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嫁を探しに行く



「お兄さんっ!」

「え?」

 晩飯の後、ぼけーっとテレビを見ていると、レンがちゃぶ台を叩き(表面に少しひびが入った)、俺に詰め寄ってきた。何だか、酷く怒っている様子である。珍しい。

「いきなりどうしたよ。さっきまではにこにこしてたじゃねえか」

「あいつに言ってやってよ!」

 レンの指すあいつとは、今風呂に入っているいなせの事だろう。彼はいなせ、ではなく、あいつだとかそいつだとか呼ぶのだ。

「あいつ、トイレットペーパーが切れたら交換してって言ってるのに、いつもいつも忘れてる!」

「それくらい良いじゃねえか。俺だってたまに忘れてるし」

「お兄さんは良いの」

 年下に……ガキに甘やかされる二十代がここにいた。そして、その甘さを甘んじて受け入れる俺がいた。

「それだけじゃないもん。本だって読みっ放しだし、テレビだって点けっ放し、だいたい、お兄さんを呼び捨てにしてるし、あいつ! 片付けられないダメ女だ! テレビでやってた!」

 まあ、確かにそうだ。いなせは日常生活において、ことごとくダメな子である。戦闘時には機敏な反応を見せるだろうが、それ以外はあまり動かずぼーっとしている事が多い。

「追い出そうよ」

「アホか。だったらお前も追い出すわ」

 涙目になるレン。うざい。

 と言うか、仕方がないんだ。いなせは、銀川老人からパイロットになる術を叩き込まれていたに違いない。彼女の人生の殆どは、その力の大部分は、あのクモ型兵器に乗る事に注がれていた。

「……これから出来るようになりゃ良いんだよ。いなせに手伝いを回せば良いから」

「だから、覚えないんだってば」

 出来の悪い子ではない筈だ。今までクモのパイロットの為に使ってきた脳味噌の容量を、少しでも家事や日常生活に回してさえくれれば、何とかなるんじゃあないだろうか。それまでは、俺が面倒を看てやらないと。

「とにかく、僕はもう我慢の限界だからね」

 うーん、こっちを立てればあっちが立たず。難しい。何? これ、今の状況ってアレなの? 子育てなの? 二児の親なの?

「マサヨシ」

「あ?」

「あたしの下着を知らないかい?」

「知らんわ」

「もーっ! もう! 何やってんのさ、お兄さんを誘惑するつもりなの!?」

「何を言ってるんだ?」

 せめて羞恥心くらい覚えんかい。



 朝。白鳥社長に呼ばれ、俺たち三人はカラーズへと向かっていた。追われているレンといなせを連れて真昼間から出歩くってのはどうかとも思ったが、こいつら、両方を置いていくのは不安が残る。かと言って、片方だけを置いて、もう片方だけを連れていこうものならどうなるか。毒を喰らわば皿まで、である。

「マサヨシ、あの女はお前の何なんだ?」

「上司だよ。社長は俺に仕事をくれる。俺は仕事をもらってお金を得る。オッケー?」

「あんなのに頭を下げる必要はあるのか」

「あるんだよ」残念ながら。

 ……社長といなせの仲は、悪い。彼女らの背丈は同じくらいだし、無駄に目線が合うのだ。

「感謝しなくちゃいけないぞ。社長がいなきゃ、俺は生きていけないんだから」

 いなせは顔を背ける。『ふん、つまらん』とでも言いたそうな顔だった。



 カラーズに着けば、早速社長といなせが睨み合っていた。俺は彼女らを無視してソファに座る。

「……お、おはようございます」

「よう、おはよう」

 九重はおろおろとしていた。彼にはレンの相手でもしてもらっておこう。

「社長、仕事の話なんだろ?」

「ええ、そうね」

 ようやくになって、社長はいなせから視線を逸らす。彼女は車椅子を動かし、定位置に戻った。全く……あれ? と言うか、いなせって誰とでも仲が悪い? どうしよう。

「依頼人は三十代の主婦。子供の様子がおかしいから、調べてくれ、との事よ」

「子供ってのは、いくつだ?」

「小学六年生の男の子ね」

 レンと同じくらいのガキか。にしても、様子がおかしい? そりゃ男だもの。思春期の生き物だもの。おかしくもなったりするだろう。

「ちっと過保護じゃねえの?」

「私もそう思ったのだけれど、実は、同じような依頼がいくつも来ているのよ。どれも小学生の子供がおかしくなったから、どうにかしてくれ、と言う風なものがね」

「そうなのか? ……どうにかって、どうすりゃ良いんだ? 一人ずつ家庭訪問していくのかよ?」

 つーか、自分のガキがおかしくなったんなら自分でどうにかしろや。こんな胡散臭いところへ金払う前にやる事があるだろうが。

「心配いらない、原因の目星はつけてあるわ。その子たち、全員が同じ塾に通っているのよ」

「すると、その塾が怪しいってのか。ふうん、乗り込むのか?」

「さあ、どうしようかしら。正面から行ったってシラを切られてしまえばおしまいだもの」

 めんどくせえ。大体、その塾が何かをしたって証拠はねえんだ。グローブ持って突っ込んで、全くの見当外れでした、そんでもって警察にでも捕まったら厄介過ぎる。

「使えない上司だな、マサヨシ」

 いなせの言葉に頷き掛けたが、社長の顔が怖くなっていたのでどうにか堪えられた。

「し、忍び込む、とか?」

「あのね、あなた、自分を何だと思っているの? ヒーローなのよ? 目には目を、そうは言うけれど、やってはいけない事があるでしょう。上手く線を引きなさい」

「だったらどうすんだよ」

 ちょっと投げ遣りになってしまう。社長がいけない。もったいぶった言い方をするからだ。

「正面から潜入しましょう」

「何だ、その、背後から正々堂々と襲い掛かるみたいな言い草は」

「真正面から力で押してもかわされるかもしれない。かと言って裏口から忍び込むような真似は却下。なら、私たちもその塾に入れば良いのよ」

 おい。それってまさか。

「まさか、俺に小学生に混じって勉強しろってのか」

「……あら、こんなところに馬鹿が。安心なさい、あなたは小学生以下の脳を持っているわ」

「じゃあどうしろってんだよ!」

「怒鳴るなマサヨシ。おじいちゃんも言っていたよ、短期は損気だってね」

 またもや、またもや年下に諌められる。

「そこの社長とやらがやろうとしている事は、あたしとしては面白くないね」

 あかん、訳が分からんぞ。

「レンと銀川いなせを子供役に、私たちが親役として、そうね、子供を塾に入れたいとでも言って、そこの見学に行けば良いのよ。相手も油断しているだろうし、隙を見せてくれるかもしれないわ」

「あ、あー、なるほどな……ああ、なるほど」

 俺は、九重と遊んでいるレンと、ぼうっと突っ立っているいなせを交互に見る。なるほど、子役としてうってつけだ。実際、レンは小学生くらいなんだし。

「子役に関しては問題ないな」

 そう言うと、いなせが俺を見てきた。じいっと、何かを訴えるように、である。

「マサヨシ、あたしは小学生じゃない。中学だって卒業してるんだ」

「あれ、そうだったのか」

「……だから大人は嫌いだよ。でもね、そこの社長だって充分、子役になれるじゃないか。背だってあたしと変わらない。違うかい?」

 いや、全然違わない。そう。そうなんだ。子役に関しちゃ問題ない。問題なのは、親役である。全員でぞろぞろ顔を出す訳にゃいかないから、まあ、まず俺は父親役として出なきゃならんだろう。九重でも良いが、彼ではやはり頼りない。残るは、えーと、つまり、母親役が必要だ。塾の人間に話を振られても、上手く返せる自信がない。俺は殴る事しか能のないクズである。フォローしてくれる人が必要だ。そして、母親役とは俺の妻役でもある訳で……ここにいるのは、俺、社長、九重、レン、いなせの五人である。その内、俺の奥さんになるのは。

「誰もいねえぞ、おい」

「どうしたのかしら? 誰がいないの?」

「いや、だってここにはちんちくりんしかいない。俺一人で子供を三人も連れて行けってのか?」

 社長はきょとんとした顔を浮かべたが、俺の言いたい事を察して、冷たい笑顔を作って、見せる。

「誰が、子供なのかしら」あんただ、あんた。

「他に適役がいないのだから、私で良いじゃない」

「いや、社長じゃ疑われる」

「大丈夫よ。口は上手いもの、私」

 自分で言うな。そうじゃなくて、疑われるのは別の方面の事であって。

「あんたが適役なら、あたしだって適役だ。マサヨシ、あたしなら上手くやるよ」

「いや、いなせでも疑われる」

「はーいっ、じゃあ僕がお兄さんのお嫁さん!」

 話を聞いていたのだろう。レンが手を上げ、ぴょんぴょんと跳ねる。無視してやった。

「お兄さんってば! だって、お嫁さんって料理したり、掃除したりするんでしょ? じゃあ僕じゃん」

 一瞬、場が静まり返る。誰も言い返せないところを見ると、俺含めたこいつら、私生活はダメダメだったらしい。

「……レン君、男の子じゃ青井さんのお嫁さんにはなれないと思うよ?」

「う、うん、そうだな。九重の言うとおりだ」

 九重が小さく頷き、じっと俺を見つめてくる。あんだよ、言いたい事があんなら言えよ。

「青井さん」

「何だ」

「わ、私で良いんじゃないかなーって、思うんですけど」

「アホか」

 うな垂れる九重。彼なりに、カラーズの役に立とうとしているのは分かる。気持ちは分かる。でも気持ちだけで充分だった。

「わがままね。青井、そんなんじゃあ一生結婚出来ないわよ」

「少なくとも、俺には選ぶ権利がある筈だ。社長、塾の見学ってのはいつからだ?」

「今から電話を入れてみるつもりだけれど……何をするつもり?」

 決まっている。仮とは言え、自分の女房役なのだ。良く考えてみたい。と言うか、この場にいる人間だけじゃあ選びようがない。

「マサヨシ、出かけるのか?」

「ああ、お前らここで留守番な。大人しくしてろよ。あ、社長、見学に行く時間が分かったら電話をくれ。すぐに戻るからよ」

「だから、何をするつもりなの? 勝手な真似は……」

「嫁を探しに行く」

 それだけ言って、俺はカラーズを辞した。



 塾、である。百パーセントそうだとは限らない。しかし、他に当てがない。おかしくなった(らしい)子供たちを元に戻す為、くだんの塾へレンといなせをダシに使って正面から潜入する作戦だが、俺だけではボロが出る。自然にフォローしてもらえるように、子を連れた夫婦を演じる必要があった。

 目下、俺は今、俺を助けてくれるような女性を探している。つーか、何とかして探さなければ、俺の相方はちんちくりんの内のどちらかになるのだろう。切羽詰っている依頼者がいるのは理解しているが、それでも譲れないものがある。

「…………青井殿」

 ん?

「おお、イダ……縹野じゃんか。どうしたんだ?」

 私服姿のイダテン丸が、カラーズの階段を軽快な動きで下りてくる。何だか、彼女と会うのは久しぶりな気がした。

「この間は、大層なご活躍をなされたようで。私の耳にも、青井殿の武勇が届いております」

「んな大層な。たまたまだよ」

 そういや、あのクモ型兵器の時、こいつはいなかったんだよな。

「クモの話だよな? あん時、どこかへ行ってたのか?」

「…………あ、いいえ。クモが苦手なものですから」

「…………あ、そう」

 何? どうして時々そういう事言っちゃうのかな、こいつは。

「それよりも、何かお困りの様子。私でよければ力をお貸ししますが」

 俺を助けてくれるような女性。そうか。そう言う事なら、イダテン丸は超当てはまる。すげえありがたい。彼女は俺に恩を感じてくれているようだが、うーん。俺は何もしていないんだよな。申し訳なさが先に立つ。

「実は」

 イダテン丸が俺に真摯な瞳を向けてくる。

「やっぱ良いや」

「…………え」

「だってお前ひんにゅ……いや、何でもない」

「あ、あの!?」

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