敵性存在多数確認
ずっぷりと沈んでいく感覚。地面に立っている筈なのに、ふわふわとした気味の悪い感覚。明日はどうなるのか、考えない日はない。眠りに就く寸前まで、心は休まらない。明確な答えが欲しいのだ。何か一つでも良い。これだと、信じられるものが。
「いだっ!?」
早朝。目は覚めているが、倦怠感に包まれて暖かい布団の中でもぞもぞする。気持ち良い。寝返りを打ち、だらだらする。が、上から何か落ちてきて、俺の目は完全に覚めてしまった。眠気カンバック。
「……何すんだよ」落ちてきたのは、ケータイだった。何かすげえうるさい。すげえ震えてる。
「電話」
とっくに目が覚めていたか、ケータイの着信メロディに起こされてしまったのであろうレンに見下ろされる。彼のご機嫌は変わらず斜めだった。しかも、社長からの電話である。朝ってのはもっと清々しいものじゃなくちゃいけねえ。
「あー、もしもし?」
『おはようヒーロー。お仕事よ。嬉しい?』
「……はいはい、嬉しいともさ。今日は何をすりゃ良い? 着ぐるみか? それともビラ配りか?」
『お仕事と言っても難しいところね。誰かに依頼を受けた訳ではないのだけれど、そういう匂いがしているの』
どういう匂いだよ。
『小学校のグラウンドにね、ヒーローが集まっているの。それも大勢』
「へえ、俺は呼ばれてないけどな」
『腹立たしい話だわ。でも、何か起こりそうだとは思わない? 上手くいけば、カラーズの宣伝にもなるわ』
ヒーローが一箇所に集まっている、か。小学校に集まる理由は分からんが、何かありそうなのは確かである。
「集められてるって可能性はないか? 罠があったら怖いぞ」
『じゃあ、最初は様子見で、最後に美味しいところをいただきましょう』
「そりゃ良い。ヒーロー的だな」俺は思わず笑ってしまった。
一体、何が始まるというのか。暇だし、見物がてらに行くってのも悪くない。
「分かった。今からそっちに向かう」
『ええ、待っているわ』
通話が終わり、俺は息を吐く。レンと目が合うが、彼はすぐに視線を逸らしてしまった。
「今から仕事なんだけどさ、お前、どうする?」
「何が?」
「いや、何がって。だから、いつもみたいに付いて来るのか?」
立ち上がったレンの顔は真っ赤である。俺は思わず、後退りしてしまった。
「いつもって何さ! 僕、別にそういうつもりないからっ」
「あ、そ、そう? じゃあ、留守番お願いしようかなあ」
「勝手にすれば良いじゃん」
カラーズへと向かう途中、俺はずっと背中を摩っていた。出掛けに、レンに蹴られたのである。彼にとっては『ちょっとした』、『軽い気持ちで』なんだろうが、自分の力を考えろってんだ。ああ、畜生。だからガキは嫌いなんだ。
「遅いわよ」
「……おはようございます」
それから、こっちのガキも嫌いだ。
到着するなり、タクシーから冷ややかな視線を浴びせられる。九重は助手席の扉を開けてくれた。
「早く乗りなさい。現場に向かうわよ」
「わあってるよ、うるせえなあ」
助手席に乗り込むが、九重は小首を傾げている。早く出せよ。
「あの、レン君は?」
「あいつなら留守番だよ」
「あら、珍しい事もあるものね。あの子、あなたにべったりだったじゃない。ふふ、もう振られちゃったの? それとも倦怠期?」
しばくぞ。
「拗ねてるだけだよ。心配なら様子見に行ってやれ」
その代わり、癇癪を起こされて殴られても知らんが。
「そうね。じゃ、お仕事の帰りに寄ろうかしら」
「茶は出ねえぞ」
「何なら出るの?」
愚痴か、文句。
目的の小学校は、住宅街を抜けてまっすぐに進んだ先の坂の下にある。
タクシーが停まり、俺は外に出て小学校のグラウンドを見下ろした。いる。確かに、ヒーローたちが。
「運動会でもすんのかよ」
こっからじゃ遠くて分からんが、校舎の外に出ている児童はいなさそうだった。多分、体育館かどっかに避難しているんだろう。全く、迷惑掛けてんじゃねえぞ、あいつら。
「……数、多いですね」
「まあな」降りてきた九重に目を遣ると、彼は不安そうな眼差しでグラウンドを見つめていた。
だけど、何かが起こるって雰囲気じゃあない。てっきり、怪人が出ていて、とっくに乱戦状態になってるのかと思ってたが。
「青井」社長に呼ばれて、タクシーに戻る。彼女は窓を開け、俺を手招きしていた。
「まだ何も起こっていないの?」
起こって欲しそうな口振りだなあ、おい。平和が一番だろうが。
「まあな。つーか、何なんだ、ありゃ。小学校にプレッシャー掛けてどうするつもりなんだろうな」
「あ、青井さん」
今度は九重に呼ばれる。
「イダテン丸さんがいます」
「えっ、マジで」九重は指を差しているが、良く見えん。本当にイダテン丸がいんのか? ……うわ。目を凝らすと、馬鹿でかいしゃもじを持った奴が確認出来た。間違いない、あんなもんを得物にするのは赤丸ぐらいだ。あのアマもあそこにいるのかよ。帰りたい。
ヒーローは十、いや、二十人はいる。そこに怪人が現れたとして、俺の出番はなさそうだ。つーかあの状況じゃあ出てきた瞬間にボコられるだろ。
「帰ろうぜ。駄目だ駄目だ」
「……何か出てきました」
何かって、何?
俺が口を開くより先、爆発音が轟いた。次いで、悲鳴が上がる。何事かと振り向けば、グラウンドには砂煙が舞っていた。抉られた土が中空にまで吹っ飛んでいる。
「青井っ、何!? 何が起こったの!?」
「何か知らんが始まったぞ!」
戦闘だ。誰が仕掛けた? 痺れを切らしたヒーローが技を放ったのか? 状況を確認しようにも、砂と煙と埃のせいで何も見えねえ。
「……車に」
「お、おう」俺たちは車に戻る。危険だが、もっと近づかなきゃ駄目だ。
「社長、ガキどもは避難してるのか?」
「分からないわよ、そんなの。で、アレは何? 怪人が出たの?」
分からないのはこっちも同じだ。
シートベルトを装着するや否や、九重は車を発進させる。
「ギリギリまで寄れ。俺だけで行ってくる」
武器を持ってきていて正解だったな。流石に、手ぶらで突っ込むのは無理だ。
「お前らは一般人の避難を頼む。他のヒーローもそっちに回るだろうが、手が離せない状況だったらやばい」
「任せておいて。……はい、これ」
後部座席から、にゅっと出てきたものがある。シルクハットと、白と水色のチェック模様の仮面だ。
「変装用よ。今日は奇術師風にしてみました。どうかしら?」
どうもこうもねえよ。受け取るけど。つけるけど。
「この帽子、すぐに脱げちまいそうだ」
「置いてく?」
だったら最初から渡すな。
「……縁があるな」
「何か言った?」
「いいや、何でも」
停車したタクシーから降りると、グラウンドの様子がはっきりと見えてくる。戦闘を仕掛けたのは、杖持ちだ。煙と喧騒の外側に、デルフィニウムと呼ばれていた少女が立っている。
「九重、表っ側にタクシー回せ。俺はまっすぐあそこに向かう」
九重が頷いたのを確認し、俺はフェンスに向かって駆け出した。フェンスの背は高いが、上れないほどではない。足を掛け、一気に飛びつく。そこから、タクシーが正門の方に向かうのが見えた。よしよし、巻き込まれるんじゃねえぞ。
グラウンドは阿鼻叫喚だ。ヒーローたちがあっちこっちに逃げ回っている。だが、グラウンドから背を向けようとする者には飛び道具が放たれていた。……攻撃の方向から見るに、杖持ちは三人いるらしいな。デルフィニウムと、スターアニス、そして、あいつだ。俺たち数字付きを壊滅寸前に追い遣った、あのガキだ。
「うわあああああああああっ!? 何なんだよちくしょう!」
「俺を楯にすんな! あっち行けよ、あっち!」
「来るんじゃなかったああああああああああ!」
三方からの攻撃に、ヒーローたちはボロボロである。混乱しきっている。が、それが収まった時、不利になるのは杖持ちの方だろう。数が違い過ぎる。一体、奴らの狙いは何なんだ。
……今、フェンスから降りて参戦しても乱れ撃ちのつるべ打ちに遭うだけだな、ありゃ。もう少し、こっから様子見しとくか。
風が吹き、煙が流れ、晴れていく。
影が動いた。凄まじい勢いで、その影は杖持ち、スターアニスに迫る。
『こっちに一人来たよっ、やっちゃえスターアニス! ぶっ殺しちゃえ!』
イダテン丸だ。彼女は短刀を構え、身を低くして地を駆ける。いいぞっ、やっちまえ! が、イダテン丸は校舎の方に目を遣り、動きを止めた。つられて、俺も校舎を見る。
「おおおおおおおおおっ!」
「よりどりみどりじゃねえか!」
「ヒャッハー! ヒーロー狩りの始まりだあああああ!」
身を潜め、隙を窺っていたのだろう。グラウンドの左手にある校舎から、黒い集団が戦場に雪崩れ込んでくる。数は、あー駄目だ。数えられん。が、十や二十じゃきかねえだろう。下手すりゃ百人くらいか? 戦闘員が殆どだが、中には怪人らしきスーツを着た奴もいる。どこの組織のもんかは知らんが、奴らにとっちゃあ、千載一遇、絶好の機会に違いない。
イダテン丸は戦闘員たちを標的と定めたらしく、スターアニスから離れていく。ヒーローの中からも、立ち上がり、向かっていく者が現れ始めた。だが、どいつもこいつも戦闘員をターゲットにしてやがる。杖持ちと戦おうとする奴はいない。そりゃそうだ。距離を取られてるし、一人だけでいっても的になるだけだ。まずは邪魔な戦闘員を片付けるのだろう。上手くいくかどうかは別として。実際、杖持ちを止めない限りは飛び道具を受け続けちまうんだ。
『撃て撃てっ、撃ちまくれーっ!』
『私たちも負けちゃ駄目だよ!』
『ほらほらゴーゴー!』
杖が主を煽っていた。その、甘く、高い声に従い、杖持ちの攻撃は激しくなる。あの声が、百鬼百合の声なのか。なるほど、やはり可愛らしい。だからこそ、薄気味悪い。
しかしアレだな。どうしよう。本格的にどうするべきか。機を逸したような、そんな気がしてならない。戦闘員の群れは他のヒーローがどうにかするかもしれねえけど、杖持ちをどうにかしねえとまずいんじゃないのか? マジで、たった三人にここに集まったヒーローが全滅させられちまうんじゃねえのか。社長は美味しいところを掻っ攫えとか言ってたけど、どうにも……ん?
乱戦から離れたグラウンドの隅に、誰かがいる。腕を組み、戦闘を眺めている。余裕綽々だと言わんばかりな男だった。彼は白衣を着ており、姿勢が悪かった。猫背のせいで分かりづらいが、身長は決して低くないはずである。人相はこっからじゃはっきりしないが、どうも、病的だ。少なくとも健康的には見えん。いや、マジで誰だ、あれ。杖持ちから攻撃を加えられていないのを見ると、ヒーローではなさそうだ。かと言って、戦闘するようなタイプの人間とも思えん。戦闘員たちの乱入にも動じている風には見えない。
「……まさか、あいつが?」
ヒーローではない。
戦闘員でも怪人でもない。
教師? 生徒? いや、ありえねえだろ。紛れ込んだ一般人とも思えない。なのに、杖持ちから攻撃を加えられていない。だったら、あの男は――――。
「あら? また会ったわね」
視線を下げると、フェンスに手を伸ばし掛けた百鬼さんが見えた。彼女はスーツ代わりのエプロンをつけて、自身の得物であるシャクヤクという杖を持っている。百鬼さんは、ここにいるのが当然だという風な佇まいだった。
「不法侵入?」
「警察を呼びますか?」
「それでこの場が収まるならね。ああ、いいえ、そもそも、私の気が収まらないもの。駄目ね、こういう時の警察って。それとも、私が彼らに対して多くを望み過ぎているのかしら」
シャクヤクが機械音を発する。百鬼さんがそれを振るうと、フェンスがぶっ壊れて穴が開く。ここに上った意味を模索している内、彼女はグラウンドに進み出る。
「その格好、もしかして変装のつもり?」
「似合いますか。と言うか、一発でバレちゃいましたね」
「勘よ」勘かよ。
『……敵性存在多数確認。状況、辛。メテオフォールの使用を提案』
百鬼さんはシャクヤクには答えず、俺を見上げた。
「……あいつが、草助なんですね」
俺は白衣の男を指差すが、百鬼さんからは見えちゃいないだろう。それでも、彼女は頷いた。アレが敵だと、そう言ったのだ。
「邪魔、しないでね。もう、抑えが利かないと思うから」
「努力しますよ」
「嬉しいわ」全然嬉しくなさそうに言うと、百鬼さんは歩き始める。一歩ずつ、地面の感触を確かめるように。今までの道程を、確かめるかのように。