前へ次へ
52/137

えらくなるんだぞ?



 ミストルティンは事実上、崩壊した。ヒーロー派遣会社だから、倒産したと言うべきなのかもしれないが。

 社員は逃げ、所属していたヒーローもほぼ、悪の組織に倒され、捕らえられたと聞いた。生き残ったヤテベオの連中は、まだ、元ミストルティンの奴らを追いかけているそうだ。首領のタイタンマットもあの場を脱していたそうである。彼らには後ろめたい気持ちがあったので、生きていてくれて良かったと、心から思った。

 赤丸夜明を庇った俺も、俺たちを庇った形になるクンツァイトも、特にお咎めはなかった。俺は下っ端同士の揉め事という扱いだったし、クンツァイトに至っては、江戸さんは何も言わなかったのである。心中、お察しする。



「青井君、君を呼んだのは他でもない」

 俺は、江戸さんとエスメラルド様に呼び出しを受けていた。お咎めはなかった筈なので、別の理由だろう。平静を装うが、内心は裏切りがバレていないかで心臓バクバクである。

「実は、クンツァイトからなのだが、君に関する、とある報告を受けている」

 クンツァイトから? あの人が何を言ったんだろう?

「どうやら、しゃもじを倒したのは君らしいじゃないか」

「……へ?」

 江戸さんは嬉しそうに笑っていた。

「いや、私も分かっているよ。しゃもじは他の戦闘員や怪人との戦闘で傷ついていたのだろう。弱っていたのだろう。しかし、最後に倒したのは、君なんだ。鬼すら倒してしまいそうな気迫を放つしゃもじに向かっていったのも、また君だ。それに、獲物を取られまいとする気概も素晴らしいではないか。やはり、君とあのヒーローは相性が良いらしい。あのヒーローが絡む度、君は何かをやってくれるね」

 べた褒めである。そう言われたら、そうかもしれない。だけど、やっぱり、俺が赤丸を仕留めた訳じゃあないんだよな。自分一人の力だけでやったんならともかくだ。

「そんな、まぐれですよ。ラッキーだったんです」

「謙遜する事はないよ。……青井君、怪人になるつもりはないかな?」

 目の前が真っ暗になって真っ白になって、良く分からない感じになった。

「か、怪人、ですか?」

 江戸さんは頷く。

 願ってもない話だ。怪人って事は、つまり、昇進って事じゃねえか! この俺が? 俺が怪人に? マジかよ。良いのかよ。すげえ、すげえぞ。

「怪人になれば専用のスーツも支給され、給料も上がる。危険な仕事につく時もあるだろうが、それは百も承知だろう。ああ、それから、部下もつく。流石に怪人になったばかりで数字付きの部隊をもらえるような事はないだろうけど、時間の問題だろう。君には能力がある。そこまで来られたのは、まぐれや幸運かもしれない。しかし、それもやはり君に備わった力なのだ。そう、自覚したまえ」

 ああ、ああ、知ってる。知ってるよ。怪人だ。怪人だぞ。六年燻ってたのは、今日、この日の為だったんじゃないか。

「君にはエスメラルド様部隊の怪人として、今一層励んでもらいたい。この話、決して悪くないと思うんだが」

 悪いどころか良いことずくめである。断る理由なんかない。……ない筈なんだ。

「……有り難いお話ですけど、今の俺には、考えられません」

「ふむ、つまり、怪人にはならないと?」

 なりたいけど、やっぱ違うと思う。

「や、その、めちゃくちゃ嬉しいっす。評価してくれてる人がいるってのは、もう、その、何と言って良いかわかんないですけど、あの、自信がないんです」

 言ってる事がむちゃくちゃだけど、江戸さんはちゃんと聞いてくれている。

「無理だと思っていたら、君に今の話をしていないよ。君にならやれると思ったのだ」

 それはもう、非常に有り難い。嬉しい。だけど、今回に限っては俺一人で得たものじゃあない。他の戦闘員や怪人のお陰なのである。と言うか、怖い。怖いんだ。何か、どうなるか分からなさ過ぎる。確かに出世したのはすげえ嬉しい。給料だって上がったし。だけど、世界が変わった。面倒な事が増えた。

「申し訳、ないです」

 数字付きになってから、しんどい事ばっかりだ。気楽な下っ端に別れを告げたんだから、仕方がないんだけど。

「それに……」俺は目線をゆっくりと、移動させていく。その先には、むすっとした顔のエスメラルド様がいた。さっきから、彼女は一言も口を利いていないのである。

「……エスメラルド様。あなたは彼の働きを評価しないのですか。いけません、部下を褒めないというのは……」

「うるさいぞエド」

 ご機嫌斜めだった。

「アオイは良く頑張った。私の部下は全員頑張ったぞ。みんな、えらい。そんなの分かってる」

「では、エスメラルド様からも青井君に一言おっしゃってください。彼は、数字付きで終わるような人間ではないのです」

 えー、そこまで褒めちゃうの? ……まあ、強かな江戸さんの事だ。裏はある。俺を怪人に押し上げる事で得られるメリットもあるのだろう。

「アオイ」

 エスメラルド様が顔を上げる。彼女はじいっと、こっちをねめつけていた。

「クンツァイトから話は聞いたぞ。よくやった。あのな、お前、怪人になりたいか?」

 なりたいけど、なれない。まだなりたくない。

「はっきりしろ! なりたいのかっ、なりたくないのかどっちだ!?」

「なっ、なりません」

「…………な、ならないのか?」

 俺は反射的に頷く。

「でも、怪人だぞ? えらくなるんだぞ?」

 怪人になるのは怖いし、まだ早い。色々と理由は挙げられる。

「俺はエスメラルド様の数字付きになれましたから。今は、この仕事を続けていきたいんです」

「そうか。そう、なのか? アオイは、私の部下で良いのか?」

「ええ、楽しいですから」

「お前、良い奴! ちょっと嬉しくなったぞ!」

 きっと、この位置が気に入っているんだ、俺は。

 ま、まあ、江戸さんの顔が、ちょっと怖くなっているのは忘れよう。



 その日、俺はエスメラルド様から段ボール箱を渡された。『やる!』 と言われたのでもらっておいた。断る理由はない。中には、大量のソーセージや饅頭が入っていた。江戸さんの部屋にあったものだろう。多分。

 夜道を、段ボールを抱えて歩く。結構重い。ずっしり来る。

「あー、くそー」

 段ボールを置いて、俺はその場に座り込んだ。めんどいけど、捨てる訳にはいかないよなあ、やっぱ。……とりあえず、魚肉ソーセージの封を切る。食べる。美味い。飲み物も欲しくなってきた。近くに自販機ないかな。

「…………青井殿」

「うわっ!?」

 背後から声を掛けられる。ソーセージを噴出しそうだった。

「…………夜分に失礼。少し、お話がありまして」

「あ、ああ、何だ、お前か」

 声を掛けてきたのはイダテン丸である。一体、いつの間に。こええよ。

 彼女はこないだと同じく、文学少女って感じの服装をしていた。

「青井殿は、お仕事の帰りでしたか」

「ああ、そうだよ。で、用事ってのは?」 既に見当は付いているが。

「…………実は、先日、とある者を拾ったのです。ああ、拾ったと言うのは語弊があるかもしれません。託されたと、言うべきでしょうか」

 十中八九、赤丸の事だろう。

「分かった。話してくれ」

「…………屋上にその方を匿っております。事情は、道すがらお話しましょう」



 カラーズに着く前に、イダテン丸は赤丸と出会った経緯を話してくれた。だが、赤丸を頼んだのは俺である。なので、イダテン丸の話は再確認といった感じだった。

「…………こちらです」

 社長を起こすのもめんどいから嫌なので、こそこそと階段を上り、屋上への扉を開ける。

 屋上は、意外と綺麗だった。もしかして、イダテン丸が掃除をしたのだろうか。隅の方、ぽつんと何かが立っている。

「……倉庫?」

「広いですよ」倉庫なのか、やっぱり。

「…………いつもはここにいるのです。落ち着きますから」

 まあ、トイレとか風呂とか困るよな。こんなところに電気も水道も通っていないだろうし。

「赤丸もここに?」

「ええ、今はここに」社長にバレるからか? イダテン丸のいない時に物音がしていても、怪しまれちまうだろうしな。

 さて、どうするか。イダテン丸は俺が戦闘員やってるのは知らないんだし、上手い事口止めしないといけないだろう。赤丸には、俺がヒーローやってるって言っても大丈夫だ。と、思う。どうせ、バレてんだろうし。

「…………正直、誰かと共に暮らすのに慣れていないのです」

 イダテン丸はすっかり参っていた。あの凶暴女の相手をしていたのだ。そりゃ疲れる。

「おう、縹野か?」

 と、倉庫の扉ががらがらと開いた。中から現れたのは、間違いない。赤丸夜明その人だった。

 俺の思考は停止してしまう。彼女は俺を見遣り、目を細め、そして、指を差して叫ぶ。

「ぶっ殺す!」

「…………ええっ? あ、赤丸殿……?」

 イダテン丸が赤丸を止めようとするが、

「われぇ、ここで何をしとるんじゃ、ああっ?」

 俺は胸倉を掴まれてしまった。

「どういうつもりか聞いとるんじゃ」

「はっはっは、何を言っているのかさっぱりだ。いやー、イダテン丸さん、この人すごいですね。初めまして、僕は青井正義。あなたのお名前は?」

「な、なっ、舐めとるんかお前!」

 あー、もう、うるせえうるせえったらねえな。

「……そう言う事にしとけ」俺は声を潜める。

「イダテン丸は事情を知らんからな」

「お前、縹野にゆぅとらんのか?」

「言える訳ねえだろ」

 イダテン丸はちゃんとしたヒーローなんだぞ。俺が戦闘員ってバレたら、どうなるか。

「ふふん、自業自得」

「頼むから黙ってろ。……お前、俺に借りがあるんだぞ」

 赤丸は目を見開き、俺から手を離す。

「そがぁなもん、知らん」

「ざっけんなよ!?」

「ふふん、そがいにいがってもしようがないで。……うちは、われが憎ぅて憎ぅて……」

「なあ、いがってって、何? 日本語?」

 拳が飛んできた。

「あっぶねえな!」

「ムッカつく! 避けんなボケェ!」

 だって方言とか地元民以外にゃあ、外国語も同然だぞ。郷に入っては郷に入れ。俺に負けたお前は俺に従え。

 イダテン丸は表情こそ変えなかったが、心配そうに俺たちを見つめている。どうして良いか分からない風にも見られた。

「……ヤテベオ」

「あ、な、何いよん?」

「ヤテベオの連中は、まだミストルティンを追ってるんだよな」

 嘘ではない。ヤテベオの奴らの怒りはまだ収まっていないのである。

「われぇ、脅迫する気か」

「それはお前次第だ。だけど、俺は一人で死ぬのをよしとしないタイプだと覚えておいてもらおうか」

 互いが互いの命運を握っていた。運命共同体というには、少しばかりぎすぎすしているが。

「クズ」はっは、そんなん言われ慣れてんだよバーカ。

「ヒーローに言われたくないね……いだあっ!?」

 赤丸は俺の脛を蹴飛ばして、倉庫に戻っていく。とりあえず、口止めは出来たらしい。危ないところだった。

「…………赤丸殿とお知り合いだったのですか」

「まあな。薄い間柄だけど」

「あの、それで」イダテン丸は何か、言いづらそうにしている。

「…………私は、どうすれば」

 俺に聞くな。

「下に部屋を借りてるんだっけ? とりあえず、当分はそこに住まわせてやってくれよ」

 イダテン丸はマフラーの位置をずり上げた。

「家賃は請求しとけな」

 返事はない。

「…………赤丸殿は、ヒーローを続けるそうです」

「ああ、そうなのか」

 まあ、それ以外に何か出来るとも思えない。行き着くところに行き着いたのが、俺たちみたいな存在なのだから。

「フリーでやっていくというお話を伺いました」

 フリー、ね。そいつが難しいから、あいつはミストルティンに入ったんだろうに。別のヒーロー派遣会社からのスカウトを待っているんなら、あまりにも甘い。『元ミストルティンのヒーロー』って肩書きが邪魔をするに決まってる。厄介な奴を抱え込みたいと思えるようなところは、この街には存在しねえんだよ。ミストルティンは同業者からも嫌われてそうだし。生き残ったヒーローはヤテベオに追われてるんだし。

「悪いな、イダテン丸。何かあったら、いつでも……あ、連絡先とか教えてなかったな」

 俺はケータイを取り出す。イダテン丸が携帯電話を持っていた事に、少しだけ変な気分を覚えたが、連絡先を交換し合ってから、俺たちは別れた。ここにいても、赤丸に蹴られるか殴られるかの二択だしな。

前へ次へ目次