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うわっ、ページめくった!?



 体を揺すられる。うざい。

 体を揺さぶられる。うっぜえ。

「お兄さん、朝ごはん、出来たよ?」

 あんま腹減ってない。俺は寝返りを打つ。

 布団ん中に、レンが潜り込んでくるような気配がした。邪魔なので蹴っ飛ばそうとする。が、それよりも先に、足に足を絡められてしまった。

「あは、朝から元気なんだね」

「……疲れてんだよ」

 朝から鬱陶しい。良いから寝かせろよ、って。

「出ろよ」

「今食べなきゃ冷めちゃうよ」

「分かった。分かったから、もう退いてくれ」

 力では敵わない。家事でも敵わない。顔でも敵わない。あれっ? 俺って、レンに勝っているところがあんのか? ……ガキと張り合っている時点で俺の負けだった。



 今朝は和食だった。

「今日も美味いな」

「あは、お漬け物は買ってきたやつだけどね」

 漬け物にまで手を出すレンは見たくない。

「お兄さん、お味噌汁のおかわりは?」

「欲しい」俺は椀を差し出した。レンはそいつを受け取り、にこにことしながら立ち上がる。

「ん?」

 と、チャイムが鳴った。

 こんな時間に珍しい。そもそも鳴る事が珍しい。新聞か、宗教の勧誘か? 常識知らずめ。叩き返してやる。

「あ、ぼ、僕が出るよ」

「味噌汁よそってくれ」

 俺は漬け物をばりぼり齧りながらドアを開けた。が、誰もいない。

「あれ? なあ、鳴ったよな?」

 レンは頷く。聞き間違いじゃないなら、いたずらか。俺は左右を確認した後、乱暴にドアを閉めた。

「ちっ、近所のガキか」次は現場を押さえてお尻ぺんぺんしてやろう。

「あ、あの……」

 俺の機嫌が悪くなった事を気にしているのか、レンは伏目がちになっていた。

「……お前は俺を怒らせたか?」

「お、怒らせたの?」

「んな事ねえって。……味噌汁、くれよ」

 レンは、両手で椀を差し出す。俺をそれを啜った。うん、美味い。

「毎日飲んでも飽きないな」

「あ、あはっ、そ、そうかな?」

 嬉しそうだった。レンの趣味は料理なのだろうか。素晴らしいが、男の子ってのは、こう、外で遊び回るもんじゃないのか? いや、違うか。台所に女だけが立つ時代は終わっている。料理の一つも出来なけりゃ、嫁の貰い手もないのだろう。



 今日もカラーズへ行く。仕事、である。

「お兄さん」

「何だ?」

「今日はどんなお仕事なの?」

 最近、レンを仕事場に連れて行くのが当たり前になっていた。留守番は嫌がるし、まあ、社長や九重はこいつの相手をしてくれるから俺も安心である。

「怪人退治だ。本屋かどっかに出たんだってよ。それより、もっと深く帽子を被れ」

 レンは帽子を被り直した。……新しい帽子を買ってやろうか。カラーズにも依頼が来るようになったし(尤も、大抵がおつかい程度のものではあるが。ヒーローを何だと思ってやがる)、給料だってぐんぐん上がっている筈だ。多分。そうじゃなきゃ嫌だ。



 カラーズの前に着くと、誰かが階段を下りてくる音がした。たんたん、と。軽快に。依頼人か?

「…………あ」

 …………誰だ?

 白いシャツにカーディガン、そしてスカート。

「…………あの」

 ぼさぼさの黒髪。そして縁なしの眼鏡。どこの文学少年だ。

「もしかして、依頼人の?」

 俺がそう聞くと、文学少年は仏頂面になる。と言うか無表情。何か、気に障るような事を言ってしまっただろうか。

 気持ちの悪い間が空く。しかし、ここにはカラーズしか入ってない筈だ。だとしたら、こいつは何者だ。もしかして、ウゴロモチの残党?

「あは、お兄さん、何言ってるの?」

 レンに袖を引っ張られる。彼は楽しそうに笑っていた。

「忍者のお姉さんだよ」

「えっ!?」

「…………恥ずかしながら」

 えっ、嘘!? こいつがイダテン丸なの!? 信じられん。だって、スーツを着てる時しか知らなかったし。何よりド貧乳じゃん。

「いや、どこの文学少年かと思ったぜ」

 イダテン丸は俺を見つめる。

「…………スカートを穿いているのですが」

「胸がねえんだもん」

「ま、またそのような事をっ」

「つーか、ここで何してんの?」

 依頼は終わった筈だし、スーツを着ていないのを見ると、ザ・プライベートって事だろ。

「お忘れですか。私は今、ここの屋上を間借りしているのです」

 あ、ああ。そう言えばそうだった。いや、しゃもじとかミストルティンとかヤテベオとかで頭がいっぱいいっぱいになってるんだよなあ。

「ん、屋上? どうしてそんなところに」

「…………白鳥社長にも勧められて、三階にも部屋を借りたのですが」

 イダテン丸はつかつかと歩いていき、ビルを見上げる。

「屋根のある場所は落ち着かないのです」難儀な奴だな。

「…………屋上の倉庫が広かったので、そこを部屋代わりに使わせてもらっております」

 それに、と、イダテン丸は続ける。

「あそこは見通しが良いのです」

「見通しって。ああ、見張りか何かを社長に頼まれたのか?」

「いいえ、私の判断です」

 軒猿の追っ手、その脅威が完全になくなった訳ではない。今まで逃げ続けてきたのだから、そう簡単には平穏です、とはいかないか。

「で、どうなんだ。軒猿の連中は」

「…………追っ手の気配は、ありません」

「そりゃ良い事だ」根来刑部も、まあ一応はやってくれたみたいだな。さて、いつまで持つか。

「それで、お前は何をしてたんだ?」

「…………書店に行くところでした」

 スーツ着て、買い物に行くって奴もそうはいねえもんな。

「青井殿は、今からお仕事ですか」

「ああ、怪人を倒してくれって依頼だ。……そういや本屋に出たとか言ってたな」

 イダテン丸の眼鏡の位置がずり下がっている。多分、変装用のものなんだろう。だが、これか。この格好を選んだ訳か。……趣味、なのか? やっぱり。

「…………では、また会えるかも知れません」

「あー、そうだな」出来たら会いたくねえけど。



 俺はいつものソファに座り、レンは九重が置いていったぬいぐるみで遊んでいる。

「今から行くんだよな?」

「ええ、そうよ。九重からも連絡があったわ。十分も掛からないと言っていたから、そろそろね」

 九重は時間に正確な奴だから、間違いないな。

「縹野を見なかったかしら?」

「……誰?」

「イダテン丸の名前じゃない。あなたにも教えたと、彼女は言っていたのだけど」

 あー、そういや、名乗ってたっけ。確かそん時は死ぬほど眠たかったんだよな。あんまり覚えてない。イダテン丸はイダテン丸じゃねえか。

「駄目よ、名前で呼ばないと」

「あー」

「だって、追われているんでしょう?」

「あ、ああ、そうだったそうだった」あっぶねえ。そういや、軒猿とか、三行者とか、その辺の話は社長にしていないんだっけか。しかし、いつか話さなきゃならんだろうな。イダテン丸が自分で言えば良いのに。

「でも、あの日はいきなりで驚いたわ。しかも縹野ったら、屋上を借りたいなんて言い出すんだもの」

 そういや、俺もあの日は投げっぱなしだったような気がする。社長に後を任せて帰ったんだし。

「ここに住まわせてやれば良かったのにな」

「あなたは、ここをどこだと思っているのかしら……」

 そう言えば会社だったな。忘れてた。

 イダテン丸の名前については、まあ、追々努力していこう。



 九重が来たので、彼のタクシーで現場へと向かう。

「つーかさ、怪人が出て結構時間が経ってるんじゃねえのか?」

 被害とか、大丈夫なんだろうか。

「その点については問題がないと、先方も言っていたわ」

「……どう言う事だ?」

「怪人が出現したのは街にある大型の書店よ」

 それは電話でも聞いている。

「怪人は、立ち読みをしているらしいわ」

「もっぺん言ってくれ」

「立ち読みをしているのよ、怪人が」

「はああっ!? 立ち読みだとう!?」

 ふざけんな! 俺を! ヒーローを! 何だと思ってやがるんだ!?

「警察呼べよ」

「相手は怪人よ」

 だけど、立ち読みって。立ち読みって!

「死ぬほど迷惑な客だな」スーツ着て本屋なんかに行くなボケが。

「あ、そういやさ、さっきイダテン丸を探してたな」

「縹野」

「はいはい、はなだの、ね。で、あいつがどうしたんだ?」

「依頼が増えたの」

 うん、そうだな。とても良い事だ。

 何となく、社長が何を言おうとしているのか、分かっていたんだが。

「この先、あなた一人では追いつかないくらいの仕事が舞い込んでくるでしょうね」

「前からそんな事を言ってたけど、マジなのか?」

「仮に、同日に二つの依頼が来たとしましょう」

「やっぱ言わなくて良い」

 そらアカンて。そら無理やで。怪人退治が二つきたら、青井さん死んでまうわ。

「縹野のようなヒーローが来てくれれば、あなたを潰さなくても済むもの」

「あいつを勧誘しようとしていたのか。今までに、話とかしなかったのか?」

 同じ屋根の……あー、イダテン丸は上に住んでたんだっけ。まあ、同じ建物に住んでるんだ。顔を合わせる機会もありそうなんだが。

「それが、いざ話をしようかと思えば、姿を眩ましているのよ。流石忍者ね、益々欲しくなったわ」

 カラーズの知名度も上がっている。マジで、本当に、少しずつ。だから、イダテン丸クラスのヒーローは、社長からすりゃ喉から手が出るほどの逸材なんだろう。俺だって、あいつが来てくれれば助かる。けど、決めるのはイダテン丸だ。……彼女がカラーズに入れば、新しい厄介事まで抱え込んでしまうけど。あっちを立てればって奴か。上手くいかないな。



 依頼してきた書店ってのは、中々に大きかった。駐車場も完備である。レンタルビデオやテレビゲームなんかも扱っている、俺も普通の客として何度か足を運んだ事のある店だった。

「お前ら留守番な」

「えー、僕もいきたーい」

「駄目だ」お前が来ると、どうしても勘定に入れて頼っちまう。

「私も行きたいのだけれど」

「駄目だ」

 お前が来ると、どうしても邪魔になっちまう。

「……青井さん」

「仕事にならないって言ってんだ。つーか、そろそろ信用してくれたって良いだろ」

「信用?」

 社長は俺をねめつけた。

 そうだと、俺は頷く。まあ、俺はあんたを信じちゃいないがな。スーツだって渡さないし、まともな武器だってくれないんだ。せめて足手まといにはなってくれるなよ。

「待つのもあんたの仕事だろ」

「……何だか、頼れるヒーローって感じね」

「あのなあ、俺はヒーローなんだろうが。あんたが言ったんだぞ」

 だからこそ、俺はぎりぎりでこんな事をやってこれてるんだ。

「分かったわ。じゃあ、マスクを受け取ってちょうだい」

 差し出されたのはマスクだった。

 うん。いや、普通の。薬局で売ってるようなアレ、である。

「女だからって殴られないと思ったら大間違いだぞ」

「度の入っていない眼鏡も持ってきたわ。正直、こういう変装が一番目立たないと思うのよね」

「特徴! とーくーちょーうー! こんなんしてたらヒーローかどうかも分からんわ!」

 風邪引いてる男の出来上がりだ馬鹿野郎!

「色々と考えているんだけど、お金を掛けずに変装するとしたら、そこに落ち着いてしまうの」

「金を掛けろっ」

「お金があったらこんな事をしていないわっ」

 うわ、最悪だこの女。こういう時だけ子供になるんだからよ。……まあ良い。毎度思うが、中途半端なスーツ渡されても困るんだ。敵を油断させといて、グローブで殴る。これが俺の武器なのだから。

「危ない橋ばっかり渡らせやがって。橋が壊れたらどうすんだ」

「その時はあなたと一緒に落ちるわ」

「てめえと心中するくらいなら自爆した方がマシだ」



 一人で店内に入ると、レジカウンターには店員らしき人たちが集まっていた。皆、怯えているようだ。客は、まだ残っている。怪人が来たって関係ないのだ。こういう奴らってのは、自分たちとは無関係だと、本気で信じている。

「すんません」

「……はい?」

 憔悴しきった様子の、四十路くらいの男がこちらを向く。

「カラーズのもんなんですけど」

「ああ、来てくださったんですか、良かった。私はここの店長を任されている者で……ところで、その、ヒーローの姿が見えないようですが……」

「あ、俺っす」

 男の目から光が消えた。

「馬鹿にしているのかね?」

 立場が逆なら、俺だって同じ事を言っていただろう。つーか殴るね。『ヒーローです』と名乗ったのが、マスクをしたクソ眼鏡だったら。

「気持ちは分かりますけど、マジでヒーローです」

 とりあえずグローブをはめてみる。

 レジにいるバイトの(高校生くらいだろうか)女の子が俺を見て引きつった笑みを浮かべた。あ、こいつら全然信じてねえな、畜生。

「終わった……」

「店長! しっかりしてください!」

 バイトの子たちに支えられる店長。

「……依頼料はまだ払ってないんでしょう? だったら、とりあえずやらせてくださいよ。怪人ってのはどこにいるんですか?」

 店長は床にへたり込んでしまう。彼からはまともな話を聞けそうになかった。

「で、怪人ってのは?」

「あ、う、上です」

 店長の代わりにバイトの女の子が口を開く。

「上?」 俺は天井を見上げる。

「漫画コーナーなんですけど、そこで怪人が朝からずっと立ち読み? を、してるんです。その、新刊の前にいるから、売り上げが全然で」

「よしきた」

 立ち読みするくらいの怪人なら、俺にだってやれるだろう。いるんだよなあ、こういう奴。へぼいスーツで調子に乗る怪人がさあ。どこの組織にも入れず、燻って、そのままくたばってく奴が。あ、人の事言えねえわ俺。いや、とにかくやる。やってやる。金の為、明日の為、より良いライフを送る為、見ず知らずの怪人をぶっ飛ばしてやらあ。



 二階に上がると、目的の怪人はすぐに見つかった。新刊コーナーの真ん前に陣取っている。そして、立ち読みと言うレベルを軽々と超えていた。ビニールシートを敷いて、寝そべりながら漫画を読んでいた。傍らには魔法瓶と弁当箱、そんで、携帯型のゲーム機。大量の本が積み上げられている。……そんなんがあるなら本屋に来るなよ。暇潰しの材料なら死ぬほど揃ってるだろうが。ムカつくわ、こいつ。

「……カニ、か?」

 店内でアホみたいに寛いでいるのは、カニ型の怪人だ。何か、手がハサミって、すげえ事になってるけど。アレで本を読めるのか? 切っちゃうだろ、ちょきんって。

 とりあえず観察してみる。すると、

「うわっ、ページめくった!?」

 すげえ! あのハサミで器用にページをめくってやがる!

「シオ?」

 怪人が首だけを動かす。どうやら、俺の姿を認めたらしい。

 そして、すぐに漫画を読み始める。あ、無視されてる。そりゃそうか。ヒーローには見えんわな、これじゃ。

 ……しかし、普通に客もいるんだよな、やっぱり。まあ、怪人は今のところ本を読んでるだけだし、これと言った被害は出てないんだろう。が、仕事は仕事だ。やる事はやる。

「おいカニ、ここはてめえの婆ちゃん家じゃねえんだぜ」

「生意気な口を利く奴シオ」

 怪人はこっちを見ない。でんでん太鼓を持ってこなくて良かった。アレを屋内で使うには危な過ぎる。

「シオシオシオ、やっぱり漫画は素晴らしいシオ」

「だったら金払って家で読めや!」

 戦う気がないんなら良いぜ! 今の内にボッコボコにしてやっからよ!

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