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ほう、悪の手先にしては鋭いな。核心を突く。俺の名前はゴールデンコウモリ。ヒーローをやっている。この、業が深いヒーローに身をやつしてから日は浅いが、熟練の先達にも劣らないと自負している。見えるか、俺の左



「写真、だあ?」

「何回も言わせんなよ、そうだよ、写真だよ」

 水族館へと向かうワゴンの中、俺たちは数字付きの一番を睨みつけていた。彼は助手席にふんぞり返り、面倒くさそうにして口を開く。

「写真って、何の?」

「ちっ、ボケが。今から俺らはどこへ行くんだ? ああ? 分かったら百遍復唱しとけ」

 取っ組み合いの喧嘩が始まりそうになるのを、俺は後部座席から眺めていた。

 水族館、である。俺たち数字付きはそこに忍び込み、ラッコやらペンギンやらのファンシーなアニマルを撮影する。任務だ。仕事だ。趣味ではない。……エスメラルド様の趣味ではあるが。あの方はアクアリウムという大層なものに手を出し始めたのである。水族館のアニマルたちの写真ってのはその辺から来ているんだろう。金持ちの道楽極まりない。さすが一組織の幹部だ。

「……なんかさ、最近こういうの増えてないか? これじゃあただの使い走りじゃねえかよ。俺たちは数字付きだぜ? 下っ端とは違うんだ。もっとこう、崇高な任務をだな」

 こっちのが楽でいいやね。パシリなら慣れてる。こちとら六年近くも似たような事をやってたんだ。

「仕事だ、しようがねえだろ。それよかさ、水族館って夜中開いてんの?」

「バッカじゃねえの、開いてるわきゃねえだろ。忍び込むんだよ、つーかさっき侵入ルート説明しただろバカじゃねえのお前」

「何だとクソヤロウ!」

 しかし、水族館ってあそこだよなあ。あそこにゃあ、あんまし良い思い出がないんだよな。着ぐるみでむちゃくちゃやらされたし、レンに襲われるし。



「じゃ、俺らペンギンだから」

「あいよー、シロクマは任せとけ」

 水族館の近くに車を停め、カメラを持ってぞろぞろと歩く。俺たちは三班に分かれて水族館への進入を始めた。ペンギン班、シロクマ班、ラッコ班の三つである。俺はラッコ班に組み込まれた。カンカンと貝を割る、海のケダモノである。正直言って、俺には良さが分からん。女子供はああいう仕草を見て可愛いとのたまったりするんだろう。ペンギンがよたよた歩いたり、シロクマが投げ込まれた氷塊を大事そうに抱きかかえたりする光景を有り難がるのだろう。まったくどうしようもねえな!

「さあ、早く可愛いアニマルを見に行こうぜ!」

「十三番乗り気だなー……ん? おい、待て。何かいるぞ」

 三方に分かれた俺たち数字付きだったが、ペンギン班シロクマ班とは違い、ラッコ班には正面からの侵入ルートが用意されていた。……正面から、侵入?

 水族館の入り口前に、何かがいる。誰かが立っている。こんな時間だ、外は暗いが数字付きには分かる。警備員でも、居残っていた職員でもない。

「げえっ、ヒーローだ……!」

 そこにいたのは金ぴかのヒーローだった。そいつは腕を組み、偉そうにこっちを見ていやがる。上下金色のスーツに趣味の悪い赤マントを装着していた。ヘルメットはごてごてとしており、鹿の角みたいなもんだったり、しゃちほこだったり、クリスマスツリーの飾りみたいに色んなものがくっ付いている。はっきり言って趣味が、つーか頭が悪そうだった。だが、この業界はスーツの性能イコールヒーローの強さに繋がっている。つまるところ金持ちは強い。金さえあればスーツに力を入れられるからな。

「待っていた」

 金ぴかヒーローがこっちを向く。若い男だ。下手すりゃ十代、くらいだろうか。彼の体からは自信が溢れているように思える。良い。慣れてる。年下に追い抜かれるのも、見下されるのも慣れてる。腹立つのに変わりはないけど。

「話しかけられちゃったよ……」

「どうすんだ、逃げんのか?」

「いや、せめて他の班に仕事を任せよう。なるべく引きつけとこうぜ」

 あっちは一人。こっちは数字付きの九番から十三番の五人。よし、一人ずつ出て行けば五秒は稼げるな。

「今宵、俺の相手をしてくれるのは月だけかと思っていたところだ。日本酒でもあれば格別の時間になっただろうが、やはり俺には貴様らのようなものが似合う。月とすっぽん、比べるには、貴様らはあまりにも下衆だがな。あの輝きの前では、俺とて」

「逝け、十三番」

「ぐっ、やっぱり俺からか」

 仕方ねえ、覚悟を決めれば殴られるのも蹴られるのも我慢出来る。幸い、野郎は武器を持っていないようだし、斬ったり撃たれたりはしないだろう。たぶん。そうでないと死ぬほど困る。

「ふっ、構わん。俺は戦闘に限っては一人ずつなどと面倒な事はしない主義だ。夜は始まったばかりだが、ここは柔らかなベッドの上ではなく、貴様らは極上の女でもない。まとめて来い。時は有限。しかし地獄に巣食う獄卒に掛ける言葉は考えておけ。ここで貴様らは、無限の闇に堕ちるのだからな」

 ごちゃごちゃとうるせえ奴だな、良く喋る。その分、時間は稼げているが。

「臆したか? 無理からぬ事だ。月の光には劣るだろうが、俺のスーツの輝きも、決してくすんでいるという訳ではない。影に潜み、善良な市民を襲う、貴様ら下衆が羨み、妬む程度には……」

「口やかましいな、お前は」

 口上を遮ると、ヒーローはむっとした様子で俺を見てくる。気を悪くされましたか。クソが。

「……おい十三番、気の済むまで喋らせとけよ」

「聞いてたら苛々してくんだよ。ぶっ飛ばしてやりてえ」

「来るか? 良いだろう。俺は今冷静だ。同時に、酷く気分が良い。貴様らを前にして理性を保っていられるのが何よりの証拠だ。問おう。そして選べ。この手を血に染めるのもやぶさかではないが、返答如何によっては四肢を粉砕する程度で……」

「やってみろやオラァ!」 ごちゃごちゃうっせえって言ってんだ!

「十三番ってすーぐ熱くなるよな。だから今まで下っ端だったんだよ」

「まあ良いや、あいつに任せとこうぜ。どうせ、俺らの出番もすぐ来るんだしよ」

 これだから、ああいうヒーローは嫌いなんだ。スーツの性能に飽かせて見下してきやがる。慣れちゃあいるが、腹が立たない訳じゃない。長々とだらだらと喋りくさって。

「掛かって来いよ! そっちが行かなきゃ俺が行くぞ」

 ヒーローは一歩、後ろに下がる。

「命を粗末に扱う、か。忠告しておこう、クズが出張る場面ではない。俺の手を汚すだけの価値が貴様にあるのか?」

「知るか!」

 ヒーローがまた一歩、後ろに下がる。俺が距離を詰めれば野郎が引くので、仕方なく立ち止まった。一々面倒くさい奴だな。

「……お前、やる気あんのか?」

 腕を組んでねめつけてやると、ヒーローはヘルメットを被っているにも関わらず、髪の毛をかき上げようとしていた。

「問うのは俺だ。貴様の問い掛けに答える筋はない。相対すると言うのなら、それなりの力を身につけてから……」

「さっきからそれっぽい事ばっか言ってるけど、噛み合ってねえぞ。結局、お前は何がしたいんだ? あ? 俺らをボコボコにしたいのか? 水族館に俺らを入れたくないのか? つーか、てめえは何だ?」

「ほう、悪の手先にしては鋭いな。核心を突く。俺の名前はゴールデンコウモリ。ヒーローをやっている。この、業が深いヒーローに身をやつしてから日は浅いが、熟練の先達にも劣らないと自負している。見えるか、俺の左手が。我が身に刻まれた夜の印を、闇の証を」

 いや、左手も印も何もスーツ着てるから見えてねえよ。良く分からんが、自慢したいならノースリーブにしとけ。

「怖じたか? 臆したか? ならば退け。血の花を咲かせるには、ここはあまりにも寂し過ぎる」

 本気で面倒になってきたので、一気に間を詰める。短い悲鳴が聞こえたような気がした。

「お? あれ?」

 案外、ヒーローの懐には簡単に入り込めた。えーと、後は殴るだけなんだけど。もしかして罠か? 良いや、時間なら俺一人で結構稼いだ。突っ込め!



「……何だこりゃあ」

 俺たちは仰向けに倒れた、金ぴかのヒーローを取り囲んでいた。

「まさか、パンチ一発でダウンするとは……」

「なあ十三番、魔法でも使ったか?」

 馬鹿言え。殴った俺が一番びっくりしてるんだぞ。

「もしかしてさあ、このスーツハリボテなんじゃねえの?」

「いや、ちょっと見てみたけどさ、かなり良いところが作ってるみたいだぜ。二、三百万はいくんじゃないか」

「げっ、そんなにすげえのか? ……剥ぎ取って売ろうぜ」

 俺は下衆な会話に興じる数字付きの連中と、金ぴかヒーローを見比べる。さすがに、スーツを取るのは可哀想な気がした。

「しかし、そんな良いもん着てて、戦闘員のパンチ一発で、こうなるかあ?」

 そういや、確かに殴った感触はあったが、そこまで良い手ごたえは感じなかった。

「ビビって気絶したんじゃないの?」

「いやー、そりゃねえだろ」

「分かんねえぞ、それっぽい、強そうな事言って俺たちをビビらせてただけかもしんないし」

 まあ、戦わずして勝つのが一番っちゃあ一番だ。その目論見は上手くいかなかっただけで、ある意味、この金ぴかはこの街で一番のヒーローなのかもしれない。

「……見逃してやろうぜ」

「おいおい十三番、殴ったてめえが言っちゃ世話ないぜ。良いじゃねえか、ちょこーっとスーツ引っぺがすだけだからよ」

「お前ら、ここで何をしてるんだ?」

 突如聞こえてきた声に振り向くと、バケツを持った女が立っていた。って言うかエスメラルド様だった。

「えっ? あ、あの、エスメラルド様こそ、ここで何を……?」

「んー?」

 エスメラルド様は誇らしげにバケツを掲げてみせる。目を凝らすと、そこにはペンギンが入っていた。愛くるしいアニマルはばたばたと短い手足を動かしている。

「見ろ! ペンギンだ!」

「それは分かります。じゃなくて、ええと、何から聞けば良いのか」

 俺たちはエスメラルド様に命じられ、水族館の動物の写真を撮りに来た筈である。で、それを命じた彼女がどうしてここにいるんだ。そして、何故ペンギンを持ってきているんだ。

「そのペンギン、どうするつもりですか?」

「決まっている、組織で飼うんだ」

 数字付きのテンションが見る見るうちに下がっていく。一体、今日はここへ何をしに来たんだ。アレだ。どうせこの人は写真じゃ我慢出来なくなって、実物を見に来たに違いない。そして本物を見て欲しくなったに違いない。

「しゃ、写真は……?」

「写真も欲しいが、これも欲しい!」

 満面の笑みを浮かべるエスメラルド様。

「江戸さんに許可はもらってるんですか?」

「それがな、エドはダメだって言うんだ。だから無視して私だけで来た」

「あ、俺頭痛くなってきた」

「俺も」

 とりあえず、ペンギンを飼う環境なんて組織にはない。ペンギンなんぞ悪の組織には似合わない生き物なのだ。

「十三番、お前から言え。どうにかしろ」

「ぐっ、やっぱり俺か。……あの、エスメラルド様。ペンギンは諦めましょう」

「イヤだ」ぷいっと顔をそらされてしまう。仕方ない。

「うちじゃあペンギンなんて飼えませんよ! すごく金も掛かるし、手間も掛かるんです。無菌状態を保てる冷房のある部屋や、大きなプール、排水装置だっていります。そもそも、ペンギンってのは結構食います。餌代も馬鹿になりませんし、掃除だって大変です。病気になったらどうするんですか? 大体、ペンギンってのは群れで生きるものなんです。一匹だけ連れてきては可哀想です」

「詳しいな」

 まあ、九重の受け売りなんだけどな。

「だったら全部連れていく!」

「世話はちゃんと出来るんですか!?」

 エスメラルド様は唸り、涙目でこっちを見上げた。何だか、とても申し訳ない気分になってくる。

「せ、世話はお前らにやらせる」

「俺たちだって他に仕事が出来たらどうするんですか。その間、ペンギンが病気になったらどうするんですか」

「う、うううううう……!」

 ふう。何とか聞き入れてくれそうだ。……この人、レンと同レベルだな。

「じゃあ良い! ここで食う! 私はっペンギンを食べるぞ!」

「ああっ、ちょっと!」

 数字付き全員でエスメラルド様を止めようとするが、彼女を止められるはずもなく。

 俺たちはペンギンがエスメラルド様のおなかの中に収まるのを覚悟したが、

「うっ」

 さすがは哀願……じゃなくて愛玩動物。ペンギンはエスメラルド様をじっと見つめ、彼女はその視線に根負けした。バケツを地面に置き、ペンギンに背を向ける。

「よっ、良くぞ堪えてくださいましたエスメラルド様!」

「……ゴハンは皆で食べるとおいしい。ペンギンも、皆に見られた方が嬉しい。独り占めは良くないからな」

 ペンギンとご飯を同列に置く危うさはあるが、何とかなったらしい。

「ところで、さっきから転がっているこいつは何だ?」

 エスメラルド様が金ぴかのヒーローを指差す。

「あ、何かいきなり出てきて、いきなり倒れてて」

「そうか」

 憂鬱そうに溜め息を吐くと、エスメラルド様は金ぴかヒーローのヘルメットについている鹿の角をむんずと掴む。そんで投げた。ヒーローは遠くへ行った。俺たちは見なかった事にした。

「今日は我慢する」

「えらいです。あ、今度江戸さんにお願いしたらどうですか。水族館に連れて行って欲しいって」

「忍び込むんじゃなくて、普通にお出かけしたいと言えば良いんです」

「そっ、そう! そうです! お客さんとして、ペンギンに会えば良いんですよ!」

「そ、そうだな! じゃあ、そうする! そうしてみるぞ!」

 ふう、事なきを得たか。後は江戸さんにお願いしよう。彼の胃が痛むのを、俺たちは涙を呑み、歯を食い縛って耐えようじゃないか。

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