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お前青くないぞ!



 俺は数字付きの戦闘員に出世する(予定)。それも、そこらの怪人の指揮する部隊ではない。その上の、(恐らくは)幹部クラスの四天王と呼ばれる人の下につくのだ。六年、燻り続けていた甲斐もあったというものだろう。遂に、俺が認められたのだ。

「おい、そのニヤけ面ぁやめとけよ」

「ういっす」チーフに釘を刺されて、俺は気を引き締める。

 今、俺はチーフに連れられて、ある扉の前に立っていた。……この先に、四天王の一人、俺の上司であるエスメラルド様がいるらしい。緊張するよりも先に、何だかにやにやしてしまう。

「ここで変な真似すりゃ取り消しになるかもしれないからな」

「ういっす」小声で返す。

「じゃ、行くか。……煤竹です」

 チーフが扉を三度ノック。その後、長い長い間が空いた。手に汗握り、喉も少し渇いてくる。大丈夫、か。本当に、今更になって騙されているんじゃないかと心配になってきた。

「入りたまえ。ああ、煤竹チーフ、君はそこまでで良い」

 えっ? マジかよ、色々とフォローしてもらおうと思ったのに。しかし、チーフはやっと肩の荷が下りたとでも言わんばかりに、晴れ晴れとした笑みを浮かべている。もう、俺が何を言っても無駄だろう。彼は俺の肩を叩き、背を向けて去っていった。呆気ない。

「……聞こえなかったのか? 入りたまえ」

「しっ、失礼します!」

 声だけで判断するなら、どうやら、中にいるであろう人物は四天王とは言え、若い男らしかった。

 扉を開けて、後ろ手で閉める。顔を上げると、意外と、部屋ん中は普通だった。戦闘員の控え室よりはマシだが、そこらの会議室と変わらない。長机が四つ、部屋の真ん中で長方形を作っている。パイプ椅子がそこらに置きっ放しで、散らかっているような印象を受けた。実際、部屋の隅には段ボールが山のように積まれているし、何故か、冷蔵庫が四つも設置されている。何だこの部屋? マジで四天王の部屋なのか?

「掛けたまえ」

 部屋の中には、髪の長い男が一人。けったいな事に、その髪は銀色に染められている。線の細い、黒いジャケットを羽織った若い男だ。二十代、俺と歳は変わらないだろう。そのせいか、必要以上には萎縮しなかった。無論、ある程度の緊張はしているが。

「私は江戸京太郎(えど きょうたろう)。君の名は把握しているが、一応、聞かせてもらおうか」

 促されて、俺は椅子に腰掛けたまま自己紹介の内容を考えた。

「青井正義。煤竹班で六年、戦闘員をやっていました」

 当たり障りのない、普通な自己紹介である。江戸と名乗った男は小さく頷いた。

「うん、ようこそ、エスメラルド部隊へ。君には伝えておいた通り、数字付きをやってもらう。君に与えられるナンバーは十三だ。直、新しいスーツも渡せる。去年の健康診断から、極端に太ったりはしていないな?」

「問題ありません」太れるほど良い生活を送ってはいない。むしろ去年よりも痩せている。

「ならば良し。さて、数字付きについて説明しておこうか。ある程度は知識があるとは思うが、これも通過儀礼の一つだ。私の話に耳を傾けたまえ」

 偉そうだが、実際偉いのだ。俺は一言一句聞き逃さないように構える。あ、メモとか持ってくるべきだったのだろうか。まあ、今更か。

「基本的に、通常の戦闘員だった時と行うべき事は変わらない。仕事の内容は、やはり、走り回り、奪い、襲い、ヒーローと戦うものだ」だろうな。

「ただ、上司は変わる。同僚も変わる。初めの内は慣れないかも知れないが、気になる事があれば、遠慮せずに私に相談すると良い。君の悩み全てを解決出来るとは思っていないが、僅かなりとも君の援けになれるかもしれない」

 意外と、良い人だった。

「数字付きの控え室は、この部屋の隣にある。そちらを好きに利用してくれれば良い。仕事の連絡は、煤竹チーフの時と変わらない。何かあれば携帯にも連絡を入れるし、控え室のボードに大抵の事は書かれている筈だ」

 うんうん。

「勘違いして欲しくないのは、数字付きになったとは言え、君の立場は怪人よりも下にある。位が上がったとは言え、他の戦闘員に指図出来る立場ではない。その点は理解しておきたまえ」

 うん。まあ、俺が誰かに命令するなんて想像も出来ないし。

「さて、私からの話はこんなものか。何か質問があるなら、今の内に聞いておきたまえ」

「あ、じゃあ、三つばかり良いですか」

「数を制限する必要はないが、良いだろう、聞こうか」

 江戸さんは組んでいた腕を解き、リラックスしているようにも見える。堅苦しくないよう、気を遣ってくれたのだろうか。

「あの、どうして俺を数字付きに?」

「ああ、その事か。いや、煤竹チーフから君の事を聞かされたのだよ。何でも、自分よりも強大なヒーローに向かって行ったそうじゃないか。陽動の任務を与えられていたが、それ以上の成果を上げたと聞いている。鬼にも勝る君の奮戦のお陰で、仕事はスムーズに済んだそうだ」

 まさか、八つ当たりの逆恨みでの行動が、そんな風に評価されていたとは。

「戦闘員である者は、ヒーローには勝てない。スーツからして違う。だが、君は向かっていった。私はその点を評価している。そして、ならばとも思った。君に、もっと性能の良いスーツを与えたなら、どれだけの戦果を上げてくれるのだろうか、と。六年と言う勤続年数も大きい。今日び、そこまで生き長らえる戦闘員と言うのも珍しい」

 お、おお! おおおお! ま、まさか、こんな俺をそこまで評価してくれるなんて! 一生ついていきますエスメラルド様!

「ちょうど、欠員も出たところでな」

「欠員、ですか」そういや、数字付きは一部隊につき十三人だ。俺がどれだけ素晴らしい功績を納めても、そこは覆らない。いよいよ、本当に運が向いてきたらしい。

「十三番……ああ、君の前任者に当たる者だが、以前から希望していた会社への就職が決まったらしくてね」

 再就職か。……再就職? そういうのって、アリなのか?

「勿論引き止めたよ。彼は、数字付きの中でも優秀な男だったからね。だが、熱意に負けたよ。尽くしてくれた恩もあったし、涙ながらではあったが、どうにか送り出せた。しかし、君のような男にも出会えたのだから、悪い別れではなかったのだろう」

「あ、ありがとうございます。お陰で、俺みたいな下っ端が数字付きなんて……」

「自分を卑下する事はない。君は、君の力を揮ってここにいるのだから」

「ありがとうございます、エスメラルド様」

 そう言うと、エスメラルド様は不思議そうな、と言うか困ったような顔になる。流石に、気安かっただろうか。

「……君は何か、勘違いをしているようだな」

「え、っと……?」

「私は、エスメラルド様ではない」

「はい?」

 えっ、違うの? じゃあ誰だよお前! ここまできて俺を担いでたなんて抜かすんじゃないだろうな! ああ!? と、心の中では強気に出る俺。

「四天王ともあろう方の顔を知らないのか?」

「あ、その、下っ端が長かったものですから。四天王なんてやんごとなき身分の方とは、関わり合いのない人生を送ってきたもので」

「む、いや、だが、そうか。では、改めて自己紹介をしておこう。私は、エスメラルド様の右腕を自負している者だ。立場としては怪人にあたる」

 そういう事だったか。まあ、何かおかしいとは思ってたんだよ。偉い人が、わざわざ俺みたいな木っ端と会ってくれるなんて思ってなかったし。

「ああ、勘違いしてはいけない。エスメラルド様と親しくしようなどと驕ってはならないぞ」

「いやいや、そりゃもう当たり前です」

「うむ、それさえ心得てくれるのならば、特に言う事もない。まあ、会う事もないだろうが。……今日のところは仕事の後で疲れてもいるだろう。帰って、ゆっくり休みたまえ。明日からは、新しい生活が始まるのだから」

 頷き、俺は椅子から立ち上がった。瞬間、扉が開く。誰だろうと思って振り向くと、女の人がいた。何だ? ノックもしないで入ってくるなんて。礼儀を弁えないどこの下っ端だコラああん? けれど美人だった。背はちっこいけど気の強そうな瞳。ショートボブの黒髪に、褐色の肌も艶かしい。白いチューブブラ。赤く、短いチョッキをその上から着ている。短くて黒いスカートが俺の横を擦り抜けていく。視線だけで追い掛けると、彼女のネックレスが目に入った。何か、骨みたいなもんをぶら下げている。そんで、でかいピアス。平べったくて、こっちも骨みたいだった。美人は美人だが、へそ出しルックのやばそうな女である。

 その女は、部屋の主である江戸さんには一瞥もくれず、段ボールをごそごそと漁って魚肉ソーセージを右手に。冷蔵庫を開けてペットボトルのジュースを左手に持ち、俺たちには何も言わずに出て行こうとした。いや、幾らなんでも失礼過ぎるだろう。

「ちょ、おい、あんた」

 扉を足で開けようとしていた女は振り向く。無表情だったが、目をくりくりとさせていた。その仕草は何も知らない子供みたいで。けど、こいつは子供じゃない。騙されんな。

「失礼じゃないのか?」

 江戸さんが何も言わないのなら俺が言うしかない。悪の組織といえども、上下関係くらいはきっちりしておかないとな。

「……青井君、良いんだ」

「そういう訳にはいかないでしょう。……あんた、勝手にそういうの持っていってさ、何か、言う事があるだろう」

 俺がそう言うと、女は心底から分かっていない風に口を開けた。

「私が持っていっては駄目なのか?」

「あのな、そういう意味じゃなくてさ」

 本当に分かってないんだろうか。若い女、と言うより、よくよく見りゃあ、まだ十代、か? えげつない格好に(勝手に)騙されていたが、ウチの社長と変わらない年齢にも見える。

「いただきます、か?」

「部屋に入る時はノックだっているし、持っていっても良いか江戸さんに了解を取らなきゃ駄目だろうが」

「そういうことか」

 女の子はソーセージとペットボトルを江戸さんに見えるように振った。

「エド! これ、食べるぞ!」

「そんな言い方があるかよ!」

「…………は、はは。いや、青井君、大丈夫。本当に大丈夫だから」

「そうですか?」

 江戸さんは何と心の広い方だろう。海よりも山よりもこの地球よりも宇宙よりも寛大に違いない。

「アオイ?」

 女の子が物珍しそうに俺を見る。

「そう、青井。俺の名前だ」

「アオイ、アオイ、アオイ。……どこがだ? 青くないぞ?」

 ちっ、アホみたいな事言いやがって。

「あっはっは、お前青くないぞ! けど、私も緑じゃない!」

「……緑? 何の話だ?」

「私の名前だ!」

 どんと、女の子は自分の胸を叩いた。力を入れた為か、ソーセージが潰れてしまう。

緑間縁(みどりま ゆかり)だ! だけど緑じゃないだろう!」

「そ、そうだね」何がツボに入ったのか、緑間と名乗った女の子は大笑いし始める。

「気に入ったぞアオイ! これをやるから、ちゃんと食べて大きくなれよ」

 潰れた魚肉ソーセージとペットボトルの炭酸飲料を渡された。緑間は段ボールから新しいソーセージ、冷蔵庫から新しいジュースを持ち出して、楽しそうに部屋を出て行った。嵐のような女である。俺は何も言えず、閉められた扉をぼんやりと見つめるしか出来なかった。

「何ですか、あの女は。江戸さんの知り合いですか」

 江戸さんは溜め息を一つ吐いた後、段ボールから何かを取り出す。ちまきだった。彼はそれを口に入れる。

「青井君」

 俺は身構えた。

「これは、誰が悪いのかとか、そういう問題ではないのだが……まず、私が何も伝えていなかった事も原因の一つにあるのだろう」

 江戸さんは何を言おうとしているのだろう。俺は持たされたソーセージとペットボトルを机の上に置く。

「混乱しているようだから、分かり易く言おう。先ほどの方が、我々の仕えるべき上司であるエスメラルド様だ」

「冗談でしょう」

「まさかこんなタイミングで、良いのか、悪いのか、私には分からない……」

 ちまきを食べ終わった江戸さんは、目を瞑り、難しそうに唸った。タイミング? 今の話が本当なら、本当に、さっきの女の子が四天王のエスメラルドだったのなら、タイミングが良いのか悪いのか、分かり切っているだろう。俺にとっては、最悪のタイミングだったに違いない。

「クビですか」

「……分からない」江戸さんは、威厳が、とか、ぶつぶつと呟いていた。

 生き地獄のような時間が終わった後、俺はようやく『帰って良い』と言われた。しかし『また会おう』とは言われなかった。つまりは、そう言う事なのだろう。



「帰りなさいよ」

 翌日、俺は朝からカラーズに顔を出していた。これも立派な社員としての務めだろう。何せ立派な勤め先を失ったのだから、もうここしか残されていないのだ。

「社長、掃除でも何でもしますよ!」

「……気持ち悪いわね。ゴマすったって何も出てこないわよ」

 知ってるよ。

「給料を上げろとは言わないから、せめてちゃんと払ってもらいたい旨を伝えに来ました」

「えー? 九重の給料だけで精一杯なのに」

「おい! 払えよ! 俺だって働いてんだろうが! つーかデパートん時のギャラはどうなってるんだよ!? お前、あんなの死なない方がおかしかったんだからな!」

 社長は耳を塞ぐ。非常に嫌そうな顔をしていた。あんまりである。

「お金なら心配しなくても良いって言ってなかった? あなた、出世したんでしょう。それに、給料ならちゃんと払うわよ。給料日は月末だって言ったじゃないの」

 その話はナシだ。流石に、四天王にタメ口利いたくらいで組織を追われるって事はないだろうが、まあ、数字付きになるのはご破算だろう。元の生活に逆戻りである。いや、そもそも、まだ数字付きになってもいなかった。話が上手過ぎると思ったらこれだよ。やっぱり、人生は上手くいかないようになってるんだ。畜生。

「ま、まあ、そうなんだけどな」

「なら、良いのだけど。あ、そうだ。次の仕事についてなんだけど」

「お、おう」待ってました。とりあえず働かせてくれ。少なくとも、その間は嫌な事を忘れられる。かも、しれない。

「当分はないと思っていてちょうだい」

「はああああ? 企業努力が足りねえんじゃねえのか社長さんよう」

「馬鹿言わないで。しようがないじゃない、知名度がないんだもの。カラーズの名前を知ってもらうには怪人たちを倒すのが手っ取り早いんでしょうけれど……」

 スーツがないと倒せない、か。

「九重だって、今は宣伝活動で頑張っているの」

「じゃあ俺もやるよ」

「……あなたが?」

 頷くと、社長は喉の奥で笑った。そんな年頃なのに、嫌らしく笑わなくても良いじゃないのか。

「あなたは気にしなくても良いのよ。だって、我が社が誇る唯一のヒーローだもの。そういった地道な活動はヒーローには似合わないわ」

 う。すごく、申し訳ない。

 こうなったら、組織としての仕事を今まで以上に頑張り、お金を貯めて爺さんにスーツを作ってもらおう。うん、そうすりゃ、良い事だって起こってくれるだろう。

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