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……胃が、痛いんじゃないのかな?



「ぼうっとしてないでお皿ぐらい並べてよ」

「ああ、分かった」

「違うよ、そのコップはお兄さんのだから、そっちに置いちゃダメなんだから」

「ああ、そうだったな」

 夕食の準備が出来るのを、俺は寝転がったままじっと見ていた。

「ソース出しといて」

「ああ、分かった。どこに置いてある?」

「前にも言ったじゃん! 冷蔵庫のみぎっかわに入れてるよ」

「ああ、分かった」

 レンといなせがてきぱきと動いている。が、二人はどうにもぎこちない。と言うより、レンがいなせを手荒く扱っていると言うか、嫌っていると言うか。

「なあ、俺も手伝おうか」

「あはっ、お兄さんはそのままで良いんだよ?」

 さっきまで仏頂面だったレンが、にっこりと微笑み掛けてくる。

「ソースがないぞ」

「右側だってば!」

 レンが足踏みをして冷蔵庫を指差した。彼はいなせに対しての当たりが、きつい。もう、彼女がうちに来てから一週間は経つと言うのに。一向に慣れない。仲良くならない。つーか、そのつもりがないんだろう。たぶん、お互いに。



『えーっ、お兄さん行かないでよー』

 俺が悪の組織の戦闘員として仕事に行く前、レンが涙目ですがり付いてきた事があった。確か、五日くらい前の話だったか。

『僕、この人と二人きりになっちゃうんだよ?』

『まあ、そうだな。でも仕事だし。つーか、仲良くしろよ』

『無理だよう』

 泣き虫め。

『おい』いなせの定位置は部屋の隅だった。彼女は俺が見る限り、三角座りで小難しそうな本を読んでいるのが殆どだった。いなせは手が掛からない。わがままを言わないし、賢い。新しい環境に慣れようとしているのか、それともめちゃくちゃ無頓着なのか。まあ、とにかく。レンとは少しくらいしか歳が違わないのに、全く違う。お姉さんって感じだ。その分愛想はないんだけど。

『……何?』

『マサヨシの邪魔をするな。わがまま言って困らせるのが、お前の仕事なのかい?』

『なっ、なんだよその言い草!』

『あ、おい』

 レンといなせの相性は死ぬほど悪かった。彼らは、気が付いたら口喧嘩をする始末である。尤も、いなせが適当にあしらい、レンが言い負かされるのが常の光景だった。殴り合いに発展しないのは不幸中の幸いである。



 だが、一度だけレンが手を出した事がある。三日前の話だ。

『……濃いな』

 昼食の際、いなせがふと漏らした発言が火種となった。

『何が?』

 ぶすっとした顔のレンがいなせを睨みつける。彼女は味噌汁の椀を持ち上げ、睨み返した。

 ちなみに、俺の胃が本格的に痛み始めたのは、この日以降の事である。

『塩辛過ぎる。あたしには合わないな』

『だっ、だったら残せば良いじゃん! 一々言わないでよ! それにっ、お兄さんは舌が馬鹿だから薄味だとおいしいって言ってくれないんだもん!』

 えっ?

『マサヨシ』

『え、あ、何』

『何事も、過ぎれば健康に悪いとおじいちゃんも言っていたよ』

 いなせの視線はいつも鋭い。歳相応のそれではない。

『作ってるのは僕なんだからっ、文句言わないでよ!』

『へえ? だったら、お前はマサヨシに早死にして欲しいのかい』

『いっ、言ったな!』

 レンが飛び掛かる。俺は彼を止めようとしたが、軽く手で払われただけで顔面に強い衝撃が走った。死ぬほど痛かった。……このままではいなせが殺されてしまう。最低でも半殺しの目に遭うだろう。彼女はパイロットとしては一流だが、戦士としては二流なのだ。

『あ、あれ?』

 が、次の瞬間にはレンが畳の上に転がされていた。いなせは飛び掛かってきた彼を、片腕だけでいなしたのである。

『子供の遊びだよ。まっすぐ過ぎる』

 そう言って、いなせはまずそうに味噌汁を啜った。……彼女は、戦士としても一流だったらしい。いわゆる、柔術というのを使えるそうだ。



 いなせ専用の食器や、日用品が揃ったのが昨日の話だ。

 俺はこれまでに、いなせのプライバシー的な、セクシャルなそういうアレを尊重して、部屋に仕切りを作ろうと提案した。洗面所のとこを閉め切って着替えてもらっているが、まあ、彼女専用の空間ってもんは、ないよりはあった方がマシだろうと思ったからだ。

 が、いなせは俺の案を受け入れてくれなかった。彼女曰く、自分は新入りのようなものなので、そこまでやってもらうのは心苦しいとの事である。金が掛からないで済むのは良いんだけど。なんか、こう、なあ? 第一今更だし。

『……わがままじゃん』

 そして、やはりレンが食いついた。

『お兄さんが君の為にしてあげるって言ってるんだから、素直にお願いすれば良いのに』

『あたしの為に負担を掛けられないって言ってるんだよ。マサヨシ、あたしは気にしていないから』

『と言うか! と言うかっ、お兄さんを呼び捨てにすんのやめてよ!』

 いなせはレンをじっと見る。感情の動きが酷く緩慢な、彼女の仕草だ。癖とも言うべきか。とにかく、いなせは人を見る。一言も発さないでじいっと見つめる。まるでその人の全部を見透かそうとするみたいに、だ。

『どうしてだ?』

『生意気だからだよ!』

 ちなみに、俺は呼び捨てにされるのをあまり気にしていない。

『あたしの勝手じゃないか。なんなら、お前もマサヨシと呼べば良い』

『そ、そういうのはまだ早いし』

『何故照れる』気持ちわりいな、おい。



 いなせは思っていたよりも家事が出来ない子だったが、レンのあしらい方に関しては誰よりもプロフェッショナルだった。だから俺も安心して組織の仕事に行ける。その点については非常に助かっていた。

「今日はとんかつにしたからね。あ、お兄さん、ソースも大根おろしもあるから、どっちが良い?」

 食事の用意が出来たので、俺はむくりと起き上がる。さっぱりしたい気分だったので大根おろし。そう、答えようとしたのだが、気付いてしまった。……いなせのとんかつだけ、明らかに量が少ない。おい。彼女は食べ物だったり着る物だったり、とにかく様々な事柄に無頓着なので何も言わないでいるが。

「……レン」

「あはっ、何?」

 俺は無言でいなせの皿を指した。レンはそこを一瞥する。見る者を底冷えさせるような、虫でも見るかのような目だった。が、それも一瞬の事。彼はすぐさま俺を見遣り、馬鹿みたいに能天気な笑顔を作った。

「どうしたの?」

 流石に怒るぞ。ぐっと睨むと、レンは目を逸らして俯いた。俺は自分のとんかつをいなせの皿に戻していく。

「マサヨシ、食欲がないのか?」

 …………はあ。まるで嫁姑の小競り合いじゃねえか。このままでは良くない。ガキの喧嘩だと、口を挟むつもりはなかったが、こいつらの喧嘩って全然可愛くないんだよな。怖いし重い。つーか、胃に負担が掛かってしようがねえ。キリキリする。早いところどうにかしないと。



「と言う訳で胃薬漬けになっている」

「あら、モテモテなのね」

 社長がくすくすと笑う。と言うかモテモテとか古いぞ。

 俺はちらりと奴らの様子を盗み見る。いなせはソファで大人しそうに読書。レンは九重と一緒にアニマルの図鑑を眺めていた。……仕事の話があるとの事で、俺はカラーズに呼び出されていたのである。

「……どうにかしてくれ」

「どうにかと言われてもね」

 すっと、社長は目線をずらした。その先には窓がある。外の景色を見つめながら、彼女は物憂げに息を吐いた。

「私も手一杯なのよ。ここ一週間は大人しくしなきゃならなかったでしょう?」

 銀川さんたちの引き起こした事件のせいである。彼は大人しく警察に捕まったが、孫娘であるいなせは絶賛逃亡中の身である。銀川さんが罪を引っ被った形にはなっちゃいるが、ヒーローたちはいなせを目撃しているんだ。勿論、カラーズの一員である俺も、社長も、九重も見られている。馬鹿面下げてヒーローの仕事をする気にはなれなかった。

「四方八方に手を尽くして、色々と工作はしているのだけど、中々進まないわね」

「そ、そうか」

 何を、どう工作しているかは聞かなかった。

「女の子だし、私の方で預かっても良いんだけど」

「ああ、俺も隙あらばいなせに勧めてるんだが、別に良い、だってよ。社長さ、あんた随分と嫌われてんだな」

 同性に嫌われるタイプ、白鳥澪子。

「否定はしないわ。それより、あなたが気に入られているんじゃあないのかしら?」

「そうかあ?」

「そうよ。あなた、子供には強いもの」

 どういう意味だ、そりゃ。

「……で、仕事の話ってのは?」

「働きたい? それとも働きたくない?」

「そりゃあ働かなきゃ駄目だろう。良い仕事でもあんのかよ」

 社長は肩をすくめて見せた。

「一応ね。でも、急ぐ仕事ではないらしいの。勿論、苦しんでいる人がいるのは確かだけれど。それでも……」

 なるほど。仕事は来ているが、目立ちたくはないって事だな。ま、今はそこまで金にゃあ困ってない。組織のお仕事は残ってるから、もう暫く大人しくしていても大丈夫だろう。社長は俺の懐具合を心配しているのかもな。

「よその心配するより、自分らの心配を先にすべきだと思うけど、まあ、あんたに任せる」

「良いの? そんな風に言ってしまって」

「慣れてきたからな」

「あら、何に、かしら」

 色々とだよ。一々言わせようとすんじゃねえ。ゴラ、くすくす笑ってんじゃねえぞ。

「そう、ね。うん、もう少し、あなたに休みをあげちゃおうかしら。ウチも、少しずつ仕事が増えてきているし」

「そいつは助かる」正直、まだ体は万全じゃない。クモん時、飛んだり跳ねたりしたせいで、いつもよりも体力を消耗していたところである。そして、何よりも、もうしんどいのは嫌だった。チラシ配りとか、着ぐるみみたいな仕事のが良い。



「よう青井ー、江戸さんが呼んでたぜ」

 今日も今日とて組織のお仕事である。が、控え室で寛いでいた俺は数字付きの仲間に声を掛けられた。

「いや、今から水族館狙うんじゃねえの?」

「すぐ終わるってよ。さっさと行ってこいや」

 釈然としないながらも、俺は席を立つ。呼ばれた理由は思いつかないが、上司が呼んでいるのなら関係はない。行けと言われれば行くのが下っ端の下っ端であるゆえんである。



 もしかして、ヒーローやってるのがバレたのだろうか? クモで、ちょっと目立ち過ぎちまった気もするし。今更だけど。それとも、最近手を抜いてるのがバレたか?

「入りたまえ」

 江戸さんの部屋に入ると、彼にじろりとねめつけられる。う、お、怒ってらっしゃる、のか?

「あ、あの、何か……?」

「青井君っ」

「ひっ!?」

 江戸さんは両手を机の上に置いて椅子から立ち上がり、つかつかとこちらに歩いてきた。やべえ何かされる。殴られる? ヒーローだとバレてんなら、やられる前にやるか?

「やはり、隈が出来ているな」

「……は? く、クマ、ですか」

「この間から気になっていたのでね。良く、寝られていないようだが。何か悩みでもあるのかな? ……それはもしや、仕事についての悩みではないだろうか」

 あ、そ、そういう事か。びびったあ。江戸さん、やっぱりすっげえ良い人じゃん。

「し、仕事は大丈夫です。楽しくやってるんで。その、悩みは別の方面でして」

「そうか」江戸さんは腕を組み、難しそうに唸った。

「……胃が、痛いんじゃないのかな?」

 え?

 そ、そこまで言い当てられるものなのか? 俺は何度も頷く。

「やはり……最近の君は、とても他人とは思えないような、沈痛な表情が多くなっていたからね」

「は、はあ」

「良く効く薬がある。良ければ、持って行くといい」

 胃痛持ちは胃痛持ちを知る。とでも言うのだろうか。流石は、エスメラルド様の右腕、江戸京太郎である。年中胃薬を手放せない彼の苦労。同情するのを禁じえない。

「良いんですか? これ、結構高そうですけど」

「ああ、構わない。買い溜めしているからね」

 胃薬を箱買いする江戸さんを想像して、涙が出そうになった。彼ほど有能な人間なら、わざわざ誰かの下につく必要もないんじゃあ? とも思えるのだが。

「それじゃあ、ありがたくいただきます」

「ああ、そうしてくれ。……ところで、今日の任務についてだが」

「えーと、水族館を襲うんですよね?」

 理由は知らんが。まあ、襲えと言われりゃ襲うしかない。

「正確に言えば、襲う事が目的ではない。ただ、ヒーローとぶつかる可能性は高いだろうと踏んでいる」

「ヒーロー、ですか」

「ああ、詳細なら数字付きの一番に伝えてある。彼からも話を聞くといいだろう」

 ヒーローが張り込んでるってワケか。情報が漏れてるって感じじゃあない。つー事は、やっぱりその水族館には何かがあるんだろう。楽な仕事になりゃあ良いんだけど。

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