スーツを着ていないヒーローなんて、いるはずがないわ
「あ、後は頼んだぞ」
「しゃべんなボケ」
赤丸がしゃもじを振り上げ、ヒトデ怪人に襲い掛かる。地面に突っ伏した俺は、彼女の戦いぶりを見るしか出来ない。
「……一瞬でやられてしまうとは」
「面目ない」
次いで、イダテン丸が店内にいる人質の救出に向かった。俺はといえば、やっぱり体中のあちこちが痛いので、寝転がるしか出来ないでいる。
顔見知りだったり、全く知らないヒーローたちが、俺の知らないところで事態の収拾に努めていた。俺はといえば、一番槍を気取ったが、ヒトデヤロウの平手打ち一発でノックアウト寸前にまで追い込まれている始末。
「君、邪魔だから退いてなさい」
「あーーーー」
警官隊に引きずられ、俺は店前から強制的に退去させられた。
そのまま、俺は社長らが待つタクシーにまで戻っていた。のこのこと、である。ドアを開けようとしても、鍵をかけられているようだった。
「おい、開けろやコラ」
なんだか、この格好だとタクシー強盗に見えなくもないような気がするが。もはや何も言うまい。社長は仕方なさそうに息を吐き、ウインドウだけを開けた。そうして、いつにもまして冷たい目でこっちを見てくる。
「あなたね、いくらなんでも酷過ぎるわよ」
「馬鹿を言え。ホッケーマスクつけただけで、そこらのヒーローと同じような活躍なんてな、出来るわきゃねえだろ」」
ぐうの音も出ないほどの正論のはずだ。
「うるさいうるさい、うるさいわよ役立たず!」
こういうところはガキっぽい。
「……社長。とりあえず、青井さんが無事だったんですから」
「くっ、こんなんじゃあギャラなんて出ないわね。なんとかならないの?」
「知るかボケがっ。……こふー、こふー」
俺は暑苦しくて息苦しいマスクを外し、開いている窓から社長の顔面めがけて投げ込んだ。彼女はぎゃあと悲鳴を上げる。
「やってられっか」
俺はボンネットに腰を落ち着かせて、宝石店での捕り物を眺めた。しゃもじ女の大活躍によって怪人は取り押さえられる寸前である。クッソつまんねえ。帰るぞ。帰って飯食って風呂入って歯ぁ磨いて寝るぞ。
「……あれ? 今、何か」
九重が呟き、社長が声を上げた。事態に気づいた野次馬たちも、思い思いに何かを叫ぶ。俺はといえば、知らずの内に拳を握り締めている。
風が吹いたのだ。
間違いない。昨夜にも見た、黒い風だ。
ヒトデ型怪人が、黒い風によって蹴り飛ばされる。それをやってのけた張本人は酷くつまらなさそうに怪人を見遣り、それから、ヒーローたちを見回した。昨夜と変わらない。正しく、風のごとく現れ、誰よりも冷めた目で場を睥睨する。
赤丸たちも、何かおかしいと思ったらしい。ヒーローであるはずの、あの黒マントのクソガキが。
「社長。あのヒーローを知ってるか?」
「黒いやつよね? いいえ、知らないわ。そもそも、アレ、ヒーローなの?」
「……だって、そんなっ、スーツを着ていないじゃないですか!」
「スーツを着ていないヒーローなんて、いるはずがないわ」
おい、てめえ。てめえらふざけんなよ。だったら俺はなんだってんだ。……あの黒いのはヒーローじゃない? だけど、野郎は確かに怪人をぶっ飛ばした。ぶっ飛ばした? だからどうした。昨日も言ってたじゃねえか、あいつの狙いは……!
「――――スーツをいただく」
風が疾走する。
あっ、と、誰かが声を上げた瞬間にはもう遅い。真っ黒マントの一番近くにいたヒーローが、中空に浮かされていた。
「やりやがった」
「やりやがったな、このボケ……!」
赤丸が向かうも、彼女の大振りな攻撃では捉えられないだろう。この場にはイダテン丸がいるが、あいつでも追いつけたとして、黒野郎の一撃を受けてはただじゃすまねえだろうな。
「面白くなってきたじゃねえか!」
グローブをはめ、俺はボンネットから降りる。ウエストバッグにはめんこやでんでん太鼓も入れてある。装備に関しちゃ問題ねえ。
「青井っ」社長は窓を開け、ホッケーマスクを投げてよこした。
「やることは分かってるわね!?」
野次馬が次から次へと逃げ出し、手に負えないと判断した警官がパトカーに乗り込む。サイレンがけたたましく鳴り響き、黒い風によって一台のパトカーがぶっ潰されていた。
「目立てばいいんだろ!」
「そのとおり!」
野次馬を掻き分けながら、黒い風の行き先を必死に探す。集まったヒーローたちは、誰もが手玉に取られているようだった。
「待たんか卑怯もんが!」
赤丸が吼えている。彼女はしゃもじを振り回すが、虚しく空を切るだけだ。……あいつは怖いからほっとこう。まずはイダテン丸と合流だ。
「イダテン丸っ」
「……青井殿っ」
俺が呼びかけると、イダテン丸こと縹野は、すぐ傍に駆け寄ってくる。
「本名を出すな」
「では、何とお呼びすれば……?」
「ジェイソンでもステイサムでもマチェーテでも、好きなように呼んでくれ。それより、お前でも追いつけないのか?」
立ち止まっていると狙われる。俺とイダテン丸は荒らされた宝石店に入り、物陰に身を潜めた。
「……いえ、私の方が速いです。ただ、瞬間的な速度となると、やつに軍配が上がります」
「なるほど。走るのはそんなに速くないってわけか」
そういや、昨夜だって俺たちの乗った車を追っかけてくる事はなかったっけ。やはり、似ている。恐らく、足に何かを仕込んでやがるな。爆発的な速度を生み出すような……そう。俺で言えば、右手のグローブのようなモノを。
「足を狙うぞ。お前が追い込め、俺が仕留める」
「……お任せを」
イダテン丸は店を飛び出し、黒い風に追いすがる。
とにかく、疲れさせればいい。スーツを着ていないのは確かなんだ。ヒーローたちのが多いし、上手く囲んで足につけた何かを壊せばそれで済む。問題は、それまでこっちが持つかどうかだ。
「考えても仕方ねえかっ、行くぞ俺!」
店を出た瞬間、すぐ横を何かがものすごい勢いで通り過ぎて行く。たぶん、蹴り飛ばされたヒーローだろう。ちょっとちびりそうになった。
残ったヒーローは俺を入れて七人。ぼっと突っ立ちやがって。
「邪魔だっ、頭、下げろ!」
でんでん太鼓を振り回す。こうしてれば、やつも簡単には近づけねえはずだ。が、俺は見た。黒いマントが翻り、竜巻のようになったのを。それが地を蹴り、でんでん太鼓を意に介さず突っ込んでくるのを。
そして、読みは当たっていた。
――――靴か!
黒マントが仕掛けてくる瞬間、やつの足元から火花が散った。間違いねえ。違いないっ、こいつは!
「スーツをっ!」
「やらせねえ!」
やつは左足での飛び蹴りを、俺は右腕でのパンチを放つ。こうなったら下半身全部ぶっ壊す勢いでやったらあ!
「死にくされえええええええ……お?」
足と拳が衝突し、俺は目を見開いた。
同時に、野郎も目を見開いた。
「……これはっ」
……耐えられない。力と力がぶつかり合う。強過ぎる衝撃に踏ん張ろうなんて気すら起こらなかった。流れと勢いに任せて。俺の感覚を、後方へと体が流されていくような、得体の知れない浮遊感だけが支配していた。地面を何度も転がって、あちこちを擦って、乗り捨てられたパトカーの車体に体をぶつけたところで、ようやくになって勢いは掻き消えてくれる。
「だっ、くそが……すげえいてえ……」
追撃に怯え、俺は体を起こした。が、何も来ない。誰も仕掛けてこない。黒マントは、どうやら逃げ去ってしまったようだ。退かせる事には成功したが、随分とまあ好き勝手をさせちまった。ヒーローが束になっても敵わなかったんだ。こりゃ、思ってたよりもまずい事態になるかもしれない。
「おい十三番、さっきから何背中さすってんだよ。見ててうぜえからやめろよ」
「黙ってろ腰抜けが。てめえぶっ飛ばすぞ」
「だーっ、やめろやめろ! せっかく今日は休みもらってんだ。仲間割れはよせって。な? 大人しく痛めたところを休めようぜ?」
舌打ちし、俺と八番は椅子に座り直した。
昨日の今日である。そんな気はしていたが、やはり、エスメラルド部隊には『様子見』が命じられていた。都合がいいと言えば、そうだ。昨夜、そんで昼間にも黒マントと出会って、おまけに戦ったんだ。体中のあちこちが痛い。腹立たしい。むかつく。むかついてしようがねえ!
むかつくのは、俺とあいつが互角だったってところだ。そりゃ、俺にはヒーローとして色々なもんが欠けてるってのは分かってる。だけど、あのグローブの……右腕の力だけは本物だって、そう思ってたんだ。どこの馬の骨だか知らないやつが、俺と同じようにスーツを着ないで、一部分だけで勝負しやがるイカレだったとはな。くそう。
「……そういや、知ってるか? 今日な、例のアレが出たらしいぜ」
「アレって、昨日の黒いのか? マジかよ。またどっかの怪人がやられたのか?」
「ヒトデの怪人がな、スーツを持ってかれたって聞いたぜ。それだけじゃねえ。黒いのは怪人だけじゃなく、ヒーローにも襲い掛かったって話だ」
何?
なんだって?
いつの間に、あのヒトデはスーツを奪われてたんだ? 黒マントには、そんな暇がなかったはずだ。
「風の噂だけどよ、スーツ狩りにはアタ教ってやつらが絡んでるって聞いたぜ」
「……アタ教?」
俺は、聞き覚えのある単語に反応し、顔を上げる。
「新興の宗教らしい。って、前にも言ったけどな。きな臭いらしいぜ? まあ、それを言うならどこも同じようなもんかもしれないけどよ」
またアタ教か。……あの黒マントと関わりがあるかどうか分からないが、社長も気になっていたみたいだしな。調べた方がいいのかもしれない。
翌日、俺は昨日と同じように、レンといなせを引き連れてカラーズへと向かった。
が、昨日とは違い、社長と九重は忙しそうにしている。何かあったのだろうか。
「おい、おはよう。どうした? 夜逃げの準備か?」
「違うわよばか」
社長は作業の手を止めて、書類の束を机の引き出しにしまいこんだ。
「おはようみんな、実は、依頼が殺到しているのよ」
「……ああ、それで」
それで、九重は受話器を置いたり取ったりしてあたふたとしているのか。なるほど。すげえいい事じゃねえか。
「それが」言いにくそうにして、社長は口元に手を遣る。
「例の、アタ教なのよ」
「どういう意味だ?」
俺はソファに腰を下ろし、膝の上に乗っかってこようとするレンを退かした。
「アタ教に関することで依頼が来ているの。一般、同業者を問わず、ね」
「なあマサヨシ、アタ教ってなんだ?」
「子供は知らなくてもいいことだよ」
「さべつだーっ、お兄さんが差別してる!」
はいはい、難しい言葉を知ってるね。
「嬉しい悲鳴だけれど、全てに対応することは出来ないわ。何せ、うちにはヒーローが一人しかいないんだもの。というわけで、一番やりやすそうなものだけ受けておいたわ。今から出るから、準備はいい?」
偶然、だろうか? しかし、今までの経験が、俺の勘が告げている。アタ教を追えば、あのいけすかねえ黒マントと再び見えるのだろうと。