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お前、気持ち悪いぞ



 レンと一緒にソフトクリームを食って、銀川と名乗る老人と、その孫娘いなせちゃんと出会った日の夜、俺は組織の控え室にいた。お仕事である。しかも、久しぶりの。

「おお、もう動いて平気なのかよ」

「もっと休みたかったけどな」

 怪我をして、戦線を離脱していた数字付きの二人が復帰したのだ。エスメラルド数字付きは、本日をもって元通り。いや、良かった良かった。

 そんな訳で、お仕事だ。今夜は、エスメラルド部隊に所属する怪人のお手伝いをする事になっている。楽な仕事だと聞いて、控え室にいる数字付きは気楽そうだった。と言うか俺も気楽に、適当に構えている。



 何かの間違いだと信じたい。

 熱帯魚を扱う店を襲撃した俺たちは、ビニール袋やバケツに、商品のサカナを目一杯入れて車に乗り込んだ。そこで、ヒーローと遭遇したのである。と言うか今まさに相対している。意味が分からんかった。嗅ぎつけるのが早過ぎじゃねえか、おい。

「……どうすんだ?」

「知るか」

 数字付きはペンギン型怪人の後ろに整列していた。隠れていたともいう。ああ、くそ。めちゃくちゃ頼りない怪人と仕事する日に限って、こうだ。ペンギンって何だよ。マスコットじゃん。ちくしょうぺたぺたよちよち歩きくさってボケが。

「お前たちは下がっていろ」

「はっ、はい!」

 でも、ペンギンの声は死ぬほど渋かった。低く、重く、太く、やけにダンディである。

「俺一人で充分だ」

 ペンギン型怪人が前に出る。彼と対峙していたヒーローは、一歩後退りした。

 俺たちを襲撃したヒーローは、板前のような格好をしている、髪型も筋肉も、どこか角ばったおっさんだ。ついさっき調理場から抜け出してきたかのような、そんな感じだった。

「その刃物で俺を捌けるかな?」

「や、ヤロウ舐めやがってぇ!」

 板前ヒーローが飛び掛る。ペンギン怪人は彼の攻撃を避け、鳩尾に拳(っつーか羽だけど)を叩き込んだ。崩れ落ちるヒーロー。すかさず、怪人が飛び上がる。右足で顎に蹴り、左足で胸に蹴り、空中でニ連続キックを放った。ヒーローは大きく後方に吹き飛び、それから、道路の上に寝転ぶ。

「次に見えるまでに腕を磨いておくと良い」

 背を向けるペンギン。や、やべえ、かっこいい。



 しかし、何故に熱帯魚? 帰りの車の中でそんな事を考えていると、ペンギン型の怪人はやはりダンディな声で俺の疑問に答えてくれた。

「エスメラルド様が食べたいとおっしゃるのだ」

「……え?」

 まさか、これを?

「グッピーを天ぷらにしたいと。……熱帯魚は目で愛でるもの。持ち帰ったのは良いが、どうにかしてあの方を説得したいものだ」

 恐るべき食欲である。こんなちっこい熱帯魚を食べるくらいなら、水族館からサメを持ってこいと言われる方がまだマシだった。なんて悲しい熱帯魚。

 カラフルな魚たちを見るのが辛くなって、俺は窓に目を向ける。と、視界の端に女の子が映った。ような、気がした。ビルとビルの間から、顔を覗かせている。ように、見えた。どこかで見た事があるような。

「なあ、今、女の子が見えなかったか」

 他の数字付きに尋ねると、

「幻覚だ」

「つーか、やめろよ。俺ら軽くトラウマなんだからよ」

「また襲われでもしたらどうすんだ、ボケが」

「死ねロリコン」

「溜まってんのかポルノ野郎」

 …………殺すぞ。

 ふと、いなせちゃんを思い出してしまう。短い銀髪に、ジャージ、スカート。……やっぱり、さっき、いたよなあ? こんな夜中に何をしていたんだろう? それとも、やっぱり俺の見間違い、勘違いだったのだろうか。



 熱帯魚に群がられる夢を見た。

 嫌な気持ちになって目覚めると、携帯に着信が。確認すると、社長からメールだった。寝ていても起きても嫌な気分になる。最悪じゃないか。

「お兄さん、変な顔してるよ?」

「そうか」カラーズへの呼び出しメールだ。昼までに会社へ顔を見せに来い、との事である。また仕事だろうか。嫌だ。行きたくねえ。



 しかし、無視して後で怒られるのも嫌だった。朝食の後、レンを残し、俺はカラーズへと向かう事にする。途中、あのソフトクリーム屋の車を見掛けた。どうやら無事だったらしい。その車は噴水のある公園に向かったので、何となく、俺もそっちに足を伸ばした。

 まだ昼前、しかも平日の。公園には人が殆どいない。ソフトクリームでも舐めながら会社に行こうと思った時、噴水の縁に座るいなせちゃんを発見した。彼女は緑色のジャージに、スカートを履いている。そうして、じっと一点を見つめているのだ。

 そうだ。昨夜の事を尋ねてみようか。思い立って、俺は噴水の方に歩いていく。いなせちゃんは俺の姿を認めたのか、じっとこっちを見つめ……つーか睨んでいた。ええい、怯むな俺。

「何見てんだ?」

「お前か」いなせちゃんは素っ気なかった。

 ……学校には行かなくて良いのか、とか、そんな言葉しか思いつかなくて、俺は話し掛けたのを後悔していた。と言うかしている。真っ最中。

「お前です。いやあ、無事だったみたいで良かった、良かった」

 いなせちゃんは無言でこちらを見上げている。

「ふう、何か用でもあるのかい?」

 あったとしても興味ない。みたいな感じに聞かれると、どうもなあ。まあいっか。

「や、昨夜さ、君を見たような気がして」

「あたしを?」

「そう。夜、出歩いてたりしてた?」

「いいや、夜は嫌いだからな」

 あ、そうですか。じゃあ、昨夜に見たのは誰だったんだろう。

「もしかして、双子がいたりする?」

「知るか。お前、気持ち悪いぞ」

 いなせちゃんは俺から視線を外し、ソフトクリームの移動販売車に目を向ける。

「欲しいのか?」

「何がだ」

「ソフトクリーム」

「必要ない」

 それでも、いなせちゃんは視線を逸らさない。若い母親に連れられた子供が、ソフトクリームを舐めている。彼女は何を見ているのだろう。冷たいお菓子か? それとも……。

「昨日の、爺ちゃんはいないのか?」

「お前には関係ないだろ」

「買ってきてやろうか」

 いなせちゃんが口を開くより先に、俺は歩き出していた。振り返った時、彼女はまだ噴水の縁に腰掛けていた。



「はい」

「昨日も言ったけど、知らない奴からものをもらう理由はないよ」

 早くしないとソフトクリームが溶けちゃうんだけど。

「青井だよ、青井正義。俺の名前な。昨日も会ったんだし、知ってる奴からならもらう理由はあるだろ?」

「何が狙いだ? ゴマでもすって取り入ろうってのかい」

 ガキに取り入っても仕方ねえだろうが。

「まあ、もらっておくよ」

 いなせちゃんはソフトクリームを受け取り、舌でそれを舐める。俺は彼女の隣に座って、同じようにした。冷たくて甘い。

 同じものを同じように食べていると、何だか打ち解けられたような気がしてきた。そう、ソフトクリームが溶けるのと同じように、彼女の心も氷解していくような、まあ良く分からんがそんな感じ。

「昨日も思ったんだけどさ、何を見てたんだ?」

「何も」

 こんなに冷たくて甘いものを、いなせちゃんは表情一つ変えず、口に運んでいる。

「おいしくない?」

「そんな事はない」あら、そう。

 しかし、困るな。最近の子供ってのは皆こうなのか? めちゃくちゃわがままだったり、ぶっきら棒で無愛想だったり。自分よりも小さなものを扱うってのは、非常に疲れる。さっさとソフトクリームを食べて、立ち去ってしまおうか。

「お前は何をしているんだ」

「え」

「おじいちゃんが言っていたよ。平日の昼間からぶらついている奴に、ろくなのはいないってさ」

 随分とまあ、行き届いた教育ですね。

「仕事だよ。これから行くところなんだ」あ、その顔は信じてないな。

「そうかい」

「ここ、好きなのか?」

「ここって?」

「公園。昨日もいたじゃんか」

 ああ。呻くように呟き、いなせちゃんはソフトクリームのコーンを齧った。

「別に。他に行く場所を知らないだけだよ」

 学校は? 家は? つーか親は? なんて、くだらない質問ばかりが浮かんでくる。それを聞いてどうするんだ。聞いたところで、どうしようもないじゃないか。

「こういうものを久しぶりに食べた気がするな」

 自嘲気味に言うと、いなせちゃんはソフトクリームを食べ終わる。

「甘いものに興味ないのか」

「どうだろうね。良く分からない」

 良く分からんって、自分の事だろうに。

「青井、だったか? ありがとう」

「……あ、お礼、言えるんだ」

「何かしてもらったら、おじいちゃんがそう言えと言っていたからね」

「ふうん、そっか。そういう事なら、どういたしてまして。……そいじゃ、俺は行くよ」

「お前、何の仕事をしてるんだ?」

 ヒーローだよ。そう言おうとして、何故か、俺は少しの間固まっていた。

「無職か」

「ちっ、違うぞ! 工場だよ、工場。ベルトコンベアがお友達なんだ、俺は」

 いなせちゃんは、そうかと一言だけで、俺からは興味をなくしたようである。さて、お仕事だ。



 カラーズに到着すると、俺は額の汗を拭った。いかん。いかんなあ。これはもう本格的に暑い。まあ、会社にはクーラー効いてるし、冷たい飲み物でも出してもらおう。……お客様気分だな。こりゃいかん。社長に何を言われる事やら。

「ういーす」ドアを開けると、冷たく心地良い空気が俺を温かく迎えてくれた。

「……もっとまともに挨拶をしなさい」

「悪い悪い。まともに給料を払ってくれた社長には、もっとまともに接するべきだったな」

「あなた、まだ言っているの? 私を何だと思っているのかしら。全く、失礼ね」

 社長は新聞紙を畳んで、俺に目を向ける。

「あれ? 九重は?」

「あの子は今、情報収集に出ているわ」

 情報? いったい、何の?

「昨夜、ヒーローが襲われたのよ」

「へ、へえ、そうなんだ」

 やっべえ、十中八九、板前ヒーローの事だ。うわあ、何だ? もしかして大事になってんのか?

「まだ若いヒーローだったんだけどね」

 ん?

「襲われたのだけど、上手く逃げ出せたそうよ。それで、今ヒーロー派遣会社にも『気を付けろ』なんて話が回ってきているの」

 若いヒーロー? しかも、逃げられただと? どうにも、あの板前ではなさそうな感じである。昨夜、別のヒーローが俺たちとは違う何者かに襲われたらしい。

「アレじゃね? またスーツ狩りの連中じゃねえの? ほら、なんとかって言う警備保障の」

「センチネル警備保障の事かしら? あそこの人たちは依頼がないと動かないわ。彼らはね、この街の治安を守ろうとしているようなの。一般市民からの依頼を受けて、スーツを狩っているみたいなのよ」

「じゃあ、昨夜は依頼がなかったって事なのか?」

「あくまで表向きは、そう言っているわ」

 ふーん。まあ、じゃあ、そうなんだろう。スーツを狩っていると公言している奴らなんだ。今更、その事実を隠そうとする筈がないだろう。

「マジで全然別の奴が、そのヒーローを襲ったって言うのか」

「気を付けろと言われても、何に気を付けたら良いのか分からないなんて馬鹿らしい話じゃない。だから、九重にお願いしているの。私も、話が聞けそうなところに連絡を入れているのだけれど、どこも同じようなものよ」

 まだ何も分かっちゃいないってか。

「……はあ、厄介な話だな」

 ソファに座り込む。ここは、クーラーの冷気が当たる位置なのだ。

「その、襲われたヒーローってのは何も見てないのか?」

「襲われたと言ったけど、実際、そのヒーローは怪我一つ負っていないわ。何か、大きなものを目撃して逃げ帰ってきたらしいの」

「大きなもの? ビルか何かを見間違えたんじゃねえのか?」

 つーか逃げるなよ。ヒーローだろうが。戦えボケが。

「流石に、そこまでお馬鹿なヒーローではないと思うけど。ああ、人間じゃない、とも言っていたそうよ」

「信じられるか。ビビって逃げたって思われたくなくて、適当な事を並べてるに決まってる。せめて相手の正体を確かめろってんだ」

「今日はいつになく強気ね」

「何でも来いって感じだな。仕事は来てないのか?」

 社長は定位置に戻り、テーブルの上に置いてある書類に目を遣った。

「意欲的じゃない。明日は雨でも降るのかしら。……仕事ならあるわよ。明日、だけど」

「怪人退治か?」

「いいえ。着ぐるみよ」

 ……えっ?

「ふ、ふざけんな……! 夏真っ盛りだぞ! 着ぐるみの中が何度になるか分かってんのか! 地獄まっしぐらだぞ! 俺を殺す気か!」

「やっぱり明日は晴れね」

「ああ、もう、最近はそういう仕事がなかったってのによう」

「パフォーマンスはあなたの得意技じゃない。ソフトクリームの移動販売って奴かしら。そこの店主が、あなたに着ぐるみでパフォーマンスをやって欲しいそうよ」

 ソフトクリームの?

「それって、公園の近くに出してる店か?」

「ええ、そうよ。知ってるの? だったら話は早いわね。何でも、店主は怪人に襲われてしまったらしくて」ありゃ? 無事だったんじゃねえのか。

「その怪人を車で轢いてしまったらしいのよ。スーツ相手だから正当防衛になるんでしょうけど、その現場を大勢に見られてしまっていて、評判が悪くなっているとの事よ。おまけに、怪人には逃げられてしまったって」

「なるほど、パフォーマンスってのはカモフラージュで、調子ん乗って寄ってきた怪人を始末しろって事なんだな」

 社長は僅かに目を見開いた。

「逆よ、逆。悔しいけれど、ヒーローとしての働きには期待されてないみたい。売り上げのついでに、怪人をどうにかしてくれれば、との事よ。残念だったわね」

「ついでかよ!」

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