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エドは当分が好きだな!



 男たちが叫ぶ。走る。逃げる。惑う。舞う。

「ぎゃあああああああああ!」

「ちょおおおお前こっち来んなって!」

「わーっ金ならやるってだから! だからああ!」

「俺だけでも助けてくださいお願いしま――――」

 だが、誰一人として戦うのを選ばなかった。

 俺たちの乗ってきたワゴンは炎に包まれ、立っている者はもはや一人もいない。

 たった一人の少女によって、俺たち数字付きは壊滅させられたのだ。

「カノコ」

 ノイズが走る。

『状況終了だよっ、みぃんな倒れて動けないみたい!』

「了解」

 杖が喋った。やけに、甘ったるい、舌足らずの声である。件の主婦が持っていた杖の、無機質な声とは違っていた。しかし、同じだ。こいつらは、同じものなんだ。俺の直感がそう告げている。そうに、違いない。

 少女は倒れている俺たちに気を払わず、そのまま背を向けて行ってしまう。

 立ち上がろうとするが、体が痛んでてすぐには動けない。上半身だけを何とか起き上がらせて、立ち上る炎と、煙を見つめた。



 幸いにも、死者は出なかった。しかし、最初に車を降りた二番と五番の二人は、すぐには復帰出来ない程度に痛めつけられていたそうである。

 仕事も、当分はなさそうだ。不幸、か? いや、その二人に比べりゃ俺なんて大した怪我をしていない。打撲、擦り傷で済んだ事を幸運と感謝すべきだろう。

 それよりも、あの少女は何者なのだろうか。

 殆ど何も喋らず、ただ、俺たちを痛めつけて去っていった。悪の組織の戦闘員だから、こんな目に遭うのか? ……まあ、仕方ないっちゃあ、仕方ない。もしかしたら、こっちに恨みを持ってる奴なのかもしれん。が、あの目が気になる。何も見ていない、虚ろな瞳。そんな目をした奴が、他人に恨みなんて抱けるものなのだろうか。

 杖と、少女。

 一体、彼女たちはこの街で何をしようというのだろう。



 組織で軽い手当てを受けた後、俺は控え室に戻った。そこには、俺以外には誰もいない。皆、今日はもう帰ってしまったのだ。何となく、すぐに動こうとは思えず、パイプ椅子に座る。

 机に突っ伏し、両目を瞑ると、燃えるワゴンが脳裏を過ぎった。

 数字付きが、ガキ一人にああまでやられるとは。信じられん。

「……アオイ?」

 誰かが部屋に入ってきていたのに、俺は気付けなかった。顔を上げると、心配そうな表情をしたエスメラルド様がこっちを見ている。

「あ、あの、本当に、すいませんでした」頭を下げた。彼女に合わせる顔がない。

「何を謝ってるんだ? 私は、お前たちが無事で良かったと思っている。その、杖を持った女は許せないな。理由もなくお前らを倒すなんて、あんまりだ」

 理由なら、ある。俺たちは悪の組織の人間だ。それだけで、理由にはなるんだ。

「だから、あんまり気にするな! それよりエドが数字付きを呼んでる。……あれっ? アオイだけか?」

「今日はもう帰って良いと言われてましたから」

「誰にだ?」

「先生です」

 ここの人間が先生と呼ぶのは一人しかいない。組織の隅にある部屋、通称は保健室。の、主である。組織では唯一の医者と呼べる存在だ。だが、免許を持っているかは危うい。怖くて聞けないし。先生は男なのか女なのかも分からない。歳を食ってるのか、まだガキなのかどうかもさっぱり。全身を包帯でぐるぐる巻きにしているのだ。保健室に来た人間の様子を見ただけで(本当に見えてるのかどうかを聞くのも怖い)、適切な処置を行う(筈)。会話は筆談で行う。その字もやたら汚いので、解読には時間を要する。付添い人がいなければ、誰も先生に頼ろうとはしない。と言うかなるべくなら行きたくない。

「んん、センセイか。じゃあ仕方ないな。よし、アオイだけでもこっちに来い!」

 ええ? 俺だけぇ? また、何か厄介な事を言われるんじゃねえの? 杖持ちを倒せとか、探せとか、さあ。



 江戸さんはいつにも増して難しそうな顔をしていた。見た事もないような薬の瓶を机の上に並べて、それを見つめている。

「あの、江戸さん……?」

「あっ、ああ、青井君。呼び立ててしまって済まない。それから、エスメラルド様。あなたをこのような些事にお付き合いさせるのは……」

 エスメラルド様は小首を傾げた。

「さっきも言ったけど、私は好きでやってるんだからな。なー、アオイ」へ? や、その言い方ってちょっとおかしくないですか?

「そうですか」

 部屋の空気が一度か二度は下がった。そうに違いない。

「先生から先刻連絡が来てね、他の数字付きは帰ってしまったそうだが……青井君。君だけでも話を聞いていきたまえ」

「勿論です」断れる訳がないだろう。

「話というのは、他でもない。先の通り魔の事だ」

「……通り魔、ですか?」

 ヒーローでも、ヒールでもなく、江戸さんはあの少女を通り魔だと呼んだ。何か、違和感を覚える。

「名乗っていないからね。我々は悪だよ。それは間違いなく、紛れもない。そして、我々と敵対する者はヒーローだ。彼らは自らをそう名乗り、正義を謳う。我々悪の組織だって、時には別の組織との抗争もあるが、相手が悪の組織と名乗る以上、悪は悪だ」

 江戸さんはもったいぶった風に、遠回りに言う。彼が何を言いたいのか、何となくは分かるが。

「君たちを襲った者には仲間がいる。その者が、別の時間にヒーローを襲っていたのだよ」

 瞬間、あの主婦の事を連想してしまう。

「仲間って、どんな奴なんですか?」

「君たちを襲った者と似たような格好をしていたよ」

「プリプリガールズだ!」

 ずいっと、俺の目の前に突き出されるものがあった。見慣れたフィギュアだった。

「なー、アオイ! 魔法少女だったんだよな!」

「エスメラルド様。青井君たちは、その魔法少女に襲われたのですよ」

「うっ、ご、ごめんアオイ。ちょっと、興奮してしまった」

「いやー、俺だってそう思っちゃいましたよ。何かに似てるなーって」

 そういや、エスメラルド様はそのアニメが好きだったっけ。

「昨日から、喋る杖を持った少女の目撃情報が多数寄せられていてね。最初はヒーローが襲われていたと聞いたから、無視しても構わないだろうと判断していたんだが」

 俺たちが襲われたって訳か。

「正直、少女たちの目的が分からない。ヒーローに攻撃を加えたかと思えば、今度は悪の組織の戦闘員を襲撃する。自分たちの素性も目的も明かさないまま……まるで、戦うのを望んでいるだけの機械だ」

 江戸さんはコップの中身を呷る。だから、彼はヒーローとも、ヒールとも言わなかったのか。まあ、そいつらのやってる事は、確実にヒーローじゃあないんだけどな。

「目撃された杖の少女は三人。君たちを襲ったのは、紫を基調とした服を着ていた少女だったそうじゃないか。他の二人は、赤、そして青を基調としたドレスを着ていたそうだ。三人ともが、持っていた杖と会話を成立させていたらしい」

「間違いありません。絶対、そいつらです」

「注意が必要だ。が、注意しても向こうからやってくるのでは、どうしようもないか」

 天災に近い存在である。

「……三人ですか」

「ああ、そう聞いているが、何か疑問でもあるのかな」

「いや、それ以上いたら嫌だなあって」

 違うのか? あの時、ブタ怪人と戦った、杖を持った主婦は関係がないのか? だけど、喋る杖なんて奇天烈な武器が被るとは考えにくい。

「私もそう思いたいが、いないとも限らないだろうね」

 だが、最初から切り札を見せ付けてくるような連中にも思える。考えがあるようで、殆どなさそうな。

「あれだけ派手に動いているんだ。勝手に情報は入ってくるだろうね。全く、最近はまともに仕事を出来ないね。困ったものだ」ただでさえ少ない仕事なのに。

 はあ、また様子見か。

「私は出るぞ。魔法少女を見てみたいし、それから、殴る」

「エスメラルド様、何をおっしゃっているのか……」

「部下がやられたんだぞ! 黙ってられるか!」

 だが、エスメラルド様は妙に楽しそうだった。俺たちの敵討ちってのは丸きり嘘じゃあないんだろうが、欲望が前に出過ぎている。良いんだけどね。

「駄目です。当分は部隊の怪人、末端の戦闘員に至るまで待機させておきましょう」

「また当分かっ。エドは当分が好きだな! この当分好き!」

「いけません」ぴしゃりと切って捨て、江戸さんは腕を組む。どっちが部下か分からん。



 チケットが出たので、タクシーを呼んで帰った。久しぶりだったので、テンションが上がる。いや、まさかあの組織からこんなものが出るとはな。数字付き様様。江戸さん最高ひゃっほい。

「ただいま……」静かに。しずかーに、鍵と扉を開ける。こんな時間だ。レンはまだ眠っている。寝てなきゃ怒る。

 俺は何だか目が冴えていて、すぐには寝られそうにない。布団の上であぐらをかき、ぼんやりと、物思いに耽る。

 考えるのは、杖を持った奴らの事だ。考える事が次から次へと現れて、全くもって面白くもない。

 俺を助けてくれた主婦。俺たちを襲った少女。どちらも、喋る杖を持っていた。少女には似たようなのが二人も仲間にいるらしい。あの主婦は、少女たちの仲間なのだろうか。……そうは、思えなかった。あの主婦は、自分が誰かも分かっていない、何をしたいのかも良く分からないような人間には見えなかったのである。

 似てるけど、違う。決定的に違っている。じゃあ何が違うのか。そう問われれば答えに窮する。所詮、俺。下手の考え休むに似たりである。だったらとっとと寝ちまった方が良さそうだった。

 もう一度、あの人に会えれば良いんだけどな。



 朝、早く起きる。レンの用意してくれた朝食をぼけっと見ながら、俺はふと、ある事を思いついた。

「どっか行くか」

「会社に?」

「いや、遊びに、とか?」

「あはっ、本当!?」

 自分でも良く分かんないままに言ったからなあ。だけど、レンは嬉しそうである。別に、俺はこいつを喜ばせるつもりなんかなかった。ただ、何となく、そう言ってみただけである。

「あんまし遠くは駄目だからな」もしかしたら、会えるかもしれない。会って、何を話そう。そこまでは考えちゃいない。ただ、確かめたかった。俺はもう、巻き込まれているのだ、と。杖持ちのガキどもがスーツ着た連中を襲うってんなら、俺たちがまた狙われるかもしれねえ。向こうから来るんなら、こっちはずっと息を潜めてなきゃならねえんだ。そんなんは、かったるくて仕方がない。可能な限り、ぎりぎりまで迫ってやる。

「水族館と商店街はナシな。あ、人が集まる場所も却下」

「そんなんじゃあどこにも行けないよ。だってさあ、遊びに行くなんて久しぶりだもん」

 そういや、アレだ。こいつは基本的に、ここか会社にいるんだっけ。追われてる身なんだから、こそこそとしてるのが当たり前だけど。だけど、ガキ、なんだよなあ。血の気の多い事に巻き込まれない限り、レンは大人しい。スイッチさえオフのままなら、どこに出しても恥ずかしくないハナタレ小僧である。

「とりあえず言ってみ。どこに行きたいんだ?」

「あは、じゃあね、デパートに行きたい」

 デパート。デパート、かあ。うーん。大丈夫、か? 家を出て、駅に着いて、電車に乗って、降りて、歩いて、デパートに入って……どこもかしこも人だらけじゃねえか。知り合いに見つかったら、やっぱりやばいよなあ。

「近くのコンビニは?」

「お兄さんが遊ぶって言ったんじゃない! 僕、近場じゃ誤魔化されないから」

「じゃあ、ぜってえに人様に迷惑を掛けるなよ。約束な」

「はーいっ、まもりまーす!」

 返事も笑顔も満点である。ま、ずっと引きこもらせるのも可哀想だし、たまには良いか。だがしかし、約束を破ったらどうしてくれようか。

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