金の枝
かっちかっちと音が鳴る。
時計の針は仕事を続ける。
俺はソファに深く腰掛けて、深夜にしか流せなさそうなバラエティ番組を眺めていた。
「……あなたにはデリカシーというものがないのかしら」
社長は至極迷惑そうだった。俺の対面に回り、こっちをねめつけている。
「お互い様だろ」
「普通、こんな時間にこんなところへ押しかけてくるかしら」
「こんなところって?」
馬鹿じゃない? とでも言いたげに、社長は鼻で笑った。
気付けば、俺はカラーズに来ていたのだ。来ていたんだから仕方がない。
「何か、あったのかしら」
「何かって、何だよ」
社長はぼうっとした表情でテレビに視線を遣っている。恐らく、番組の内容なんかはどうだって良いんだろう。
「悩みがありますって、あなたの顔に書いてあるわよ」
「決めつけるなよ」
「あまり作りの良くない顔なのだから、そんな顔をしていると、ますます悪くなってしまうわよ」
悩みがあるなら話してご覧なさいってか。無理だよ、組織での事なんかお前に話せねえよ。
……じゃあ、どうして俺はここにいるんだろうな。話を聞いて欲しかったのか? それとも、何だ。
「……ヤドリギはさ、吸血鬼の木、なんだってよ」
「何よ、それ。寄生植物だからって事?」
特に意味なんかなかった。
「でもあなた、面白い事を言うのね」
「俺が考えたあだ名じゃねえけどな」
「ヤドリギ、ね」
社長は本棚に向かっていく。俺はその姿を目で追った。
良く見たら、この部屋の家具は背の低いものばかりである。理由は、言うまでもないか。
「ああ、あったわ」社長は一冊の本を手に取る。そうして、そいつをすぐに戻した。
「今の本は?」
「金枝篇よ。イギリスのえらーい人が書いた、言わば研究書ね。全部で十三冊あるわ。読む?」
俺とは一生縁のなさそうな本である。
「面白いのか?」
「魔術、呪術、慣習、風習、禁忌、精霊信仰、王殺し、これらのワードに興味は?」
俺は笑った。それだけで、社長は理解してくれたようである。
「民族学、神話学に興味を持ったら、とりあえずこれを読めば良いわ」
「ご親切にどうも。で、そのキンシヘンとやらがヤドリギと関係があるのか?」
「金の枝、金枝とはヤドリギを指すのよ」
キンシ……ああ、そういうタイトルだったのか。それで、社長はその本を思い出した訳だ。
「作者がね、さっきの本を書いたのはイタリアのネミってところにあるヤドリギ信仰の謎が気になったからなんですって。でも、あなたの言うヤドリギとは、聖なる樹、金の枝ではないのよね」
社長にはミストルティンについて尋ねた事がある。だから、彼女は何となくではあるが分かっていたんだろう。
「……北欧神話、善の神を貫いた、盲目のアースの若い槍を言っているのかしら?」
「はっ、何だそりゃ。随分とまあ、詩的だな」
「だって神話だもの。金枝篇ならともかく、北欧神話なら知っているでしょう?」
少しだけな。マジで、本当に。
「あなたが何を悩んでいるのか、私には分からないわ。けれど、女々しい」
社長はテレビを消す。何もかも、全ての音が一瞬間、掻き消えた。
「話せない悩みなら、抱えてきて欲しくないわね。どうせ迷うなら、好きにした方が健康的よ」
健康的、ね。
大体、俺は何を悩んでいるのかすら分からないってのに。
だけど、気は楽になった。ごちゃごちゃだった頭ん中が、少しだけすっきりした感じである。やりたい事、好きにしたい事なんかない。だけど、そうか。俺は、邪魔されたくなかったのかもしれない。
「社長、マントを貸してくれ」
「貸すも何も、あれはあなたのものよ。だけど、何をするつもり?」
俺は口の端をつり上げた。意識した訳ではなく、自然と、そうなっていたのである。
「悪党を殴ってくる」
「あら、それは素敵ね」
社長は柔らかに微笑んだ。
俺は一旦家に戻り、レンを起こさないよう、グローブと太鼓、それから、押入れに埋もれていたウェストバッグを掴んで外に出る。バッグに爺さんからもらったものを詰め込んでいく。これで、どこまでいけるだろうか。
「…………青井殿」
背後から声を掛けられる。そこには、ヒーローとしてのスーツを纏ったイダテン丸がいた。
「よう、漫画は面白かったか?」
「…………こんな時間にどこへ行かれるのですか」
「あれ、買えなかったのか」
「お仕事と言う訳ではなさそうですが」
見つめられる。
「ああ、趣味だよ」
「…………ミストルティンに、ですか?」
ああ、もしかして、イダテン丸も戦いを見ていたのだろうか。あるいは、お人好しを発揮してヤテベオを敵に回したのか。
「事情があってな、ちっと行ってくる」
俺が行ったところでどうにもならないだろうが。
「では、私もお供します。微力ながら、青井殿の力になりましょう」
「有り難いけど、良いのか?」
「…………お忘れですか、私もヒーローなのです」
イダテン丸はマフラーの位置を上げて、口元を隠す。
忘れるものか。お前はヒーローだよ。
ミストルティンに向かう。俺は会社の近くまでは行かず、イダテン丸に様子を見に行ってもらった。近くの路地裏で彼女の帰りを待つ。
眼鏡に、マスク。そんでもってマント。……ヒーローには、見えねえよなあ。
「お」
「…………お待たせしました」
イダテン丸が戻ってくる。
「向こうの方からバスが二台、来ます」
戦いはまだ始まっていない。始まるとしたら、きっと、そろそろだ。
「…………恐らくはヤテベオのものでしょう」
「ヒーローたちは? 建物の外に出てないのか?」
イダテン丸は首を横に振る。彼女は、どうしますか、とでも言いたげに見てくる。そいつは俺が聞きたかった。
俺としては、戦いが始まっていると思っていたんだが。そうすりゃ、無茶苦茶に突っ込んでいって、場を荒らしてうやむやに出来ると思っていたのに。
選択肢は二つくらいか。
一つ。ミストルティンに『敵が来てるから、逃げてください』と注意を促す。
一つ。ヤテベオのバスを止める。
難易度としてはどっちも高い。ミストルティンは俺の言う事なんか聞いてくれないだろうし、そもそも、敵が来るって分かっている筈なんだ。その上で、奴らはこの場に留まっている。
だったらヤテベオのバスを止めるかって話なんだけど、えーと、物理的に? 無理だろそれって。
ほうらやっぱり、俺に出来る事なんか高が知れてんだ。……畜生。
「ヤテベオを叩くぞ」どっちにしろ、イダテン丸はヒーローなんだし。こうするのが自然ってものだろう。
「…………了解」
イダテン丸は路地裏を飛び出す。俺もすぐに後を追った。
広い道路には、路上駐車している車もない。人も殆どいない。コンビニや建物から、明かりが漏れているだけだ。
俺はイダテン丸の姿を探す。彼女は道路に、何かを撒いているようだった。
「何それ?」
近づこうとすると、イダテン丸は俺の動きを手を上げる事で制する。
「…………撒菱を仕掛けておりますゆえ、危険です」
「おー、流石忍者だな」
三角錐みたいなものがちらほらと、そこら辺に置かれていた。
「けどさ、バスのタイヤって分厚いぞ。こんな小さいので大丈夫なのか?」
まあ、イダテン丸だってそれくらいは分かっているだろうけど。
彼女は暫くの間俯いていたが、屈んで、仕掛けておいた撒菱を拾い始める。手伝ってもらっているんだから、文句は言えん。しかし、何だかなあ。
「ん?」
光が見える。目を凝らすと、向こうからバスが二台、俺たちの立っている道路へと走ってくるのが見えた。
「イダテン丸、バスが来たっ」俺は道路の脇に行く。やっぱり走行中のバスを止めるなんて無理無理。こうなりゃ、乱戦を覚悟するしかねえな。
「ってこら! おい! 聞こえてんのか!?」
イダテン丸は撒菱を拾い続けている。
「そんなもん後で拾えや!」
「…………これは高価な代物なんですっ」
「うっ、うわ! 来てる! もうそこまで来てるから!」
緑色のバスがすぐそこまで来ていた。イダテン丸は一心不乱に道具を拾っている。俺は後ろから彼女の体を掴み、引きずろうとした。
「後生ですから、はっ、離してください」
「死ぬ気かてめえ!」
クラクションを鳴らされている。ああっ、もう! くそ、放っておけるか!
「その分の金なら後でやるから!」
「…………はっ」イダテン丸が振り向く。ライトが眩しい。
と、次の瞬間には、イダテン丸は姿を消していた。は? え?
「ひっ、ひい!」
バスはもう、目の前にまで迫っていた。
暫くの間、生きた心地がしなかった。俺は道路にへたり込み、急停止したバスを見上げていた。
「てめえ自殺志願者かコラ!?」
「てめえのおふくろさんにも見分けがつかないくらいぐちゃぐちゃにされてえのか!」
「さっさと退けや!」
クラクションを鳴らされ、ライトに照らされ、罵声を浴びせられ、そこで、ようやく俺は我に返る。
生きているのは確かだ。素晴らしい。生きているって素晴らしい!
「狂ってんのかアアン!?」
「もういいって轢け轢け!」
ラッキーだ。
無茶苦茶だったけど、結果的にバスを止める事が出来たのだから。
「ツイてる」口に出すと、本当にそうなのだと思える。俺は、最高に最強なのだ。
「俺も助けろよ」
「…………申し訳ございません」
イダテン丸はバスの上に立って、こっちに向かって頭を下げている。頭が高いぞお前。
「何分、今まで一人で戦っていたものですから」
「言い訳は用意してるんだな」
まあ良いけど。
視線を下げると、バスから誰かが下りてきた。スーツから見ると、怪人のようである。そいつは、頭から奇妙な植物を生やしていた。いや、そういうマスクなのか。
「モーウ! お前、俺たちをコケにしているのか!?」
その後ろから、ぞろぞろと戦闘員らしき奴らが降りてくる。緑っぽい色のタイツを着込んだ連中だ。もろ、量産品って感じがしてて嫌いではない。
「飛び込み自殺ならよそでやれ!」
「つーか謝れ! 俺たちを誰だと思ってんだ!」
「お前らの事なら知ってるよ」
俺はウェストバッグを開いていく。
「モ? 何……? お前、まさか」
おせえよ、ノロマが。
「ひっ、何だお前!?」
「うわ、わっ、うわああ!」
バスから降りていたヤテベオの戦闘員が次々と倒れていく。五人全部が地面に崩れ落ちてから、植物型の怪人は事態に気付いた。眼前に立つイダテン丸を認めた。
「…………お覚悟」
「てきしゅううううううう!」
怪人が拳を振るう。イダテン丸は跳躍してそれを避け、バスの屋根に降り立った。
バスから新たな戦闘員が現れる。後方、二台目のバスからも戦闘員が姿を見せ始めた。
俺はバッグから新しい武器を取り出す。爺さんからもらっていたものだ。迫ってきた戦闘員に向けて、そいつを放り投げる。
次いで、バッグから太鼓を取り出した。急いでワイヤーを伸ばし、放ったモノを狙って、球体をぶち当てる。瞬間、それは爆発した。
「ぎゃああああああっ!?」
「ばっ、爆弾だ!」
爺さんからもらったのは、めんこの形をした小型の爆弾である。と言うか見た目はただのめんこだ。ご丁寧に、イラストまで入っている。しかも一枚一枚違うものだ。どこまでアレなんだ爺さんは。
爆弾とは言うが、一発でドーン! はい爆死ーみたいな威力はない。このめんこはそこそこの衝撃を感知すると、中に仕込んだ火薬が破裂し、それっぽい音と共に破片を撒き散らす仕組みなっている。らしい。癇癪玉みたいなもんだろう。
それでも、至近距離で爆発させれば軽い火傷では済まないだろう。爺さん曰く、これで相手を殴ったら良いんじゃね(要約)? との事だが、アホか。俺だってただじゃ済まんわ。
地面に置き、それを誰かが踏めば地雷っぽい使い方も出来る。
でんでん太鼓を使えば、こうして遠くから手動で爆発もさせられる訳だ。一発で成功したのは、幸運だったな。
……全く、扱い辛いものばかり渡してくれるぜあのじじい。俺にテストさせようってんだな、畜生、助かるぜ。