それでもまだ、ミストルティンのヒーローとして戦うのか?
常識的に考えて、俺が赤丸に勝てる訳がない。
俺のスーツは組織から支給される、量産品の戦闘員スーツである。赤丸のものとは比べ物にならないくらい、へぼい。今の俺には、爺さんからもらった武器がない。素手一本、自分の体だけで勝負するしかないんだ。
それがどうした。
今までだってそうしてきたじゃねえか。
「来んのか?」
「今……行くよ」
そんな訳で、俺は好き放題やられていた。あー、痛い。中々立てんぞ、こりゃ。
周りの奴らが手を出してこないのが唯一の救いである。多分、俺が完全に駄目になった瞬間、こいつらは赤丸に襲い掛かるんだろうな、きっと。俺はアレか、削り役くらいにしか見られてねえんだな。畜生、そうに違いねえ。
でも、何か変だな。俺はどうして、まだ立ち上がれるんだ。しゃもじの攻撃を喰らってるのに、どうして動ける。前みたいに、記憶を失うほどブチ切れてもいねえのに、意識はある。だからこそ、変だ。
ゆっくりと立ち上がる。節々がいてえ。どうにかなりそうだ。だが、どうにかなっている。
「おお、らあっ!」
簡単に避けられ、簡単に殴られ、簡単に倒れる。それを何度か繰り返した時、俺は違和感の正体に気付いた。
こいつ、弱ってるんだったっけ。そういや、そうだ。忘れてた。今の今まで鬼のような戦いを見せていたから、完全に忘れてたぜ。赤丸はヤテベオの襲撃を受け、そして、今の今までずっと戦っていたんだ。……たった、一人で。
こいつぁ良い。手加減してる訳でもなさそうだと思ってたが、出したくても、力が出せないって事かよ。だーから、俺みたいな戦闘員に手こずってんのか。
「お、とと……」立ち上がろうとしたけど、足がふらついている。まあ、幾ら万全じゃあないからって、ダメージがないって事は、ない。と言うかグロッキー寸前です、俺。
「踊っとんか、われ。楽しそうじゃ、なあ、っと」
「うおっ」しゃもじを振るわれる。その風圧だけで、俺はバランスを崩してしまった。
こうして粘っていられるのは、赤丸が加減しているからじゃあない。彼女の体調が悪いってのもあるが、経験が、俺を生かしてくれている。そりゃ、一挙手一投足までは読めないし見えないけど、何となくといった勘が、俺を動かしていた。
砕けたアスファルトを掴んで、投げつける。しゃもじで防がれる。赤丸は苛立った風に得物を振るった。俺は横っ飛びでそれを避ける。精彩を欠いてるのはどっちもだ。どっちも、疲れ切ってる。
戦いを見てる奴らも分かってるんだろう。どちらかが倒れてしまうのを。赤丸が倒れれば、それでおしまい。そして、俺が倒れれば、彼女はやっぱりおしまいなのだ。この状況、もはやヒーローに勝ち目はない。
「うあああっ!」
それでも、赤丸夜明は戦い続けるのだろう。
俺は逃げている途中にすっ転ぶ。赤丸がしゃもじを振り上げた瞬間、建物から誰かが出てきた。エスメラルド部隊の奴かと思ったが、そうではない。そいつは、そいつらは、普通のおっさんに見えた。もしかして、逃げ遅れた一般人だろうか?
「しゃ、ちょう……」
「……あ?」
赤丸は、そのおっさんたちを見ていた。その視線に気付いた彼らは、再びビルの中に引っ込んでしまう。
瞬間、誰かが叫び声を放っていた。あいつだと、逃がすなと声を荒らげている。……まさか、まさか? さっきの野郎、が?
俺と赤丸を取り囲んでいた戦闘員や怪人たちが、乗ってきた車の方へ駆け出していく。建物の中に突っ込んでいく者もいた。そうして、さっきまでここにいた奴らの半分以上がどこかへ行ってしまった。
「……何だよ」
「あ、ああっ……」
赤丸がしゃもじを落とす。
「何だよ、それ」
どうやら、あのおっさんたちが、ミストルティンの社員だったらしい。
「あ、くっ、う……」
「そうかい」赤丸がうろたえている事からも、それが分かった。
「そうか、そうかよ」
俺は立ち上がり、赤丸の体を突き飛ばす。彼女は無抵抗のまま、その場に座り込んだ。
「そう言う事かよっ」
今までどこに隠れていやがった。ゴキブリみてえな真似しやがって、胸糞悪いったらねえぜ。こいつは、赤丸は、見捨てられたんだ。いや、こいつだけじゃない。江戸さんに倒された重戦士も、エスメラルド様に倒されたヒーローも、タイタンマットに吹っ飛ばされたヒーローも、皆、全部だ! 所詮、下っ端って事かよ。ヒーローだって、使われてる側の人間なんだ。こうして、馬鹿みたいに捨てられる。切られちまう。そりゃねえよ。そりゃねえだろ。俺たちは、こうして体張って、命張ってるってのによう。
「畜生っ、畜生が! てめえらは何なんだ!?」
もうとっくにさっきの奴らは逃げちまっただろう。それでも、叫ばずにはいられなかった。
……どうしてだか、理由は分からない。けど、俺は、彼女を、白鳥澪子を思っていた。あの、金に汚い、口が悪くて性格が悪いどうしようもない役立たずの口だけ女を、だ。
でも、社長なら、俺たち社員を見捨てないだろう。ああ、そうだ。そうに決まってる。そうに違いない。『それが私の正義だから』なんて事を言ってのけるんだろうさ。
なのにっ、あいつらは何だよ。ヒーロー派遣会社だろ? ヒーローだろ!? あいつらにもっ、正義ってもんがあるんじゃないのかよ!? 馬鹿らしい! アホらしい!
「こんな事やってられっかよ!」
赤丸に背を向ける。もう嫌だ。もう無理だ。こんな場所、いたくねえ。こんな建物は今すぐにでも潰れちまえば良いんだ。
「おっ、おい、今だって、今ならやれるって、行け、行けっ」
「あ、ああっ。おおっ、おおおおおっ!」
どこの組織のもんか知らないが、戦闘員が一人、赤丸に向かって駆け出していた。彼女は、気付いていないのか、全く反応していない。
「そいつは俺のだっ!」 気付けば、体が勝手に動いていた。
「げっ……! あ、あ?」
蹴りを放とうとしていた戦闘員の脇腹を、思い切り殴りつけてやる。
「ぎっ、な、な、ななな……」
腹を押さえた戦闘員が俺に視線を遣っていた。邪魔なので、下がった頭を蹴り飛ばす。
「ふっ、ふ……ふざけんなやコラ!?」
「てめえ欲張ってんじゃねえぞ!」
「舐めた真似してくれてんじゃねえかよ、野郎が」
「おい、行け行け。構わないから、ぶっ殺しちまえ」
どうやら、ここにいる奴らを敵に回しちまったらしいな。
はっは、馬鹿か、俺は。そうだよ、遅かれ早かれ、こうなるのは分かってただろうが。俺が、赤丸を倒す? 諦めてたじゃねえか。もう良いって思ってただろうが。
「……何を、しとるんじゃ、お前は」
座り込んだ赤丸は、弱々しい声を発する。
「悪党だろうが、われ」
「お前を倒すのは、この俺だ。俺じゃなきゃ嫌なんだよ」
赤丸の前に立つ俺は、彼女を庇っているように見えるのだろう。ヒーローを庇うなんて、悪の組織の戦闘員、失格である。
息を深く吸い込んだ。喉が、少しだけ痛む。
「おい……」
「こいつはっ! 俺の敵だ! 俺だけのっ! 良いかてめえら、こいつに手ぇ出すなら容赦しねえぞ! 全部ぶっ殺す!」
言った。言ってやった。……うわ。うーわ。めっちゃめちゃ睨まれてるわ。は、はは、死ぬな、これ。
「おっしゃ、お前から行け」
一人の怪人が前に出る。サイ型の怪人だ。こいつは前にも見た事がある。ああ、もう、典型的なパワータイプで、最悪の相手じゃねえか。
「馴れ合いとか、そういうのはもうやめだよな。ぶっ潰してやるからよ、そこ動くんじゃねえぞ」
「はよぅ逃げろ、私は、もう、えーけぇ」
サイ型怪人は太い足で地面を均している。足踏みする度、僅かに煙のようなものが上がっていた。
「ん? 何だ、お前は……がはっ!?」
「ちょっセンパイ!? てめえ何を!?」
何か、向こうの方が騒がしい。手柄を奪い合っての小競り合いだろうか。
「ヤロオオオオッ! やるってのか!?」
「全く、うるさいな」
それにしちゃあ様子がおかしいぞ。
サイ型怪人も、騒ぎの方へ目を遣っている。
「君たちは美しくない」
……アレは。
人垣が割れる。踊るように現れたのは、派手な翅だった。青みのある光沢が、暗がりの中では酷く眩しく映る。周りにいるのが黒っぽい奴らばっかなので、尚更だった。
「それに比べて僕はどうだろう? 実に美しいと思わないかな? ほらっ、この光沢! この色彩! 素晴らしく美しいじゃあないか!」
長いブロンドをかき上げ、背中に蝶を模したアホみたいにでかい翅(恐らく、飛行ユニット)を付けた優男が歩いてくる。……奴は、ウチの組織の四天王、クンツァイトだ。
クンツァイトは蝶型のスーツを着ていると爺さんは言っていたが、あれでは翅を付けただけのナルシストにしか見えん。確かに顔立ちは整っているし、テレビに出てくる俳優よりもかっこいい。顔だけはな。アレではただの変態である。アレが、あんなのが、四天王なのか? しかも、何か周りがキラキラしてるし。何これ? 漫画?
「そして、彼らは僕よりも美しい。今この場に置いては誰よりも、何よりも輝いて見える」
クンツァイトは俺と赤丸を指差して、へんてこなポーズを取った。彼以外の者たちは押し黙る。あるいはひそひそ話を始めた。
「……何じゃ、あれ」
「四天王だ」
「イカれとる」尤もである。
「どうせ僕らは悪の組織の人間なんだ。いつまでも手を組めるとは思っていないし、最初から組んでいたとも思わない。ふふっ、『裏切ったな』と言う人がいなかったのは、僕たちみたいな人間にとっては喜ばしい事だね」
踊る。舞う。クンツァイトから、皆が距離を取る。彼はそのスペースをふんだんに使ってくるくると回っていた。その度にきらきらとしたものが舞っている。
「まるで北欧の神話じゃないか」
他の奴らは『気でも狂っている』とでも言いたげだったが、俺だけは違った。
北欧神話? 確か、社長も言ってたよな。
「ロキに唆されたヘズは、彼らさ」クンツァイトはビルを指差す。ミストルティンって事だろうか?
「善き神、バルドルを貫いたヤドリギは君たち」赤丸と、倒れているヒーローたちを指差し、クンツァイトは妖しげに笑う。
「そして僕たちはバルドルであり、復讐の神、ヴァーリでもある。どうだい、素晴らしいだろう?」
「てっ、めえ! 何を言ってるかさっぱりなんだよ!」
「……分からないのかい?」
クンツァイトが目を細めて、指を鳴らす。瞬間、彼に文句を言った怪人がよろめいた。
「一対一の決闘というのは、何よりも美しいものなんだよ。それを邪魔する者たちは、この世の何よりも醜い存在だ。僕はそう言ったんだよ」
「分かるか!」
「ぶっ殺してやらあっ!」
もう一度、クンツァイトは指を鳴らす。彼に向かっていた戦闘員も怪人も、全ての動きが鈍り、止まっていった。……何を、したんだ? 魔法でも使ったってのか?
「君は確か、エスメラルドの数字付きだね?」
「あ、は、はい」お、俺? 俺に話しかけてんのか、こいつ。
「僕たちが醜い者から君たちを守ろう。そちらのお嬢さんも、気にせずに戦ってくれれば嬉しいね」
赤丸は答えられない。どうやら、呆気に取られているらしかった。
クンツァイトの指示に従い、彼の部下である昆虫型のスーツを着た怪人たちが、動けなくなった戦闘員や怪人に攻撃を加えていく。
「興醒めじゃ」赤丸は呟き、しゃもじを杖代わりにして立ち上がる。その際、彼女は俺を蹴っ飛ばした。
「……同感だ」
けれど、ケリはつける。
クンツァイトの思考回路は理解出来ないが、有り難い。これで邪魔が入る余地はなくなった。これで、ようやく、終われる。俺はきっと、ゆっくり休める。
「……お前は、ヒーローとして戦うのか?」
俺はビルを見上げた。もう、ミストルティンの人間はここにいない。
「お前の上司は、お前を置いて逃げ出した。お前と、仲間を捨てていったんだ。それでもまだ、ミストルティンのヒーローとして戦うのか?」
「決めた事は曲げん。お前こそ、手ぇ緩めんなや」
上等じゃねえか、赤丸夜明。