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だから命だけは助けてくれってか?



「や、やめっ、も、もうあがっ!? ぐっ……し、しねえって。もうしないからっ、こんなことしねえからさあ! だから……………………ひ。ひぎ、がっ、ご……」



 気づいた時、突っ伏していたはずの俺は立ち上がっていて、傍には黄色いヒーローが転がっていた。まだ息があるらしく、何かぶつぶつと呟いている。まあ、こいつはもういいわ。確か、カメが残ってたよな。

「逃げんなよ」

 カメ型のスーツを着たやつは、出入り口近くに座り込んでいた。そいつは、何故かマスクを脱いでいて、俺に向かって何度も頭を下げている。よくわからねえが、ぶん殴っとく。一発じゃ気が晴れなかったから、丸まってるそいつのわき腹を蹴り続けて、ひっくり返ったところにグローブでもう一発。動かなくなったから、ひとまずは安心だろう。さて、あと残ってるのは。

「……そこまでにしておけ」

「おう、黒武者。続きと行こうぜ」

 黒武者村正。こいつをやらなきゃ話が進まないってわけか。

「お前は確かに生身だ。この二人はスーツを着ていた。二人掛かりでお前を殴った。だが、もう、抵抗していなかったはずだぞ。泣いて謝り、跪いて許しを請うところを見ただろう」

「だからなんだ? 何が言いてえんだてめえは?」

「殺す気か?」

「だからなんだ? 道を開けなきゃ次はてめえの番だぞ」

 息を吐き、黒武者は頭を振る。

「僕がイヌならお前は狂犬だ。教主のもとに行かせるつもりはない」

 好きに吠えてろ。

「……お前は、何をしに来た?」

「あ?」

「いや、いい。ここで、お前を止めれば済む話だからな」

 構える黒武者を見て、俺の頭がずきずきと痛んだ。ふと、この闇の中、一人だけ光を浴びるやつが気になった。何気なく目を遣ったちょうどその時、アタ教の教主がスタンドマイクを引っ掛けて倒れるのが見えた。そうして彼は、倒れ行く彼は、何か、掴めるようなモノを探して――――。


「――――下緒?」


 何かが割れるような音が講堂に響いて、次の瞬間には誰かが叫んだ。たぶん、信者の女だ。甲高い叫び声は酷く耳障りで、出来る事なら息の根ごと止めたいとすら思えた。

『あ、やべ』

「ひっ」

『あ、ちょ、み、皆さん落ち着いて』

「なに、こ、お、お、おおおぉぁああああああああああああああああああアアぁアアアああああああああァアああああっ!」

 神が落ちた。

 透明の箱は粉々に割れて中身も零れ出てしまったのだろう。ずるりと、骨が。素に戻った教主の一言によって、信者たちに掛けられた魔法のようなモノが解け始める。我に帰った者から事態を把握し、感情に飽かせて声を迸らせる。

 阿鼻叫喚とでも言うのだろうか。今の今まで俺たちに目すら向けなかったやつらが講堂で騒ぎ始める。俺を指差し、教主を指差し、黒武者を指差し、彼の妹だったモノを指差して、好き勝手に言って、この場から逃げようとしていた。

 俺の脇を抜けようとした男を殴りつける。右腕だが、手加減していたので死んでないとは思う。ぶっ飛んだそいつは他の信者を巻き込みながら闇の中へ消えていった。

「どうしたよ黒武者。続きをやらねえのか?」

 黒武者は答えず、というか俺を見ていない。彼はじっと、壇上を見つめている。

「……下尾」と、妹の名前を呼びながら、おぼつかない足取りで歩き始める。

『ひっ、む、村正……』

 倒れたままの教主が呟くが、マイクが彼の声を拾っていた。

 ゆらゆらと歩いていた黒武者だが、逃げ出そうとする信者にぶつかり、尻餅をつく。彼は何か呟いた後、俺の視界から姿を消した。



 落ちたのはアタ教の神だ。しかし、黒武者にとって、箱の中のそれは妹でもあった。

「さげおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! おおおおおおっ、わあああああああああああっ!? 裏切ったなっ、僕を! よくもっ、よくもよくもよくもよくもォ!」

『はっ、背信者だ! 出ろ! 出ろっ』

 黒武者は教主をめがけて、まっすぐに、最短距離を向かっていた。……少し、頭が冷えたような気がする。彼の計り知れないであろう怒りを間近に見て、気分が萎えたような感じだ。

 講堂からは人が消えていく。信者どもは堕ちた神を見捨てて、その正体に恐怖したまま背を向けて立ち去り逃げ去るのだ。あいつらは皆、『黒武者下緒』という『生き神』を信仰していたんじゃない。教主の言葉でもない。ただ、自分たちが『何か』を信仰しているという事実に救われていたんだろう。信じる対象なんざ、なんでもよかったはずだ。恋に恋するみたいなもんか。

『ひいいいいいいいいいいっ! や、やめろ村正っ、育ててやった恩を忘れたかァ!?』

 教主のいる奥の方からは、スーツを着たやつらが続々と姿を見せつつある。正義も悪もごちゃ混ぜになってるが、そこに本物はいない。借り物でもない。あいつらは偽物でしかない。黒武者は偽物たちに囲まれて苦戦しているようだった。混乱に乗じてレンといなせを探すのもいいが、押せば倒れるところまで来てるんだよな、こいつらって。折角だから、全部ぶっ壊して何もかもぶっ潰して、あそこにいるやつらはぶっ殺すのが筋ってもんか。

 グローブをはめ直し、マスクを被り直して、俺は壇上へと向かった。



 壇上には教主と黒武者。それから、ヒーロー怪人を問わず、スーツを着たやつらが五人。

「そっ、育ててやった恩を……」

「黙れっ! 黙れ黙れ黙れ! 約束を守ってくれさえいれば、下緒がこんな目に遭うことなんてなかったんだ!」

「くっ、今更ながら正気か村正っ、お前の妹はもう死んでいたんだぞ!?」

 今のところ、黒武者と敵対する理由はない。だが、こいつは頭に血が上っていやがる。俺と共闘するなんて器用な真似は出来ないだろう。だったら、とりあえずはそこの五人をぶちのめすのが先か。

「……こいつ、なんだ?」

「さっきから見てたけどよ、このホッケーマスクが来なけりゃ、こんなことにはならなかったんじゃねえのか?」

「つまり、全部」

「てめえのせいってことかよ!」

 四人が一斉に仕掛けてくる。怪人が二。ヒーローが二。しかしそこに本物はいない。

 俺はでんでん太鼓を振るい、距離を取らせる。その間、めんこを取り出して、いつでも放り投げられるように準備しておいた。

「教主様、お逃げくださいっ」

 恐らく、この中で一番出来るであろうヒーローのスーツを着た男が、黒武者を抑える。その間、教主は散らばった『神様』を拾い上げ、ほうほうの体でこの場を後にした。黒武者は妹の名を叫び続ける。うるさかった。すげえ、痛かった。

「てめえがっ、こんなところに来なけりゃあ!」

「マジかよっ」

 怪人が一人、でんでん太鼓をすり抜けてくる。俺はいったん、壇上から降りざるを得なかった。いくらなんでも多勢に無勢だ。つまずいた振りをしてめんこを設置し、太鼓のワイヤーを伸ばす。

「てめえのせいだろうが!」

 俺のせいだと? それを言うなら、てめえらがスーツなんか奪いやがるからだろうが! 余計な事なんかしないで、ここでひたすら神様にお祈り捧げときゃよかったんだろうがよ。お前らがくだらねえから、俺が愚痴って、レンといなせが!

「ぐあああああっ!?」

 小さな爆発が起こる。怪人がめんこを踏んだんだろう。だが、致命傷にはなりえない。スーツの上からだと、大したダメージはないはずだ。が、こいつらは歴戦の猛者って訳じゃない。おっかなびっくり暗がりで戦ってるんなら、めんこだって充分な隙を生み出せる。

「死ねよっ、てめえは!」

 太鼓の鉄球から確かな手応えを感じた。野郎の頭に当たったのは間違いない。これで一人。まずは一人。残りは四人か。



 残りは四人。

 やつらは黒武者に一人、俺に三人当たっている。頭に血が上ってるのは俺たちだけじゃないらしい。向こうのスーツどもも大概キレちまってるみたいだ。だからこそ、やり易い。

「おああああああああっ、クソが!」

「小ざかしいんだよてめえはっ!」

 小賢しくもなるわボケ。暗がりから三人同時に仕掛けられちゃあ手も足も出ないが、生身の相手にブチ切れてるのが相手なら話は別だ。めんこを踏んだやつから太鼓で打ち据えてやればそれで済む。各個撃破だ。さっきまで厄介だと思っていた講堂の闇が俺に味方していた。……最初から、こうして冷静にやっときゃよかった。

「うぐっ……!」

「次はどいつだ、ああ!?」

 黒武者のように、闇雲な怒りなんてものはとっくに霧散している。憎い。憎いんだ。こいつらは人のものを奪って、でけえ顔でそれを着てやがる。スーツってのがどんなものなのかも知らずに!

 めんこが爆発して、叫び声が上がった。同時、俺をめがけて何かが飛んでくる。頭のすぐ上を通り過ぎていったのは、黒武者と戦っていたスーツの男だった。

「うわああああああああああああっ!」

 風が奔る。疾風を引き連れてきたのは、やはり黒武者。やつは他の怪人を巻き込みながら、こっちに向かって突進してくる。もう、俺や他のスーツどもがどこのどいつだか関係ないって事かよ。自分以外を全部敵とみなしてるんだ。

 左足をじっとねめつければ、火花が散ったのが見える。瞬間、黒武者が姿を消した。次に、右から悲鳴が聞こえてくる。次いで、左から叫び声が上がった。俺は腰を低く落として構えるも、全く関係のない方向から断末魔のような声が響いてくる。……残りは俺だけか。ケリをつけようってわけかい。ありがたいわ、全く。

「おおっ、下緒ぉぉぉォオオおおおおおお――――!」

 先刻までの俺なら、成す術もなく倒されていただろう。だが、今の黒武者は疲れている。やつのスピードにも、この暗闇にも目が慣れてきた。何よりも、黒武者は怒っている。叫び、やってくる方向を自ら教えている。

「――――ッッ!?」

 俺はやつの左足を、右腕で受け止める。

 左手でしっかりと掴み、黒武者の腹を見据えた。野郎は目を見開いている。……同情するぜ。妹を意味の分からんモノにされちまって、教主とやらの口車に乗らされて。でもな、俺だって負けるわけにはいかねえんだ。なんたって背負ってるものが違い過ぎる。

「こんなっ、僕がこんなやつに!?」

「てめえはもう寝てろ!」

 黒武者は死んだ妹を背負い続けてきた。だけど、こっちが背負ってんのは死人じゃねえ。悪いが、てめえは軽過ぎる。

 まず、腹に軽く一発打ち込む。死ぬほど手加減したとはいえ、スーツ持ちを吹っ飛ばすほどのグローブだ。意識を刈り取るくらいは出来ただろう。ふらつく黒武者に膝蹴りを何発か入れて、ようやく、野郎は黙り込んでくれた。

「……はっ、はあっ、はっ……」

 息が荒い。だけど呼吸を整えてる暇はない。教主を探さなくっちゃあな。そんでもって、あのジジイをぶっ殺せば終わりだ。




 殺す。殺す。ぶち殺す。殺さなくちゃならない。教主は、黒武者を騙し、彼の妹を利用し、人生の豊かさを説く裏でスーツを奪い、不必要な力を得ようとしていた。……悪いやつだ。悪いやつは、いいやつに殺される。俺はヒーローだ。だから、俺はヒーローだから、殺さなくちゃいけない。



 壇上の裏には扉があり、長々とした廊下があった。そこにもやはり、真っ赤なカーペットが敷いてあり、照明のせいで煌煌としている。廊下の一番奥の扉が開け放たれていた。部屋の中をそっと覗くと、教主と呼ばれていたジジイが、そこらを引っ掻き回している。どうやら、逃げる準備をしているようだ。……豪華な家具だ。カラーズの家具も、あのクソ生意気な社長が揃えた一級品だとか抜かしてやがったが、その差は歴然だと思える。

「ひっ、ひっ、ひ……なんでっ、くそう、あのヒーローが来なければっ、今頃っ! 村正だっ、あいつがちゃんと押さえておけばこんなことにはっ」

 悪態をつきながら、教主は鞄に札束を詰め込んでいる。汗まみれになって、床に這いつくばって、必死こいて。その金は、誰を犠牲にして得たものだ。

「よう、教主サマ。随分と忙しそうじゃねえか」

「…………あ、ああ、ま、まさか……?」

 教主は目をひん剥いて俺を見上げる。

「邪魔したか? 悪いけど、付き合ってもらうぜ」

「むっ、村正はぁ!? あいつはどうしたっ、誰か!? 誰かいないのか!?」

「てめえのコマは全員あっちで伸びてる。あとは、あんた一人ってわけだ。……引越しでもするんだろ? なあ、準備しなくていいのか?」

「やめろっ、よせ。ヒーローなんだろう? お、俺は何もしちゃいない」

「スーツを奪っただろうが」

「スーツが欲しければやるっ、返す! 金が欲しいならこれも持っていけ!」

 俺は思わず笑ってしまった。

「だから命だけは助けてくれってか? いいぜ、言えよ。黒武者の妹の前で、その台詞を言ってみろ」

 教主は、札束と一緒に黒武者下緒の亡骸、その一部をも詰め込んでいる。彼はそれを見遣り、泣き笑いのような表情を浮かべた。

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