では奪いましょう
あの日から三日経っても、特にお咎めもなかった。とりあえず、クビにはならなかったらしい。と言うか、いつも通りにヒーロー派遣会社には仕事がなかったし、組織からは正式な辞令も出ていなかった為、戦闘員としての仕事をこなしていた。煤竹チーフからは色々と聞かれたが、適当に誤魔化しておいた。まあ、やっぱり俺には下っ端が向いているって事で。
今晩は楽な仕事だった。控え室では同僚たちの機嫌も良い。飲みに行こうと誘われて、俺の機嫌もうなぎ上りである。こないだは先輩とサシで飲んでたからなあ。久しぶりに、気の置けない奴らと楽しくやれる。カラーズからも連絡は来ていない。明日は組織の仕事もない。つまり、
「居酒屋予約取ったー?」
「ガンガン飲もう、ガンガン。んでカラオケな」
「青井、てめえ数字付きの話なくなったんだってな! ぎゃはは、その辺り聞かせろよ!」
「何やったんだよ、もったいねえなあ!」
オールで楽しくやろうよ! って事である。若さだけが俺たちの背中を押していた。明日、仕事がある奴だっているんだろうが、そこは考えない。そういうのを気にして考えていたならば、俺たちは戦闘員なんて職に就いていないのだ。
全員の着替えも終わり、予約も取れた。それじゃあ行こうかと誰かが立ち上がった時、扉が開く。自然、皆の注意はそっちに向いた。
「アオイ! いるか!」
控え室に入ってきたのは、背の低い、褐色肌の女の子だ。惜しげもなく肌を露出させている。彼女の傍には、銀髪で線の細い男が立っていた。
「……誰、あの子?」
「つーかいきなり何?」
「ひゃはは、ケッコー可愛いじゃん!」
ま、まずいんじゃないのか。これって。同僚たちは、この人たちの正体を知らないんだ。と言うか、初めて見たに違いない。
男は、江戸さんだ。女の子は緑間、じゃなくて四天王のエスメラルド様である。つーか、どうしてこんなところに来てるんだ?
「アオイ、いたら返事だ!」
「青井? おい、呼んでんぞ。つーか、何、お前の妹?」
「紹介しろよー、しっかし全然似てねえなあ」
黙っていても無駄だろう。同僚たちは好き勝手に騒ぎ立てていた。俺は立ち上がる。とりあえず、江戸さんに頭を下げた。
「あっはっは、いるじゃないかアオイ! 相変わらず青くないなあ! あれ? でも、なんか顔色悪いぞお前」
そりゃ顔色だって悪くもなるわ。この状況は理解不能だ。生意気な俺を断罪に来たのか、それとも、クビを言い渡しに来たのか。とにかく、悪い予感しかしない。
「悪いが、青井君以外の者は出て行ってくれないか?」
「あ? そりゃ出てくつもりだったけどよ、あんたら後から来てなんだってんだよ?」
江戸さんは溜め息を吐き、腕を組む。あの人を怒らせちゃあまずい。俺の立場が悪くなっちまう。
「みっ、皆! マジで、マジで悪いんだけど、今日のところは! な、頼むよ。また今度、ちゃんと説明すっから! な!?」
「えー? つーか青井飲みはどうすんだよ、予約取っちまったし」
俺だって行きたいよ。
「済まないが青井君、飲み会とやらは後からの参加にしてもらえないだろうか?」
江戸さんに言われて、俺は何度も頷いた。
「とにかく頼むって!」
俺の人生が掛かってんだ!
渋々ながらではあったが、俺の必死さが伝わったのか、同僚たちは控え室を出て行ってくれた。残されたのは、俺と、江戸さんとエスメラルド様である。一体、何が始まると言うのか。
「……まず、どうしてこちらに顔を見せなかったのか答えてもらおうか」
江戸さんは静かに、ゆっくりと言った。怒りを押し殺しているような、そんな風だった。
「それは、その。クビ、だと思ったので……」
「エスメラルド様に恥をかかせるつもりだったのか? 十三、この数が揃って初めて数字付きの部隊は完成する。君には、少しばかり失望したよ」
んな事言われても、そっちだって何も言わなかったじゃねえか。
「三日、我々は君が来るのを待っていた。だが、これ以上は待てないと、その、エスメラルド様が、な」
「元気だったかー、アオイ」
童女のように、エスメラルド様は笑う。
「……君をクビにするつもりはない。数字付きの話をなかったとする事もない。何より、エスメラルド様は君を大層気に入っておられる」
「そ、そうなんですか」
「まことに、残念ながら、な」
睨まれる。あまりにも恐ろしい、恨みや辛み、妬みや嫉みが込められた魔眼から、俺は目を逸らす。
「アオイー、反省してるか、反省。反省は大事なんだって、みんな言ってるぞ」
「はい、反省しております」
「じゃ、今日はカイサンだ。また明日な! ちゃんと来いよ、待ってるからな!」
椅子から下りると、エスメラルド様は屈託のない笑顔を見せて、控え室を後にする。あの、江戸さんを置いていかないで欲しいんですけど。
「あの方がそう言うのなら、私からはもう何も言うまい。青井君、明日からはエスメラルド様の数字付きという誇りを持ち、仕事に励んで欲しい」
「勿論です!」
「うん、期待している。邪魔をして済まなかった。飲み会があるのだったか。今の事は忘れて、大いに楽しむと良い」
ブチ切れ寸前だった江戸さんも、最後には笑ってくれた。良かった。何とか、どうにかなった。
二人がいなくなって、俺は机に顔面を突っ伏す。正直、生きた心地がしなかった。何せ、四天王と、その右腕的存在なのだ。ちょっとでも機嫌を損ねりゃあ、俺のクビなんか簡単に飛ぶ。物理的にも。そうに違いない。とにかく、明日からは本当に数字付きとして働くんだ。頑張ろう。うん。
数字付きになってから三日後、大した仕事は与えられなかった。俺にだけではない。そもそも、エスメラルド様の部隊は誰一人働いていないようにも思えた。怪人も、俺と同じ数字付きも、そうでない末端の戦闘員に至るまで、である。色々と話を聞いて回れば、何もしなくても給料は入るそうなので、むしろラッキーだと笑う者が殆どだった。こないだまでは牛馬の如く働かされていた身なので、落ち着かない事この上ない。
「仕事?」
なので、江戸さんにも話を聞いて見る事にした。
「ええ、その、何もしていないってのは、ちょっと座りが悪くって」
「……素晴らしい心意気だが、君の立場は以前のような戦闘員とは違うのだよ。君は、四天王の一人であるエスメラルド様の下で働いているのだ」働いてないけどな。
「属する組織の人間として、エスメラルド様の部下として、選ばれた数字付きとして、誇りを持って仕事に臨んでもらいたい。我々には我々の仕事がある。しかるべき時が来れば、嫌でも働いてもらうのだから」
ううん、そ、そうなのか。でも、こちとらプライドなんか持った覚えがない。どこの怪人の下だろうが、呼ばれりゃ走って尻尾振り、行けと言われりゃそっちに走り、襲えと言われりゃあっちに駆けるような生活をしていたんだ。楽なのは良いけど、何だかなあ。
「失礼するぞー!」
扉が開く。エスメラルド様だ。俺が前に言った通り、きちんとノックをして入ってきている。未だに、その件に関してはトラウマもんだった。
彼女は段ボールやら冷蔵庫をごそごそと漁り始める。慣れたもので、江戸さんは気にしたような素振りを見せない。
「走り、襲い、奪うのは数字付きになる前と変わらないだろう。しかし、今は違う。機が熟すのを待ち、嵐のように獲物に襲い掛かり、奪い尽くす。スマートさが求められる。そこを理解しておきたまえ」
やべえ、何か説教が始まってる。失敗した。
「良いか青井君、君の六年、今までに積み重ねてきた経験を馬鹿にするつもりは毛頭ない。しかし、エスメラルド様の数字付きとして働くのならば、それ相応の……」
「エドー、肉が食べたい」
「では奪いましょう」あれー?
江戸さんの行動は迅速だった。すぐに戦闘員を呼び出し、部隊を編成し、標的を定めて、作戦を練る。空っぽだった会議室には数字付きが全員集まり、息苦しさを覚えるくらいだった。
「今回は私も現場に赴く」
歓声が沸く。俺は良く分からないので、とりあえず拍手をしておいた。どうやら、江戸さんが直接現場に行く事は珍しいようである。
急遽決まった事なので、今回は江戸さんと、数字付きの戦闘員だけで仕事を行うらしい。ターゲットは精肉店。行って、奪う。内容はそれだけだった。つーか時間掛けて綿密な作戦がどうとか言ってた割には無茶苦茶荒かった。それで良いのか江戸京太郎。
俺の任務は、肉を運び、クーラーボックスに入れるというものだった。釣具店などで売っている、中々に値の張りそうなものである。今回の仕事の為、江戸さんが自腹を切ったらしい。
お仕事は、今晩、店の閉まる時間を狙って、である。驚くべき事に、現場まではバスではなく数字付きや江戸さんの支給された車で行けるらしい。俺たちは十人乗りのワゴンで、江戸さんは何か、すげえかっくいいRCなんとかって奴だ。素晴らしい。
「君には期待している」
だが、どうして、俺が江戸さんの車の助手席に乗っているんだ? こういうのって、普通は年功序列っつーか、数字付きん中でも偉い奴がここに座るべきだろう。と、それとなく江戸さんに聞いてみたら『前の十三番の指定席だった』との事。どうやら、俺は余計なプレッシャーを抱えるはめになりそうだった。前任の十三番って、無茶苦茶仕事の出来る奴だったんだな。
「裏切らないようには努力しますけど、大丈夫ですかね」
「始まる前から心配事を口にしていては、成功するものも成功しないと思いたまえ。だが、君にとってはエスメラルド様の数字付きとして初めての仕事だったな。緊張するのも無理からぬ事だが、気楽にしたまえ」
ターゲットの精肉店、その五百メートル手前の駐車場に車を停めると、江戸さんたちの行動は早かった。俺はついていくのに精一杯である。って言うか、江戸さん、スーツを着ないのな。それだけ余裕って事なんだろうか。
逃走用のルートを確保する者、見張りに立ち周囲を警戒する者と、数字付きの戦闘員は定められた仕事をこなしていく。
「こっちです」
五番と書かれたスーツの戦闘員に従い、人の目を避けながら俺たちは路地裏を駆ける。精肉店の裏、従業員が出入りする通用口の近くで一度立ち止まった。
「まずいな」携帯電話をポケットに戻した江戸さんが息を吐く。何が、まずいんだろう。
「六番から連絡が入った。他の組織の怪人が近くで暴れているらしい。ヒーローが数人、そちらに回っているようだ」
「用意していたルート、二つが潰れますね」
今、ここにいる数字付きは俺を含めて四人。江戸さんを含めた五人で襲撃を掛けるつもりだったが。
「速攻仕掛けて、速攻戻りましょう」
「いや、リスクが高い。此度、失敗は許されないのだ」
迷っていても時間は過ぎる一方だ。肉を奪うだけの簡単なお仕事の筈だったのに。
仕方がない。
「俺が行きます。ヒーローを足止めすれば良いんでしょう?」
「何? しかし十三番、新参のお前では……」
七番の戦闘員が何か言い掛ける前に、江戸さんがその続きを制した。
「待て。ヒーローとの戦闘経験だけで言うなら、十三番は数字付きの中でも最も信頼出来る」
他の戦闘員が一瞬、ざわつく。まあ、伊達に下っ端長くないって事だ。ちょっと不名誉だけど。
「分かりました。江戸さんがそう言うなら。しかし、彼の逃走経路は? 今からでは間に合いませんよ」
「四つ目のルートを使う。途中で私が拾い上げよう。十三番、ルートは、しっかり頭に叩き込んであるな?」
俺は頷く。良かった。会議では何も話せなくて地図ばっかり見ていたからな。
「では状況を開始する。……頼むぞ、青井君」
江戸さんは俺にだけ聞こえるように『頼む』と言った。ならば、応えるだけである。
俺はヒーローがいるであろう方角へ走った。騒ぎの聞こえる方へ、怒号が飛び交う方へ。路地を抜け、ビルの間を擦り抜け、人込みを掻き分けて俺は走った。
「行くぞブルー、イエロー! ウルトラパッションキックだ!」
「おう! 喰らえ怪人っ、俺たちの必殺技を!」
「タイミングを合わせろおおお!」
いた。
道路の真ん中、ヒーローが三人。赤、青、黄、三人がそれぞれの色を基調としたスーツに身を包んでいる。奴ら、見た事があるぞ。三人揃わなきゃ出てこない、鬱陶しい野郎どもだ。
信号機みたいなヒーローたちと向かい合っているのは、俺とは別の組織の戦闘員たちである。真っ赤なお揃いのスーツを着た、分かりやすいやられ役だ。その後ろには、カブト虫みたいな角が生えた怪人がいる。昆虫型のスーツってのは珍しい。カブト虫って事は、レアな昆虫ん中でも、防御に長けた甲虫タイプの怪人だ。アレなら、少しは粘ってくれそうである。
しかし、ヒーローたちは決め技らしきものを撃とうとしていた。そうはさせるか。俺は物陰から飛び出し、奴らの注意を引く。
「待て! 待て待て待て、待てだ! 俺が来たからにはそこまでだ!」
とにかく、訳の分からん口上でまくし立てる。声さえ大きけりゃあ、ヒーローってのはこっちに目を遣る。奴ら、自分よりも目立とうとする奴を嫌う傾向にあるからな。
「何者だ!?」
「貴様、どこの所属だ、名を名乗れぃ!」
視線が、一斉にこっちに向く。ちょっと気持ちが良かった。
「うるせえ信号トリオ! 俺はお前らの大好きな悪者だよ! そんで、俺はお前らが大嫌いだ! おいカブト虫、手ぇ貸すぞ! こいつらぶっ潰してやる!」
カブト虫怪人は俺を見て、こくりと頷く。寡黙な奴だ。だけど、こういう奴は良く喋るのよりも信頼出来る。
「ええい乱入者め。しかし、獲物が増えたのは好都合! まとめて蹴り殺してやる! 合わせろブルー! イエロー!」
まずい!
「石投げろ! 石! タイミング合わせてあいつら飛ばせんな!」
「おっしゃやれやれ!」
戦闘員たちが石やら、空き缶やら、とにかく身の回りのものをヒーローに投擲し始める。大技さえ出せなきゃ時間は稼げるのだ。そんで、適当なところで切り上げれば良い。
カブト虫怪人に頭を下げて、俺はその場から走り去った。今回は最高だった。悪の組織側にとっては、対ヒーロー戦で稀に見る勝利である。
大技を出せず、チームワークの崩れた信号トリオは戦闘員に囲まれ、カブト虫に強烈な一撃を受け、気絶するまで殴られた。と言うか気絶した後も殴られていた。今も、殴られている。日頃の積もり積もった恨みってのは恐ろしい。俺も気を付けなければ。
うん、しかし、良い奴らだった。俺が完璧なヒーローになった暁には、こいつらには手加減してやろう。
その後、江戸さんにピックアップしてもらった俺は、無事に組織へ戻る事に成功した。車内では、江戸さんからあらん限りに褒めちぎられたが、流石に気味が悪かった。こう、何と言うか、褒められるのに慣れていないのである。
それでも、達成感はあった。初仕事は成功して、ヒーローだってボコボコに出来た。二十数年に及ぶ俺史の中でも、かなり気持ちの良い一日であった。
「いらない」
クーラーボックスを持ったままで、江戸さんはその場に崩れ落ちた。
「私は眠い。エド、もう話し掛けるな、邪魔するな」
エスメラルド様に、意気揚々とお肉を渡しに行った江戸さんは、あまりにも可哀想である。見ていられなかった。……せめて、調理済みの状態で持って行けば良かったのに。
「そ、それでは、明日の昼食にでも……」江戸さんは諦めていなかった。線は細いが心は強い。
「いらない!」
もっ、もうやめてあげてください!
「む」エスメラルド様がこっちを見る。うわ、目ぇとろんとしてるじゃん。つーか、まだ十時回ったところなんだけど。完全、ガキじゃん。
「アオイ、肉は好きか?」
問われて、俺は縦に首を振る。
「じゃあやる」
エスメラルド様は江戸さんからお肉の詰まったクーラーボックスを取り上げ、俺に向かって突き出した。
「い、良いんですか?」
「お前、今日はがんばったからな。良く分からないけど。そうなんだろ」
受け取れと、もう一度言われて、俺は江戸さんに申し訳ないと思いながらも、クーラーボックスを受け取った。
「ん。じゃ、明日もがんばれ」
エスメラルド様は部屋を出て行ってしまう。
「…………肉、食います?」
「私はベジタリアンだ。覚えておきたまえ」
報われねえな、色々と。