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悪いっ、かき氷!



 走馬灯が何度も見えた。だけど、簡単には手放してやるかよ。

「大人しくしろっ!」

 いなせちゃんは喚きながら巨大兵器を操作する。……が、さっきまでの繊細な動きではない。感情に任せて、むちゃくちゃにしているだけだ。

「もうやめてくれ! 戦うな! そこから出るんだ!」

「黙れッ!」

「どうしてこんな事してるんだ、君は!」

「お前たちが悪いんだ! ヒーローがいるからっ、あたしたちは!」

 駄目だ。全然話を聞いてくれない。そして腕が痺れてきた。

 ……ヒーローが、いなせちゃんの家族を殺したとは聞いている。だけど、ここにいるヒーローが彼女の身内を手に掛けた訳じゃない。いなせちゃんだって分かっている筈だ。

「君はこんな事がしたいのかよ!」

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってのか。

「しなくちゃ駄目なんだ! お前はもう関わるなっ、あたしの前からいなくなれ!」

「答えろよ!」

 押し問答が続く。無駄に時間が過ぎていく。クモの脚は地上の公園を踏み抜き、踏みしだき、遣りたい放題に荒らしていた。その時、コックピットからノイズが聞こえて、いなせちゃんが口元を押さえる。

『……何をしている、いなせ』

 しわがれた声は銀川老人のそれだった。無線、か? ……なるほど、彼がいなせちゃんに指示を出していたのか。

『ヒーローと戦え』

「あ、こ、ここにヒーローがくっついて……」

『振り落とせば良かろう』

 あ、ちょ、余計な事言うなじじい。

「で、でも」

『いなせッ』

「ヒーローは、青井正義で……だから」

『知っておる。早く振り落とせ』

 いなせちゃんの肩が震えて、彼女は無線機を呆然と見つめる。ノイズ雑じりの銀川老人の声は、いなせちゃんをたきつける。戦えと、ヒーローを倒せと。大人しくなった彼女は操縦桿を握ったまま動かない。コックピットの中には計器やスイッチが並んでいる。そこは、俺には牢獄に見えた。

「戦いたいのか?」

「あ……」

 右腕に力を込める。

 いなせちゃんは、本当に戦いを望んでいたのか? 本当に、ヒーローを倒したいと思っていたのか? 他のヒーローは、そうだと断じるのかもしれない。彼女を知らない人間も、銀川老人だって、そうだと決め付けるのかもしれない。実際、いなせちゃんはここにいる。クモのコックピットに座り、公園を荒らし、皆をビビらせた。事実だ。曲げられない。変えられない。だけど俺には関係ない。

「君はこのまま暴れ回るのか?」

「お前はいつまでそこにいるんだ……!」

 涙目で睨まれる。他の誰かがいなせちゃんを引きずり出そうとするなら、俺はここで体を張るつもりだ。

「俺を巻き込むつもりはなかったんだよな」

 いなせちゃんは答えない。……無愛想で、きっと不器用な彼女は、今朝のやり取りを忘れたのだろうか。君は、俺にここへ来るなと言っていた。その意味を理解しているのだろうか。いや、良い。彼女にそのつもりがなかったとしても、俺を助けようとしたのが嘘だったとしても構わない。

 ムカつくよなあ。

 こんなガキに気を遣われて、こんなガキに気を遣わせる人間ってのは。

「そこを開けてくれ」

「駄目だっ、早く降りろ!」

「降りられるか! だったら壊す、それだけだッ、伏せてろよ!」

 俺はつるつるとしたガラスの表面に飛び移る。辛うじて取っ掛かりと呼べる部分を左腕で掴み、体を固定させ、右腕でガラスをぶん殴ってやった。が、びくともしねえ。力を入れにくい体勢なのは確かだけど、それにしたってかってえ、ちょっと痛え、何これ? 強化ガラス? 畜生構わねえ、壊れるまで続けるだけだ。

「やめろ! お前の手が壊れるぞ!」

「だったらここを開けろってんだ!」

 二発、三発、四発。ガラスを殴りつける度に衝撃で腕が痺れる。体が揺れる。足を滑らせればまっさかさまに落ちていくだろう。そんでまあ死んじゃうんだろう。

『いなせ! 何をしておる、早くそいつを落とさんか!』

「あんたは黙ってろ!」

 割れろ壊れろ頼むからひびくらい入ってくれ、このままじゃホントに死んじまう。

「……っ、何故だ。何故、あたしに触れようとするんだ!? お前とあたしは関係ないじゃないか! 家族でもないっ、ただの他人だろう!」

 んな事分かってる。

「他人があたしに近づくなっ、分かろうとするなっ、あたしは言ったぞ! ここに来るなって! それを裏切ったのはお前じゃないか、なのにっ」

 何故だ。いなせちゃんは繰り返す。ひきつれた声が、痛い。

『いなせっ、どうしたんじゃ、いなせ! そいつの声に耳を貸してはならん!』

「青井正義っ、お前は、何なんだ!?」

「ヒーローだ」

 それだけ返して、俺は歯を食い縛る。殴るのではなく、右手全部で叩くようにして、ガラスに力をぶつける。馬鹿の一つ覚えみたいに同じところを叩き続けた甲斐はあった。鈍い音の後、表面に入ったひびを確認する。おっしゃ、もう少し。

「……退け」

「やだね。なあ、頭下げといた方が良いぜ。破片が飛び散るから」

「今、ここを開ける」

「え?」



 クモが沈黙している。開かれたコックピットの中から、いなせちゃんが俺を見上げる。

「詰めてくれ」

 いなせちゃんは無言でスペースを作ってくれた。狭いけど、無理をしてでもここに入らなきゃならない。もう限界だった。足がくがくするし、手びりびりしてるし。

「よ、っと」変なボタンを押さないようにしながらコックピットに。俺は出来る限り、身を縮こまらせる。

「……近い」

「だって狭いんだし」

 泣き止んだいなせちゃんの顔が近くにあった。彼女は俯き、鼻を啜る。暫くの間、いなせちゃんは口を開かなかった。

『何を』

 あ?

『何を、しておる……!』

 怒気を孕んだ銀川老人の声。俺は無線機を引っ掴み、それを睨んだ。

『何をしておると! そう聞いておるんじゃ! 何故振り落とさなかった! 何故コックピットに入れた! 何故マシンを動かさない!? いなせ、お前は何をしておるんじゃ!?』

 無線機を見るいなせちゃんを制し、俺は言葉を選んだ。

「銀川、お前の孫は預かった」

「な、何を」

 向こうからの反応、なし。

『……青井さん。あなたは、何がしたいのですか?』

「こいつを止めろ。……いや、止まってるか。じゃあ、いなせちゃんをこっから降ろさせろ」

 銀川老人は落ち着いているんじゃあない。怒りに震える声ってのは隠せない。俺の話を聞く振りして、頭ん中はどうやっていなせちゃんをその気にさせるのか考えているんだろう。

『出来ません。あなたには伝えた筈、私たちはヒーローと戦い、倒すのだと』

「何度も聞いたよ。あのな、だったらてめえでやったらどうだ?」

『……あなたは……!』

「自分で作ったんだ。自分でこのばかでけえのに乗って戦ってみろよ。ガキにやらせてんじゃねえぞ、鬼か、あんたは」

『ふざけるなっ』

 思わず、無線機を握り締めていた。

「てめえの子供をてめえの都合に付き合わせてんじゃねえぞ。……いなせちゃん」

 いなせちゃんは俺を見て、目を伏せようとする。もう一度彼女の名前を呼び、こっちを向かせた。

「時間がない。このクモの動きが止まってるから、他のヒーローがここまで上がってくるかもしれないんだ。だから、正直に答えて欲しい」

『いなせっ、よせ、いなせ!』

「誰かと戦いたいか? ヒーローを倒したいか?」

「そ、そうだ……」

 目を伏せて、俯いて、声を震わせて。

「あたしは、ヒーローを」

 だったら泣くな。そんな顔でこっちを見るなよ。

「分かった」

 俺は無線を置いて立ち上がる。コックピットから出て、不安定な足場に立つ。膝が震えた。ガキ相手にゃずるいかもしれないけど、ここまでやらなきゃ本音を引き出す事は難しいんだと思えた。

「銀川いなせ、俺を殺せ」

 下の方から、俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。

「や、やめろ、あたしは」

「押せよ。落とせよ。したら死ぬぜ。ヒーローだけど俺は死ぬ」

「やめろっ」

「お前が望んだんだろうが。復讐したいんだろ、ヒーローに。だったらやれよ」

 やめてくれ。やらないでくれ。怖いけど、俺はいなせちゃんから目を逸らさない。

「あ、お、おじいちゃん、あたし、あたしは……」

 無線機は何も発さない。銀川老人だって、孫娘に人を直接殺させるのは嫌なんだろう。馬鹿が。ふざけやがって。やってる事は変わってねえんだ。機械に乗ってるからって、人を殺すってのに変わりはない。直接か、間接か、それだけの違いだろうが。こっちを見ろ、銀川いなせ。お前がやろうとしてるのは、つまるところこれなんだ。

 ここでじっとしていたのは、一分くらいだろうか。俺は息を吐き出して、いなせちゃんを見下ろす。

「……違うんだよな。君は、これに乗らなきゃ駄目だったんだよな。そうしなきゃ、おじいちゃんにはもう何もないんだって、分かってたんだよな」

 復讐、復讐、復讐。すげえ分かりやすい。一度でも奪われれば、一人でも身内を殺されれば、憎んで恨んで、そいつを殺したいって思うのは当たり前なんだ。だって、そうでもしなきゃその先を生きていくのが難しくなる。もう一度立ち上がるには、また生きていくにはエネルギーが必要なんだ。

「でも、もう良いんだ」

「違うっ、違う」

「ごめんな」

「うっ、ああ……!」

 俺はコックピットに戻り、いなせちゃんの頭に手を置いた。……ああ、くそ。泣かせちまった。胸糞悪いったらねえよ、畜生。

「聞こえてたろ」無線機に向かって声を放つ。

「てめえの子供が泣いてんだ。それでもまだ、戦えって言うのか」

 小さな笑い声が聞こえた。何か吹っ切ったような、一種、晴れ晴れとした……。

「おい、まさかあんた」

『卑怯ですな、ヒーローと言うのは。怪人一人に大勢で襲い掛かり、その身内にまで矛先を向けるのですから』

 そこに関しちゃ何も言えん。俺だってそう思っているんだし。

『本当は何もかも分かっていて、私は、それでも尚止まる事を選べなかった。私が諦めてしまえば、ヒーローに屈した事になり、息子たちに向ける顔もなくなってしまう。ですが、は、は、そうですか』

「もう、止めてくれますよね」

『だが、矜持がある』

「なっ、おい! おいって!」

 駄目だ。通信、切られちまってる。俺はコックピットから身を乗り出し、眼下に視線を向ける。うわ、こわ……。一回冷静になったらやばい。マジ怖い。

「銀川さんっ!」

 クモに近づく人が見えた。多分、銀川老人だろう。彼は立ち止まると、恐らくは、こちらを見定めた。

「いなせえええええええええ!」

 老人とは思えない、張りのある声が公園中に響き渡る。いなせちゃんはその声に弾かれるようにして、俺の横から顔を覗かせた。

「戦ええええぇぇぇぇッ! ヒーローと戦って、ヒーローをっ、ヒーローを!」

「おじいちゃん……!」

「あ、危ないって」

 いなせちゃんは立ち上がり、思い切り息を吸い込む。

「あたしはっ、嫌だ! 戦いたくない! こんな事、したくない!」

 ……ああ、何だよ。そういう事か。

「ひっ、ヒーローにだって良い奴はいるしっ、それに、それに!」

 俺は、膝をつく銀川老人を確認出来た。事態に気付いたヒーローたちは彼に近づくが、誰も手を出そうとしない。その内、いなせちゃんの声に嗚咽が混じる。

「ソフトクリームは、おいしかったんだ! だからっ、おじいちゃん、ごめんなさい!」

 はは、何だそりゃ。

 まあ、うん、終わり良ければ全て良し。俺の命がソフトクリームで救われた感はあるけど、気にしない。不器用な爺さんと孫だな、しかし。嫌なら嫌だって最初から言えば良いんだし、勇気振り絞って途中で立ち止まれば良かったんだ。

 肩で息をするいなせちゃんを戻して、俺は彼女の頭を撫でた。

「……子供扱いするな」

「ガキじゃん。でも、良く言えたな」

「うるさい」

「よしよし、次はかき氷でもおごってやるよ」

 銀川老人もいなせちゃんも、ただでは済まないかも、しれない。ここを降りれば、いなせちゃんはヒーローに取り囲まれるし、銀川老人は既に囲まれている。ここから先、どうするかを選ぶのは彼であり、彼女なんだ。

 上出来じゃねえか。何とかなった。これで終わった。はあ、気が抜けてきた。ああ、怖かった。

「それじゃ、とりあえず降りよう。これ、動かせるか?」

「ああ、脚を畳むから、じっとしていろ」

 生意気な口調だが、許そう。泣き腫らした顔を俺に見せないようにしながら、いなせちゃんは操縦桿に手を伸ばす。俺は彼女の邪魔にならないように、スペースを作ろうとした。その時、右手が何かに当たる。やべえ、変なボタン押したんじゃねえの?

「なあ、自爆スイッチとか付いてないよな?」

「何だそれは」

「ふう、良かった。さっきさ、なんか押し込んだんだよね。いや、ここで爆発オチとか弱いからさ、焦っちまった」

「……何を言って――――」

 いなせちゃんが固まる。彼女は操縦桿を焦った様子でぎこぎこ動かしていた。え、何? 何だよ。おい。やめろよ。

「お前、どこを押した?」

「わ、分かんないんですけど、あの、俺、どこを押したんでしょうかね、えへへ……」

「何をしているんだ」

 詰め寄るいなせちゃんから逃れる為、俺は立ち上がる。と、同時、クモが動いた。強く、激しい揺れが容赦なく襲い掛かる。ぐらりと、背中から宙に浮く感覚。ぶわっと、全身に立つ鳥肌。

「なっ、これどうなって」

「手を!」

 落ちる。コックピットから。

 いなせちゃんは俺に向かって手を伸ばすが、彼女の腕力では支えきれないだろう。その手を掴めば、一緒に落ちるのは目に見えてる。だったらしようがねえな。

 俺は目を瞑り、歯を食い縛った。眼前に迫った助け、それを掴むのは堪える。

「悪いっ、かき氷!」

「青井!」

 もう、おごれそうにない。

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