青井の、妻です
正直に言おう。当てなどなかった。そもそも、悪の組織の戦闘員となってから女と知り合う機会になど恵まれなかった。出会うと言えば、俺よりも腕が太くて声の低い女や、ちんちくりんである。第一、俺はマスクしてるし。スーツ着てるし。素顔を晒せる人間なんか、そうはいない。
なので、とりあえずアパートにまで戻ってきてしまっていた。
「どうするものか」
部屋の前で腕を組んで唸っていると、
「何じゃわれ、邪魔じゃ」
粗暴な女が姿を見せた。
赤丸である。今日の彼女はスーツ姿だった。浮かない表情をしているので、どうやら就職活動が上手くいっていないらしい。と言うか、上手くいったためしなどなさそうである。
「よう、仕事帰り? へっへ、お早いお帰りで」
軽口を叩けば睨まれる始末だ。
「……くそ、この街にゃヒーローがようけい過ぎるんじゃ」
「どこの街でもそうだよ。ヒーローも、悪の組織も多い。ま、それだけ俺たちみたいなのがいるって事だ」
どっちかと言うと、赤丸は戦闘員向けの能力を持っている。むしろそれしかない。叩いて殴る。殴って壊す。正にうってつけ。ヒーロー、ねえ。叩く門が間違ってるんじゃねえの?
「ヒーロー派遣会社じゃなくちゃ駄目なのか?」
「うちは、頭ようないけえ、命令される方が気楽にやれる」
「おお、自己分析はきちっと出来てんじゃん」
「うっさい。……われも、こがぁな時間にぶらついとう、同じじゃ、同じ」
俺は違う。俺にはやらねばならん事がある。助けを待っている(であろう)子供たちが待っているんだ。早く嫁を見つけなくては、ならん。
「俺は仕事だ。その一環でここにいる。分かるか、見えるか、お前とは違う労働者のオーラが」
赤丸は言い返さずに、ただ睨むだけである。がっはっは。
「まあ仕事見つけなくてもさ、先に見つけるもんがあっても良いんじゃん?」
「あ?」
「男だよ。お前を養ってくれそうな、奇特な奴を見つけりゃあ、そんなしんどい目に遭わなくても」
「黙れ。二度言うたらぶち殺すぞ」
うわっ、怖い。
「うちは金も欲しいけど、ヒーローとしていたいんじゃ。分かれ、ボケ」
「ヒーローとして、か」
赤丸は今、ヒーロー派遣会社ミストルティンのヒーローとして活動していない。ただの赤丸夜明だ。肩書きなんてない。……果たして、今の彼女は何なんだろうか。ヒーローと呼べるのか? そう、呼んでも良いのだろうか?
「たまには働きたいよな」
「われ、何を」
「うちの会社で良けりゃ、まあ、アルバイトくらいならさせてやれるかもしんねえ。ちょうど今、人を探してるんだ。腕が立って、俺を助けてくれるくらいの奴をさ」
「ほ、ホント!? ……あ。ん、んん。ま、まあ、話くらいなら聞いてやらんでも」
目の色変わっといて、そりゃねえだろ。けど、赤丸ほど強い奴が来てくれるなら俺だって助かる。俺の奥さんとしてはどうなんだって言うか絶対に嫌だし、話術でフォローしてくれるとも思えないけど、この際文句は言ってられん。ロリコンと呼ばれるよりは幾分かマシだ。最悪、こいつとならある程度ゴリ押し出来そうだし。
「よし、じゃあ俺の嫁になれ」
赤丸は死にそうな目でこっちを見ていた。
「え、ふ、普通にイヤ」
普通に断られた。いや、いやいやちょっと待て。今のは言葉のあやだから!
「誰が好き好んでお前なんかに求婚申し込むかよ」
「ああ? われゲボ吐かすぞ」
「違う。そういう意味で言ったんじゃない。俺は、お前を、女として、見ていない。むしろ人間と言うよりゴリラに近いものとして見てるつもりだ。ゴリラだ。霊長類最強のヤツだ。ゴリラと結婚する人間がどこにいるよ? いねえだろ? いたとしても相当の変態か、人生捨てたようなヤツだ。そういう事だ。だけどまあ、黙ってりゃ見てくれだけはお前普通じゃん。少なくともちんちくりんじゃないじゃん。胸はそこそこあるじゃん。そこでだな」
あれ? おかしいな、俺が喋れば喋るだけ、赤丸の顔が赤くなっていくぞ。
「おい、俺の話聞いてんのか」
「……よう、聞いとるわ……!」
「そりゃ良かった。だからな――――ぎっ……!?」
やっぱりおかしいな。さっきまで俺は赤丸を見ていた筈なのに、今は真っ青な空が見えるぞ。太陽が眩しい。しかも顎が痛いぞ。まるで殴られたみてえだ。体はドアに叩きつけられているし、何だ。何が起こった。
「ゲボ吐かして、ええよな?」
「良くないです……」
少し、言い方を間違えてしまっただろうか。
ああ、いてえ。すっげえいてえ。赤丸の野郎、思い切り殴り抜きやがって。あいつがスーツ着てる状態だったら確実に死んでたぞ、俺。クソが。……まあ、話の進め方をミスっちまったのは、まずかったな。
しっかし、どうっすかね。社長たちも、イダテン丸も赤丸もやはり駄目だ。彼女らでは少し頼りない。かと言って、他に誰がいると。……エスメラルド様なら、頼めば……いや、駄目だろ。何を考えてるんだ俺は。今の俺はヒーローなんだ。あかん、あかんで、その辺の線引きが危うくなってきている。ごちゃ混ぜにしちゃあいけない。バレたらヒーローとしても戦闘員としてもおしまいになっちまうからな。
しようがない。部屋で充分に休んだし、当てもないし、カラーズに戻るか。おれは何をしに来たんだろう。殴られに来たんだろうか。アホじゃなかろうか。アホか。アホだった。
気持ちが沈んできたので、コンビニで酒でも買って、アルコールの入った状態で仕事に臨んでやろうかと、暗い感情がむくむくと鎌首をもたげてくる。こんな時は飲まなきゃやってらんねえぜ、夏。
と言う訳で近くに見えたコンビニに入ろうとしたところ、店から出てきた女の人とぶつかりそうになった。気をつけろボケが。主婦ってのは良いよな、だって家から出なくて良いんじゃん。
「あら、青井くん?」
「あ?」
声を掛けられたので、咄嗟に睨みつけてしまう。振り向いて、誰に声を掛けられたのか気付いた瞬間、金玉が縮み上がった。
「……百鬼さんじゃないですか」
今日の百鬼さんはエプロンをしておらず、ジーンズにTシャツというラフな格好である。思わず彼女の胸に目が行ってしまいそうになるが、我慢した。よくやった俺。
「酷いのね。そんな目で見るなんて」
「えっ!?」
冷ややかな眼差しが、俺の罪悪感をちくちくと突き刺してくる。
「お仕事? 気を張るのは大事だけど、正義の味方が刺々しいのは子供受けしないと思うわよ」
あ、ああ、そういう事か。
「や、あの、すいません。つい癖で」
「そう。……ところで、コンビニには悪い人なんていなかったと思うけれど」
「二十四時間ヒーローってのも難しい話で。今は、ちょっと人を探してるんです」
何故か、百鬼さんは小さく微笑んだ。俺をじっと見ている。どうするかな、話を聞いてもらおうか。
「実は仕事の関係で、どう言えば良いのか。とにかく、俺の嫁を探してるんです」
「お嫁さんを?」
「はい。ビジネスライクな嫁を、です」
「……何だか入り組んでいるわね。ふうん、そう。ヒーローも大変なのね」
百鬼さんはヒーローではない。魔法の杖やら無茶苦茶なエプロンを持ってはいるが、ヒーローではない。かと言って、彼女はただの主婦でもないが。
「けど時間切れですね。そろそろ戻らないと」
「大丈夫なの?」
そう聞かれれば、答えに窮してしまう。
「ま、まあ、何とかなると思います。それじゃ、俺はこの辺で」
「ねえ、青井君。もし良かったら、なんだけど」
百鬼さんは俯き、それから、意を決したかのように顔を上げた。
「詳しい話を聞かせてもらえない? こんな、賞味期限の切れたおばさんで良ければ、だけど」
百鬼さんはぱりっとしたスーツを着こなし、カラーズの前に姿を見せた。彼女はまるで、やり手のキャリアウーマンって感じである。眼鏡とかすげえ似合いそう。
「……青井、この方は?」
「あ、ああ。この人は百鬼牡丹さん。こないだの魔法少女ん時に知り合った人で、俺の」
事情を知らない社長は小首を傾げた。百鬼さんは薄い笑みを浮かべるばかりである。どう説明すれば良いものか。
「初めまして、青井がいつもお世話になっております」
「……は、初めまして。カラーズの社長をやっている白鳥です」
俺がどうするものかと言いよどんでいると、百鬼さんが社長たちに頭を下げた。つられて、社長も頭を下げる。
「百鬼牡丹と申します。青井の、妻です」えっ?
にこりと微笑む百鬼さん。びくりと反応するその他の面々。
「つっ、妻? えっ? あれ? ど、どういう事なんですか?」
「そのままの意味ですが」
「しゃ、社長。ど、どうしましょう」
「落ち着きなさい九重。百鬼さんは私たちに協力してくれるとおっしゃっているのよ。それだけの話だから」
うわ。うわ、マジか。ちょっと嬉しい。嘘でも嬉しい。振りでも良い。なんか、ちょっとした優越感と言うか、邪な気持ちを覚えてしまう。
「だっ、ダメだよ! お兄さんは僕の! お兄さんのお嫁さんは僕なんだから!」
「何言ってんだお前」
「お兄さんこそ何を言ってるのさ!?」
「ふふ、冗談よ。少しからかってみただけだから、心配しなくても良いわよ」
レンがぎゃあぎゃあと喚いているのを見かねたのか、百鬼さんがくすりと微笑む。
「それで、私は青井君の妻として認められるのかしら」
「……うちとしては構わないけれど、危険よ。それでもいいのかしら?」
百鬼さんは髪をかき上げ、やはり笑みを崩さなかった。すごい肝である。社長も頷かざるを得なかった。ともあれ、これで潜入の手はずは成った、というわけだ。
件の塾への潜入だが、見学と言う形で、俺と百鬼さんが夫婦を演じ、
「その人がお兄さんのお嫁さんなんていうのは、今だけだからね」
「ふん、今のあたしは青井いなせ、か」
レンといなせが俺たちの子供を演じると言う形になった。これなら、もし何か起きても充分に対処出来るであろう布陣である。だが、タクシーの中でぎゃあぎゃあと喚くレンを見て、一抹の不安を覚えたりもする。こいつが一番ボロを出しそうなんだよなあ。
「……到着しました。舞武塾です」
広い駐車場にタクシーが停まる。二階建てのプレハブ施設に『舞武塾』という看板がかかっていた。
舞武塾。本当に、ここに怪人がいるのかどうかは分かっていない。ただ、この塾に通うガキの調子がおかしくなったってのは、まあ、確かだ。はたして、俺たちは過保護な親に振り回されているのかどうかが明らかになる。
「百鬼さんは心配要らないけれど、問題はあなたね、青井。ちゃんと、その子たちの父親を演じるのよ」
「おう」と、俺はミラー越しに自分の姿を確認した。
ワックスで髪の毛を七三に分け、度の入っていない眼鏡をかけ、慣れないスーツを着ている変なのがそこにいた。と言うか俺だった。
「まあ、格好だけならそれっぽいんだけどね。胡散臭い外回りって感じなのは否めないけれど」
「あんたらがこれを選んだんだろうが」
いつもの俺ではちゃらんぽらんとし過ぎて、早々に疑われる。しかし、これではあまりにも……。
「心配しないで。私がちゃんとフォローするから、あなた」
「……あ、は、はい」
ど、どうやら百鬼さんは既に役に入っているみたいだ。あなた、とか、すげえゾクゾクすんなあ、この台詞。
「お前らも大人しくしてろよ。特に、レン、お前な」
「うんっ! 分かった! 大人しくしてるね!」
大丈夫かなあ、本当。
なるほど、塾か。
建物の作りこそ粗末だが、その内から漂っているのはきっちりとした空気だ。学校と、そう変わりはない。……舞武塾に足を踏み入れた俺たちは、キノコヘアーの男に迎え入れられた。見学希望の旨を告げれば、男はへえこらと頷き、腰を低くしながら、応接室らしき部屋に俺たち『一家』を通してくれた。
「どうぞおかけになってください」と、キノコヘアーの男はへりくだった笑みを浮かべる。今の彼からすれば、レンといなせは生徒でありお客様にも見えているのだろう。
俺はすすめられるがままにパイプ椅子に座って、机の上を何の気なしに指で叩いた。室内は、まあ綺麗だ。と言うよりも物がない。部屋の前後にホワイトボードがあるくらいだ。
「今、お茶をお持ちしますので」
「いえ、お構いなく」と、百鬼さんが鋭い口調で押しとどめようとする。だが、キノコヘアーは意に介さず、部屋を出て行ってしまった。
さて。
「……どうだろうなあ。なんか、普通の塾にしか見えないんだけど」
「あら、青井君も塾に通っていたことがあるの?」
「いや、ないっす。けど、まあ、こんなもんだろうと思って」
「レンといなせはどう思う?」
横に目を遣るが、レンはぶっすーとした顔でこっちを見ない。何を拗ねてんの、こいつ。
「別に。あたしは特に何とも言えないね。ただ、さっきの男は気持ち悪い」
やはり、ここは普通の塾ではないのだろうか。そんな事を考えていると、先の男がお盆を持って戻ってきた。盆には氷の浮いたグラスが四つと、お茶請けらしき菓子が乗っている。
「いや、あのすみませんお待たせしちゃって。外、まだ暑いでしょう? よかったらどうぞ」
「お、ありがたいですね」
すすめられるがまま、俺はグラスの中身を一気に呷った。
「いやー、美味い。それで、こちらの塾について、お話を聞きたいんですが」
キノコヘアーは何故か、俺たち四人をじっと見つめた後、思い出したかのように声を張り上げた。
「ああっ、そうでしたそうでした。私どもの舞武塾なんですが……」
男の説明はただひたすらに長かった。と言うか行ったり来たりと同じ事を喋りやがって、説明下手という印象が拭えない。心地よい室温と、男の口調のせいか、俺の瞼は少しずつ重くなり始めていた。どうせこの塾に用なんざないんだから、適当に相槌を打って、眠るのを必死に堪えているだけだった。
「教室を見たいのですが」
と、百鬼さんも焦れていたのか、男の話の腰を折ってくれる。彼は少し戸惑っていたが、快くオーケーしてくれた。
「……いや、しかし、ご主人様はあまり興味を持たれていないと言いますか、ああ、いや、悪い意味ではなくてですね」
じろりと、百鬼さんにねめつけられてしまう。うっ、す、すみません。けど難しい話ってのはどうも苦手でして。
「最近、残業が続いてましてね。いや、申し訳ないです」適当に言ってみた。
「ああ、そうでしたか。では、よろしければこちらでお休みなさってください。教室への見学は、奥様とお子さん方、というわけでいかがでしょうか?」
「そう、ね。あなた、どうしますか?」
一瞬、あなたというのが誰を指しているのかが分からなくなって、俺は焦ってしまう。……まあ、いいだろう。見学とか興味ねえし、そんな状態で行っても失礼だ。ここは百鬼さんに任せてしまおう。
「じゃあ、俺、や、僕はパンフレットでも読み込んでおこうかな。レン、いなせ、母さんの言うこと聞いて、みんなの邪魔をしないように」
と、それっぽい事を言ったが、妻と娘と息子にはガン無視されてしまった。キノコヘアーは苦笑しつつ、三人を教室へと案内しに行く。残された俺はパンフレットを丸めて、肩を叩き、あくびを漏らして、目を瞑った。