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だったらあたしも呼び捨てにするよ



 三人になって初めて囲む食卓。料理の味なんて、殆ど分からなかった。酷く気まずく、とてもぎこちなかった。ま、まあ、仕方がない。よな?

「お兄さん、お兄さん」

「んー、どうした」

 いなせちゃんには先に風呂に入ってもらっている。とりあえず、彼女には当分、風呂場の前で着替えてもらうしかない。仕切りっつーか、ドアがあるのはそこくらいのもんだし。

「お布団、二つしかないんだけど」

「あ」やっべえ、すっかり忘れてた。まさか地べたで寝させる訳にもいかないだろう。

「明日買いに行くわ。今日は、俺、その辺で寝っから」

 レンは枕を抱えたまま、小首を傾げた。

「じゃあ、僕と一緒に寝ようよ」

「やだよ」

「えー、どうして?」

 何か怖いもん。

「それよりレン、お前は、その、いなせちゃんをどう思う?」

「どうって?」

「うーん。好きとか嫌いとか」

「あは、わかんない。でも、たまには良いよね」

 うん?

「お客さんがお泊りに来るのって、今までになかったから」

 さーっと、血の気が引いていくような感じである。

「……あのさ、話、聞いてたよな。いなせちゃんは泊まるんじゃなくて、ここに、住むんだけど」

 レンはにこにことしていた。えーっと、だからね黄前くん? お兄さんの話、分かってるかな?

「どういうこと?」

「お前と同じ。今日からあの子もここに住むんだよ。オッケー?」

「どういうこと?」

 えっ?

「ねえ、それって、どういうこと?」

 レンはずっとにこにこしている。が、もはや彼の目は笑っていないようにも見えた。同じ言葉を繰り返している事から、思考を放棄しているようにも思える。

「ここはお兄さんと僕のお家じゃないの?」

 おいこら、ここはあくまで俺の家だぞ。どさくさに紛れて自分もねじ込もうとしてんじゃねえよ。

「今日から三人の家になるんだ」

「や、やだ」おい。

「だって、だって僕そういうの分かんないもん。ねえ、僕、どうしたら良いの?」

 んなもん俺だって聞きてえよ。どうしたら良いのかって。誰が教えてくれるんだ。

「仲良くする、とか」

「……僕、今日はお風呂入らない」

「だーっ、もうわがまま言うなって」

 レンは無言で布団に潜り込む。くそう、また拗ねやがった。が、今晩は大人しくしてくれるだろう。溜め息が止まらない。酒が飲みたい。

「青井、上がったぞ」

「あ、ああ」

 ……話、聞かれてないよな?

「布団、そっちの使って良いから。そんで、明日は買い物に行こう」

「……良いのか?」

 悪いとは言えないだろう。なんて言葉が浮かんできた。とことんまで駄目な奴だった、俺は。

「気にすんな。そんじゃ、俺も入ってくるかな」

「分かった」



 大量のクモにうぞうぞと集られる夢で目を覚ました。……こえー。クモ、こえええ。背中、めちゃめちゃ汗かいてる。そんでもって体が痛い。畳の上じゃあ疲れは完全に取れねえな、やっぱ。

「くあ」今何時だ? ケータイで時間を確認してみると、午前の一時を過ぎたところだった。昨日は早めに寝ちまったからな。本来なら、組織の奴らとその辺のスーパーなりコンビニなりを襲っているような時間である。基本的に夜型人間。

「……あれ?」

 いなせちゃんが、いない? トイレ、か? でも、何の音もしてないし。電気だって点いてない。この部屋には隠れる場所なんて殆どないし。どっか出掛けたのか? って、ないよな。そりゃない。うん。

 とりあえず部屋の中をぐるぐる回る。意味がないと分かっているのにくるくる回る。あはは楽しいー。

「んな訳ねえだろ」

 深夜のテンションは恐ろしい。一人でもこんなに楽しくなれるんだから。

 しくじった。失敗した。いなせちゃんはきっと、俺とレンの話を聞いていたんだ。その事が決定打となった訳じゃあないんだろう。忘れてた。気付かない振りをしてた。彼女は賢いんだ。気が回って、気を遣える人間なんだ。畜生、何をやってんだ俺は。だから、ガキに気を遣わせてどうするんだって話だろ! 探しに行こう。放っておけない。見つけたところで何を話せば良いか分からないけど。だけど。



 レンを起こさないようにそっと外へ出る。しかし、アレだ。どこに行った? どこを探そう。ちょっと待てよ範囲広過ぎだろ。全然、分からん。もしかして、銀川家。自分の家に帰ってしまったんだろうか。……俺知らねえぞ。銀川さんちなんて知らないぞ。あ、詰まった。はい今手ぇ詰まりましたー。



 唯一、心当たりがあった。というより、ここ以外、なかった。

『他に行く場所を知らないだけだよ』

 公園には誰もいない。あのクモは既に撤去されていた。跡形も残っちゃいない。きっとヒーローたちが退かしてくれたのだろう。……だが、痕跡までは消えない。被害はなくなっていない。木々は薙ぎ倒されたままで、クモの脚が踏み砕いた穴ぼこがそこらにあった。

 そして、噴水としての用を成さなくなった残骸の縁に、いなせちゃんが座っていた。彼女は相変わらずぼうとした様子で、一点を見つめている。外灯が破壊されているので、公園を照らすのは月明かりのみだった。月光の下、彼女は何を思うのだろう。

「……これがあたしのやった事か」

 いなせちゃんは俺に気付いていたらしいが、こっちを見ようとはしなかった。俺はその場に立ち尽くし、彼女を見遣る。何も、言えなかった。だって、そうだろう。いなせちゃんがやった事に変わりはないんだから。

「青井」

「ん、ああ、何」

「家に戻りたい」

 心臓が千切れるかと思った。

「あたしとおじいちゃんの家だ」

「ん。分かった。ついてく」

 いなせちゃんにとって、自分の家と呼べるような場所はそこなんだ。青井正義の部屋では、決して、ない。



 いなせちゃんに無言で付き従うように、ただ、彼女の後姿だけを見て歩く。

 さて、彼女の行く先、銀川さんちってのはどこにあるんだろう。段々と、郊外の方に近づいていってる気がするんだが。通行人は俺たちの他に見えない。かれこれ、十分以上は歩かされていた。

「ここだ」

「え」

 だから、気付かなかった。寂れた工場の前で立ち止まったいなせちゃんは、そこを指差している。周りには人家らしき建物がない。いちじく畑が広がるのみだった。近くには、似たような工場が建ち連なっているが。

「ここに、住んでたのか」

「いけないかい?」

「いや、そういう意味じゃない。……で、どうするんだ?」

「そうだな」

 いなせちゃんは工場を見上げ、歩き始めた。裏口の方に回るつもりらしい。

「必要なものを取ってくるよ」

 付いて来いとは言われなかった。付いて来るなとも言われなかった。だが、俺はここで待つのを選ぶ。

 ……何やってんだか。どうせ人だって通らねえし、車の一台だって見やしねえ。俺は道路に腰を下ろして、溜め息を吐き出した。

「おい、そこで何をしておる」

「あ?」

 声を掛けられたので、睨みつける。が、そいつは銀川さんの工場内から現れたのだ。しかも真正面から。暗くて良く見えないが、年寄りだな。じじいだ。……銀川さんではないと思う。じゃあ、こいつは一体……?

「……ん、お前、青井かっ?」

「まさか、爺さん、か?」

 こっちに向かって歩いてくるのは、確かに爺さんだ。組織の研究室に引きこもり、変態的な活動に勤しむジャンキーである。その爺さんが、どうしてこんなところにいるんだ?

「何やってんだよ、こんな時間に。もうボケが始まっちまったのか」

「馬鹿を言うな。誰がボケか。お前こそ、どうしてここにおるんじゃ。まさか、散歩などとは言うまいな」

「いや、散歩だけど」

 爺さんは座り込む俺を訝しげに見下ろしてきた。

「……ふん、ここはな、わしの友人のアジトなんじゃ。元、だがな」

「元?」 あ、ああ、そうか。そうだよな。やっぱり、そうなんだ。爺さんと銀川さんは……。

「お前には話していたな。試作品とやらを見てくれと頼まれておったんじゃがな、そいつはもう檻の中におる。ついさっき、捕まった……自首したと言う情報が入った。お前は、知らんか。公園で巨大な兵器が暴れていた事を」

 どう答えるものか。

「知らねえ。けど、何? マジでそんなんが動いてたのかよ」

「うむ。しかし、残念じゃ。アレほどの男をわしは他に知らん。惜しい事をしたなあ」

「爺さんなら、どうにかなるんじゃねえのか?」

「……何?」

 爺さんのぎょろりとした目がこっちに向く。

「あんたになら、その友人ってのを出してやれるんじゃねえの?」

「自首、じゃぞ? 元とは言え、悪の組織の首領が、だ。覚悟を決めて、矜持を貫いた。そんな男の思いを踏み躙るつもりはない」

 そうか。そう、だよな。ちょっとだけ期待しちまった。

「それで、爺さんはどうしてここに? ああ、ここが友達の家ってのは分かったけどよ」

 爺さんは懐から手紙を取り出す。その封を切り、俺に見せるような事はなかったが。

「もしもの時にと託されておったものだ」

「それって、何が書いてあったんだ?」

「さあな。開けておらんから知らんよ。大体は分かるがな。どうせ自慢話だろうよ。長い付き合いというのも、面倒なものじゃなあ」

 そう言う爺さんだが、嫌そうには見えない。

「わしはここに、銀川の孫を探しに来た」

「そう、だったんか」

 やばい。やばいやばいやばい。今、ここにいなせちゃんが来たらやばい。俺の正体がバレちまう。爺さんにはヒーローやってるってバレちまうし、いなせちゃんには俺が戦闘員をやってるってバレちまう。

「銀川にはな、家族が孫娘しかおらん。自分がどうなっても、その娘だけはどうにかしてやって欲しかったんだろうな。だが、いないものはしようがない。見つけられんのだから仕方がない」

「……良いのか? 友達の頼みなんだろ?」

「青井よ、わしらは悪の組織の人間じゃ。嘘を吐き、約束を破り、頼みをすげなく断ってこそ悪の華だと思うがな。それに、銀川の孫も自立出来るくらいには大きくなっていた筈じゃ。案外、孫が銀川を見限り、出て行ったのかもしれん」

 いや自立って、それはねえだろ。でも、まあ、爺さんはいなせちゃんを見ていないんだもんな。

「居場所も知らん、分からんのではどうしようもない」

「そっか。……銀川ってのは、もう、本当に出てこられないんだな」

「奴が望めばどうなるかは分からん」

「そっか」

 いなせちゃんにはもう、誰もいないんだ。

「爺さん、その手紙、もらっても良いか?」

「何ぃ? これはお前、わしがなあ」

「あ、やっぱいらねえわ。うん」

「おかしな奴め。お前も早く帰らんか。……ん? そう言えば青井よ、組織の仕事はどうした? 今日は休みなのか?」

 やべえ、これ以上はぼろが出る。

「まあな。じゃ、爺さんも気を付けて帰れよ。こんなところうろついてて捕まっても面白くねえからな」

「ふん、よう言うわ」

「あんたには、俺のスーツを作ってもらわなきゃなんないからな」

 爺さんは喉の奥でくつくつと笑うと、俺に背中を向けた。

「青井、今日、ここで会った事は忘れろ。老人のしがらみに付き合う必要はない。そして、わしもここでお前と会った事は忘れる。お前が何をしようが、全く関係ないとは言わんが、今だけは追求しないでおこう」

「ああ。分かってる」

 爺さんはここが銀川さんの家だと知っている。多分、いなせちゃんがいる事も知っている。そして、俺が何をしたのか、何をしようと思っているのか、それすらも知っているに違いない。

「じゃあ、またな爺さん。風邪引くなよ」

「ふん、お前に心配されるようなわしではない」

 はっ、違いない。



 爺さんが去ってしばらくすると、彼女は旅行鞄のようなものを持って現れた。小さな体には不釣合いな、大きな鞄である。

「青井、行こう」

 俺はヒーローで、戦闘員で、クズで、グズだ。子供の面倒を見られるような甲斐性はない。けど、こいつにはもう、頼れる奴がいないんだ。こんな俺に縋るしかない。そんな話ってあるかよ。その上、まだ気を遣ってやがる。この状況下でも気丈に振舞っているんだ。こんな話があるか。ボケが。

「違う。行くんじゃない」

「ん?」

「いなせ、帰ろう」

 一人も二人も変わらんわ。せめて、銀川さんが戻ってこられるその日まで、俺がいなせを守る。半端にクモを壊しただけじゃあ、俺の正義は貫けないんだ。そうに違いない。

「……ああ」

 いなせは聡い子だ。社長に言われなくても、自分の立場は分かっていた筈なんだ。

「ああ、そうだな。うちに帰ろう、マサヨシ」

「マサ、ヨシ?」

「お前だってあたしを呼び捨てにしたんだ。だったらあたしも呼び捨てにするよ。構わないだろ?」

「まあ、良いけどさ」

「……マサヨシ、よろしく頼む」

 無愛想で不器用で、本当にもう素直じゃない。それでも、いなせはすっと手を差し出してくる。俺は少しだけ迷ったが、彼女の手から鞄を受け取った。



『友よ。

 翼の折れたわが友よ。久しぶりに、君に手紙を書く。筆を握るというのは非常に面映く、なんともこそばゆい気持ちになるものだ。

 友よ。私の作った試作品を見てくれないのは残念だ。しかし、君は直に私の作品が動いているのを目撃する事だろう。そこで忌憚のない意見を述べてくれ。そして願わくは、驚いて欲しい。すごいと、その一言だけでも構わない。羨ましく思ってくれ。そして光栄に思ってくれ。私のような友を持ち、幸せなのだと感じてくれ。

 君の事だから、私に何かあればいなせを助けてくれるのだと信じている。独り身は辛いだろう。少しの間、いなせに話し相手になってもらうのはどうだ。あの子はとても頭が良い。優しい子だ。素晴らしい子だ。しかしいなせはやらん。

 冗談だ。いなせを、どうかよろしく頼む。それから、今から書く事に関してはあまり心配していないが、私が倒れても、どうか、私を倒したヒーローを憎まないで欲しい。復讐とは疲れるものなのだと最近になって知った。そのような行為は、君には向いていないと思っている。

 私には、最後に一花咲かせるつもりなどない。ただ止まれないのだ。君になら分かってもらえると信じている。では、先に行く。久しぶりに心が躍った。君も、私に続いてはどうだ? これに関しては冗談ではない。あの日のような戦いを、輝きを、君ともう一度、見てみたかった。いや、今も見たいと、そう思っている。』

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