アホみたいに金と時間が掛かる
ふざけてやがる。もうあそこのソフトクリームは買わない。絶対だ。畜生。
仕事についての話を聞き終わった後、俺はカラーズで不貞寝を決め込み、目が覚めると陽が暮れ掛けていた。
俺は半ば、社長に追い出される形で会社を出て、家へと戻っていた。その途中、公園に寄ってみる。ソフトクリーム屋は、いた。確かに、こないだよりも客がいない。と言うより子供が寄り付いていない。はっはっは! ざまあみろ!
「おや、あなたは」
「ああ、あなたは、ええと」
公園のベンチに座っていると、物腰の穏やかそうな爺さんが声を掛けてきた。確か、彼はいなせちゃんとこの。
「銀川です。お仕事の帰りですかな?」
「そんなところです。……あ、いなせちゃんを探しに?」
銀川老人は苦笑し、俺の隣に腰を下ろした。
「あの子は家にいるよりも、外にいる方が楽しいらしく」
「はあ、そうなんですか」
全然、楽しそうには見えなかったけどな。
「いつもはここにいるんですが、はあ、今日に限っては……」
銀川老人はうな垂れてしまう。
「お孫さん、女の子ですし、心配ですよね」
「ああ、いや、まあ、そう、ですな」何だか歯切れが悪い。余計な事を言ってしまっただろうか。
「そう言えば、俺はまだ名乗っていませんでしたね。青井と言います。青い、井戸の井で、青井です」
「この間は、こちらが一方的に名乗ったきりでしたな。ご丁寧に、あいすみません」
いなせちゃんと違い、爺ちゃんはやけに丁寧だ。俺みたいな若造に対しても、紳士的な振る舞いである。出来るなら、こういう風に年を取りたいものだ。無理だけど。
暫く、お互いが口を開かなくなる。ゆっくりとした時間が流れている。そんな気がした。
「……青井さんは、この公園には良く来られるのですか?」
「そう、ですね。最近は通り道にしてます。……あそこに、ソフトクリームを売っている店があるでしょう」
「ああ、すっかり暑くなりましたからね。なるほど」
銀川老人は何度も頷く。
「青井さんは、自由業なのですかな」
「に、近いものですね」
「そうでしたか。いや、気を悪くされないでいただきたい。この歳になると、口ばかり回るものでしてな」
「ああ、そんな、全然気にしてませんから」
そういや、この人がいなせちゃんに教えたんだよな。昼間っからぶらぶらしてる奴はろくなもんじゃねえって。当たってる。正に正しくその通り。
「ありがとうございます。では、私はそろそろ」
「いなせちゃんのいる場所、心当たりがあるんですか?」
「幾つかは残っています」
「あの、俺も探すのを手伝いましょうか?」
「いえいえ、そんな……いなせを心配していただき、ありがとうございます。では」
銀川老人は帽子を取り、会釈を一つ。それから、杖をつきながら、ゆっくりと歩き去っていった。
家に帰ると、レンがへらへらと笑っていた。どうやら、面白い番組でもやっているらしい。
「何見てんだ?」
「マグロのね、解体ショー」
こいつはこういう奴だった。
「そ、そうか。今晩も仕事があるんだけど、留守番、よろしくな」
「はーい。……あははははっ、魚ってすごいよね! 最初から目が死んでるもん!」
組織の控え室。ホワイトボードには『調達』の文字が。何事か。
「何を調達してこいって?」
「知らん。おい、一番、説明しろや」
油性マジックを置いた、数字付きの一番に当たる男が息を吐く。酷く憂鬱そうで、嫌な予感がした。
「水槽だよ」
水槽だあ?
「何? 新しい罰ゲームか何かか?」
「そうじゃなくってさあ、ほら、盗ってきた熱帯魚だよ。アレ、エスメラルド様は食うのをやめたらしいんだよ。で、気に入った奴以外は店に返すらしくて。そん代わりに水槽とか、飼うのに必要なものを用意しろって」
ペンギン型怪人が上手く説得したらしい。しかし、凄いな。エスメラルド様の食欲を抑えるなんて。
「……で? 誰が持ってくるって? 誰が、魚を店に返すんだ?」
「つーか水槽って、どっから持ってくるんだよ?」
「そりゃ、やっぱ……」
あの、店だよなあ。じゃあ何か、俺たちは今から盗んだ熱帯魚の殆どを店に返して、その店から今度は水槽を盗ってくるってのか。
「めんどくせえ!」
「あ、でもさ、俺たちも飼って良いんだってさ」
「何を? …………熱帯魚か?」
一番は大きく頷く。ふざけるなよ畜生が。
「いらねえよ!」
「魚なんぞに癒されてたまるか!」
「何がグッピーだ! 何がグッピーだ!」
ついこないだまで魔法少女フィギュアに血道を上げていた連中が憤った。
数時間後、俺たち数字付きの控え室には、そこそこ大きめの水槽が置かれていた。ぶくぶくと泡が起こり、水面まで上がって、消える。カラフルな魚たちを囲みながら、大の大人が十三人、癒されていた。これでもかと言わんばかりに。
「いやあ、良いよなあ」
「でも何か殺風景じゃね?」
「前にテレビで見たけど、魚の隠れられそうな木とか、そういうの入れてたぜ」
「木なんてどこにもねえよ」
「あ、じゃあ、これ入れようぜ」
「あっ、おいそんなん入れんなよ!」
あー、あーあーあー。
ぽとん、ぽとんと、次々と水槽に沈められていく。敷き詰められた砂利に、それは埋まった。……魔法少女フィギュアの、折れた足や、手の部分にあたるパーツである。俺たちの遊び方が荒かった為に、彼女たちは傷つき、倒れ、捻じ曲がっていった。
「……何だこれ」
「地獄絵図じゃねえか」
今、少女たちは水槽の底で魚たちを楽しませている。筈だ。頭やら胴体だけになっても、フィギュアはフィギュアだ。こんな姿になっても、そのあり方を貫き続けている。
「三途の川ってこんな感じなんかな」
知るか。
熱帯魚を堪能した俺は、爺さんのところに向かっていた。スーツの製作に取り掛かってくれているのではないかという期待と、この間、俺の懐に入った給料、即ち誠意を見せる為である。
「よう、生きてるかー」
爺さんの部屋は、相変わらず汚かった。本人曰く『わしには分かるように整理しておる』との事だが。
「なんじゃ、お前か」
「俺だよ。で、早速なんだけどよ」
俺は床に腰を下ろす。
「スーツ、どんな感じだ?」
「ああ、お前の分は駄目じゃな。全然、駄目じゃ」
「……どうしてだよ?」
爺さんは片手でキーボードをかたかた叩きながら、もう片方の手で自分の肩を叩く。
「スーツ狩りの連中じゃよ。うちの若いのも、何人かやられておってな」
「あー、それで、爺さんにスーツを頼んだ奴が増えたのか」
「お前を優先する理由はないからな」
ちっ。センチネル警備保障め。マジで目障りだぜ。
「まあ良いや。今日はそれだけが目的じゃないからな」俺は封筒を見せ、それを爺さんに渡す。
「ほう、誠意か」
「さようでございます」
爺さんは封筒の中身を見ずに、それを懐にしまい込んだ。
「ま、それで栄養つけられるようなもん食ってくれや」
「生意気な口を利きおってからに」
そう言う爺さんは、何だか機嫌が良さそうに見える。
「何かあったのか?」
「そう見えるか?」 見える。
「実はな、古い友人から連絡があったんじゃ」
へえ、爺さんに友達なんかいたんだ。
「まあ、長く生きてるもんな」
「お前にはもう何もやらん」
「冗談だって。で、何だ? 同窓会のお知らせでも来たのかよ」
爺さんは何も言わず、机の引き出しから錠剤の詰まったビンを取り出す。そんなもんばっか食ってると、いつか死ぬぞ。
「試作品を見てくれと言われたんじゃ」
試作品?
「爺さんの友達ってのも、科学者? みたいな奴なのか?」
「うむ。大掛かりなものらしくてな、不安がっていたよ。じゃが、わしも今は手が離せなくてな。用事を片付けたら見てやると言ったんじゃが、時間がないらしい」
ふーん。意見を求められるなんて、爺さんってすげえんだな。
「その人もスーツを作ってるのか?」
「いや、そいつはスーツを、むしろ嫌っておる。奴が作るのは、兵器じゃよ。それも比較的大型のな」
「戦車とか、戦闘機とか、そんな感じの?」
「まあ、そんな感じじゃ。人間が操縦する、いわゆる機動兵器の一つじゃな」
そりゃすげえ。戦車やら戦闘機を作るって、いったいどんな人なんだ?
「爺さんも作れば良いじゃねえか」つーか一度で良いから乗ってみたい。乗りてえ。超操縦したい。
「ああいうのはな、アホみたいに金と時間が掛かる。第一、わしの趣味じゃない。こういうのは趣味でやらなければな、長くは付き合えん」
説得力はある。
「スーツの方が手間が掛からんし、どうせ壊すだけならスーツを選ぶだろう。お前だってそうだろう?」
「いやあ、目の前にでっけえロボットがあったら、俺はそっちを選ぶんじゃないかな」
「機動兵器の欠点とはな、人材にある。兵器を使うにはパイロットを育てなければならん。じゃが、人を育てるのは機械を作るよりも難しい。まずは候補となる人を呼び、適性を見、マニュアルを頭に叩き込ませ、体にも染み込ませる。知識だけではなく、体も鍛えなければならん。それに、訓練はどうする? 場所の確保も難しい。ヒーローや、他の組織に嗅ぎつけられるのも面倒じゃろう」
そう言われちまったら、確かにスーツを選ぶかもな。どうせ、スーツだってロボットだってやる事は大して変わらねえんだ。壊すだけなら、スーツのが楽である。訓練もいらないし。
「それから、コックピット部分を作るのが鬱陶しい」
「何でだ?」
「パイロットの体格に合わせなければならんだろう。折角作った兵器も、そこに選ばれた人間が乗れなければ、意味がない」
だったら人を選ばないものを作れと言いたいところだが、そういう事が出来ないのが、そもそも選ばないし、最初から選択肢に入っていないのが爺さんなのである。彼の友人も、似たようなものだろう。言わば変人。変態なのだ。
「だったらさ、その、爺さんの友達ってのは、兵器だけを作った訳じゃないんだな」
「む?」
「いや、その兵器に乗る奴も育てたって事だろ?」
「……まあ、そう言われれば、そうか。しかし、あやつに付いていく者などおるのかのう」
変態には変態が付いていくんじゃねえの? 一人くらいは、そういう奴もいるだろう。
「大型の兵器、ねえ。……この街で動かす訳じゃあないよな?」
「知らん。何をしているのかは分かるが、どこでそれをしているのかは聞かなかったな。ほっほ、運が良ければ、奴の新兵器を間近で見られるかもしれんなあ」
何を笑ってやがる。
全く、これだから変人は困る。変でジジイってのはもっと困る。
「俺のスーツは、いつになったら完成するのかねえ」
「おお、そうじゃ。面白いものが出来てな、それをやろう」
爺さんはいそいそと立ち上がる。孫に小遣いを遣るような、そんな風にも見えた。
「何をくれるんだ?」
「盾じゃ」盾! 良い。良いじゃんか! いや、スーツのない俺にはそういう、身を守るような道具も必要なんだよな。やるじゃん爺さん流石じゃん。
「ほれ」
「おう」
渡されたのは、タコだった。オクトパスの方ではなく、カイトの方である。
凧。正月の遊び。風に乗ってぷかぷか浮かぶ。
「これが盾? 俺に死ねって言うのか」
骨組みは金属でカチカチだけど、張ってるのは思い切り布じゃねえか。何か手触りが変だけど。
「もっと固そうなのくれよ! ちっちぇえし! 頭隠して他全部隠せねえよ!」
「うるさいのう。……あのな、青井よ。お前、ダイヤモンドを知っておるか?」
「当たり前だ」
実際、この目で見た事はねえけど。
「アレも簡単に砕ける。ダイヤモンドも、最初は原石だろう。それを砕かねば、装飾には使えん。ハンマーで砕ける。ダイヤモンド同士がぶつかっても砕ける。分かるか? どれだけ固くても、やはり壊れてしまうものじゃ」
「でもさあ」
「逆に。柔らかなものはどうやって砕く? どうやって崩す? どうやって貫く? 柔らかい物質はな、盾に打ってつけなんじゃ」
「うーん。そう言われれば、そんな気が……」
「青井。骨組みのな、真ん中の出っ張りを押してみろ」
言われた通りに押してみる。すると、出っ張りが更に突き出て、凧が傘みたいにバッと開いて大きくなった。大きくなった! 何かこれと似たパターンがあったような気がするけど!
「すげえ!」
「これなら全身を覆い隠せるじゃろう。元の大きさに戻す時は、出っ張りを押し戻してみい。小さくなる。ほっほ、それはただの布に見えるがな、新しい素材なんじゃ。心配するな、耐久性、防弾性、防刃性にも優れておる」
「超便利じゃねえか!」
「ほっほ、ほっほう!」
固いものは砕かれる。
柔らかなものほど、貫くのは難しい。
なるほど、確かにそうかもしれん。俺は新しい事実に気付けた。素晴らしい。世界が広がった。
だが、爺さんはただ単純に新素材を試してみたかっただけなのだと、その事実に気付くまで、俺はかなりの時間を要した。