命乞いとクラシックは聞かない主義だ
勝算がない訳じゃあない。空を飛び回る相手ってのは確かに厄介だ。だけど、怪人の中身はあくまで人間。俺たちはどう逆立ちしたって人間のままだ。鳥にはなれない。見たところ、あのひよこもスーツを着ているだけで合成怪人の類じゃあない。狙うのは、あの羽根だ。あれさえどうにかすりゃあ、ピヨピヨうるせえあの野郎も地べた這いずり回るに決まってる。問題はこっちだ。オセロット君は、つまるところただの着ぐるみでしかない。もこもこしているだけで、身体能力が上がったりはしない。むしろ動き辛い。だが、朝から今までガキどもに追い回されて、そこそこには慣れている。ある程度は戦える筈だ。
「ピヨピヨピヨっ、ああ、子供は柔らかくて良いなあ!」
「そこまでだクソ野郎」
腕を組み、ひよこ怪人を見据える。野郎はこっちに一瞥くれた後、名残惜しそうに子供から手を離した。その隙に、子供たちは親御さんの元へ逃げていく。
「今の内に逃げろ」
促されて、母親たちは子供の手を引いて建物の中に避難する。ひよこ怪人がその後を追おうとするが、そうはさせん。俺は怪人の背中に襲い掛かる。しかし、野郎は飛行ユニットを使って手の届かない上空へ飛んでいった。
「ちっ、下りて来い! 焼き鳥にして食ってやるからよ!」
「ピヨピヨ! ピーヨピヨ! お前、それはスーツじゃないな? ただの着ぐるみだろう。でかい口、叩けば叩くほどお前は無様になるぞ」
既に無様晒してんだよこっちは。
「うるせえ殺すぞボケが」
言うと、ひよこ怪人は俺を目掛けて急降下してくる。好都合だ。とっ捕まえてその羽根むしり取ってやる。しかし、奴のスピードは予想以上に凄まじかった。俺の右腕は空をかき、怪人の足が胴に炸裂する。俺は地面に転がった。
ダメージは、意外とない。この着ぐるみが分厚いせいだろう。相手が鳥型の怪人と言うのも不幸中の幸いだった。機動力は群を抜いて素晴らしいが、火力を犠牲にしている。飛行ユニットという、扱い辛いものを装着しているのも今となっては運が良い。あれが壊れるのを、怪人は一番危険視している。向こうだって、無茶な攻撃はしてこないだろう。粘ればどうにかなるかもしれない。それどころか、俺が奴を倒さなくても良い。もう少しすれば本物のヒーローもやってくる。出来れば、それまでに飛行ユニットは壊しておきたい。そうすりゃ、後は囲んで終わりだ。
「ピヨピヨピヨ、お前の考えている事は分かるぞ。これだ。こいつをどうにかしたいんだろう」
怪人はご自慢の羽根を愛しげに撫でる。
「だが、それは無理だな。お前のスピードではついてこれまい。他のヒーローがやってくる前に始末し、子供たちを私の巣へ持ち帰る!」
くっ、速い。
屋上という開けた空間をフルに利用していやがる。怪人は上空を飛び、四方八方から俺に攻撃を繰り返す。捉えられない。視界が悪いのもあるが、何よりも、やはり速い。右にいったかと思えば左から、前かと思えば上からきやがる。とてもじゃないが、こいつはユニットを壊すどころか時間を稼ぐのですら……。
「何をやっているの青井! 早く仕留めなさい!」
わーい応援ありがとう社長。邪魔だからお前も失せとけよ。
「……ふん、なるほど。お前は派遣会社の社員らしいな。あのようなメスに扱き使われている訳だ。男子として、情けないとは思わないのか?」
「誰がメスよっ、青井、早く殺しなさい!」
やべえぞ、考えろ。考えろ。いや考えても無駄かもしんない。俺は、あいつには追いつけない。せめて、どこから攻撃が来るのか予測出来れば、まだ何とかなる。
「ピヨーッ! よそ見か小僧!」
頭に良いのをもらってしまう。俺は倒れ込み、立ち上がろうとしたが、怪人の攻撃を受けて、仰向けに転がされてしまった。
「ピヨピヨピヨ、しかし心根こそ素晴らしい。生身と変わらぬ身で怪人に立ち向かうとはな」
好きでやってんじゃないんだよ。俺だってスーツ着たいっつーの。
「だがここまでだ。ああ、早く子供に触りたい。子供たちに囲まれたい。愛しい雛鳥よっ、卑しい私に、どうか愛を教えてくれ!」
ここまでか?
次はどうすれば良い。どこから来る。上か、右か、左か、後ろか、前か、どこから……いや、待てよ。そうか。分かる、分かるぞ。野郎は、野郎の攻撃は――――。
「お、オセロット君……!」
九重が叫んだ。
俺は倒れたままでひよこ怪人を睨みつける。奴の姿は雲間に隠れて見えなくなる。だが、分かるぞ。上空から、狙いを定めて急降下してくるつもりなのだろう。いや、そうに違いない。
「立ち上がるのよオセロット!」
だから、このままだ。
「ピヨーっ!」
奴は、上から来る。何故なら、俺がこうして、無様に倒れているからだ。寝転がっている奴を攻撃するには、真上からの攻撃しかないだろう!
俺は両腕を伸ばす。怪人の攻撃を防ぐ為じゃない。だから、ほら見ろ間抜け。
「うわああああああああああああ!」
力いっぱい叫ぶ。俺の両腕は、間抜けなてめえを抱き締める為にあるんだよ!
急降下してきた怪人は頭から突っ込んできていた。覚悟は決めていたが、一撃目はどうしたって避けられない。胴に、頭が突き刺さる。歯を食い縛って、意識が飛びそうになるほどの痛みを我慢する。
「なっ、お前まさかこれを……!?」
だが、しっかりと掴んだ。俺の右腕は怪人の羽根を。俺の左腕は怪人の胴体を捉えている。堪えろ堪えろ、力を振り絞れ。
「おお……っ!」
羽根を、引き千切る。
「うああああああああ!? 羽根がっ? 羽根がああ!?」
片方だけで良い。羽根型のユニットは二つ揃わなけりゃ、バランスが取れなくて飛行は難しくなる。
「俺で良けりゃあ愛してやるぜ! 骨までしゃぶってやるよォ!」
ひよこ怪人が悲鳴を上げた。俺は千切った羽根を投げ捨てて、もう片方のユニットにも手を伸ばす。
「ひっ、や、やめろ! やめてくれ! 高かった、高かったんだそれは!」
「知るか! こっちだって痛かったんだ! てめえただで済むと思ってんじゃねえだろうな!」
情けなんか掛けてられるか。こっちは命が掛かってたんだ。二度とうろちょろ出来ないように、徹底的に痛め抜いてやる。
「いやだああああ誰か助けてくれええええ!」
「それでも怪人かてめえは!」
だが、怪人の声は届いたらしい。
「そこまでだっ」
振り向くと、屋上には背の低い男が立っていた。赤み掛かった長い茶髪、特徴的な高い鼻。真っ赤なコートを翻し、そいつは俺の方に近づいてくる。
「……?」
足音が、人間の放つものではなかった。金属が擦れてぶつかるような、妙に高い音を奏でている。こいつ、改造を受けてやがる。全身じゃないが、恐らくは下肢部分。いつの間にかここにいた事を考えるに、こいつにも飛行能力が備わっているのかもしれなかった。
だけど、そんな事はどうでも良い。俺は助かったのだ。しかも、怪人の飛行ユニットをぶっ潰すといった活躍を見せつけて。今回の仕事は、どうやら成功に終わったらしい。
「遅いじゃないか、ヒーローさん」
怪人から手を離して立ち上がる。俺は着ぐるみの中でにこやかな笑みを浮かべていた。
「それ以上近づくな、ゲスめ」
「は?」
「貴様、どこの組織の者だ?」
俺は首を傾げる。こいつ、何を言っているんだ?
「答えろ、悪党が!」
あく、とう? まさか、俺の事を言っているのか? 恐ろしくなった俺は、社長たちに目を向ける。彼女たちも呆然としていた。
「い、いやいやいや! 俺は怪人じゃねえって! ただの人間だから! これだってスーツじゃねえし、着ぐるみだし!」
「騙されんぞ。俺は見ていたぞ、貴様の戦いを。ヒーローとは思えん。悪魔のような戦いだった」
そりゃ悪魔にでもならねえと、ただの人間が怪人に勝てる訳ねえだろうが。
「ともかく、彼から離れろ。これ以上の暴虐は許さん」
言われて、仕方なく俺は引き下がる。何だか、視野の狭い奴に捕まってしまった。
「君、大丈夫か?」
「う、うう。羽根が、羽根が……」
よりにもよって、ヒーローが怪人を助けようとしてやがる。馬鹿か。
「なあ社長、あいつに何とか言ってやってくれよ。このままじゃ俺ら悪役だぞ」
「そうしたいのは山々だけれど、話を聞いてくれるような雰囲気ではないわね。とりあえず、私たちは事情を説明する為にここの社員を呼びに行くわ」
「なっ? てめえふざけんな! こんな奴と二人きりになったら、死ぬまで殴られちまうぞ!」
社長と九重は、逃げるようにこの場を去った。あまりの早業、迷いのなさに、俺は動く事が出来なかった。
「……さて、貴様の処分についてだが」
俺は精一杯首を振る。横に。横に。横に。
「待て待て待てって! 俺は怪人じゃない! お前の敵じゃないんだ!」
「ふ、俺の敵だと? それを決めるのは俺自身だ。そして、お前は俺の敵だ。俺が、そう決めたからだ。悪魔め覚悟しろ」
ま、まずいって! まずいって! そういうのはまずいって!
「よせ、よすんだ!」
「命乞いとクラシックは聞かない主義だ」
「ぎゃああああああああああああ! やだやだやだーっ! 死にたくねえよおおおおお!」
「あら、少しばかり遅かったかしら」
小一時間ほど、俺はヒーローに殴り続けられた。蟻をいたぶるように、とても優しく、だけど恐ろしい力で。もはや動く体力どころか、このクソアマに罵声を浴びせる気力も残されていない。
「かっこいー! 飛んでる! すっごい飛んでるー!」
「次はおれをのせてくれよう!」
デパートの関係者を連れてきた社長たちがヒーローに事情を説明し、誤解が解けた頃、既に俺の体力は限界に近かった。
あの鼻高野郎は、怪人を倒したヒーローとして、子供たちに大人気。羽根をもがれたひよこ怪人は別のヒーローにどこかへ連れて行かれてしまった。俺は、ここで何をしている?
「……大丈夫、ですか?」
「…………そう見えるなら、眼科に行った方が良い」
やっぱり、ヒーローは嫌いだ。と言うか死ね。第一、野郎は言いやがった。『見ていた』と。後から出てきて、おいしいところを持っていくんだ。金も、名声も、何もかも。実際、怪人と戦っていたのは俺だろうが。ガキだって、その母親だって、それを見てたんじゃねえのかよ。何だこの仕打ち。地球滅びろ。
「きっと、酷い顔をしているわね」
社長はこっちを見る。
「悔しい?」
「別に」
「悔しいのね。でも、それはあなたが自覚したからかもしれないわ。自分が、ヒーローなんだって。だから、悔しいのよ」
ヒーローなんざくそくらえだ。
「また失敗しちまった」
偉そうに出張っていって、この有様だ。しかも怪人にやられたんじゃない。ヒーローにやられたんだ。曲がりなりにも、ヒーローを名乗っていたのに。
「失敗ではないわ。ここのデパートにカラーズの名前を覚えてもらえたでしょうし、恩だって売れたでしょう。ふふ、色をつけてもらっちゃったわ」
「……風船、もらいました」
「あなたがやったのよ。確かに、最後はしまらなかったわ。けれど、子供たちを守ったじゃない。途中までは、私が予想していたよりも、ずっと上手に戦えていたわよ」
もしかして、慰められているのだろうか。やめてくれ。惨めになる。
「か、かっこよかったです」
嘘つけ。
「はあ、もう良いわ。九重、帰るわよ」
「え? で、でも」
「青井はそこでいつまでもふて腐れているつもりらしいから」
それは困る。俺は急いで起き上がった。
「ふざけんなよ、ちゃんと乗せてけっつーの!」
戦闘で疲れて、ヒーローにボコられた俺を放置するなんてアホかお前ら。
「だったら、それは脱ぎなさい。借り物なんだから」
ああ、忘れてた。俺は被り物の頭に手を伸ばす。けど、すぐには、取れなかった。
「何しているの? もしかして取れないの? 不器用ね」
「ちげえよ」ただ、少しばかり名残惜しかっただけだ。悪いな、オセロット君。中身が俺じゃなけりゃ、もうちょいかっこよくなれたのによ。
「本当、口が悪いなお前は」
「あなたに言われたくないわ」
オセロット君の頭を脱ぎ、そいつを地面に放る。九重が後ろに回り、チャックを下ろしてくれた。ありがとう。本当、お前は気が付く奴だな。そこの女にも見習って欲しいもんだよ。
「ふー、涼しい」
風が気持ち良い。屋上ってのは、風が吹く。空が近くて、何だか、スーツなんかなくたって飛べそうな気がしてきた。
「うあ、汗まみれじゃないの。駄目よ、駄目。九重、やっぱり青井は乗せられないわ。車の中が男臭くなるから」
「てめえが持ってきた仕事のせいだろうがよ! おい九重、絶対に乗せろよ。こんな女に尻尾振ってたらろくな事にならねえからな」
俺は九重と肩を組む。無理矢理に。
「二対一だ。はっはあ、社長さんよう。女ってのは男に勝てないように出来てるんだなあ、これが」
「性差別ね。あなた、本当にヒーローとしての自覚はあるの? まるで悪役、しかも小物じゃないの」
一瞬どきりとしてしまったが、まあ、概ねその通り。今更悪だの下っ端だの言われたところで怯むものか。
「ま、今日の私は少しばかり機嫌が良いから、同乗を許可しましょう」
「……あ、そういやオセロット君の仕事はもう良いのか?」
「仕事どころじゃないもの。それに、マスコットならあそこにいるでしょう?」
言って、社長は子供たちに囲まれるヒーローを指差していた。鼻高改造野郎は、俺をボコりにボコっていた時のような鬼みたいな形相はどこへやら。その辺にいる、ちゃらい兄ちゃんになっている。
「オセロットでも、ひよこでも子供の人気は取れなかったな」
「所詮、被り物、偽者だもの。本物のヒーローには敵わないわね」
「ヒーローっつうか、空を飛べるのを珍しがってる風にしか見えないけどな」
「あら、それは負け惜しみと言うのよ」
ところで、さっきから九重は一言も喋らない。それどころか息していないようにも見えた。
「あなたが臭いのよ。離してあげなさい」
「はいはい」まあ、確かに臭い。少し可哀想だったかな。けど男同士だし、何を気にする必要があるのやら。ううん、九重とはまだぎこちない。俺のが年上なんだし、もっとこっちから歩み寄ってやろう。うん、そうしよう。そんで仲良くなって結託して、いつかこの社長を痛い目に遭わせてやろう。げへへ。
「やだ、何よその顔。気持ち悪い」
マジで。いつか痛い目に遭えば良いんだ。