お前はあたしを裏切ったんだ!
最悪だ。
もう何も見たくねえし、聞きたくねえ。誰彼構わず復讐だの何だので周りを巻き込みやがって。
銀川老人が、あの蜘蛛型兵器を作った。そして、乗っているのは彼の孫娘である、いなせちゃんだった。
ヒーローに家族を殺されたいなせちゃんは、ヒーローを憎んでいるのだと、銀川老人は言った。……本当に、そうか? 俺は嫌だ。そんなの、信じたくない。彼女は、そんな風には思っていない筈だ。そう、信じる。そうに違いない。
「俺も行く」
タクシーに戻るなり、俺は口を開いた。九重は目を丸くし、何か言おうとしている。
「駄目よ」ちっ、いつもなら行けって言うくせによ。
「……そ、そうですよ。無茶です、あんなのを相手にするなんて」
俺はドアを開けたまま、助手席に座り込んだ。
「九重、チャック外せ。頭だけ被ってくからよ」
「だっ、駄目です。それよりドアを閉めてください。逃げましょう」
それこそ駄目だ。ここで尻尾巻いて逃げるなんざ、俺は嫌だね。
「外せ」
「あはっ、僕が外してあげようか?」
「九重、レン、駄目よ。……青井、他のヒーローに任せなさい。流石に、あんなの」
「無理か?」
社長は少しの間、黙った。
「俺にとっちゃあ、アレも、今までに戦ってきた怪人も同じだよ」
「違い過ぎるわ。全然違う。違うじゃない。あんなの……」
「良いから外せって言ってんだろ。動きづらいったらねえんだ」
「おい」ああ?
顔を上げると、ヒーローがいた。真っ赤なスーツを着た男である。どうやらこいつ、ここまで逃げてきたらしいな。
「何だてめえ? 乗せてって欲しいのか?」
どうせ逃げ場なんかねえけどな。
「んな訳ねえだろ。お前ら、何だ? ヒーローなのか?」
真っ赤なヒーローの後ろには、またぎの格好をしたヒーローもいる。こっちに逃げてくる奴らの数が増えていた。
「ヒーローだよ」
俺がそう言うと、ヒーローたちは笑った。おかしそうに、楽しそうに。
「はっ、冗談だろ!? お前ら、さっきから目障りなんだよ」
「……何なんですか、あなたたち」
意外にも、九重が噛みつく。彼はヒーローたちを睨みつけ……ああ、すぐに視線を逸らしてしまった。
「スーツも着てねえ奴がちょろちょろとさあ、鬱陶しいんだよ。お前みたいな野次馬が」
「ヒーローだよ、俺は」
ミラーで自分の姿を確認する。……ああ、確かにヒーローには見えねえか。クマの着ぐるみだもんなあ。
「見えねえんだよ」
「スーツもなしに戦えるか。邪魔なんだ、てめえらは」
別にムカついたりはしねえけど。どうせ、言われ慣れてるし、自分でも分かってる事だしよ。
「……じゃあ、あなたたちはどうなんですか?」
ヒーローたちが九重を睨みつける。
「あお……この人に何か言える立場なんですか。あの大きな蜘蛛から逃げてきたくせに、ヒーローだのどうのって言えるんですか」
「なっ、この野郎……! ヒーローでも何でもねえ一般人のくせによ、横から口挟んでんじゃねえぞ」
「あんなもん相手にしてられるかよ!」
「今も戦っている人たちがいるじゃないですか」
九重が指を差す。その先には、蜘蛛型兵器と戦う、赤丸たちがいた。
蜘蛛の脚が二本、なくなっていた。一本は異様な方向に捻じ曲がり、使い物にならない。もう一本は真っ二つに切られたらしく、下半分が地面に転がっている。
だが、蜘蛛はまだ動く。むしろ、動きが良くなっているような気さえしていた。八本の内、二本を失って本気になった? あるいは、脚の数が減って操縦が楽になったか、だ。
倒せるか?
鋼鉄の蜘蛛は確かに脅威だ。だが、無敵じゃあない。脚だって折れるし、曲げられる。戦いが続けば破壊だって可能に違いない。あの大型兵器は、少しずつではあるが、壊れているのだ。
しかし、ヒーローだって同じだ。彼らもまた疲れてきている。スーツの性能に飽かせた攻撃だって、いつまでも続けられるもんじゃない。まともに攻撃を喰らえばやばいだろうし、攻撃を避けるのだっていつまで続くか分からない。どっちが先に倒れるか。方やスーツ、方やマシン。
「……レン」
「あは、何?」
全く、このお子様ときたら。この状況を何とも思っていないのか。
「社長たちを頼む」
「僕、お留守番?」
退避してきたヒーローたちは混乱している。無理もない。……ビビって、何をしでかすか分からん連中だ。俺たちに対して、好意的な感情は持ち合わせちゃいないだろう。ここでヤケを起こされちゃあたまったもんじゃねえ。
「ついでに、ほら、脱がせてくれるか」俺は自分の背中を指差す。
「駄目っ、駄目よ!」
うるせえぞ。
「……私がやります」
「お?」
九重が着ぐるみのチャックを下ろし始める。冷たい風が背中に当たって気持ちが良かった。
「九重、あなた、何を勝手な……」
「……社長は、ここまで言われて平気なんですか?」
俺の位置からじゃ、九重の顔が見られない。
「この人たちが言っていたように、カラーズにスーツはないんです。青井さんが危ない目に遭うのは嫌です。だけど、ヒーローじゃないですか。青井さんは、自分から戦うと言ってくれてるのに。それを私たちが拒むのは違うと思います」
「青井は私の部下よ。うちの社員なの、だから、勝手な事をしてもらっては困るのよ」
青井青井って、名前を呼ぶな。連呼すんなアホどもめ。
「……悔しくないんですか?」
問われ、社長は押し黙る。まさか、九重に言い負かされる彼女が見られるとは。
「私は悔しいです」
とん、と、背中を押される。脱いだ着ぐるみは、車の外に投げ捨てた。
「なんて格好だよ」思わず笑ってしまう。顔だけは可愛らしいシロクマだが、そっから下はただの男である。おっさんである。これじゃあ、そこの『本物の』ヒーローたちが何か言いたくなるのも分かるってもんだ。
「……危なくなったら戻ってきてください。そうでなくても、引きずってでも、戻ってきてもらいますから」
「あいよ」
立ち上がる。車の外に出ると、むわっとした熱気と、ヒーローたちからの敵意。
「……がんばってください」
「あいよ」
そんな俺にも、期待してくれてる奴がいる。だったら、スーツがなくても、中途半端でも、俺は俺を貫かなきゃならない。他ならぬ自分が、そう決めたのだ。
蜘蛛が脚を振り下ろす。地響きが起こり、風が巻き起こる。だからどうしたってんだ。
戦場に戻った時、赤丸と目が合う。彼女は俺の正体に一発で気付いたらしい。……こんな格好して出てくる奴を、一人しか知らないとも言えるが。
「何を……何をのこのこと!」
「忙しそうじゃねえか。ヒーロー日和だな、なあ」
「阿呆か、われ! 出る幕ないんじゃ、ボケが!」
元気だな、こいつ。
蜘蛛が緩慢な動きで脚を上げる。スーツなしでもかわせない訳では、ない。だが、恐ろしい。アレに当たったら、俺は一発でアウトだ。スーツを着ているヒーローたちとは違う。同じように戦ったって駄目だ。俺が狙うのは脚じゃない。
「うおおおおっ!?」
ヒーローたちの頭すれすれを掠めていくような一撃である。俺は地面に転がるようにして、攻撃を回避した。
「退けってゆうとるじゃろうが!」
「手伝えしゃもじ」
「ああ!?」
ちまちまやっててもしようがねえ。俺は蜘蛛型兵器のコックピット部分を指差す。蜘蛛の目玉には、透明な、蓋みたいなものが付いている。恐らく、そこにいなせちゃんがいる筈だ。
「あそこに行きたい」
「……無理じゃ。遠過ぎる」
「頼む」
俺は頭を下げる。
「われ、何ぞ掴んでるみたいじゃのう」
何も掴んじゃいない。これから掴みにいくんだ。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか」
「てめえは」
俺たちの近くに降り立ったのは、あの、空飛ぶヒーローだった。彼は蜘蛛を見上げて、不満そうに鼻を鳴らす。
「アレをどうにか出来るのか?」
「やってみなくちゃ分からねえ。あそこまで、俺を連れて行ってくれ」
赤丸とヒーローが、こっちを見ている。見定めるような、気味の悪い視線だった。
「良いだろう」
飛行タイプのヒーローは小さく笑う。
「手をこまねいていたところだ。お前の策が失敗に終わったとしても、それはそれで構わん。ふりだしに戻るだけだからな」
「ちょ……うちは……」
「残った俺たち全員も、ああなるかもしれねえんだぜ」
戦いから逃げ出し、それでも尚この場に留まろうとするヒーローたちを指差す。赤丸は彼らを一瞥し、覚悟を決めてくれたらしかった。
「うちは、何をすりゃあええんじゃ」
空飛ぶヒーローは、自らをジェイと名乗った。
「俺に、男を連れて飛ぶ趣味はない」
そして、こう断言した。
「使えん」赤丸の言うとおりである。えっと、お前何しに来たの?
「いや、乗せてけよ」
「駄目だ」
ジェイは首を横に振る。煩わしそうな仕草であった。
「じゃあ、どうやってあそこまで行くってんだよ!」
「彼女に頼めば良い。その得物で、あそこまで飛ばしてもらえ」
俺は、しゃもじのしゃもじを見る。これで、飛べ? 馬鹿言ってんなよ。
「まさか、こいつでぶっ飛ばしてもらえなんて言うつもりじゃあないだろうな」
「ほう、読心術が使えるのか」
「なっ……て、てめえ」
「ほー、ほいじゃ、それで」
なんで乗り気なんだよ。こいつ、どさくさに紛れて俺をどうにかするつもりかもしれません。と言うかありえる。充分考えられる。
「歯、食い縛れ」
「あ?」
振り返ると、赤丸がしゃもじを振り抜こうとしているのが見えた。風が唸る。え? つーか、ちょっと待てよ。行動に移すの早過ぎるだろ。心の準備とかあるし、クモのコックピットに取り付くより先に俺のケツが使い物にならなくなるのが早いんじゃないか。手加減してくれるんだろうな、なあ、なあ!?
「ちょ、おま――――」
「ぶっ飛べや」
ぎらりと光る目。にやりと尖る唇。あ、こいつやる気満々。
ケツが。
痛い。
地球の重力に真っ向から逆らって、風を切り、宙に浮く感覚。俺は叫び声を上げていた。何せ着ぐるみのせいで視界が悪い。取り付く場所だって確認しちゃいないんだ。このまま落下して怪我するのだけは嫌だ。嫌過ぎる。闇雲に手を伸ばすも、すぐ傍をクモの足が通り抜けていき、俺の金玉が縮み上がる。
「目の前だ、しっかり掴め!」
ジェイが他人事みたいに言ってやがる。実際、他人事だった。俺はいなせちゃんをどうにかしなくちゃというよりも、死にたくない一心から必死に手を伸ばす。視界が反転している。ぐるぐると頭の中が回っている。空を飛ぶのって、思ってるより楽しくない。だが、戦闘員での経験が活きた。ヒーローにぶっ飛ばされまくってたのは無駄じゃない。しっかりと目を開け、右腕のグローブでクモの骨組みらしき部分に手を掛ける。安心するのは早い。力を込め、一気に足を掛ける。飛び上がるようにすれば、そこは。
「……生きてる、よな」
どうやら、俺は今、クモの背中に立っているらしい。見下ろす街は案外小さく、ヒーローどもは酷くちっぽけな存在に思えた。……いなせちゃんも、俺と同じ風に思い、同じようにものが見えているのだろうか。なるほど、ガキが見るには贅沢な景色過ぎる。
足元からは声が聞こえてきた。ヒーローの声。銀川老人の声。社長たちの声。俺を応援している風には聞こえない。危ないから降りろだとか、勝手な事を抜かしてやがる。俺だって早く降りたいわ。
「暴れんじゃねえぞ」
クモの背中は、足場としては不安が残る。なるべく平べったい場所を探し、飛び移るようにして距離を稼いでいく。コックピット部分までは後少し。が、俺の祈りは通じない。クモはその巨体を揺らして俺を振り下ろそうとする。真下ではヒーローの悲痛な声。多分、脚にぶっ飛ばされたんだろう。時間を掛けてたら俺もそうなる。背中にひやりとした汗が流れた。そいつに急かされ、後押しされるような形で、俺はクモの頭頂部に到達する。幸い、掴めるようなポイントは多い。無様に落下するような事態は避けられそうだ。今のところは、だが。
コックピットはクモの顔の前面部に位置している。こっから飛び降りなきゃ、そこには取り付けない。 視界を確保する為だろう、コックピットはガラス張りになっている。覚悟を決めて、その横に飛べ。大丈夫だ。いなせちゃんなら話せば分かってくれる。そうでなきゃ困る。
「らあっ!」
クモの動きが緩慢になった隙を見計らい、下りる。コックピットのガラス部分に着地し、近くの出っ張りを両手で掴んだ。心臓がばくんばくん鳴っている。飛び出しそうになるそれが、馬鹿な真似はもうやめろと必死に訴えているように思えた。
だが、見えた。いた。ガラス一枚隔てた先には、いなせちゃんがいる。彼女は俺を睨むようにして見据えると、凶悪な形相で何事かを叫んだ。
「いっ、いなせちゃん! 俺だ!」
「誰だ!?」
いなせちゃんの声は辛うじて聞こえる。
「誰だって……俺だって! 青井だ!」
「何を……!」
「本当だ! 君を止めに来た!」
目を見開いた彼女は、頭を振り、声を荒らげた。
「何故、お前がそこにいるんだ!」
こっちの台詞だっつーの。さっさとクモを止めてくれ。頼むからもうやめて。
「こいつを止めろって!」
「どうしてここにいるのかって聞いてるんだよ!」
「決まってんだろ、俺がヒーローだからだ!」
俺がヒーローと言ったのと同時、クモの動きが止まる。ふう、ようやく分かってくれたか。
「……お前、ヒーローだったんだな」
いなせちゃんは俯いていたので声が聞き取りにくい。この着ぐるみ、取っちまうか。邪魔だし。
「ああ、そうだよ」
「本当に、ヒーローだったんだな……!」
「だから、前にもそう言ったろ?」
再びこっちを見たいなせちゃんの顔は、憤怒によって歪んでいた。
「裏切ったなああああああああ!」
「なっ、おっ、おい!」
鋼鉄のクモがその体を震わせる。いなせちゃんの怒りが、それをさせているのだと気付いた。俺は振り落とされまいとして、必死に力を込める。
「お前はあたしを裏切ったんだ!」
「は、何が!? 違うって!」
「ここからいなくなっちゃえええええええ!」
「うおおおおおおお!? やっ、やめてやめてやめて!」
いなせちゃんの慟哭と連動するかのように、クモの動きは激しくなる。やべえ、何しに来たんだ俺。