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僕はヒーローになりたかったんだ



 借りは返す!

 が、相手が少しばかり悪かったのかもしれない。借りを返すどころか、万倍にして借りを増やされそうだった。防戦一方である。針から逃げ回り、申し訳程度に太鼓を振り回す事しか出来ない。必要以上に距離も取れない。背中を向けようものなら、的になる事請け合いだ。

『やっちゃえやっちゃえ! パパに近づこうとする人は皆! 皆やっちゃえジギタリス!』

 左右に振るだけじゃ追いつかれちまう。杖から放たれる飛び道具、その狙いは正確だ。こっちの顔面を貫こうとしている。少しでも動きを止め、読まれちまえばおしまいだ。かと言って、ワンパターンな回避も難しい。

 ……こんなのが、後二人もいるのか。だったら、ダメージなんか受けてらんねえぞ。やっぱ、でんでん太鼓で無理矢理に押し通るしかねえ!

『ジギタリス!』

「了解」

 飛んでくる針なんざ見える訳がねえ。杖の向いている方向を頼りに、何となくで避けるくらいしか出来ない。それでも、不思議な事に上手くいっている。攻撃は喰らっちゃいない。

 立ち止まると同時、太鼓を振り回す。二つの鉄球がジギタリスへと向かうが、彼女は杖の指示に従い、身を低くし、針を放った。一点に集中した針は鉄球の軌道を変え、俺の体が僅かによろめく。

 その時、向こうの人波が一瞬だけ割れた。その中から百鬼さんの姿が覗くも、彼女は再び群集の壁で見えなくなる。

『パパが危ない!』

 ジギタリスは俺に背中を向け、駆け出した。俺は彼女を追いかけようとするが、横合いから飛び出してきた戦闘員に阻まれてしまう。

「邪魔だっ」

「へへっ、弱そうなんがいるじゃねえか!」

 赤茶色のスーツを着た戦闘員が飛び掛ってくる。あまりにも無防備過ぎる。グローブをはめた右腕でそいつを吹き飛ばすが、新たな戦闘員が砂煙の向こうから姿を見せた。おまけに、カンガルー型のスーツを着た怪人まで出やがった。

「ガルルゥー! 何だぁ? 一般人が紛れ込んでるじゃねえか?」

「そんな事よりさっさと逃げましょうよ! ほら、あいつが後ろから!」

「ガル?」

「きたあああああああっ!」

 振り向き、叫んだ戦闘員が仰向けに倒れ込む。ついで、カンガルー怪人がくぐもった悲鳴を発した。

 青い影が飛び回り、跳ね回る。そいつが動く度、戦闘員が地に伏していった。

「ガルルッ、貴様、何者だ……!?」

「…………お覚悟」

 あ、やっぱりイダテン丸じゃん。ふぃー、助かった。カンガルー怪人がぶっ倒れたのを確認してから、俺は彼女の近くまで歩いていく。

「奇遇だな、助かったぜ」

 イダテン丸はじっとこっちを見てから、倒れた戦闘員たちを見回した。

「…………助けたのですが」

「ん? 何だ?」

「いえ。それより、ここで何をしておられるのですか。もしや、白鳥社長たちもここに?」

「いんや。あいつらはあっちで避難手伝ってると思う」

 と言うか、そうでないと困る。流石に、この状況じゃああいつらを守れないだろうし。

「…………お仕事ですか」

「半分は。もう半分は好奇心だよ。この先に用があるんだ」

「お供したいのは山々ですが」

 イダテン丸は乱戦に目を向ける。こっちを目掛けて走ってくる怪人が見えた。

「二人揃って足止めを食うのもつまらない話でしょう。青井殿、ここはお任せを」

「お前にはいつも助けられてるな」

「…………お気をつけて」

 彼女だけじゃあない。俺はいつだって、誰かに助けられている。そんなんでヒーローを名乗れるのか? 名乗る。俺はそう決めた。無茶苦茶でも良い。やり方なんか選んでられるか。こちとら生身でやってんだ。それくらいは大目に見てもらったって罰は当たらねえだろう。



 グラウンドの隅には、べこべこに凹んだ用具倉庫が横倒しになっている。そこに、白衣を着た男が脚を組んで座っていた。間違いないだろう。この状況下で落ち着いていられる者など、殆どいない。彼が、百鬼草助だ。でっけえ隈に、青い顔。健康に良さそうな生活を送ってそうには見えない。歳は、四十を超えたくらい、だろうか。

 草助の対面には、百鬼さんがいる。彼女は杖を支えにどうにか立っているといった様子だった。

『パパー、この人どうするのー?』

『やっちゃえやっちゃえ』

『勝手な事したら駄目だよー!』

 いつの間に、ここまで来ていたんだ。スターアニス、デルフィニウム、ジギタリス、杖持ちの三人が百鬼さんを囲んでいる。杖持ちが充分な距離を開けているのは、反撃を恐れているから、なのだろうか。……無理だ。もう、彼女は戦えそうにない。唯一の得物、シャクヤクは折れていなかったが、心が追いついていないのだろう。挫かれ、消失した戦意はどこから汲み上げれば良い。

 草助は動かない。足を組み、腕を組み、死にそうな目で百鬼さんを見ている。彼女は片膝をつきながらも、必死に睨み返していた。だが、それだけだ。それ以上は何も出来ない。

 良く見ろ。

 良く考えろ。

 俺に、何が出来る。俺なんかに何が出来る。俺が出て行って、何が変わるってんだ。ヒーローなんて言葉や肩書きに呑まれて酔うんじゃない。足を進めるな。前に出るな。もっと、もっと頭を使って、戦うにしたって、真正面から行く事なんかないだろうが。

『あっ、パパ、新しい人が来たよ』

『えへへ、どうする? やっちゃう? やっちゃう?』

 駄目だった。体が勝手に動いてた。まあ、アレだ。どうせ考えたって何も浮かばなかっただろうし。良いさ、なるようになれだ。ちくしょう。

「どうして、来たの……」

 百鬼さんが声を漏らす。俺は答えなかった。答えを持っていなかったのだ。

「……百合、か?」 あ?

「百合、なのか?」

 草助の瞳が俺を捉える。しかし、その焦点は怪しいものだった。彼の目玉はぎょろぎょろと、常に動き回っている。果たして、見えているものがあるのだろうか。あったとして、どういう風に映っているんだろうか。なんにせよ、こいつ、イカレてやがる。

「覚えているか、百合。ここは、お前が死んだ場所だよ。お前が怪人に殺された場所だよ」

「てめえ、何抜かしてやが……」足を踏み出そうとしたが、杖持ち三人に、一斉に得物を向けられてしまった。動けば撃つってかい。

 草助は立ち上がり、虫みたいに眼球を動かし続けていた。

「覚えているか、百合。ここはお前が死んだ場所なんだ。ああ、戻ってきてくれたんだね。……ああ、百合が増えてるじゃないか? 四人も百合がいる。覚えているか、百合たち。ここはね、お前たちが殺された場所だよ」

 何? 何だこいつ? 何を言ってんだ?

「……無駄よ。話は通じないから」

 百鬼さんは苦しそうにしながらも、俺に向かって口を開いた。

「百合が亡くなってから、こいつはずっとこうなのよ。……百合は、通っていた小学校のグラウンド、つまり、ここで怪人に殺されたの」

 だから、ここにヒーローや怪人たちを呼んだのか? 娘が死んだ場所で、自分の力を示したいが為に?

「百合、ほら、母さんだぞ。お前の事を大好きで、お前の大嫌いな母さんがここにいるぞ。嬉しいだろう、親子三人、揃ったぞ」

 草助は空を見ながら喋っていた。俺は百鬼さんに駆け寄り、彼女の状態を確かめる。酷い怪我はしていないと思うが、服が焼け焦げていた。スターアニスの攻撃を喰らってしまったのだろう。

「はは、百合、そう嫌がるなよ。母さんも悲しんでいるぞ」

「……百鬼、さん?」

 百鬼さんは唇を噛み締めていた。俺は、彼女はまだ完全には折れていないんだと気付く。しかし、どこか危ういものを感じさせた。

「分かったと思うけど、話ならするだけ無駄よ。もう、ね。これをどうにかするか、されるか、それしか残っていないの」

 これ。百鬼草助。彼はその場に座り込み、こっちに目を向けた。が、常に動き回っている為、俺を見たのは一瞬の事だろう。

「この人は、何がしたいんですか」

「……こいつは」

「百合、僕はね、認められたかったんだ」

 俺は思わず顔を上げた。こっちの声が届いている事に、話が通じている事に驚いたのである。

「僕は認められたかったんだ、百合。世界中の人間に、この街のヒーローに、ある組織の博士に、何よりも何よりも、母さんに認められたかったんだよ。分かるか、百合たち」

 杖持ちも、杖自体も、一切の声を、音を発さなかった。

「認められたかった、ですって……!」

 百鬼さんは立ち上がろうとするが、足に力が入っていない。膝が震えるだけで、それ以上は何も起こらなかった。

「ふざけないでっ」

「百合、僕はヒーローになりたかったんだ。百合、僕はヒーローに認められたかった。百合、僕は母さんに好きでいてもらいたかった。百合、百合、百合?」

「もう、黙って……!」

 草助は黙らない。百鬼さんは声を荒らげて、むせて、咳き込んだ。

「お前が百合を殺した! 訳の分からない趣味に巻き込んで、百合を!」

「百合、母さんが怒ってるぞ。怖いなあ。でも、僕はそんな母さんを好きなんだ。分かるか、百合」

「おかしい! おかしいおかしいおかしい、狂ってる!」

 声を放つ。会話を試みる。無駄だと言っていた当の本人が、嗚咽交じりに感情をぶちまける。

「……狂っている?」

 ぎょろりと。草助の目玉が百鬼さんを捉える。

「狂っているのは母さんだ。百合が死んだのに、母さんは何もしなかった。ただ、泣いて、悲しんでいただけだ。僕は違う。僕はスーツを作っていたからね」

「そのスーツのせいであの子は死んだの!」

「なあ、百合。百合もヒーローなら分かるだろ?」

 草助は俺を見た。俺を見ながら、娘の名を呼ぶ。

「百合たちのスーツの性能の凄さが分かるだろ? 僕はね、百合も、百合たちもね、皆ヒーローなんだ。ヒーローは強くなきゃいけない。強さを示すには、悪い奴らを倒すのが一番だろ? なあ、百合。父さん、間違ってるか? 百合、お前もヒーローなら分かるだろ。父さんのやっている事が凄いって分かるだろ? なあ、百合。お前は母さんに味方するのか? 違うよな。お前は、母さんの事が嫌いだったもんなあ」

 俺は、この家族の間で何があったのか、全部は知らない。娘が死に、不幸があって、ばらばらになってしまったんだ。そうは言える。だけど、口だけだ。俺は何も知らないに等しい。

 百鬼牡丹は、草助に娘を殺されたと思っている。

 百鬼草助は、娘が殺されたのに牡丹さんが何もしなかったと言っている。

 百鬼百合を殺したのは誰だ? 直接手を下した怪人か? それとも、彼女にスーツを渡した草助か? 事が起こるまで気付けなかった牡丹さんか?

 誰が正しくて、何が悪い? 何が正しくて誰が悪いんだ? 誰が罪を負い、罰を受けるべきなんだ?

「なあ、百合」

「……決めたぜ」

 俺は杖持ちをねめつける。三人の少女は表情一つ変えやしねえ。イダテン丸のそれとは違う。こいつらからは何も感じられないんだ。……誰のせいだ?

 お前の言う通り、俺は確かにヒーローだよ。

「美味しいところってのは、ここしかねえだろ」

 可哀想だ。可哀想だよ。娘を怪人に殺されて、頭おかしくなって、ばらばらになって、その上、この有様だ。

「百合?」

「青井、君……?」

 可哀想だ、百鬼草助。お前はどの口で、自分がヒーローだなんて抜かしやがる。ガキだろうが。死んだのはてめえのガキなんだろうが。どうして、自分のスーツを作らなかった。どうして、娘にスーツを渡したんだ。どうして、杖持ちなんか作ったんだ。お前の趣味に誰かを巻き込むなよ。全部、てめえ一人でやってりゃ良かったんだ! 何がヒーローだよ、くだらねえ。スーツ作って、それで娘が死んでりゃ世話ねえだろうが。お前は、何がしたかったんだ?

「ヒーローやりたきゃ、てめえだけでやってりゃあ良い」

 正義の味方ごっこがしたいならよそでやれ。俺を巻き込むな。他人を巻き込むな。何より、てめえの家族を巻き込むな。

「……あ、ああ、百合? どうして……?」

「けどな、ここまでやっちゃあ野放しには出来ねえよ」

「どうして僕の邪魔をするんだ!」

「ヒーローだからだ」クズでも、グズでも、中途半端の偽者野郎でも関係ない。

 確か、ヒーローとしての力を証明したいなら、悪い奴をぶっ倒せば良いんだったよな?

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