込められただけだ。だから……」

「いいのか? 仕返ししなくてもいいのかよ?」

「いいよ、そんなの。あたしは、皆が無事ならそれでいいんだ」

 力なく、いなせは首を振る。そして、涙を流した。

 ああ、と、俺は目を瞑る。そういや、いなせって結構泣き虫だったっけな。なんだよ。俺がこいつを泣かしてどうすんだ。

「まだ間に合う。マサヨシ、お願いだ。……あんたは、汚れた手であたしらを抱きしめるつもりなのかい?」

「なんだお前? 抱っこされたかったのか?」

「……っ!」 いなせは顔を真っ赤にして、背負っていたレンを放り出す。

「うるさいなっ、そうだよ! 悪いか!?」

 ぎゅっと、絞め殺されそうなくらいにいなせが俺に抱きついてきた。お腹が痛い。だけど、悪くない気分だった。忘れてた。たぶん、後ろから頭殴られた時か。あの時、俺は一番大事なもんをどっかに置いて、好き勝手に暴れてたんだ。情けねえ。

「悪い子だな、お前らは。何にも言わず、勝手に出て行っちまってよう」

「……悪い子は嫌い?」

「いいや。悪いな、迎えに来るのが遅くなっちまった」

 いなせは中々泣き止んでくれなかった。



 レンたちを連れて外に出たところで、九重のタクシーが停まっているのが見えた。どうやら、余計な気を回させてしまったみたいだ。まだ、敷地内では信者どもが集まって何事かを喚き散らしている。そりゃそうか。こいつらの神様はもう、ここにはいないんだから。

「青井」と、車椅子に座す社長が口を開く。喧騒に掻き消されてしまいそうな小さな声だが、ちゃんと届いた。俺は手を上げて彼女に答える。

 社長は何か言いたげだったが、レンといなせが無事なところを見ると、困ったように笑うだけだった。

「よう、戻ったぜ」

「すごい騒ぎね。あなたが一人でやったの?」

「どうだろうな。まあ、きっかけを作ったのは俺なのかもしれないけどな」

 結局、アタ教がこんなんになったのは、教主が一人でずっこけたせいだし。それより、さっきから鬱陶しい。

「いなせ。いい加減離せって」

 いなせは、ずっと俺の服の裾を握ったままである。皺になるからやめて欲しい。

「仕方ねえやつだな」

 俺は二人を背中から下ろし、タクシーの後部座席に放り込んだ。

「アタ教が奪ったスーツも、すぐに取り返せるだろうよ。どうせなら、もっと依頼を受けとくんだったな」

「青井。あなた、平気なの? 血が……」

「いや。流石に無傷とはいかねえよ」

 さっきからずっと頭が痛くてしようがない。興奮が冷めてしまったのだろう。今はどこもかしこも痛んで痛んで、話しているだけで、立ってるだけでも辛い。

「……恨んでいるかしら」

「あ?」

「スーツの一つも、武器の一つも渡さないで、ヒーローをやらせていることを、よ」

「今更だな」

 本当に、今更過ぎる。そんで、なんで泣きそうな顔をしてんだ、こいつは。

「あなたが思っていたよりも優秀だったから。だから、今まで、大きな怪我をしなかったのに。でも、今は……」

「は、血ぃ見てビビったかよ。けどな、これは俺が決めたことだ。あんたが気にすることはねえよ。それに、生きてるし。そんで、ムカつく野郎をぶん殴れた。満足してる。それよりもな、殊勝な顔して頭なんか下げんなよ」

「謝って欲しくないの?」

「ムカつくからな。人の上に立つやつは、ムカつくやつじゃねえとしまらねえ。あんたらはさ、人に恨まれてナンボの商売だろ?」

 社長はまだ言い足りない様子だったが、俺の意を汲んでくれたのか、実にいい顔で笑った。いつもの意地悪い笑顔とはいかなかったが、充分にムカつくスマイルである。

「それで、青井。その男って」

 後部座席を指差し、社長は小首を傾げた。運転席の九重も、ずっと気になっていただろう。

「黒武者村正。ヒーローでも、ヒールでもない、ただのガキだよ」

「ただのって……アタ教の人間じゃないの?」

「どうだろうなあ」

 俺は黒武者をほっとく事が出来なかった。正直、あの場に放置してりゃ他のヒーローにボコられて、警察にしょっ引かれていただろう。そうされるだけの理由が彼にはあった。が、見捨てちまうのは、何だかかわいそうに思えたのである。信じてたやつに裏切られて、縋ってたものはもうこの世からなくなっちまった。

「……なんか、根っから悪いやつとは思えなくてよ」

「つい、連れてきてしまった、と?」

 俺は頷く。社長が溜め息を吐いた。

「貧乏くじを引きたがるやつね、あなたって」

「貧乏性なんだ。ついつい拾っちまうんだよ」

「ふふ、そう。やっぱり、いい拾い物をしたみたいね、私は」

 別に、俺は捨てられてた訳じゃねえんだけど。まあ、いいか。



 タクシーに乗り込んで暫くすると、黒武者が目を覚ました。彼は目を見開き、周囲を見回し始める。いなせは警戒するが、俺が手で制した。

「……ここは、どこだ?」

「タクシーの中だ」

「アタ教は、教主はどうなった?」

「さあな。まあ、ボコられて警察に連れてかれたんじゃねえの?」

「……僕は、どうなっているんだ?」

 黒武者は不安がっているらしい。

「どうなるのかは、お前次第だ。俺らには、別にお前をどうこうしようって気はねえよ。何なら、ここで降りるか?」

「お前、もしかして、僕を助けたのか?」

 じっと見つめられる。助けた、か。どうなんだろうな、実際。だけど、そんな言い方をするって事はこいつ、もしかして。

「お前さ、もしかして、助けて欲しかったのか?」

「……僕は」

 それきり、黒武者は黙り込んでしまう。社長がミラー越しに彼の様子を盗み見ていたが、やがて、目を逸らした。

「僕は、妹を見殺しにしたんだ。下緒は苦しんでたのに、何も出来なかった。あんな風に利用されてたのに、僕は、下緒を生きてると思い込んで、ずっと、逃げてたのかもしれなかったんだ」

 そんな事はない、なんて言葉はかけてやれなかった。

「教主の言うことを聞いていれば何も考えずに済む。下緒には何もしてやれずに、僕だけ、のうのうと生きていたんだ」

 助けて欲しかった。けれど、負い目のあった黒武者は、誰かに助けを求める事が出来なかったんじゃないかと、今になってそう思う。

「なあ、黒武者。お前さえよければ」

「降ろしてくれないか」

 黒武者は流れる風景を見ながら、そう言った。俺は社長に目を遣り、彼女は小さく頷いた。そうして、タクシーは街中に停まる。

「聞くのを忘れていた。名前は、なんて言うんだ?」

「青井正義。カラーズでヒーローをやってる」

「僕は、お前に借りが出来た。この借りは、いずれ必ず返す」

「おう。気長に待ってるわ」

 黒武者は頷き、ドアを開けた。

「……僕が借りを返すまで、お前は、誰にも負けないでくれ。つまらない男に借りがあるなんて、嫌だから」

「努力するよ」

「首を洗って待っていろ」

「ん?」

 ……借りを返すって、ちょっと意味合いが違うような気もするが、尋ねるよりも先に黒武者は行きかう人たちの中に姿を隠してしまった。

「行かせてしまってもよかったの? 彼だって追われる身なんでしょう?」

「まあ、そこらのやつに捕まるほど間抜けでもねえだろ」

 それよりも、また厄介なやつに目をつけられたような気がしないでもない。

「ま、縁がありゃまた会うだろ。それより、疲れた。九重、家まで送ってくれるか?」

「……えっと。社長?」

 九重は社長のご機嫌を伺っていた。いや、その前に俺の体調を気遣え。早く帰って寝たいんだ。

「駄目よ。九重、病院に向かいなさい」

「はあっ? いや、別に大した怪我じゃねえって。一晩寝れば治るからよ」

「そんなわけないじゃない! ギャグ漫画じゃないんだから、ほっといたら死ぬかもしれないのよ。とにかく、一度診てもらうから。そうじゃないとクビにするから」

「……治療費がかかったらどうするんだよ」

「あなた、自分の命を何だと思っているの? ……お金は気にしないで。全部私が出すから」

「いいのか?」

「それが私の仕事だもの。あなたはお金をもらって働くのがお仕事。分かった?」

 分からないと首を振っても無駄だろうな。

「じゃあ、病院まで頼むわ。着いたら起こしてくれ。眠い」

「ええ、分かったわ。九重、安全運転でお願いね」

「了解です」タクシーはいつもの道を過ぎて、病院へと向かい始める。

「マサヨシ。寝るなら、ここを使いな」

 言って、いなせは自分の膝を指した。

「……いや、別にいい」

「遠慮しないでもいいんだよ。あたしがしたいからするんだ。膝枕くらい、マサヨシの怪我に比べれば安いものだからね」

「ふふ、よかったじゃない。青井、素直に甘えておきなさい」

「いや、もっと柔らかそうな感じの方がいいんだけど……あっ!?」

 言いかけたとき、いなせが俺の太ももを抓って、薄く笑う。まあ、素直になるのが一番だな。後が怖いし。

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