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やはり無償と言うのも面白くない。金は欲しい



 やはり金なのだ。何をするにしても金は要る。しかし、俺は金がない。組織の戦闘員の給料では生活するのに精一杯だ。その先はない。貯金なんか殆どない。稼ぐ為には、ヒーロー派遣会社の方でどうにかするしかない。だが、そっちにも金はなかった。ヒーローは俺一人。しかも、一人分のスーツですら用意してもらえない。これではおいしい仕事なんか寄ってくる筈もない。スーツが必要だ。大至急。その為には金が要る。金を稼ぐ為には金が必要なのだ。何て無様。何と虚しい、世知辛い世界なのだろうか。堂々巡りの無限ループ。社長は小さな事からコツコツと、とか言っているが、それじゃあ駄目だ。先に立ち行かなくなっちまう。

 話は、意外と簡単だ。つまり、金を掛けずにスーツを手に入れられればそれで良い。問題なのは、その方法だ。けれど、俺は下っ端ながらも、悪の組織の構成員として六年もやってきている。心当たりの一つや二つはあった。

 仕事の終わった後の閑散とした控え室で、俺はそんな事を考えていた。

 うん、動こう。思い立ったが吉日だ。心当たりの人物へ会いに行こう。



 戦闘員として六年もやっているってのは、ウチの組織の中じゃあ長い部類に入る。ヒーローにも捕まらず、酷い怪我も負わず、とりあえずはやってこれてきた。しかし、うだつが上がらないと陰口を叩かれてもいる。まあ、その分顔は広くなった。俺がこれから会おうとする人物も、その内の一人である。友人と言うのは気安い。上司と呼ぶのも違う気がする。少し、変わった奴なのだ。

 控え室を出て、薄暗い廊下を進む。悪の組織としての雰囲気作りではなく、単純に、この辺りは電灯が切れているだけだった。代える金もないだろうし、上には代えるつもりもないのだろう。所詮、下っ端。戦闘員ゾーンである。だけど、もう少し進めば明るくなる。本来なら、俺みたいな奴が立ち入ってはならない場所なのだ。が、そこは他の奴よりも顔が広い俺である。警備の人間にへーこらしながら、腰を低くして歩く。角を幾つか曲がり、階段を下り、長い廊下を進んで、再び階段を上る。ここがどこなのか、時折分からなくなる時もあったが、流石に慣れた。長い廊下、角を曲がり、突き当りの扉をノックする。返事はないが、礼儀として。

「入るぜ」

 部屋の中は暗かった。だが、照明に困る事はない。室内のそこかしこにパソコンがあり、つけっぱなしのディスプレイが煌々とた光を放っているからだ。床はケーブルやら紙切れやらで足の踏み場もない。生活感のかけらもないが、目的の人物はこの部屋から殆ど外に出ていないらしい。どうやって、生きてるんだか。

「よう、生きてるか爺さん」

 返事はない。が、背中を丸めて机に突っ伏す白衣の老人を見つけた。何かの作業をしていて、その途中で眠ってしまったのだろうか、彼はキーボードに顔面を埋めている。とりあえず揺さぶってみた。起きなかったので、適当な場所に腰を落ち着かせる。邪魔だったので、良く分からん機械を蹴って退かしておいた。

「……む、ぐう……」

「おう、お客様だぜ。何だよ、またパソコンとにらめっこしてたんか?」

 爺さんが起きる。彼は体をゆっくりと動かして、ディスプレイを睨みつける。白髪を手で撫でつけて、白髭を指で弄んだ。何から何まで白いジジイである。

「……お前か。パソコンではないと言うとろうが」

「ああ、アレだろ。ワークステーションとか、そういう感じの」

「違う。ワークステーションは……ああ、もう良い。お前は何を、何度言っても理解せんからな。そもそも、理解出来るとも思ってはおらんが」

 パソコンなんて皆同じだろうが。インターネットが出来ればそれで良いんだろ。

「ち、久しぶりに寝られたと思ったらこれじゃ」

「へえ、何日ぶり?」

「二十三、四くらいか」ほっとけば、この爺さんは体がおかしくなるまで起き続けている。それだけ、キーボードを叩くのが楽しいんだろう。無趣味の俺からすりゃあ羨ましくもあるが。人間、ここまでは行き着きたくない。

「歳考えろよな。ま、俺は爺さんの歳、知らねえけど」

「うむ、わしも忘れてもうたわ。それで、何か用事でもあるんじゃろう。手早く済ませてくれ」

 言いつつ、爺さんはディスプレイを見据えたままキーボードを叩く。キーボードも、爺さんの近くには四つもある。それら全部を彼は淀みない動作で叩くのだ。叩いて叩いて叩き続ける。

 正直、この爺さんが何者なのか、俺にも良く分かっていない。彼は組織の中でも相当古い人間で(果たして、本当に人間なのかどうかは分からないけれど)、何をやっても許されるのだと言っていた。俺が組織に入りたての頃、この爺さんにメシを届けに行ったのがそもそもの始まりだった。知り合ってから六年経ったが、爺さんはすげえ頭が良さそうって事しか、俺には分かっていない。良さそうってのは、実際、頭が良いのかどうか分からないからだ。既に狂っている可能性のが高い。だけど、この爺さんは天才なのだろう。

「スーツが欲しいんだけど」

「……六百万くらいでええのがあるぞ」

「いや、金はない。俺みたいな戦闘員は貧乏だって知ってるだろ?」

 この爺さん、スーツやら武器の開発に掛けてはめっぽう強いのだ。組織の戦闘員用のスーツも、一人一人の怪人に合わせたスーツも、武器の作製も、大抵はこの爺さんが絡んでいる。曰く、趣味、だそうだ。しかも、組織お抱えの技術班よりも遥かに性能が良いものを作るのでえげつない。正直、技術班にはめちゃくちゃ嫌われている。

「戦闘員には汎用のが支給されてるだろうに。それで我慢せえ。欲しけりゃ出世するんだな」

「分かってるよ、んなの。でもさ、そこを何とか、お願い。ね?」

 ウインクしてみる。唾を吐かれた。

「きったねえな! あんたの部屋だろ!?」

「わしの部屋だから吐いたんじゃ。金もないのにスーツが欲しいだと? 舐めるなよクソガキが」

 酷く正論。けど、そこを曲げて欲しくてここに来たんだ。

「金、金、金。爺さんも世知辛くなったもんだな。分かったよ、じゃあ、めちゃくちゃ安くしてくれ。一着百円くらいで」

「……お前、何をやらかすつもりじゃ。一介の戦闘員が組織のルールを無視してわしにスーツを頼んでおる。その意味、分かっておるのか? 背信行為と捉えられても仕方ないぞ」

 う。確かに、そうに違いない。まあ、ある意味裏切ってると言えば裏切ってるし。もはや怖いものはないのであった。

「何もやらねえよ。ただ、欲しいんだ。組織の戦闘員、その立場は理解してるよ。スーツ手に入れても、でしゃばって着やしねえ」

「ううむ。まあ、そうだな」爺さんは椅子から立ち上がろうとしたが、腰を悪くしているのですぐに座り直した。

「お前とはそこそこに長い付き合いでもある。わしにとっては数少ない知己じゃ。こっちに余計な疑いが掛からぬと言うのなら、作ってやらんでもない」

「マジか?」

 やった、すげえ。言ってみるもんだな。いや、持つべき者は何とやらだ。

「条件はあるがな」

「ああ、何でも言ってくれ」

「やはり無償と言うのも面白くない。金は欲しい」

 結局金かよ! だから金はないって言ってんだろうが爺さん、もうろくしてんじゃねえっつーの。

「そういう意味ではない。金は、この世で最も分かり易い誠意じゃ。わしは、お前の誠意が見たい。誠意に応じて、わしはそれだけのスーツを作ろう。無論、他の怪人どもよりは安くしてやる」

 うーん、まあ、仕方ないか。いや、むしろ有り難い。タダでもらえるとは思ってなかったし。安くなるってだけでも、爺さんに言った価値はあるだろう。

「いまいち意味が分かんねえけど、どんくらい用意すりゃあ良いんだ?」

「それはお前に任せる」

 ふうん、じゃあ、とりあえず。

「ほい、これでどうだ、爺さん」

「……何じゃ、これは」

「見て分かんねえのかよ。百円玉が三枚で三百円だ。すごいぞ、百円のものが二つ買える。消費税を考えなきゃ三つだ」

 爺さんは三百円を受け取り、白衣のポケットにしまった。そして、もう何も言ってくれなかった。反省。でも、お金返して欲しかったり。



 まあ、金だ。金さえありゃあ何とかなる。スーツだって安く手に入りそうだし。うん、希望が見えてきた。とりあえず控え室に戻って、荷物取って帰ろう。そろそろ、今着ているスーツも洗濯しなきゃならないし。……つーか、スーツの洗濯くらい組織でやってくれよな。クリーニングにゃ出せないし。自分で洗うのも面倒だしよ。

「あ、おい青井」

「え? あ、どうしました?」

 廊下を歩いていると、煤竹チーフに呼び止められた。今日のチーフは素顔である。冴えないおっさんだが、俺よりも立場が上なので、やっぱり萎縮してしまう。

「ホワイトボード見てないのか?」

「や、あはは。だって、俺には縁がないですし」

「やっぱ見てなかったのか。まあ、残ってたんなら良い。お前を呼んでる人がいる」

 心臓が痛い。すげえビビった。まさか、爺さんにスーツを頼んだのがバレたのか? いや、という事は、俺がヒーロー派遣会社で働いているのも? やべえ、やべえやべえ。

「ん、どうした顔色が悪いぞ? やっぱり、今日はやめとくか」

「気にしないでください。えっと、それよか、俺を呼んでる人ってのは?」

「エスメラルド様だ」

 エスメ……? 誰だ、そいつ。つーか日本人か?

「ウチの四天王をやってる人だよ。まあ、戦闘員とは関わらないもんなあ。知らないか、普通」

 えへへ。四天王って人らがいるのは知ってたけど、その四人が何者なのかは全く知らない。組織の戦闘員としてそりゃどうなんだって感じだけど、会わないし、関係ないもんは関係ない。とにかく偉い人たちなんだろう。幹部だな、幹部。良い響きだ。けど、どうして、その四天王の一人が俺を呼んでるんだ?

「うん、まあすぐに分かるし先に言っておく。おめでとう、良かったな青井、出世だよ」

 シュッセ? 暫くの間、言葉の意味が理解出来なかった。えーと、誰が、シュッセするの?

「おい固まるなよ。まあ、出世と言っても怪人じゃあない。数字付きだけどな」

「……あ、ああ、何だ。そういう事ですか」ちょっとガッカリ。怪人にはなれないのかよ。

 数字付きというのは、下っ端戦闘員の中でも限られた、選ばれた者たちから成る部隊の事だ。数字付きの部隊は、それと同じく怪人の中でも限られ、選ばれた奴しか持てない。ちなみに数字付きってのは、そいつらが着るスーツからきている。胸の辺りに番号が刻まれているのだ。ださいけど強い。おまけに下っ端と比べればグンと給料も上がる。確か、一つの隊が十三人、くらいだったかな。うーん、エリート集団と言えば、すげえ聞こえが良いのでこれからそうして触れ回ろう。

「しかも四天王、エスメラルド様の数字付きだ。正直羨ましいくらいだよ」

「そ、そうなんですか? や、あんまし実感はないん、ですけど」

「そらそうだろうな」

 奴隷根性が染み付いていたらしく、上に行くとか、そういった言葉には全く縁がなかった。なので、未だに良く分かっていない。

「で、どうする? 今から顔出しに行くか?」

「きょ、今日はやめときます。その、次来る時に……」

「何だ、緊張してるのか。ま、良いけどな。じゃ、今度はボードも見ておけよ」

 チーフはどこかへ行ってしまう。俺はぼけっとしたまま動けなかった。

 俺が、出世か。やっぱり、現実味が湧かない。嬉しいっちゃあ嬉しい筈なんだけど、うーん。まあ、明日になったらそういうのも分かるだろう。もしかしたら、全部ドッキリかもしんないし。



 翌日、組織の仕事は夜からなので、俺は用事だってないのに、意味もなくカラーズに足を運んでいた。

 誰かに自慢したかったのである。寝て起きたら、出世って文字が急激に有り難く感じられた。これは追い風である。金がない。けどスーツは欲しい。爺さんにスーツを頼んだら、数字付きの話が舞い込んだ。明らかに、天が俺に味方している。ふ、ふふ。いや、やっぱり辞めるとかやめよう。あの組織でもうちょい頑張ってみようじゃないか。拾われた恩もあるし、後ろ足で砂を掛けるような真似はしたくないよなあ。と言うか不実ではないか。うん、そうに違いない。



「何も出さないわよ」

 俺の顔を見るなり、社長はそう言い放った。まだ何も言っていないってのに。

「いや、何もいらねえよ」

 とりあえずソファに座る。社長は居心地悪そうにしていた。今日の俺はそういうの気にしない事にしたから。

「仕事なら何もないわよ。悔しいけれど」

「へえ」と、俺は心ない相槌を打つ。

「……何か用なの? 先に言っておくけど、無心ならよしてよね」

「いやいや、むしろ、金の心配ならいらなくなるかもな」

 社長は疑惑の視線を俺にぶつけてくる。遠慮も容赦もない。ただ、真実だけを計ろうとするまっすぐな目だ。

「まあ、出世? するんだよね、俺」

「あなたは一生ヒラのままよ」

「ここでじゃねえよ!」

 しかも一生ヒラなのかよ!? もうこんなところ辞めようかな俺!

「掛け持ちしてるって言ったろ。そこで、まあ、そんな大層なんじゃないけどさ、給料は上がるって言われたんだ」

「へえ、ウチも助かるわね。その分、お給料を減らしても構わないんでしょう?」

「構うっつーの! お前さ、俺に逃げられたらヒーローいなくなるって事、本当に分かってんのかよ」

「逃げたら訴えるもの。お金、払えないものね? もしも勝手にいなくなったら、見つけ出して首根っこ引きずってむしり取ってもう二度とそんな気を起こせないように痛めつけるまで」

 多分、駆け引きとか照れ隠しとか、そんなんじゃなく、本心なんだろう。恐ろしいわ。

「独裁者め。……実はさ、スーツも、こっちで何とかなるかもしれない」

「何ですって? 嘘、本当?」

「マジだって。ちょっとしたツテがあってな、安く買えるかもしれないんだ。まあ、いつの事になるかは、全くの未定だけどよ」

「すごいじゃない!」

 お、おお? 社長が喜んでいる。珍しい。

「私、あなたの事を誤解していたわ。もっとグズでクズでカスの三拍子揃ったどうしようもないロクデナシだと思っていたもの! 流されるままに流される、私がこの世で最も嫌いな人間だと内心では蔑んでいたわ。けど、何も言われずにスーツのアテを探すなんて、立派な奴隷根性の染み付いた社蓄じゃない! 流石ね、ビバ社蓄」まくし立てる。

「そりゃどうもありがとう」

 ヒーローって何だ。正義って何だ。とりあえず、スーツをもらったらこのアマを再起不能なまでにボコボコにしてやる。

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