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まさかアレとやり合えって言うんじゃあないだろうな



 爺さんに凧をもらい、控え室でぼーっと待つ。始発が動くのを待つ。既に相当な時間になっていた。眠ってしまいたいが、今日はカラーズの仕事もある。我慢だ。ここで寝過ごすのはまずい。ああ、もう、こんな生活を続けていたら、いつか必ず体がやられちまう。



 小さくした凧をビニール袋に入れ、始発に揺られて、自宅の最寄り駅まで帰ってくる。眠気は限界に達していた。歩きながら寝られそうである。

 誰もいない。音が殆どない。セミだってまだ眠っていそうな時間に、

「あ」

 彼女はいた。

 一人で噴水の縁に腰掛けているのは、いなせちゃんだった。相変わらず、険しい表情で一点を見つめている。何を見ているのかは、俺には分からなかったけれど。

 話し掛けるのを躊躇ったが、見つけてしまったからには仕方がない。それに、無視するのもどうかと思った。……銀川老人の、苦い顔を思い出してしまったのである。彼はまた、いなせちゃんがいないのに気付き、探しに行くのだろうから。

「朝、早いんだな」

「お前は」

「おはよう」

 いなせちゃんは挨拶を返してくれなかったが、構わず、彼女の隣に座った。

「何してたんだ?」

「お前には関係ない」

 素っ気ないなあ、もう。

「この辺は危ないぜ。前だってさ、怪人が出ただろ」

「怪人なんて、別に怖くないよ」

 強がっている風には見えない。が、何だか、いなせちゃんはいつもより……。

「もしかして、疲れてる、か?」

「あたしが?」 俺は小さく頷く。

「……かもしれないな」

 いなせちゃんは溜め息を吐き、俯いてしまった。元気出せ、なんて、簡単には言えそうにない雰囲気である。子供には子供なりの理由があるものなのだ。無理に聞き出そうとしてもお互いが疲れるだけだろう。こういう時は、口を開いてくれるのを待つか、相手が立ち去るのを待つか、だ。ああ、それにしても、眠い。眠たい。

「お前は何も聞かないんだな」

「聞かれたら答えてた?」

「そういうのは嫌いだよ。大人は、皆そうだ。何もかも分かろうとする」

 そりゃそうだ。大人が怖いのは幽霊でも怪物でもない。分からないものだ。自分には理解出来ないものを、意味のはっきりしないものを嫌い、恐れる。俺だってそうだ。

「言いたくなったら言えば良い。俺じゃなくても、とにかく、誰かに。家族とか、友達に」

 いなせちゃんは皮肉っぽい笑みを見せる。そんなもの、いないとでも言いたげだった。

「なあ」

 彼女が何か言い掛けたが、時を同じくして公園のセミが鳴き始める。いなせちゃんの声を掻き消すほどの音ではなかった。しかし、彼女は口を閉ざしてしまう。

「セミが鳴くと、暑くなるな」

「そうなのか?」

「そう感じるだけだと思うけど。……今日はまだ、来てないんだな」

 ソフトクリームの移動販売車を探したが、流石に、こんな朝早くからは店を開かないだろう。

「悪いな、今日は何も出せなさそうだ」

「あたしが何かを欲しがっているように見えるってのかい?」

 頷きかねる。そうも見えるし、そうじゃないかもしれないのだ。ただ、何かを諦めているような風にも見える。いなせちゃんのどこか投げ遣りな口調はそこからきているのかもしれない。

「ソフトクリームは嫌いか」

「そういう事を言っているんじゃ……ふん、良いさ。お前はどこかとぼけた奴だからな」

「さいですか」

 俺は立ち上がり、体を伸ばす。一瞬だけ眠気が消えたが、すぐに睡魔は訪れる。

「帰るのか?」

「うん? ああ、そろそろ眠気がやばくてさ。そっちも、帽子も被らずに外に出っ放しじゃあ倒れちまうぜ」

「……なあ、どうして、あたしに構うんだ」

「あ、ごめん。迷惑だったか」

 いなせちゃんは、小さな声でそんな事はないと言った。

「あたしが可哀想に思えたのかい? どうして、あたしに……」

「俺はヒーローだからな」

「……何だって?」

 あ、その『嘘を吐け』みたいな視線、もう慣れたぞ。

「信じてねえだろ」

「お前、本当にヒーローなのか?」

「こう見えてもな」

 いなせちゃんは、俺をじっと見つめる。穴が開いちゃいそうだった。

「お前、ここには良く来るのか?」

 ここって、この公園の事か。

「近道だし、結構来るけど。それがどうしたんだ」

「……もう、来ない方が良い」

「は?」

 いなせちゃんは立ち上がり、俺を見上げる。

「ヒーローだなんて、そんなつまらない事を言うな」

「いや、いきなりどうしたんだよ」彼女に手を伸ばしかけるが、いなせちゃんは脱兎の如く逃げ出してしまう。つーか、足、はええな。

「…………マジで、何なんだ?」

 公園に来るなだとか、ヒーローはつまらないだとか、そんな事言われてもなあ。



 家に戻り、少しだけ寝て、昼前に起きる。うわーお、なんて健康的な生活なんだろう!

「あっぢい……」

 カラーズのお仕事の為、かんかん照りの太陽の下、俺はレンと連れ立って歩く。目指すは公園だ。……いなせちゃんは『近づくな』と言っていたが、そうもいかない。生活がかかっているのだ。

「お兄さん、今日はどんなお仕事なの? 怪人と戦うの? それとも解体? 解体?」

「公園にはマグロなんかいないからな」

「あは、知ってるよ。公園にはマグロじゃなくて、人間がいっぱいいるんだもんね」

 今日も、猟奇的な彼だった。



 ソフトクリーム屋の前には既に社長と九重がいた。二人はおいしそうにソフトクリームを舐めている。ちくしょうが。

「あら、早かったのね」

 今日の社長は麦藁帽子を被っている。外面だけ見りゃあ、深窓の令嬢って感じだ。あくまで、見た目だけは。

「……おはようございます」

「おう、おはよう。うまそうだな、ちょっと分けてくれよ」

「だっ、駄目です」

 九重はふいっと顔を逸らしてしまう。けち。

「やあ、君がヒーローか」

 車の中から顔を見せたのは、ソフトクリーム屋の店主である、若い男だった。真っ赤なキャップを被り、涼しげな微笑を浮かべている。……こいつが、怪人を轢いたってのか。何気なく、車の前面に目を向けると、凹んでいるのが分かる。潰れた化け猫が、実に恨めしげな顔つきをしていた。

「どうも。ええと、着ぐるみを、って事を聞いてきたんですけど」

「ああ、そうそう。ちょっと待っててね」

 店主はしゃがみ込み、何かを取り出そうとしている。少し、時間が掛かりそうだった。

「社長」

「何?」

「今から、いつまで着ぐるみの中に入っとけば良いんだ?」

 社長は腕時計を見遣り、コーンを齧る。

「半日くらいかしら」

「俺に恨みでもあるのか」

「馬鹿ね、ちゃんと休憩させてあげるわよ」

「当たり前だ!」



 お仕事開始である。今日の俺の相棒は、シロクマの着ぐるみだった。デフォルメされた、何の面白みもない奴である。

 俺のやる事と言ったら、一つだ。客を、特にガキの気を惹く事なのだろう。尤も、適当に車の前で動くだけなのだが。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

「息が荒いわよ」

 俺の近くでは、社長がちらしを配ろうと待機している。九重はレンと一緒に、公園内をうろうろしながらソフトクリームを食べていた。いわゆる、サクラって奴だろう。

「汗が止まらん」そして、汗が流れなくなったら俺はおしまいだろう。

「まだ一時間しか経っていないわよ」

 客足は、まあ、上々と言えた。この炎天下だ、長蛇の列が出来るって事はないが、店主は忙しそうにしている。ちびっ子は俺のパフォーマンスを少し離れたところで見ていた。よし、次はバック宙を見せてやるぜ。

「わーっすげえ!」

「クマが飛んだ!」

「中の人、平気なのかしら」

 そこの奥さん、俺はもう空元気すら使い果たしてしまいそうです。



 それから三十分ほど経過し、客足が途絶えた。どうやら、今日は最高気温がマークされるという話である。つまり暑い。死ぬほど暑い。俺は涙ながらに休憩を訴え、着ぐるみを脱ぎ、九重のタクシーの中で水をがぶ飲みしていた。

「……タオルです」

「おお……さんきゅう」

 うへえ、こらアカンわ。着替えも用意しといて正解だったな。たったの二時間弱でこの有様だ。そろそろ死んでしまう。

「……大丈夫、ですか?」

「んな訳ねえだろ」九重、お前いっぺんで良いからやってみろ。したら、あの社長をぎゃふんと言わせたくなるから。

「でも、あの、こういう仕事の方が良いと思います」

「こういうって、着ぐるみが、かあ?」

 サウナと変わらねえんだぞ。

「……だって、青井さんが危ない目には、遭いませんよね」

 ああ、そういう事か。確かに、怪人を相手にするよりかは楽な仕事である。

「もう遭ってるよ。死ぬ一歩手前だぜ」

「無理だったら無理だって、社長に言った方が良いです」

「それは、悔しいから嫌だな」

 さっきは半泣きで頼み込んだけど。

「そういや、今、何度だ?」

「……気温、ですか」

 俺は頷く。九重は窓の外に目を遣った。

「……聞かない方が、良いと思います」

 俺、死んじゃうかもしんない。



 小一時間ほど休ませてもらい、俺は再び戦闘服に袖を通す。と言うか頭からすっぽりと被る。

 さあ、見ろガキども! 俺を見ろ! ほらすげえだろ! 今度は逆立ちだ! 頭に血が上るぜひゃっほー!

 しかし、今日日のお子様は飽きるのが早かった。常に流行の最先端をいくちびっ子どもは、俺に興味をなくしてしまい、ソフトクリームをぺろぺろしたり、このくそ暑い中を元気に走り回っていたのである。

「わー、すごーい」

 舐め腐った拍手を送るのは社長だ。彼女はちらしを配る相手がいないのを良い事に、クレープをもぐもぐと食べている。バニラアイスを挟んだ、甘味の極みとも言えるスイーツだった。

「はあ、はあ、はあ、一口、くれ」

「嫌よ。それより、次は何をしてくれるのかしら」

 俺は大の字になって地面に寝転がる。

「いっそ殺してくれ」

「馬鹿ね。……ああ、ほら、子供たちがきゃあきゃあ騒いでいるじゃない。あなたに興味を戻したのかも」

 確かに、ガキどもの甲高く耳障りな声が響いている。鼓膜が破裂しそうだった。俺はゆっくりと体を起こす。仕方ねえなあ、少しだけ相手してやるか。

 瞬間、地面が揺れる。

「……地震かしら」

「それにしちゃ……うお、また揺れた」

 地震ではないみたいだ。さっきから、規則的に振動が起こっている。

「うそ」社長が、顔を上げる。彼女の持つクレープから、アイスクリームがどろりと零れた。

 嘘であって欲しい。

 俺の目が馬鹿になっていないのなら、公園の木々を踏みしだく、巨大な蜘蛛が見えた。



 八本の脚に、光る四つの目。見た者を等しく嫌悪させるフォルム。正しく、アレは蜘蛛だろう。

 ただ、その蜘蛛は生きていなかった。言ってみれば、巨大な金属の塊である。見上げれば、三階建ての建物くらいはありそうだ。鋼鉄の体躯が陽光を反射している。

「蜘蛛型の、大型兵器……」

 鋼鉄の蜘蛛。

 呟くと、現実味が増してくる。

 逃げ惑う一般市民に、姦しい叫び声。時たま訪れる振動に、木々を圧し折る嫌な音。それらが混ざり合って、俺の意識を飛ばしていた。

「青井さん!」

 九重に肩を揺さぶられ、俺は我に返る。とにかく、やたらでかい蜘蛛が暴れてるってのに変わりはないんだ。ここから逃げるしかねえだろう。

「社長とレンを車に。ああ、それから」

 俺は、ソフトクリーム屋の店主の姿を認める。彼は、さっさと逃げ出す準備を始めているらしかった。大したタマである。

 こっちも、他の奴を気にしてられねえ。あんなもん、相手にしていられるかってんだ。

「お兄さんっ、すごいよアレ! すっごくおっきい!」

「あほっ、早く車に戻れ!」

 タクシーには、既に社長が乗り込んでいる。九重は運転席で俺とレンを待っていた。

 目を輝かせているレンを引きずり、タクシーに戻ると、社長は何か言いたそうな顔をしていた。

「……あんた、まさかアレとやり合えって言うんじゃあないだろうな」

 社長は苦しそうな表情を浮かべる。

「そう、言いたかったのだけれど、分が悪いわね」

「ったりめえだろバカ!」

 巨大な蜘蛛型兵器は、八本の脚を使って破壊活動に勤しんでいた。危険だが、ここから見る限り犠牲者は出ていない。恐らく、奴の狙いは殺人行為ではないのだろう。が、いつまで続くか。

「悔しいけど、逃げるしかないわね。他のヒーローを待ちましょう」

 俺は頷き、車に乗り掛ける。が、誰が、アレをどうにかしてくれるって言うんだ? 他のヒーローって、ヒーローも中身は俺らと同じ人間なんだ。

 ヒーローってのは、スーツを着た人間だ。一般人よりも高い身体能力を得た者である。だから、彼らの相手は、いつだって同種だ。スーツを着た戦闘員や、怪人を敵に回している。……あんなバカでかいものと戦った事のある奴なんか、いるのか? 第一、戦いたいとも思えないだろう。もはや、個人の能力でどうこう出来るモノではないんだ。

「ありゃもう、警察とか軍の出番だろ」

「でも、彼らは鈍足よ。被害があって収まりかけてから、ようやくになって動けるの」

 昔、爺さんは言っていた。『脚のある戦車はロマンでしかない』と。巨大な兵器というのは、巨大な的にしかならないのだ。尚且つ、弱点である、脆い脚部は常に丸見えである。

 だけど、怖いじゃねえか。単純に、でかくて、固くて、強いんだ。そんなのが街中で暴れてんだぞ。理屈は分かるけど、誰が、どうしてくれるってんだ。

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