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神は我々の人生を豊かにしっ、よりよいものにするとおっしゃられられて!



 アタ教の本拠地である教会は、街の外れに位置していた。周りには空き地しかない。なるほどな。企み事するにはうってつけじゃねえか。おまけに、見晴らしがいい。誰かがここに来ようとしても、すぐに見つかっちまう。……レンも、いなせも外にはいない。どこにも見当たらない。やっぱ、中にいるんだろうな。畜生。

 すぐに九重を帰していて正解だったな。だいたい、俺は別のタクシー拾うって言ってんのに、あの野郎しつけえんだよ。どうしても自分が送りたいとかなんとか言いやがって。甘いよな。カラーズってのは。

「とりあえず、尻叩き百回だな」

 見つけたらバシバシにしてやろう。……尤も、俺がこの教会に入れたら、だけどな。

「お前は」

「よう、また会ったな。覚えててくれてたとは、感激で涙が出てきちまうよ」

 教会の前には、黒マントがいた。予想はしてたが、よくねえ展開だ。野郎は立ち上がり、俺をねめつける。……思えば、こうしてこいつの顔をゆっくりと拝むのは初めてだな。なんだよ。やっぱ若いじゃねえか。顔立ちこそ端正でむかつくが、目が、冷たい。いや、凍っているんだ。まるで、この世全ての地獄を見てきたような、そんな目をしてやがる。ガキの分際で、何を悟った風に。

「お前が門番ってわけか」

「そんなところだ。お前、さっきの子供の知り合いなのか?」

「ああ、そんなところだよ」

「……そうか」

 ? 今、こいつ、悲しそうな顔をしたような……?

 いや、言ってる場合か。レンといなせがここに来たのは確かなんだ。

「お前とは、また会うような気がしていた」俺もだ。

「年上に『お前』はねえだろうが。躾がなってねえな、尻叩きだ」

「お前の武器、面白いと思っていた。僕と似ている」

 言って、黒マントは足を上げた。野郎が見せびらかしたのは、真っ黒な靴である。なるほど、こないだも見たが、これがこいつの武器ってわけか。

「ガキはどうした? 連れて帰りたいんだがよ」

「それは、出来ない。僕に与えられた権限は少ないんだ」

「二人は中にいるんだな?」

「ああ、間違いない。今のところは無事だ」

 今のところは、か。やべえな、さっさとこいつぶっ飛ばして、中に潜らねえと。だけど、一筋縄じゃいかねえってのも確かだ。黒マントはスーツこそ着てねえが、並のヒーローや怪人じゃ相手にならないくらい手強い。俺じゃあ、こいつのスピードにはついていけないだろう。

「どうした、構えろよ?」

 俺は腰を低く落とし、黒マントの接近に備える。しかし、野郎は仕掛けてくる気配を見せなかった。

「……一つ聞くが、あの子供たちとお前は、どういう関係だ?」

「カンケイあんのかよ? つーか、さっきも言ったろ」

「知り合いというだけで、ここまでは来ないはずだ。聞かせろ」

「冥土の土産ってやつかよ。……あいつらは」

 レンといなせは、なんだ? 俺の息子でも娘でもない。友達とも違うし、マジで、なんだ?

「あー、あいつらは、弟と妹みてえなもんだ。血は繋がってねえがな」

「妹……そう、か」

 黒マントは、少しだけ笑った。間違いなく、微笑んだのだ。

「通れ。通ってもいい」

「はあっ? お前、なんだそれ? こっちはやる気満々なんだぞてめえ」

「あの子たちを取り戻すだけなら、僕はお前の邪魔をしない。だけど、それ以上となると、黙っていられなくなる」

 つーか、いきなりなんだ? なんだってんだよ。さっきまで、こいつだって戦う気だっただろうが。

「どういう心境の変化だ?」

「お前と僕は似ている。少なくとも、僕はそう思った。だから、教えてやってもいい」

 偉そうだな、こいつ。

「僕は、妹を人質に取られている」

「……何?」

「だから僕は教主に従っている」

 何を、淡々と言ってんだ? ……ブラフか? なんだ? いきなりこいつ、敵に何を言ってんだよ。

「それ、マジで言ってんのか? 妹が捕まってんのに、てめえは言いなりになってるってのかよ」

「妹が捕まっているから、言いなりになっている。教主は、僕が言うことを聞いていれば、妹を……下緒(さげお)を返してくれると約束したんだ。僕とお前は似ているが同じじゃない。お前の考えを押し付けるな」

「下緒。それが、妹の名前か」

 似ている、か。こいつもそう思ってたのか。

 俺は右腕に武器を。こいつは左足に。そして、二人ともが妹を人質にされてるってかい(俺はレンを忘れてないぞ)。

「ああ、妹は黒武者(くろむしゃ)下緒。僕は黒武者村正(むらまさ)だ。両親がアタ教の信者で、その関係で、こうして、イヌをやっている」うわ、すげえ名前だな。

「アタ教ってのは新興宗教じゃなかったのか?」

「違う。だが、名を知られ、大きくなったのは最近だ」

 ……しっかしこいつ、結構喋りやがるな。ついでだ。色々と聞き出してやろう。

「アタ教は人生の素晴らしさを説いている。教主は神の言葉の代弁者だ。僕たちはその言葉に従って行動しているに過ぎない」

「神、ねえ。そりゃどんな神だ? 石ころをパンにでも変えられんのかよ?」

「神は生き神だ。神は……」

「あ、いや、そこら辺はいいわ。興味ねえから」

 こいつらアレだな。隙あらば俺みたいなやつですら勧誘してくんのな。プログラミングでもされてんのか?

「まあ、だいたい分かった。ありがとよ。つまり、てめえらは神さまの言葉を聞いたって抜かしやがる教主サマの言うことを聞いてんだな。そんでもって、人生ってのは素晴らしいって喜んでるわけだ」

「素晴らしいだろう」

「おうよ。素晴らしく、胡散くせえ。人生がどうのって説法すんのは構わねえが、だったらよ、どうしてスーツを奪う必要があるんだ?」

 依頼人のおっさんの言うことは話半分に聞いてたが、黒マントとアタ教が繋がってんなら話は別だ。こいつら、表じゃ大層な事言ってるが、裏では(もはやバレバレだが)強盗まがいの事やってやがる。

「……必要だからだ。神は力を求めている」

 ここまでにしとくか。これ以上くだらん話聞いてられん。

「通るぞ。とりあえず、ありがとうよ。正直、てめえに勝てるとは思ってなかったからな」

「そうか。念を押すが、余計な事はするな」

「分かってるって」

 妙な事になっちまったが、余計な戦いなんてのはしないに限る。……黒武者村正か。あいつ、マジで妹を人質にされてんのか? だったら、まあ、ついでに助けてやるってのも、考えとくか。流石に、俺だってそこまで冷血漢じゃない。



 しまった。黒武者にレンたちの居場所を聞いとくべきだった。

 ひとまず教会に入ったのはいいが、中には誰もいやしねえ。きょろきょろと辺りを見回したところで、祭壇? みてえな場所に、これみよがしにスイッチが置いてあるのが見えた。真っ赤なスイッチで、いかにも感がありありと。

「……いや。いやいや、まさかな」

 だが、こういった類のモノは押してみたくなるのが人情だ。というわけで押す。暫くしてから、かちりと、小さな音が鳴った。ちょっと期待外れだ。こう、ゴゴゴゴゴゴって感じで何かがせり上がってくると思ったのに。スイッチを押した事で、恐らく、どこかの鍵が開いたんだろう。近場を探ってみると、とある場所の床が少しだけ上がっているのに気づいた。これだな。間違いない。クソが、無駄な仕掛け作りやがって。

 床を蹴り上げると、階段が姿を現した。どうやら、地下へと続いているらしく、この先が、本当のアタ教ってやつらしい。……ちょっと怖くなってきたが、レンといなせはこの中にいるんだ。腹なら括ったろ、俺!



 延々と続く階段と埃っぽい空気と真っ暗な空間に嫌気が差し始めてきた頃、下の方から、僅かながらではあるが、明かりが見えた。辿り着いた先にも見張りがいる可能性は考慮したが、こんなド一本道なんだ。足音でバレてるだろうし、気にせずガンガン進む事に決めた。

「ちっ」うお、まぶしっ。

 明かりは、どうやら廊下から漏れてきているようだ。乳白色の壁と、床には真っ赤なカーペットが敷かれている。まるでどっかのホテルだな、地下にある施設だとは思えん。うちの組織よりも金がかかってんじゃねえのか。

 廊下は右と左に向かってまっすぐ伸びている。目を遣れば、数メートルおきによくわかんねえ絵画が飾られていて、幾つかの扉が見えた。……音も聞こえる。と言うより、声だ。男の、熱のこもった声が壁の向こうから聞こえてくる。恐らく、地下の中央には大きな部屋があるんだろう。その周りを、長い廊下がぐるりと囲んでいるわけだ。右から行っても左から行っても、結局は合流するような造りになってやがるに違いない。レンといなせは、部屋のどこかに監禁されている可能性が高い。一つ一つ虱潰しに調べるしかねえか。

 どっちから行こうかと歩きかけた瞬間、熱っぽい声に紛れて物音が聞こえてきた。まずいっ、どっか隠れねえと! そう思ったのだが、どの扉にも鍵が掛けられており、一向に開かない。諦めて、廊下を小走りで進む。幸い、カーペットが敷いてあるので足音は立たなかった。だが、ここは敵地のど真ん中なんだ。くそっ、もっと冷静になるべきだったか? ……いや、どの道、無理だな。



 誰もいないのを確認してから角を曲がっても、やはり、似たような景色が見えるだけだ。だが、一つだけ違うところがある。バカでかい、両開きの扉が待ち受けていた。中からは、先の男の声が聞こえてくる。どうやら、ここで演説の一つでもかましてくれてるらしい。

 扉は少しだけ開いており、身を滑り込ませて隠れるにはうってつけだ、早く飛び込んで来いと言わんばかりである。すわ罠かと警戒するも、見晴らしのいい廊下に留まっていてはバカを見るだけだ。意を決し、俺は中へと侵入する。

『だからこそっ、我々には力が必要なのだ! 神もおっしゃられておられる! 力こそ、人生をよりよいものにするためのっ、重要なファクターなのだと!』

 室内は暗い。どうやら、ここは講堂みたいな空間になってるらしいな。……目を凝らして、暗がりに慣らす。講堂の奥、壇上にだけスポットライトが当てられていた。そこでは、髪の長い(と言うよりも汚らしく伸ばすだけ伸ばした感じだが)壮年のヒゲ男が熱弁を振るっている。恐らく、野郎が黒武者の言っていた『教主』だろう。

『力とは何も腕力のみを差すのではないっ、力とつくものなら全て! 全てが人生にとって我々にとって必要なのだ! かの非戦主義者も言っている。力なきものに許しを与えることは出来ないのだと! 人生も同じである! 素晴らしい人生とはそれすなわち幸福を得ることっ、不幸せたる万難を打ち払うには力が必要なのだ!』

 教主の熱気に感化されたのか、講堂内もどこか熱っぽかった。それもそうだろう。何せ、ざっと見た限りでも信者の数は数百人をくだらない。空調だって満足に利いていない中、教主であろう男は汗まみれになって声を張り上げていた。時折、信者たちから歓声が上がり、俺は耳を塞いだ。どっからかき集めてきたんだか。その辺の悪の組織よりも規模がでかいぞ。

「……どうっすかな」

 俺は入り口の物陰に身を隠し、教主の話に耳を傾ける。……いや、傾けさせられているのかもしれなかった。俺は神様なんざその場その場でしか信じちゃいないが、神様みたいなもんなら信じられる。人の心を簡単に掴んじまうようなやつなら信じられる。それが、あいつだ。身振り手振りと熱のこもった口調は、いやが上にも他者を惹きつける。

 いや。いやいや、そうじゃない。俺はアタ教がどうのって話を聞きに来たんじゃない。レンといなせを連れ帰りに来たんだ。こうしちゃいられん。捜索を続行しよう。

『神は言った! 力を欲すると! ならば信徒たる我々には神のご意志を聞き届け、それを使命だと承り、速やかに実行せねばならない! 此度、神はスーツを差し出した者に対して自ら礼を述べたいとおっしゃられた!』

 スーツ? こいつら、マジでやってたんかよ。だったら、あのおっさんのスーツもここにあるのか?

『礼賛を! 礼賛を! 神の降臨っ、顕現を礼賛せよ!』

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「アタ教っ、アタ教バンザイ!」

 頭が割れそうだ。喝采の中、一人だけ冷静でいるのは中々に辛いものがある。しかし、神の正体とやらは気になった。いったい、どのツラ下げて『私は神だ』と抜かすのか、非常に興味がある。

『神よ! おおっ、神よ!』

 だが、神はやってきたのではない。天から降りてきたのでもなければ地の底から這い出てきたのでもない。神とやらは、運ばれてきたのだ。俺は、そいつから目を離せなかった。



 黒子が台車を押してくる。乗せられていたのは、透明なケースだ。そう、ちょうど、人間一人が納まるくらいの、縦に長い箱である。妙な液体が入っているらしく、中にあるモノが揺れていた。

『神が! こおおおおおおおおおりん、なされた! 礼賛っ、礼賛、礼賛! 皆っ、頭を上げてはならぬ! 直視したものには罰が下り、眼は忽ち灰と化すだろう! 神の存在をっ、見るのではなく感じたまえ!』

 吐き気を覚えた。何なら、ここで戻しちまってもいいかと思ったほどだ。


『生き神だ』


 箱には、神なんか入っちゃいない。ここには、そんなモノいやしなかった。奴らが崇め奉っているのは、ただの人間だ。ただの人間の、バラバラになった死体だ。いったい、アレが朽ちたのはいつだったのだろう。肉は削げ落ち、骨は砕け、澱となって溜まっている。それでも、ヒトとしての容だけは、最低限保っている。

 アタ教は……いや、教主は死んだ人間を神だと騙っていた。別に、そこはいい。好きにすればいい。言っちまえば騙される方が悪いんだし、そもそも信者ってのはそういうものに頓着していないのかもしれなかった。ただ、あの死体はなんだ? 誰が死んだ? 死んだやつをあそこに入れたのか?

 誰かが、殺されたのか?

 だったら、誰が死んだ。誰が殺された。誰が殺した。生き神なんていう体のいい偶像として利用される為に、俺の知らないどっかの誰かが犠牲になったのか? ……いや、違う。俺は知っている。アレは違うと直感している。

『神はっ! おおおおおおおっ、神は我々の人生を豊かにしっ、よりよいものにするとおっしゃられられて!』

 あいつは、俺と自分は似ていると言った。妹が捕まっていると言った。

 黒武者下緒。

 アタ教が神と仰いでいるのは、あいつの妹なんじゃないのか? だけど、それなら納得はいかねえ。妹は死んでるってのに、黒武者村正は『返してもらう』と言っていた。もしかして、あいつは何も知らないのか? 聞かされていないのか? 外で門番みたいな真似やらされてるって事は、つまり……。

 ………………つまり。つまりって事は、黒武者が妹を返してもらうって事は。また、別の誰かが犠牲になるのか? 死んでからも、あんな狭苦しいところに詰め込まれて、利用されるってのか?


『今のところは』


 今のところは、レンといなせは無事だ。そう、黒武者は言っていた。だったら、時間が経てばどうなる? まさか、次、あそこに閉じ込められるのは、いなせ、なのか……?

 そこまで考えた時、俺の体から力が抜けていくのを感じた。こんな、意味の分からんくだらねえやつらに好き勝手させてたまるかよ。早く、あいつらを見つけねえと……。

「俺は。くそっ、畜生っ」

 ……ダメだ。見捨てられん。もう死んでる。骨だけになったっても、『彼女』は黒武者の妹なんだ。野郎は敵だが、だからと言って放っておけない。だいいち、むかつくんだ。神だなんだとえばりくさって、唾撒き散らしてるジジイがよ。くそっ、クソクソクソ! やってやる。やりまくってやる。

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