……今、こいつ動かなかったか?
社長から借り受けたままのホッケーマスクもあるし、めんこの補充もオッケーだ。装備は万全である。おまけに、クソほど盛り上がってる信者どもは、そう簡単には俺の存在には気づけないだろう。スーツを着ているやつらも見当たらねえし、壇上に行って、あの爺さんぶっ飛ばしてから考えればいい。それに、もしかしたら黒武者だって味方してくれるかもな。敵地の真っ只中ってやつだが、悪い事ばかりではない。……レンといなせは心配だが、鍵のかかった部屋にいるのかもしれない。そう考えると、鍵のありかを聞き出す必要もある。教主なら、ちいと脅かせばすぐに吐き出してくれるだろう。
「おっしゃ」
地鳴りか何かと聞き間違えるほどの歓声と拍手の中、俺は足を踏み出す。誰も、こっちには気づいちゃいない。恐れずに、真ん中を突き進む。パイプ椅子の連立する中、ゆっくりと。グローブをはめて、壇上をねめつける。教主のジジイは、透明な箱を撫でながら、何事かを叫んでいた。
その時、風が吹いたのを感じた。室内だというのに、いやに鋭い感触を受けて、俺は立ち止まる。
「……黒武者、てめえか」
「何故、お前はここにいる」
立ち塞がったのは、やはり黒武者村正だ。
「あのジジイをぶっ飛ばしに行くんだよ。ついでに、てめえの妹も取り返してやるから退いてろ」
「……下緒を?」
そうだ、と、俺は頷く。黒武者は低く笑った。
「お前が、か? 無駄だ。いや、無理だ。僕が、そうはさせない」
地下講堂がしんと静まり返る。別に、俺たちの会話に気を遣った訳ではない。ただ、たまたまのタイミングで教主が話を切ったに過ぎない。俺と黒武者は講堂の真ん中で睨み合っていた。
「今なら妹を取り戻せるって絶好のタイミングなんじゃねえの?」
「僕は教主のイヌだ。彼は僕に妹を返すと約束した。僕は彼に従うだけだ」
「……てめえの妹ってのは、間違いなくアレなんだな?」
俺は、壇上のケースを、その中身を指差す。
「ああ。彼女が僕の妹、下緒だ」
「そうか」歪んでやがる。こいつ、何もかも分かってたって事だったのかよ!
「死んでんだぞ」
「下緒は生きている。あのケースに入っている限り、死は訪れない。時期が来れば、あのままの姿で下緒は返してもらう。だいいち、お前にとやかく言われる筋合いはない。それよりも、約束を破ったな」
「いいや? 俺の探してるガキってのがどこにいるか分からなくてよ。ちょっとあのジジイに話を聞くだけだ」
「グローブを装着したままで、か」
話し合いっつっても、ボディランゲージみてえなもんだ。嘘はついてねえ、よな。
「そうか。言葉は必要ないということだな」
黒武者は姿勢を低くする。まるで、地面を舐めるかのような構えだった。対して、俺は軽く拳を上げるだけ。悪いが、こっちには大層な技だとか、そういうもんはねえ。
「もう一度だけ聞いとくぜ黒武者村正。お前、箱に入ってるのを妹って言うんだな? あの姿の妹を生きているって言うんだな? そして、てめえら、レンといなせをどうするつもりだ?」
「……妹は妹だ。どんな姿であろうと、僕は彼女を取り戻す。その為に、教主の言うことにしたがっている。それだけだ。そして残念だが、お前の妹は次の生き神となる可能性が高い」
「ようく分かったよ」
涼しげなツラでよくもまあ、この信者連中も、俺らの存在に気がついてんのか? 我関せずって体面保ちやがってよ。……こいつら全員、ぶっ殺してやる。
信者がいるのもお構いなしに、黒武者は地を蹴り、人垣の中に姿を隠した。目で追いかけるどころの話じゃない。目にも止まらないし映らない。ただ、野郎のスピードってのは長期的なもんじゃないとイダテン丸は言っていた。一瞬、踏み込む速度が尋常じゃないんだ。一度でいい。勘で構わない。あいつがどっから来るのか分かれば、一発防いでお返しするだけだ。簡単だ。今までの、上から下まで完璧スーツ着た怪人やヒーローなんかよりも楽な相手じゃねえか。
「きや――――がっ……!?」
意気込んで構えた瞬間、背後から強烈な衝撃をお見舞いされた。恐らく、今のは左足による蹴りではない。アレを食らっちまえば、生身の俺ではどうしようもない。
とはいえ、痛いのは痛いし、吹き飛ぶのは吹き飛ぶ。俺は床を舐め擦りながら勢いがなくなってくれるのを待つしか出来ない。そうこうしている内、黒武者はまたも姿を隠す。……この暗がりじゃあ、マジで何も見えねえぞ、おい。
「てめえクロ助っ、汚いぞ!」
返答の代わりに衝撃が。今度は腹に蹴りを食らっちまい、俺は転がされる。ひたすらに惨めだった。勢い込んで出てきたのはいいが、こんな展開になるとは。何が、黒武者は味方になるかもしれねえ、だ。あの野郎、今度こそ捕まえてやる。
「げっ……が……!」
咳き込みつつ、俺は壁に向かって走った。どこから来るのかが分からないやつを相手にするのは今回が初めてってわけじゃねえ。以前、俺はデパートの屋上でピヨピヨうるせえ怪人と戦った。が、こんな真っ暗闇で腹丸出しにするのは怖い。なので、とりあえず背中だけでも守ろうと考えたのだ。
だが、
「なるほど。考えたな」
壁に辿り着く前に、俺は横合いから蹴っ飛ばされてしまう。読まれてたか。
「させん。嬲り殺しに遭う前に、諦めて逃げ出せば見逃してやる」
「誰が逃げるかボケ」俺一人ならとっくに逃げ出してる。
呼吸を整える間も、教主サマは説法真っ最中で、酷く耳障りだった。信者は、黒武者に椅子をぶっ倒されたりしてるはずなのに、この戦いに関して一切の興味がない様子である。
どうする。
どうしよう。
とにかく、ここはまずい。まずは明かりを点ける……いや、いったんここを出て廊下で戦った方が早いか。広くて暗い。この講堂じゃあ、俺に勝ち目はない。
「させんと言ったろう」
だが、俺の考えなど黒武者はお見通しのようだ。俺を逃がすまいと、動いた瞬間を狙って接近し、一撃を加え、再び距離を取る。お手本のようなヒットアンドアウェイだチクショウ。ヒヨコ怪人とは訳が違う。スーツなしで戦ってきたのは伊達じゃないってか。それを言うなら俺もだ、負けてたまるか。
「させんと……!」
「言ってたなあ!?」
俺が動こうとしたら襲ってくる。だったら動く振りでも何でもしてやりゃあいい。だいたい分かってきた。やつの動きは早いから風を一緒に連れてくる! なんとなくでもいい。だいたいの方向さえ読めれば捕まえられる。
「速さが仇になったな!」
至近距離まで来たんなら、俺にだって黒武者の動きは捉えられる。身を低くし、右腕を伸ばす。左足を避けて、野郎の右足を掴んでやらあ!
「僕を侮るな!」
が、まっすぐ向かってきていた黒武者は中空で翻り、方向を変えて俺から逃れる。きっと、あの靴を使ったんだろう。噴射か何かで、無理やりに反転したんだ。けど、それは体に負担を掛ける。スーツを着ていないのなら尚更だ。このまま粘って押し込んでやれ。
「退けと言っている!」
「退けるかボケ!」
俺が退けば、ここで負ければレンといなせはどうなるってんだ。そりゃ、あいつらとは正直血の繋がりがねえんだから何の関係もねえし厄介者も同然である。だけど、形はどうあれ結果はどうであれ預かっちまったんだ。グロシュラたちからレンを、銀川さんからはいなせを預かっている(奪ったとも言うのかもしれないが)。俺ごときの一存で決められる話じゃない。
黒武者が跳ぶ。風の動きを読む、なんて大それた事は言わないが、俺には経験がある。勘がある。なんとなく。そんなあやふやなものでいい。戦えればそれでいい。
「おお……っ!」
右腕が空を切る。だけど、黒武者との距離は縮まってきている。あと少し、あと少しで手が届く。そうすりゃ、もうすぐだ。待ってろよ二人とも、すぐに助けてやっからな!
「…………お前らっ」
あれ? おかしい。なんか、すげえ、頭痛いんだけど?
「いつまでこんなザコに手こずってんだ、ああ? 村正よ、おめえ恩を仇で返すってのか?」
「ひひひひひひひっ、生身同士で遊んでたんだから仕方ねえって」
あ。……ああ。そうか。ここには、黒武者以外にもいたのか。スーツを奪ったのなら、それを着てる奴らもいたって、事か。
「ぐっ、クソが……」後ろから思い切り頭やられて、俺は床に這い蹲っていた。見上げれば、そこには黄を基調としたヒーロースーツと、トッゲトゲの甲羅をつけたカメ型怪人が偉そうに立ってこっちを見下ろしている。ヒーローと、怪人が。
「舐めやがって……!」
こいつらには、何もねえんだ。正義も悪も関係ない。ただ、そこにあるからって理由だけで人から奪ったものを着てやがる。違うだろ。それはなあ、大切な商売道具で、相棒なんだ。愛着があって思い出があって、そいつを誇りに思って仕事してんだよ。一般人からは後ろ指差されて馬鹿にされて何にもしてねえのにビビられて距離を置かれて、それでも自分の家族食わせようと必死にやってんだ。クズでも、グズでもカスでもなんでも、仕事なんだ。やらなきゃしようがねえんだ。そのスーツは俺たちの全部なんだ!
「よせ、こいつの相手は僕が」
「あ? 黙ってろって」
許せるかよ! 我慢出来るか! 自分の正義も! 悪も! 何も持ってないようなやつが好き勝手にしていいものじゃないんだよ!
「それはっ、それはなあ! てめえらみてえなんが着ていいもんじゃ――――」
「てめえも黙ってろよ、クズが」
『あのね、お兄さん。もし、よかったら、お仕事がお休みで、お兄さんが疲れてなかった時でいいんだけど。その、どこかに連れてってくれない? ……あはっ、冗談だよ。僕、追われてるんだもんね。言ってみただけ。うん、お休み』
…………ああ、そういえば、あいつ、そんな事言ってたっけ。
『マサヨシ。あたしも働いた方がいいと…………あたしだって働ける。バカにするのはよしなよ。負担を掛けられないって言ってるんだ。もういい。子供の寝言だって笑うのは大人の悪い癖だ』
バカが。俺は前から、ガキが気を遣うなって言ってんだ。
そうか。
言ってたんだ。
あいつらは、とっくの昔に、俺に何かを言おうとしてたんだな。ただ、俺が耳を塞いで、聞き流して、無視してた。戦闘員とヒーローって二足のわらじを履いてるのに疲れていたのかもしれない。ガキの相手なんかするのはめんどくせえって煩わしく思っていたのかもしれない。
『お兄さんお兄さんっ』ひっつくなや、うぜえな。
『……別に。マサヨシは気にしないでいいよ』何を考えてるかわかんねえやつだな。
いや、俺は疲れてた。無視してた。煩わしく思ってた。一度や二度じゃない。レンがいなければ、いなせがいなければ、もっと楽な生活が送れてたって、確かに思った。忘れる訳はない。二人にとって、俺は……俺みたいなどうしようもないやつだったとしても、頼れる人がいないんだって。親代わりとして一緒にいてやれるのは、俺なんだ。
でも、だけど、それでもしんどいんだよ。弱音だって吐きたくなるし、もう嫌だって全部を投げ出したくもなる。俺はあいつらの本当の親じゃない。兄貴でもない。代わりなんだ。たまたま俺だってだけで、もしかしたらもっと他のやつが二人と一緒に暮らしていたのかもしれない。俺よりも金持ちだったら、俺みたいなクズじゃなかったら、あいつらだって、もっと楽に生活出来てた。俺が辛いと思う時があるように、あいつらだって、俺に拾われるんじゃなかったって、そう思う時はあるはずだ。
代わりでしかないんだ。俺じゃなくてもいい。俺じゃない方がいい。……俺は、心のどこかでは期待していたのかもしれない。カラーズからあいつらが姿を消した時、アタ教に行ったと分かった時、もう、二人の世話なんかしなくてもいいって。そんな事をどっかでは思ったのかもしれない。だから、俺は黒武者と戦った。さっさと二人を探して連れて帰ればいいのに、くだらねえ寄り道を選んだ。どうにかなれ、どうにでもなれと思ったのかもしれねえ。
「……今、こいつ動かなかったか?」
かもしれない。
そうなんだ。もう過去でしかない。妄想でしかない。もう、起こっちまってるんだ。俺はグロシュラからレンを匿い、銀川さんからいなせを預かった。逃げられないんだ。だから、今更蒸し返したって仕方ねえだろうが。悪いけど、レンにもいなせにも我慢してもらう。俺に拾われたのが運の尽きだって覚悟してもらう。あんな子供に気を遣わせちまうようなダメな大人なんだ俺は。楽な暮らしなんてさせてやれねえ。俺の力が足りないばっかりに不自由な思いをさせちまってる。本当は学校に通っていてもおかしくないのに、同年代の友達だっていてもいいだろうに、こんな危ねえところに首なんか突っ込まずに、もっと幸せに、もっと楽に、もっと……!
「ひひひひ、バカ言え。思い切りいったんだぞ。スーツもなしに立てるわけがねえって」
「それよりこいつ、何つけてんだ? ホッケーのマスク……だあからさあ! てめえは黙ってろや村正ァ! 大人しく尻尾振ってりゃいいんだよ、妹が、ひひひ、あの妹が大事なんだろ? な?」
「とりあえずマスク脱がして間抜け面拝むとすっか」
もっと――――力が欲しい。俺が弱いからだ。弱いからこうなる。
「いっ、ぎ……!? なっ、このっ、このクソ野郎!?」
これに触るんじゃねえ。
「ひいいいいいいいいいいい! ひ、ひひっ、はっ、離せ! 離せっててめえ、ちぎれちまうだろうがァなあオイって!」
このマスクは、俺がヒーローである為に必要なんだ。俺は、レンの為に、いなせの為に、九重の為に、社長の為に、何よりも自分自身の為に、ヒーローでいなくちゃあならない。
「があああァァァァァああああああああァァああああ! いっでえええええ……離せよぉぉ、離してっ、離してくださいお願いですからああああ!」
「こいつ……村正! 村正お前がなんとかしろよ!? 何なんだよこいつはよォ!?」
『アタ教の神たる生き神様は! 言葉を発しない! しかし、私がいる! 教主たる私が神の言葉を聞き届け、それを諸君らに伝えよう! 人生に実りを! 豊かな人生を!』
こいつらみんな、殺してやる。