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じょ、乗車拒否します! 乗車拒否します!



 生き地獄ってものを、俺は何度も経験してきたように思う。が、さっきまでの車内も、中々のそれだった。

「さて、誰があの子を引き取るかについてだけれど」

「……ふざけんなよ」

 そして、車を降りた後も地獄は続く。カラーズに着くなり、九重はいなせちゃんを社長の私室に連れて行き(どうして彼が社長の部屋に入れるのだろう。俺が入ろうとしたら死ぬほど怒られるのに)、残った俺たちは、

「ふざけてなんかいないわ」

 いなせちゃんの今後について話し合う。と言うより、彼女の押し付け合いだ。ここまで連れてきたのは良いが、その先については何も考えちゃいない。考えられるのかどうかも分からない。

 俺は右の拳を摩りながら、ソファに身を沈める。

「レン、お前も九重んとこ行ってろ」

「えー? 僕もお兄さんと一緒にいるよ」

「良いから、ほら」

 多分、こっから先の話は子供に聞かせたくない方へと展開していく。正直に言っちまえば、俺だって聞きたくないし、そんな話にはしたくない。



「さて、と」

 社長は定位置から俺を見据える。冷たい目だった。

「先に言っとくけどな、俺はもうレンを……」

「……分かっているわ。だから、そういう風にものを言わないでちょうだい」

 何だよ。俺が悪いみたいで……まあ、そうか。実際、悪いもんな。

「実際、俺は本当に駄目だぜ」

 社長は小さく息を吐き出した。……レンの時と似ている。いなせちゃんも彼と同じく、身内がいない。知り合いがいない。俺はレンを引き取った形になるが、彼女は無理だ。だって、女の子だぞ。一つ屋根の下っつーか、同じ部屋で暮らすんだ。そりゃ、まずい。と言うかもう本当勘弁してください。どう接したら良いんですか。

「イダ……縹野と同じように、私がここの空き部屋を提供する形になるわね」

「そうしてくれると助かる。だけど、良いのか?」

「仕方ないわよ。見捨てる訳にはいかないわ」

 いなせちゃんは銀川さんの身内だ。つまり、悪の組織の身内って事にもなる。おいそれと警察にも預けられないし、身元がばれりゃあ何をされるか分からない。ほとぼりが冷めるまで、あるいはもっと上手い手を思いつくまで、俺たちが見ててやんないと駄目だろう。

「けど、あんたが名乗り出てくれるとは思わなかったぜ。これっぽっちも期待してなかった」

「あのね、私だって鬼ではないし血が通っている人間なのよ? 第一、あんな小さな子をあなたのような男に預けられる訳がないでしょう」

「ちっこさで言えば、いなせちゃんも社長も変わらないじゃん」

「……どういう意味かしら?」

 そのままの意味だよ。ま、これでようやっと肩の荷が下りた感じだ。もう駄目。これ以上は動けん。九重に家まで送っていってもらおう。

「それじゃ、後は任せるわ。また明日顔を出すからよ」

「あの子に何も言わなくても良いの?」

「何を言えば良いか分からん」

 いなせちゃんからすりゃあ、俺が銀川さんに引導を渡したようなもんだからな。少なくとも、俺自身はそう思っている。……勿論、あのままって訳にはいかなかったけどさ。誰も動かなければ、人死には出ていただろうし。

「お互い、考えたり頭冷やしたりする時間が必要だと思う」

「そう。……そうね。分かったわ」

「ん。レン、おーいレンっ、帰るぞー! ついでに九重ーっ、送っていってくれー!」

 俺の呼びかけに反応して、レンが一目散に飛び出してくる。抱きつこうとしてきたので、かわしてソファに叩き込む。彼はへらへらとした笑みをこちらに向けた。

「あはははは、いたーい」

「元気だねえ」

 九重は帽子の位置を直しながらやってくる。彼も、今日は疲れただろう。色々と感謝しなくちゃならない。が、お願いですからどうか車を出してください九重大明神。

「……あの、青井さん」

「いや、言いたい事は分かってる。お前だってしんどいよなあ。だけど俺はもっとしんどい。お願いします!」

「……いえ、そうではなく」あ?

 九重の後ろから、いなせちゃんが顔を覗かせる。目を逸らしてしまいそうになるが、彼女の、俺を見る目には悪感情が宿っていないように思えた。都合の良い勘違いだろうか。

「いなせちゃんはどうするんですか?」

「ああ、それなんだけどよ」

 社長に視線を送り、俺は口を開く。

「とりあえず、ここのテナントの好きなところを社長が貸してくれるって。当分は大人しくしといた方が良いと思うし」

 そうだ。イダテン丸にもいなせちゃんの事を伝えておくか。万が一、何かあった時の為にイダテン丸にも色々とお願いしておこう。

「……あー、いなせちゃん。その、色々と思うところはあると、思うんだけど、でも、しばらくは社長のところで大人しく……」

「嫌だ」

「……え?」

 いなせちゃんは首を振り、足を踏み出した。

「あたしは、ここには住めない」

「あら、どうして? 外観はそう見えないけれど、中は綺麗なのよ?」

「そういう意味じゃない」

 どういう意味だと問う前に、俺は気付く。カラーズだって、一応はヒーロー派遣会社なんだって事に。……今まで、いなせちゃんは銀川さんからヒーローは敵だと教えられてきたんだろうし、自分でもそう思っているに違いない。彼女がヒーローと戦いたいと、今でも思っているとは考えにくい。だが、長く積み重なり、積み上げてきたものもあるのだろう。環境も思考も、すぐには変えられない。つまるところ、ここはヒーローの本拠地で、いなせちゃんからすれば敵の本丸にも等しい。流れ流れて連れてこられたが、やはり抵抗は少なからずあるのだろう。

「別に、ヒーローが嫌いだとか、そういうんじゃない。あんたたちには感謝してるよ。だけど、簡単には信じられないんだ」

「まあ、そりゃそうだけど。だったら君はどこに住むつもりなんだ?」

 もしかして、家に戻るとか言うんじゃあないだろうな。やべえぞ、それは。絶対マークされてるって。

「あたしとしても、長く世話になるつもりはないよ。時期が来れば出て行くさ。でも、それまでは」

 いなせちゃんは何故だろうか、じっと俺を見ていた。

「青井、お前のところに住む」

「………………えっ」あっ、声が裏返っちゃった。

「この中で一番信用出来るのはお前だからな」

 は? いや、駄目。駄目だって。

「だから、君はここで暮らすのが……」

「だったらあたしを放り出せば良い」

 腕を組み、不遜にも映る態度。いなせちゃんはまっすぐに俺を見続けている。

「社長」

「何よ」

「どうしよう?」

「……銀川いなせ、と言ったわね。あなたは、自分の置かれている状況が分かっていないのかしら。あなたの祖父は警察に捕まってしまったのでしょうね。なら、住んでいた場所だって危うい筈よ。身元が割れれば、あなたは更に危ないところへ追い遣られる」

 ちょ、お、おい。いきなり何を。社長は止めようとしたが、ものっそい睨まれたので黙っておく。

「あなたの祖父は、それを望んでいるのかしら」

 あまりにも遅過ぎた。幸せになって欲しい、か? だったら銀川さんには、いなせちゃんに対して与えなければならない事が、教えなければならない事がたくさんあった。

「ふ、あはは、あんた、口が回るじゃないか。部外者がおじいちゃんを分かろうとするな」

「そう、部外者。あなたは部外者に助けられたの。そして、あなたの『おじいちゃん』は部外者にあなたを預けたの」

「……何だお前。何が言いたいんだよ」

 社長といなせちゃんが睨み合う。両方ちっこいが、妙な威圧感があった。

「こちらの言う事を素直に聞きなさいと言っているのよ。人の厚意は受け入れるものだと、あなたは教わらなかったのかしら?」

「他人は疑って掛かれとも言われたよ。何度も言うけど、あたしは青井しか信じられない。もっと言えば、青井だって敵じゃないかもしれないってだけで、あたしの味方じゃあないんだ。……心配しなくても良いよ。あんたらに迷惑は掛けないからさ」

「ふう、生意気ね。それに世間知らずだわ」あんたもな。

「私たちはもう、あなたに迷惑を掛けられているのよ」

 その通りだけど、この女、よくもまあここまで言えるよな。いなせちゃんの気持ちを考えれば、少しくらいのわがままだって大目に見てやっても良いと思うんだけど。

「ますます不愉快な気持ちになってきたよ。あたしは、あんたが嫌いだ」

「奇遇ね。私もあなたを好きになれないわ」

 あ、やばい。何か嫌な予感がする。

「青井」

「……はい」

「この子を連れて行きなさい」

「はい。……えーと、どこに、ですか?」

「決まっているじゃない」

 にっこりと微笑まれる。わあ、まるで極寒凍土に花が咲いたようだ。

「で、でもさあ」

「どうしても駄目なら言いなさい。私が我慢するし、その子にも我慢させるから」

「社長、顔が怖いぜ」

「そう? ふふ、そうかしら? そう見える? だったら青井、何をするべきなのか理解しているわよね?」

 俺は九重に目配せして、レンといなせちゃんを引っ張るようにして事務所を後にした。と言うか逃げ出した。



「……あの、それじゃあ私はここで」

「……おう、助かったよ。あ、お茶くらい出すけど上がっていかないか? つーか上がっていくよな? なあ?」

 タクシーがアパートの前に着く。俺はレンに部屋の鍵を渡す。九重は運転席から出てこようとしない。そうはいくか。

「茶ァ出すっつってんだろうが!」 最低のくどき文句だった。でも相手は九重なので、この際無理矢理に部屋まで引きずり込んでやる。

「やっ、やめ、やめてくださいっ」

「げへへへへ、おら出て来いよ!」

「じょ、乗車拒否します! 乗車拒否します! もう青井さんは乗せてあげません!」

 お互い必死だった。いなせちゃんはつまらなさそうに俺たちのやり取りを見ている。ミラー越しの視線が酷く痛かった。



 九重に逃げられてしまった。

 俺といなせちゃんは部屋の前に立ち、何故か入れないでいる。俺が扉を開けてやれば良いのだが、何か、タイミングを逃しちゃったって言うか。

「えーと、あのさ、いなせちゃ……って、あ」

 いなせちゃんは俺が何かを言う前に、すっと部屋に足を踏み入れた。躊躇いを感じさせない動きである。

「へえ、片付いているんだね」

「あはっ、僕がお掃除してるんだよ」

 レンは既にエプロンを着けていた。俺も遅れて部屋に入り、テレビを点ける。

 考えなくちゃいけない事が、山ほどあった。死ぬほどあった。

 まず、どうする? どうやって暮らすんだ? いなせちゃん、女の子だし。女の子ってどう接すれば、この年頃の子ってどういう風に扱えば良いんだ? 何をすれば良いんだ。どういう話題を振れば良いんだ。と言うか何もしなくて良いんじゃないのか。ほら、女の子ってマシュマロみたいに柔らかくてガラスみたいなハートなんだろ。『お父さん、寄らないで』みたいな感じでサボテンだって真っ青なんだろ。下手に触れようとするとグアーって牙を剥くんだろ。って違うよ、俺はお父さんじゃないよ。マシュマロってなんだよ。馬鹿じゃないの俺。じゃなくて、もっとこれから先どうすんだって話だよ。あ、そうだ。着替え。着替えとか、寝る場所とかどうしよう。カーテンとレールか何か買って、仕切りみたいなん作らなきゃ駄目だよな。でもこの部屋そんな広くないし、仕切りなんか作ったら生活するスペースなくなっちゃうよ。でもあんまし蔑ろにするのもどうかと思うのさ俺は。でも金、どうしよう。今だって自分の食い扶持稼ぐのに精一杯だったんだぞ。そりゃあカラーズでヒーローやったり平の戦闘員から数字付きになったりで少しは稼ぎも良くなったけど、まさかもう一人養う羽目になるとは思いもよらなんだ。つーか無理じゃねえ? これやばくねえ? 明日になったら、いなせちゃんの食器とか、日用品も買わなくちゃだし、そも、何を買えば良いんだよ。彼女にだって好みはあるだろう。男の俺が適当に買ってきたものに抵抗を示したり嫌悪感を露わにしたりするかもしれない。そうなったら俺はショックを受ける。嫁さんどころか彼女だっていないのに段階すっ飛ばして気分は二児の親である。うわ、もうこれだけでショックだわ。親とか、この字面に衝撃だわ。俺みたいなクズが保護者に? ありえん。申し訳なさ過ぎだろ。「……青井」やべえどうしよう。どうすりゃ良い。誰か教えて。どなたか助けて。預かるとは言ったが、いつまでってのが分からない。あ、そうだ。そうだよ。それを言い出すならレンだって同じじゃねえか。こいつだって、いつまでここに置いとくのか決まってないんだぞ。俺、一人増やしてる場合じゃねえだろ。レンは、いなせちゃんをどう思っているのか。新たな同居人を歓迎しているのだろうか。表面上はいつもと変わらずへらへらしているだけの彼だが、思うところはあるだろう。(改造)人間だもの。ま、まあ、明日の事は明日の俺が考えるとして今日だよ。今日の事は今日の俺、つまり今の俺が考えなくちゃあならない。とりあえずメシ食って、で、あー、どうする? そうだ。仕事だ。今日の夜だって組織には行かなくちゃいけない。けど、すげえしんどい。むちゃくちゃに眠い。つーかレンといなせちゃんを二人にするのは何だか心配だ。いなせちゃんって無愛想だし、レンとはとことん気が合わなさそう。駄目だ。今日は組織、休もう。うん、まあ、俺一人がいなくたって大丈夫だろう。

「青井」

「……え? あ、ああ、何、どうした?」

 いなせちゃんがじっと俺を見ていた。やべえ、全然気付かなかった。

「……いや、何でもない」

「そ、そう?」

 とにかく、気まずい。

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