前へ次へ
69/137

あんたはやっぱり、いつまで経っても子供だよ



「百鬼草助は警察に出頭したわ」

「そうか」

「『杖持ち』と言っていたかしら? あの三人はヒーロー派遣会社が引き取ったらしいわね」

「……杖を持たされていたのは、身寄りのない子たちだったそうです」

「そうか」

 俺は完全に、ソファに体を預けた。カラーズにも良いところが一つくらいはある。例えば、このソファとか。

「あの小学校にも被害はなかったと思って良いわ。当分の間、グラウンドでサッカーは出来ないと思うけれど」

「お前ら、ちゃんとやる事やってたんだな」

「当たり前じゃない」社長はいつもの場所から、俺を見て意地悪く微笑む。

「あなたが頑張っていたんだから」

「そうかよ」

 朝っぱらから呼び出されたと思ったら、そんな事かよ。ああ、畜生。めちゃくちゃ眠い。

「何も思わないの?」

「あんたに褒められたって……」

「そうじゃなくて、昨日の事よ。あなた、美味しいところを持っていったんでしょう? イダテン丸から聞いたわ」

 あー、そうだったか。あんまり、喋りたくはないんだけどな。

「何があったのか、詳しくは話せないのかしら」

「まあ、込み入ってるしな。……森の中でさ」

 社長と九重は訝しげに俺を見た。気にせずに話を続ける。

「夫婦と、その子供が野犬に襲われたんだ。どうやったら、その家族は助かると思う?」

「ああ、そういう話だったの? でも、全然分からないんだけど?」

 勘の良い奴だな、くそう。

「……え? 社長、今のなぞなぞ、分かったんですか」

「まあ、その辺で納得しといてくれ」

「あ、あの青井さん、こ、答え、答えは?」

 自分で考えろ。



『何?』

「いや、別に。何となく、だけど」

『はあー、あんた平日の昼間から電話掛けてきて、良いご身分だね全く。正義、あんたしっかりやってんの? ちゃんとご飯食べてんの?』

「やってるし食ってるよ」

『アホな事してたらいかんよ』

「もうガキじゃあねえんだぞ」

 ごめんなさい。

「畑、どう? 上手くいってる?」

『はあー、駄目駄目、全然駄目。虫がね、野菜に付いちゃうの。薬撒こうって言ってるのに、お父さんはいかんって言うから、もうさっきから虫を潰しまくってるとこ。あんたからも言ってちょうだいよ、農薬は人体に無害だって。野菜なんかね、農薬使わないと美味しくならないってのにねえ、お父さんはほら、古い人だから』

「父ちゃん、元気か」

『歳だからね、腰が痛いとか肩が痛いとか、そんなんばっかり。でも、こっち来て煙草やらなくなったのよ』

 ああ、そう、だったのか。全然、知らなかった。そうか、煙草止めたのか。

『そんなん聞くくらいなら、あんたゴールデンウイークに帰ってきたら良かったじゃないの。こっちのね、仕事、手伝ってくれても良かったんじゃないの?』

「仕事があるんだよ。年中無休だからさ」

『なんだっけ? コンビニの店長さんやってるんだっけ?』

「……工場だよ、工場。うちんところ、コンベアが止まらないんだ」

『はあー、そんなところ辞めちゃいなさい』

 俺も辞めようかどうか考えてるんだけどなあ。

「俺さ、ちょっとだけ偉くなったんだ。だから、まだ辞められねえよ」

『ふーん? あんたも人様に認められるようになったんだねえ』

「お盆も駄目かもしんない」

『正月も?』

 俺は頷く。そうしてから、慌てて返事をした。

『若い内からあくせく働いたってしようがないよ』

「さっきはしっかりやれって言ってたじゃん」

『しっかり、休み休み、騙し騙しやっていきな』

 母さんは豪快に笑う。久しぶりに聞いた声は、やっぱり懐かしく思えた。

「ったく、うるさいなあ」

『はあー、あんたね、うるさく言われたくなかったらもっと電話よこしたらどうなの。そうしたらこっちだってこんな風に……』

 あー、もう、分かった分かったって。

『昔からそうだよ。あんたは分かりやすい子なんだから。でももう駄目だわ、機嫌が悪くなっても、お菓子とおもちゃじゃ釣れなくなっちゃったから』

「何? 何の話だよ?」

『正義が小さい頃はね、すーぐ怒る子だったあ。しょうもない理由で拗ねてね、お母さんの顔を見ようともしないの』

 覚えてねえよ。

『そういう時はお菓子をすっと出したら、すっとあんたの手が伸びてね、気付いたらにこにこしてる。我が子ながら、ちょろいとか思ったね、まあ今もだけど』

「……なあ」

『んー?』

「子供ってさ、機嫌悪くなったら、どうすりゃ良いんだ?」

 暫く、沈黙。

『あんた、子供いんの? 相手は? 結婚したの? それならそうと』

「そうじゃなくて、何となくだよ、何となく。俺がちょろいとか言うからだよ」

『はあー、早く孫の顔が見たいとは言わないけどね、お母さんは心配だあ。あんた、お父さんとお母さん死んだら一人だよ』

「で、機嫌が悪くなったらどうすりゃ良いんだ? と言うか、怒らせたらどうすりゃ良いんだ?」

 うーん、とか、あー、とか、母さんは唸っている。

「やっぱ、菓子とかおもちゃで釣るのか?」

『いや、そりゃああんたが現金な子だっただけだよ。はあ、あんたね、もう良い歳なんだから、それくらい分かるでしょ。ご機嫌斜めならご機嫌を取れば良いだけ。あんたが怒らせたんなら、心の底から謝れば良いだけじゃない。お母さんね、恥ずかしいわ。そんな事も分からないような人間に育てたようなつもりは』

「分かった、分かったって。ああ、うん、分かってるから。聞いただけだから」

 一を聞けば十が返ってくる。余計なお世話だっつーの。

『正義、子供なめちゃいかんよ。あんたも昔はそうだったけど、子供ってのはね、嘘を見抜くのが上手いんだから』

 なめてねえよ。俺より強いガキだっているんだからな。すっげえ不本意だけど。しようがない。

「はあ、子供か」

『子供よ』

 会話が止まった。だけど、決して気まずいとは思わない。そりゃそうだ。親子なんだから。家族、なんだから。そこには、正義も悪もないのだろう。正誤も善悪も関係なく、家族ってのは、そこにある。ああ、良いもんだなあ、なんて、そんな事を言うつもりはないけれど。

『そっちはどう、大丈夫?』

「何が?」

『辛くない? いやあな事があったら、放り投げて逃げちゃって良いよ。こっちはね、人手はいくらあっても困らないから』

 給料は出ないけどね。そう言って、母さんは笑った。

『こっちはね、なあんか時間の流れがゆっくりで。お母さんね、あんたが大人になってると思ってたけど、駄目駄目ね。あんたはやっぱり、いつまで経っても子供だよ』

「そりゃ、そうだろ」

『まあね、そうね。……ああ、うるさい。お父さんが何してるんだーって呼んでる。代わる?』

「いや、やめとく。じゃあ、そろそろ」

『また掛けてきなさいよ。あんたは、私たちの子供なんだから』

「うん」

 父さんの声が聞こえてくる。声に張りがあるような気がして、少しだけ驚いた。

「……あの、母ちゃん、俺さ」

 母さん、父さん、俺は、俺は。

『んー?』

「母ちゃん」

『何、早く言いな』

「……元気で」

『うん。正義も元気でね』



 家に帰ると、布団に包まったままのレンがいた。朝、ここを出た時と一緒の体勢である。

「ただいま」と声を掛けても返事はない。

「レン」

 俺は枕元に座り込む。レンは、うるさそうに寝返りを打った。

「ごめんな」

 黄前レンは俺の子供じゃない。兄弟じゃない。家族じゃない。血なんか繋がっていない。うるせえし、わがままだし、しかもそいつを押し通せるくらいの力があるし、血ぃ見たらスイッチ入るし、べたべたくっついてこようとするし、とにかく鬱陶しい。だけど、ガキ、なんだよな。こいつは俺よりも小さくて、なのに、守ってくれる奴はいない。うるさくしても仕方ねえし、わがままを言ったって良いんだ。力があるのは、レンのせいじゃない。俺とお前は成り行きでこうなってる訳だけど、少しくらい、ほんの少しくらい仲良くしたって構わないんじゃないか。なんて、思う。思った。

 そうやって拗ねてりゃあ、普通の子供なんだよな。……なあ、今回はさ、お前に頼らなくたって何とかなったぞ。見ろよ、やってやったぜ。

「……お兄さん」

「ん」

「お兄さんの、ばか」

「……ん」

 レンは布団から顔を出さない。

「僕より弱いくせに」

「うるさいな」

「僕の方が家事だって出来る」

「そうだな」

「ねえ、馬鹿で弱くて駄目なお兄さん」

「何だ?」

「今日、何が食べたい?」

 俺は少しだけ考えた。

「お前の作ったものなら、何でも」

前へ次へ目次