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暴れ馬が



 依頼は依頼だ。仕事は仕事。どっかで諦めなきゃいけなかったんだ。だから、赤丸の登場は歓迎すべき事なのだろう。きっと。多分。

 赤丸は鬱憤を晴らすべく、軍服の男たちを次から次へと吹っ飛ばしたり蹴っ飛ばしたり殴り飛ばしたりしていた。ひでえ。そもそも、彼女がスーツを着てこの会社にやってきたのは、報復の為ではなかろうか。下手すりゃ依頼人の社長、センチネル警備保障ではなく、赤丸に酷い目に遭わされていたのかもしれん。アホを敵に回すと恐ろしい。

「む?」

 戦闘には加わっていなかったのだろう。少し離れた場所にいる灰空が、俺の姿を認めたらしい。彼女は帽子の位置を直し、こちらに向き直る。

「止まれ民間人」いや、お前も民間人だろ。

「……民間人?」

 疑問形になるな。俺は紛れもなく一般市民だよ。こんなナリしてるがな。

「あんたら、どっかに行ってくれねえかな」

「口を開くなゴミ。ここは戦場だぞ、無駄死にしたくなければさっさと消えろウスノロ」

 口悪いな、こいつ。サボテンみたいな奴だ。が、こいつを見せりゃあビビるに決まってる。

 俺は太鼓を取り出し、ワイヤーを伸ばした。

「変わった武器だな。それはおもちゃか? 我々を馬鹿にしているのか?」

「してねえよっ」

 器物破損という文字が頭を過ぎったが、無視。太鼓についた鉄球で地面を叩いてみせる。アスファルトは余裕で砕け、破片が飛び散った。おらどうだ見たか。

「気合が入っていないな、どこを狙っている」

 あれ? 何か、超普通なんだけど。

「つ、次は当てるぞ」当たったらすげえ痛いぞ。

「お優しい事だな、私をコケにしているのか貴様? ジェントルマン、戦いを続けてもよろしいですか?」

 よく。よくよく考えれば、スーツを着た奴らを相手にしているんだから、こんなので驚いたり脅されたりしない、の、か?

 ふと、赤丸の様子を横目で見る。彼女は軍服たちをボッコボコにしているように見えたが、彼らは倒れても倒れても立ち上がり、飛ばされても飛ばされても舞い戻ってくる。タフだと一言で片付けるには、あまりにも異常だ。あいつら、まさか。

「……スーツ、着てんのか?」

 灰空は自分の服に目を遣り、当然だと告げた。

「スーツを相手にするのだから、こちらもスーツを着なければならんだろう。馬鹿か、貴様。無抵抗主義者を演じるつもりはない。貴様らはただ、大人しく狩られていろ」

 そういう事かよ。いや、そりゃそうだ。そりゃあそうだよなあ、あー、もう。くそう。どうしよう。

「たった二人で何が出来る。……貴様、それはスーツなのか?」

「いや、違います」

「戦意を喪失したか、ブタが」

 思わず敬語を使ってしまっていた。

「お前らの狙いはスーツだろ? 民間人を叩いても良いのかなー?」

「我々の邪魔をするのなら、民間人だろうと、そこらのお嬢ちゃんだろうと関係ない。……スーツも危険だが、貴様の持つそれも見過ごせん。渡せ」

 ひでえ。そして分が悪い。こいつら全員がスーツを着ているってんなら話は変わってくる。逃げよう。逃げたい。逃げなきゃやばい。

「あ、バイトの時間だ」

「われぇヒーローじゃろうが! 逃げんな!」

 背を向けた瞬間、赤丸に呼び止められる。

「ほう。貴様もヒーローだったのか。スーツを着ていないヒーローは初めて見たぞ」

「いや、あの女が勝手に言ってるだけだから。俺バイトだから」

 灰空は、俺の足元の地面を鞭で叩いた。

「無抵抗主義の者を痛めつけるのは嫌いではない。這い蹲れ、二度と笑えないようにしてやる」

「しゃもじどうにかしろよお前!」

「だあってろボケ!」

 赤丸は他の奴らを相手にするだけで精一杯と言う有様だった。依頼を片付けるには、こいつら、センチネル警備保障の連中を片付けなきゃいけない。だけど、話が変わってきたぞ、おい。このままじゃジリ貧だ。俺は使い物にならないし、赤丸一人じゃあの数は辛いだろう。……隙見つけて、どこかで逃げよう。



 鞭ってのは非常に怖い。恐ろしく見える。ぱしんぱしんと響く音は、実に痛そうだ。アレで叩かれて喜ぶ奴の気がしれない。鞭を受けても、一発二発じゃ死なないだろうが何発、何十発と受けていたらあまりの痛さでショック死すると聞いた事がある。ドS専用武器じゃあないか。酷過ぎる。どうせなら一思いに楽にしてくれ。

「どうしたうじ虫! 這いずり回って悲鳴を上げるか! それしか出来ないか貴様!」

 灰空は楽しそうに鞭を振り回している。俺はそいつから逃げるのに必死で、反撃しようだなんて考えはちっとも出てこなかった。ひいひい言いつつ地面を転がる。ぺしんぺしんと音が鳴る。高く乾いた音が、耳ん中に張り付いて頭の中がきいんとしてくる。

「天狗がよう! いい気になってんじゃねえぞ!」

 段々腹が立ってきた。やられっ放しでたまるかよ。それに、こうしている間にも、いつ、レンのスイッチがオンになるか分からねえんだ。あいつがマジで出てこようとしたんなら、社長と九重二人がかりでも止められないだろう。

 こうなったら太鼓だのめんこだのグローブだの選んでられねえ。あるもん使ってこいつをどつく!

 まずはめんこだ、こいつで爆発しやがれ!

「……舐めるな、クズが」

 投げ放っためんこは、端から鞭で叩き落されていく。その際、小さな爆発も起こるが、杖持ちん時みたく目晦ましとはいかなかった。それどころか、この灰空って女、爆発にビビった様子を見せない。

 だったらこれだと太鼓を振るが、鉄球は全て避けられてしまう。あ。しまった。ネタ切れだ。今の位置じゃあグローブは使えん。

「正しく児戯だな」黙れ。その通りだ。

「ヒーローを名乗るのなら相応の力が必要だろう。貴様、我々を舐めているのか? 私がお嬢さんに見えるのか、間抜けめ」

 見えねえよサド女が。

 サド女は俺を脅威とみなしていないのか、赤丸たちの方に目を遣っていた。



 赤丸がしゃもじが振れば、センチネル警備保障の連中が吹っ飛んでいく。彼女は四肢を余すことなく使い、四方から押し寄せる敵の攻撃を防ぎ、かわすだけでなく反撃までしっかりと入れていた。正直、奴を敵に回していたのが奇跡に近い。今になってからめちゃくちゃ怖い。よくもまあ生きてるよなあ、俺。

「友軍は優秀なようだな」

 灰空が俺に攻撃してこないので、俺も赤丸の戦いぶりを見るしかない。

「全然仲良くないけどな」

 いつになったら終わるのか。そう思っていたんだが、今日の赤丸は絶好調だったらしい。吹っ飛ばされ、倒れるセンチネル警備保障の軍服どもの内、起き上がらない者の姿が見え始めた。

 灰空は腕を組み、あっちの戦闘を睨みつけるようにしている。

「は、焦ってんのか?」

「許可なく口を開くな」

 そうだ。そうだそうだ。こいつら、軍隊みたいなもんなんだよな。単独で戦うヒーローとは違うし、戦闘員とも違う。群れてるところは戦闘員と同じだけど、あいにく、悪の組織の戦闘員には整然だの規律だのといったものは無縁なのだ。

 灰空愛理は焦っている。そうに違いない。

 俺も、灰空の部下も下っ端なんだ。上司の指示がなくちゃあ動けない。特に、あいつらはこんなめちゃくちゃな女が上にいるんだ。勝手に逃げ出す事も出来ないし、下手すりゃまともに戦えない。

「命令したいのか、あんた」灰空は答えない。そうしたくてもさせないけどな。俺がここでこいつを抑えときゃ、後は赤丸がやってくれるだろう。そうか。この状況、案外悪くないんだな。

 面接すら受けられないまま、意味が分からないまま不合格を言い渡されたような赤丸は、その鬱憤を晴らすべく拳を振るう。しゃもじで払う。今の彼女を止められるのは内定の二文字くらいのものだろう。

「ほーら、いち、にい、さん、しい。どんどんやられてんな、あんたの部下」

「貧弱なクズどもだ」

「勇将の下に弱卒なし、なんて言うがよ。あんたはどうだろうな?」

 灰空は腰に提げたサーベルを抜こうとするが、叫び声に気を取られる。声を上げたのは、赤丸に殴られた男だった。自分の部下が倒されていくのを、こいつはどういう風に捉えているんだろう。

 俺には分からない。社長なら、エスメラルド様なら、あるいは、分かるのだろうか。

 俺は軍人でも軍に関係がある訳でもない。が、こいつらの引き際ってのは知っている。

「三割で全滅。五割で壊滅だっけか」

 灰空は答えない。

 兵力の内、三割が減ると組織的な戦闘が難しくなる。半分が減ると、部隊を再建するのは不可能になる。俺たち下っ端は雑魚だけど、数合わせにはなるのだ。一人一人はアレでも、力を合わせればなんかこうすごい感じになる。そうに違いない。……センチネル警備保障の奴らは二十人程度しかいない。そして、三割ならとっくに減っている。十人近くが赤丸に倒されたままだった。尤も、本格的な部隊って訳じゃあないし、俺の思う定義には当てはまらないのだろう。

 だけど、手酷くやられている。センチネル警備保障は、赤丸一人にやられているのだ。ここでむきになって戦いを続けるのか、退くのか、そいつを選ぶのは――――。

「……ここまでか」

「ここまでやっといて逃げるのかよ」頼むそうしてくれ。早くどっかに行ってくれ。

 灰空は、答えない。彼女は俺が何もしない事を見越したのか、ふいと視線を逸らして、撤収を告げた。その声は小さかったが、灰空の部下たちは逃げ去っていく。赤丸は、ああ、残念そうにしていやがる。マニアックめ。

「覚えたぞ」

「何を」

「貴様の顔だ」

 ややこしい事になりそうだな。……こいつを、逃がすか? ダメだ。俺一人じゃあどうにも難しい。どうしてこう、この辺にゃあ強い奴がごろごろしてるんだよ。

「忘れんじゃねえぞ」

 灰空は赤丸がこっちに向かってくるのを確認し、背を向ける。しかし、焦らない。ゆっくりと歩き去っていこうとしていた。イダテン丸と違って愛嬌がないな。

「おい役立たず」

「……誰の事を言ってんだ。暴れ馬が」

「ふふん、何とでもゆうたらええ。今のうちは気分がええんじゃ」

 そりゃ、あんだけ暴れ回ってたらストレスだって逃げ出すわ。

「楽しそうで何よりだな。じゃ、さいなら」

「ボケェ、コラ。われ逃げようとしたな。ヒーロー名乗っとるんなら、あがいな真似すんな」

「てめえもヒーロー名乗るんなら、もっとマシな口を利け。今日からヤの付く自由業か」

 頭どつかれた。

「あー、すっきりした」

 赤丸はヴィラルカウンターのビルを見上げる。

「はん、こんなとこ潰れて当然じゃ。囲まれて、縮こまって、助け求めて……ヒーローのやる事か」

 吐き捨てるように。赤丸は、しゃもじを肩に担いで歩き始めた。

 ……あいつ。もしかして、ここの社長を助けに来たのかもしれねえな。全く、俺の周りには変な奴ばっかりだ。分かり難くて手に負えねえ。

「青井」あ?

「……青井……!」 ……ああ。

「ああ、はい、はい、と」

 タクシーの窓から手招きする社長が見えて、俺の足取りも気も、考え付く限りのものは全て重くなっていった。

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