トリマーでもポリマーでもないからな!
百鬼牡丹が姿を見せた。彼女は杖を携え、己の敵に向かっている。
百鬼草助が、彼女の敵だ。
ああ、と。俺は思わず呻いてしまう。そうか、と。納得してしまった。ここは彼らの戦場なのだと。ヒーローたちも、戦闘員も、杖持ちでさえも前座に過ぎないのだ。
フェンスから降りた俺は、手持ちの武器を確かめる。ウェストバッグにはでんでん太鼓と、めんこが多数。それから、グローブ。それだけだ。シルクハットは邪魔臭いので脱いでおく。つーかこれサイズ合ってねえし。
「……どうしようかな」
雪崩れ込んできた戦闘員たちは、杖持ちを狙わない。恐らく、奴らは草助の仕込みだろう。百鬼さんから聞いた話が真実ならば、彼の目的は力を誇示する事にあるのだ。ヒーローを集めたのも草助で、彼は、自分の作り出した『杖』の力を試そうとしているのだろう。尤も、杖持ちの三人は敵味方の区別が付いていないと言うよりも、付けていないのだろうと思われた。自分たち以外は全て敵だと、全てが的だと認識しているに違いない。
やってる事はめちゃくちゃだ。大人のする事じゃない。実の娘の声で話す武器を作り、少女に持たせて戦わせる。……人間のやる事じゃあない。百鬼さんじゃなくても、誰だってブチ切れるに決まってる。だが、草助を、杖持ちを止められる者もそうはいない。むちゃくちゃだろうが何だろうが、杖持ちの力は確かだ。並のヒーローや戦闘員を物ともしない、圧倒的な火力を備えている。あの弾幕を掻い潜るのは至難の業だろう。
でも、行く。
いつかの乱戦と同じように、ここにも正義と悪が溢れ返っている。
百鬼さんは、自分はヒーローじゃないと言っていた。正義も悪も、そんなものは関係ないとも言っていた。俺はどうだ? 正義が、悪が、自分を賭けられるものがあるのか?
「あるよなあ」グローブを右手にはめる。俺は今、カラーズのヒーローとしてここに立っているんだ。誰かに自慢出来るような、ご立派な正義はないけれど、何かはある。そう信じているし、そうに違いない。答えは持ってる筈なんだ。願わくは、俺のちっぽけな答えと、百鬼さんの答えが近い事を。
とは言っても、まともには戦えない。と言うか戦えない。姿勢を低くし、グラウンドの隅をこそこそと進む。ここは混乱の坩堝と化しているので、俺を認める奴なんざ、そうはいないだろうけど。
「囲め囲め取り囲めっ!」
「ヒーローどもを生かして帰すなよう! お前ら、もっと前出ろ!」
とてもじゃないが、あんな風にはやれそうにない。巻き込まれたら最後、ボロキレになっちまいそうだ。
「やられてたまるかよ! 押し返すぞ、サンシャインは右からっ、ダンザインは左から攻めろ!」
「あっ、兄ちゃんいたぞ!」
「おらあああっお前らヒーローだろうが! 逃げてんじゃねえぞ!」
百鬼さんはどこだ? もう、草助のところに辿り着けたんだろうか。
相変わらず、杖持ちの砲撃は止まない。雨霰と、鉄球や針のようなもの、それから、爆発物がグラウンドに注がれている。その度に、誰かが悲鳴を上げていた。
「おいっ、そこでこそこそしてるの! 止まれ!」
「わーっ、上だ上!」
『あははははははっ! すごいよスターアニスっ、もっと! もーっと! あの人たちのハートをキャッチしちゃえ!』
『あーっ、リリーたちったらずるーい! デルフィニウム、こっちも向こうの人たちを狙って! 負けてらんないんだから!』
くそ、やっぱ杖持ちの火力はハンパねえぞ。早く止めなきゃ。誰か止めてくれ。
「止まれって! 言ってんの!」
「……あ?」
俺の前方に、ツナギを着て、ゴーグルをしたチビっこいガキが立ち塞がっている。畜生、見つかった。しかも、こっちを指差すクソガキは、物騒なもんを持っていた。拳銃である。
「だっ、や、止めろ、止せ。何だ、何だよいきなりっ、撃つな、撃つな! 絶対に撃つなよ」
「んー? そーゆー事言われたら撃ちたくなっちゃうな」
銃口を向けられ、俺は一歩、退いた。ガキは意地悪く笑う。
「あっ、兄ちゃんたち遅いってば。ほら、あいつだよ。間違いない。変なマスクしてるけどバレバレだよね」
「がはははっ、すまんすまん!」
でかい男と、細い男がガキに近づく。三人とも、同じ格好だ。ツナギに、ゴーグル。
ってか、バレバレかい。……あれ? つーか、『あいつ』って、俺の事だよな? 間違いないって、どういう意味だ。
「ここで会ったが百年目。覚悟しなよ」
「……え、あ? あれ、あのさ、勘違いしてないか?」
「何が」いや、何がって。俺を親の仇みたいな感じで見てるけどさ。
「お前ら、誰? どっかで会った事あったっけ?」
ガキは持ってた拳銃を地面に叩きつける。
「ボクたちを忘れた!? あっ、頭おかしいんじゃないの! ハリマ一家だよ、ハーリーマー! トリマーでもポリマーでもないからな!」
ハリマ? あー、確か、こないだコンビニを襲った奴らだよな。逃がしちまったのを思い出したぜ。
「あ。あーあーあー、いた。いたな、そういやそんなのも。はっはっは、よう、久しぶり。こんなところで何してんだ?」
「わあああっ、何だよその友達感覚! ボクたちを馬鹿にしてるんだなっ、そうなんだな!」
忘れてた忘れてた。いや、杖持ちとかすげえのが出てきたから、どうにも印象が薄くなっちまってたらしい。
「じゃ、俺は急いでっから」
「は、はあ? 逃がす訳ないじゃん。あんたは、ここでボクたちに葬り去られる運命なのさ! でも可哀想だから、土下座したらボコボコにするだけで許したげるよ。スーツを着ていないよしみって奴で」
土下座した相手をボコるってのもどうなんだ。
「がはははっ、何だ茜。お前、こいつに惚れてんのか?」
「あー、確かに。いつものお前なら、ムカつく奴には有無を言わせず襲い掛かるもんな」
「……兄ちゃんたち、何言ってんの?」
「なあ、急いでるんだけど」
「うるさいなあっ、あんたが悪いんだから黙っててよ! 黙って殴られたりしてよ!」
くそう。急いでるのはマジなんだぞ。邪魔しやがって。
「許してくれよ茜ちゃーん」
「わあああああ!? なっ、名前呼ぶな! 馬鹿じゃないの!? いっ、一郎兄ちゃんのせいなんだから!」
「がははは、すまんすまん。ところで茜、俺の名前は言っても良いのか?」
「あ……」なるほど。でかいのが一郎さんね。
「そっちの細身は二郎ってところか?」
「おう! 当たっとるぞ!」
「兄ちゃんのばかーっ! 何言ってんの何やってんの!?」
ひひひ、パーソナルデータを押さえてやったぜ。……使いどころはなさそうだったが。
「もーっ! もう良い! もう知らない!」
ガキ(茜ちゃん)は拳銃を拾おうとするが、そうはさせるか。俺は一気に距離を詰め、拳銃を蹴り飛ばす。大男、つまり、一郎が拳を振り下ろすが、その攻撃はグローブで受け止めた。脇から二郎が蹴りを放つ。腕で防げばダメージが残っちまう。俺は飛び退き、砂煙に塗れた。
「ああああ、ボクの銃が……」
「いやー、悪い悪い。悪いついでに通しちゃくれねえか?」
「通す訳……!」
「いや、通るぞ」
馬鹿でけえしゃもじを担いだ女が、俺の横に立つ。彼女は、赤丸夜明はハリマ一家を睨みつけ、鼻で笑った。
「こがぁな奴らに苦労しとるようじゃのう」
ここにいたのは知っていたが、まさか、赤丸がこっちに回るとは思ってなかった。
「何さ、あんた。そいつの仲間なワケ?」
「うちが?」
赤丸は担いでいたしゃもじを下ろし、ハリマ茜を見据える。
「こいつと手ぇ組むくらいなら、死んだ方がマシじゃ」
「言ってくれるじゃねえの。だったらてめえは何しに来たんだよ?」
「悪党は許さん。そのついでに就職活動が出来れば上出来」
「はっ、誰がお前の活躍を見てるってんだよ」
「お天道さんが見てくれればそれでええ」
風が巻き起こる。赤丸はしゃもじを振り回し、自分の得物をハリマ一家に突きつける。
「自分の事を考えんのは、お前らを仕留めた後じゃ」
「……兄ちゃん、こいつ、ボクたちを舐めてる。ハリマ一家の恐ろしさを――――」
二郎君が吹っ飛んだ。彼は右に弾き飛ばされ、フェンスに体を打ち付ける。
「ありゃ? 何か手ごたえが……」馬鹿。やり過ぎだぞ、赤丸。
「こいつら、スーツ着てねえんだよ」
「そりゃあ悪い事を」
赤丸は全然気にしていなさそうに笑った。
「ひっ、ひ、非常識だあああああ!? 何だよこいつ!?」
「いや、スーツ着てたらこれくらい普通だろ」
「仲間を呼ぶなんて卑怯だ!」
だから仲間じゃねえって。まあ、ここは赤丸に任せておこう。
「おいヒーロー」
「何じゃ半端者」
「頼めるか?」
赤丸は俺に目を遣り、口の端をつり上げる。
「お前に言われんでも、悪党を見逃すつもりはない」
は、そいつは頼もしい。
ハリマ一家を赤丸に任せ、俺は百鬼さんを追う。恐らく、彼女は草助のところにいる。辿り着き、戦っているかもしれない。ケリがついているかもしれない。何もかも終わっているかもしれない。だが、止まれない。美味しいところを頂こうってつもりもねえ。
赤丸は、ハリマ一家に時間を掛けないだろう。武器の有無は関係ない。スーツも着ていないんじゃ、あいつの相手はハリマ一家には荷が重い。っつーか、無理だ。だが、赤丸がこっちに来てくれるとも思えない。無駄に派手だから、今頃は別の戦闘員に狙われているだろう。こっから先、彼女の助けは期待出来ないな。
『あっ、またこっちに来たよ』
「う……おおっ!?」
思わず、足を止める。
そうかよ。ここで会っちまうか。そういうもんなのか、やっぱ。
『ようしジギタリス、この人もやっつけちゃえ』
「了解」
忘れるものか。
ふわふわとした、綿菓子みたいに甘い雰囲気を持った少女。淡い、今にも消えてしまいそうな紫色のワンピース、えげつないほどにフリルのついたスカート。白いニーソックス、先が尖ったブーツ。そして、金属製の杖だ。その杖の先端には、小さな、釣り鐘のようなものがくっついている。
忘れるものかよ。
こいつが、数字付きを追い込んだんだ。
『あれ? でも、この人前にも見た事があるかも。まあいっか! うん、いっくよージギタリス!』
ジギタリス! それがてめえの名前か!
『あーっ、何それ! いきなりなんて!』
手持ちの武器を確認するまでもない。何を使ってどう動くか考えるまでもない。ジギタリスの、と言うより杖持ちの戦法は把握している。遠距離からの飛び道具。これだ。これに尽きる。スターアニスは爆弾を、デルフィニウムは鉄球を使っていた。ジギタリスが何を飛ばすかは分かってないが、何かを飛ばすのだとは分かっている。だったら話は早い。無理矢理に距離を詰めちまえば良いんだ。
ジギタリスは距離を取ろうとするが、俺はでんでん太鼓のワイヤーを伸ばす。グローブじゃあ届かない。だったらこいつだろ。中距離くらいなら俺にだってこなせるんだ。
「また会ったよなあ!」
『ジギタリス! エナジーアロー!』
「了解」何か来る! 俺は身を低くしながらも太鼓を振った。ろくに見えてもいないが、当たるとやべえのは向こうだって分かってる筈だ。精々ビビれ!
腕に微かな痛みを感じる。何かが刺さった。だけど確認は出来ない。立ち止まらず、前へ詰めるのを考えてろ。
『これ以上は下がっちゃ駄目!』
ジギタリスの持つ杖、その先端の小さな釣り鐘がスライドしていき、穴が開く。まずいと判断し、倒れ込むようにして地面に伏せる。僅かに遅れて、後方から叫び声が聞こえてきた。
『続けて、エナジーアロー!』
「ぐっ、おおっ……!」
腕に刺さっていたのは、小さな針だった。細く、薄い。不幸中の幸いか、長さはさほどでもなく、そいつを引き抜くのに苦労はしなかった。俺はその場から転がり、立ち上がる。
ジギタリスが飛ばしていたのは針だったのだ。くそ、道理であの夜は何も出来なかった訳だ。何も見えなかった訳だ。暗がりでこんなもん飛ばされちゃあどうしようもねえ。あの夜も、あの杖から大量の針が飛び出していたに違いない。そうして混乱しているところを、一人ずつ頭をどつかれてやられてしまったのだ。
「いってえ……」
掠っただけで済んだのを幸運と思うべきだろう。針に毒みてえなもんが塗られてたらやべえけど、コスト的にそいつは厳しいだろう。うん。そうであってくれ。
『あーっ避けられちゃった! もう一度だよ、ジギタリス!』
やらせるか。とにかく、追い縋ってぶん殴る。太鼓振り回して引っ掻き回して、グローブであの杖を壊しちまえば良い。ジギタリスだけなら何も怖くねえ。身体能力だって大したもんじゃない。あの得物が、少女に命令を下し、攻撃させている。杖を潰せばどうにかなる! どうにかする!
『しつこいってばあ!』
ジギタリスの長髪が風で流れる。彼女が杖を振り上げると、先端の部分が揺れる。それは魔女の指抜きのようにも思えた。