決めた事は曲げん
江戸京太郎。
エスメラルド様の右腕を自負し、俺たち数字付きの上司であり、他の組織にも顔が利き、仕事の出来る万能な男。
そして、彼には高い戦闘能力も備わっていた。
「なるほど」
呟いた江戸さんは、重戦士の攻撃を二本の小太刀で弾いてみせる。大剣は空を切っていた。
江戸さんは小太刀を順手に握り、ヒーローに迫る。が、やはり大剣の戻りが早い。このままでは受け止められてしまうだろう。
「エドっ、分かってるな!」
エスメラルド様が声を上げる。江戸さんは小太刀を上から振り下ろし、もう片方を下から振り上げる。ニ方向からの残撃。重戦士は大剣で両方を防ぐ。瞬間、江戸さんは自らの得物を手放して、ヒーローの背後に回った。
ヒーローが易々と背後を取らせたのは、江戸さんの得物を見誤っていたからだろう。彼の武器は二本の小太刀ではなかったのである。
「ごっ、あ……!?」
「あの方の前だ」
江戸さんの小太刀は、二本だけではない。翻ったジャケットの裏地には、十本の小太刀が潜んでいたのである。彼は、それを惜しまずに振るう。突き刺し、突き立て、重戦士の装甲を剥いでいく。
数え切れない回数の攻撃を受け、重戦士は大剣を地面に突き刺した。必死で、立とうとしている。倒れれば、そこで終わりだと分かっているのだ。が、江戸さんは小太刀で大剣を砕く。最後の支えを失った重戦士は吐血し、前のめりに倒れた。
「私に敗北は許されない。そう覚えておきたまえ」
「なっ、旦那ァ!?」
ヒーローが一人倒れて、
「ちっきしょう! やりやがった!」
怪人が二人倒れる。
細身のヒーローの鞭に打たれ続けていたのだろう。ヒョウとシカの怪人は苦しそうに呻いていた。
「エスメラルド様ぁぁぁーっ!」
後方から、数字付きと怪人が走ってくる。これでエスメラルド部隊が揃う事になる。そして、そのすぐ後ろにはヤテベオの連中だ。
「新手か」江戸さんが忌々しげに吐き捨てる。ミストルティンのビルからは、新たなヒーローが数人、その姿を見せていた。そこにも、しゃもじの姿は見えない。安心すると同時、俺は自分を嫌悪した。捨てろって、あれほど言ったのに。俺はまだ分かっちゃいないらしかった。
「悪役がぞろぞろとよォ! 寝てろってんだ!」
「しまっ――――エスメラルド様!」
黒いコスチュームのヒーローが跳躍する。彼のスーツが不規則に伸縮し、数本の鞭が体中から出現する。野郎の戦法ってのは、中々に嫌らしい。鞭で中距離から牽制し、自分も突っ込む。相手は反撃したくなるが、別の鞭がそこを狙い打つのだ。攻守に優れた、ずっこいスーツである。
そのヒーローに狙われたのはエスメラルド様だ。彼女は倒れた部下を見つめている。俯いたまま、
「なっ、てめ……!」
飛んできた鞭を、素手で受け止めた。
エスメラルド様は鞭を掴んだまま、中空にいたヒーローを引き摺り下ろす。地面に叩きつけられたヒーローは受身を取れずにその場を転がった。
「私の部下を傷つけた!」
「てめえらが先に来たんだろうが!」
地を蹴るエスメラルド様を確認し、ヒーローは再び鞭を作る。数本の鞭は不規則な動きをしながら、彼女に襲い掛かった。まるで、鞭が生きているようだった。
「先とか後とか、聞いてない!」
「なああああっ!?」
不規則な動きの鞭を、エスメラルド様は全て回避している。立ち止まらず、ただ前へ。彼女は倒れているヒーローの頭を蹴り飛ばした。動いていた鞭は、ゆっくりとスーツに戻っていき、ヒーローは動かなくなる。
勘が良いとか、センスがあるとか、そういうレベルじゃない。エスメラルド様は初見であの攻撃を見切っていたのである。やっぱり、四天王ともなると人知を超えている。もう何が起きても、何を起こしても不思議じゃあない。
「流石ですエスメラルド様」江戸さんは回収した小太刀をジャケットに戻し、エスメラルド様に駆け寄る。
「エド、倒れた者を車に運ばせろ。私はこいつらと戦う」
「いけません。……ヤテベオも、別組織の者も追いついてきています。ここは乱戦となりましょう。お下がりを」
「下がらない」
エスメラルド様は誰よりも前に出て、ヒーローを睨みつける。
「私は、こいつらが嫌いだ」
「おおおおおっ!」
ボクサーのグローブを装着したヒーローがエスメラルド様に襲い掛かった。
が、
「おおおおおおっ!?」
横合いから体当たりされて、右方向に吹っ飛んでいく。
タックルをぶちかましたのは、タイタンマットだ。彼はエスメラルド様の肩に手を置き、親指を立てた。
「ん」
「ここは任せろ? でも、良いのか?」
「ん」
「そうか。なら、ここのヒーローはお前が平らげろ」
話が通じている?
いっ、いや、それよりも、まずい事になってきた。
「おおおおおおおおおおっ」
「くたばれやヒーローが!」
「囲まれるなっ、一人ずつ仕留めていけ」
「一対一の状況を作るなあっ! 囲んで袋が合言葉!」
こうなりゃもう段取りもクソもありゃしねえ。手柄を欲していたであろう最後方に待機していた別の組織の連中までいやがる。ヒーローの数も増えてきて、何が何だか分かりゃしねえ!
いつの間にか、俺たちは戦いの輪の中にいた。エスメラルド様と江戸さん、それから、十三人の数字付きである。
「作戦は失敗ですね」
「んー、ごめんな。でも、だらだらしてたら逃げられちゃうぞ」嘘吐き。待つのが飽きたとか言ってたじゃないですか。
「私は、最初からこうなるとも思っていましたが。何せ、我々は悪の組織です。足並みを揃える事は何よりも難しい」
かもしれない。結局、戦功を焦った誰かが先走っていただろう。
「建物を押さえましょうか」
江戸さんは小太刀を抜き、ビルを見上げた。
俺は、周囲の戦闘を見ていた。もはや、しゃもじがどこにいるのかも分からない。怪人たちはヒーローを囲もうと動き、ヒーローたちは各個撃破を狙っている。
怒号と剣戟。金属音と叫び声。ふと、スーパーでの戦闘を思い出した。だけど、前よりも気は楽だ。立っている場所がしっかりしているから、安心出来る。今日の俺は、戦闘員をやっていられるんだ。
「十三番、行くぞ」
「……ういっス」
江戸さんを先頭に、エスメラルド部隊はビルへの侵入を試みた。入り口付近にいたヒーローは、怪人たちが数人掛かりで押さえる。
建物内に人の気配はなかった。エレベーターが二基、その近くには階段があった。
「最上階から落とす」
「了解!」
迷わず、俺たちは階段を使う。
数字付きは隊列の一番後ろに位置していた。
二階、三階、四階、五階。
何もない。誰もいない。ヒーローは出てこないし、一般人だって出てこない。
「確か、このビルにはミストルティン以外のテナントも……」
「一度目のヤテベオの襲撃の時に逃げ出したんだろう」
ミストルティンは確か、六階にある筈だ。ヒーローの一人や二人は守りに回しているだろうが、あまりにも、何もなさ過ぎる。
「今更慎重にいっても仕方ない。諸君、私に続きたまえ」
江戸さんが階段を駆け上がる。全員が彼に続き、六階に辿り着いた。
しいんと、静まり返っている。戦闘員の呼吸音と、外からの声が聞こえてくるだけだ。
「……暗いな」
江戸さんが照明の切れた廊下に足を踏み入れた瞬間、ひゅっと、風を切るような音がした。彼は暗がりの中、何者かの攻撃を受けてしまう。
敵だ。そう判断した数字付きは、エスメラルド様を庇う為に、彼女を囲んだ。
「江戸さんっ」
「私は心配ない。数字付きは彼女を守れ。四方確認、ヒーローだ」
息を呑む音すらうるさく感じられる。静寂が、侵入者である俺たちを押し潰そうとしていた。そう錯覚してしまう。
暫くの間はヒーローの攻撃を警戒していたが、何か、おかしいと感じ始めていた。
「来ない……?」
人の気配が、全くと言って良いほど感じられない。まさか、逃げたってのか?
「制圧を始める。単独で動いてはならないぞ」
江戸さんが怪人を呼び寄せ、扉を蹴破らせた。中には誰もいなかったらしく、次の扉を破壊し始める。俺たち数字付きはちょろちょろと動き回るエスメラルド様の後を、ちょろちょろと追いかけているだけだった。
結果、ミストルティンのある筈の六階には、誰もいない、何もない事が判明した。
恐らく、逃げたのだ。と言うか、それ以外には考えられない。しかし、そりゃあそうだろう。ヤテベオだけを防ぐならまだしも、やべえ数の戦闘員と怪人が押し寄せてきてるんだ。プライド云々は忘れて、我が身惜しさに逃げ出して当然だろう。
「まだ上がある。階下も調べ直す必要があるだろう」
江戸さんの怪我は浅かった。肩を切りつけられた程度で済んだらしい。何よりだ。彼がいなければ、俺たちはバラバラになってしまうだろうし。エスメラルド様は、的確な指示を出してくれそうにないしなあ。
ふと、俺は階段の窓から外を見下ろした。……赤丸夜明が、戦っていた。しゃもじを振り回し、押し寄せる怪人たちを払い除けている。
最初からいたのか? どこかに隠れていたのか? とにかく、あいつは今、下にいる。
けど、勝手な行動は取れない。俺は今一人でやってるんじゃない。エスメラルド様の部下で、俺は、戦闘員で……。
「数字付きから二人、戦闘に加わってくれないだろうか?」
え?
「ああ、いや、他の組織へのポーズだよ」江戸さんは苦笑する。
「建物内のどこかにヒーローが潜んでいるかもしれないが、この状況で留まる必要性もないだろう。奇襲を仕掛けたところで、倒せるのは一人か二人くらいのものだからね。下が片付けば、一時間と掛からず制圧出来るだろうし、この場は、今の人数でも多いくらいなのだよ」
「俺が行きます」
気づいた時には、俺の口は勝手に動いていた。
俺と、もう一人の数字付きが下に行くが、相方が何番なのか、確認するよりも早く、俺は建物の外を目指していた。
自分でも、何をやっているのか、今から何をやろうとしているのか分かっていない。
だけど……!
外は、静かだった。
既に殆どのヒーローが片付けられて、残っているのは悪の組織の連中が殆どである。誰もが傷つき、あるいは倒れていた。車の方に運ばれている者もいた。
ミストルティンのヒーローを倒せたのは、悪の組織に属する者にとっては、喜ぶべき事なのだろう。ヤテベオの怪人や、他の組織の怪人が倒されたのは、一般人にとっては喜ぶべき事なのだろう。この状況を喜んでいるのは、誰なんだろう。
多くの怪人と戦闘員が、一人のヒーローを取り囲んでいた。だが、誰も近づけない。
赤丸夜明。
彼女の鬼気迫る戦いぶりに、誰もが恐れをなしているのだ。たった一人で、赤丸はここまでの状況を作り出している。勿論、無傷ではない。百を超える復讐者を前にして、ただで済む筈がないのだから。
「おい十三番!?」
同僚が俺を呼ぶ。だけど、俺は命令違反なんかしてないぜ。江戸さんは『戦え』と言ったんだ。俺は、上の命令に従っているだけなんだ。
一歩ずつ、ゆっくりと近づいていく。しゃもじを担いだヒーローが、俺の動きに気付いた。彼女は、俺に気付いているのだろうか。
「よう、ヒーロー」
赤丸は俺を見て、ふっと微笑んだ。俺には、そう見えた。
「……よう、悪党」
彼女が、俺を見た。俺の存在を認めた。そう分かった途端、体中から力が抜けていく。
――――そうだ。
お前は、俺を馬鹿にしていた。俺を否定していたんだ。お前が、そう思っていなくてもな。だけど、やっとこっちを見たじゃねえか。俺がお前を追いかけたように、お前も俺を追いかけた。力の差は歴然だ。対等な立場とは言えねえよ。けど、今こうして、向かい合っている。
俺は、今までにも色んな奴に馬鹿にされてきた。否定されてきた。けど、何故だろうな。お前にだけは、馬鹿にされたくなかった。否定されたくなかった。お前だけは何故か、許せなかった。
赤丸夜明、俺はお前がムカつくんだよ。
理由なんざ知るか。あってもなくても関係ねえ。何でも出来るお前が、誰とでも戦えるお前が、気に入らないだけなんだ。
「その状態で戦うか」
「決めた事は曲げん」
赤丸はしゃもじを振る。風が起こり、彼女の黒髪を揺らした。
「そうかよ」だったら俺を正してみろ。
「今日で終わりだよ、しゃもじ」
音が消える。声が届かなくなる。俺の目は、赤丸だけを捉えていた。