…………軒猿が十人衆筆頭、イダテン丸は死んだ
襲撃を仕掛けてきたのは軒猿の三行者。奴らの姿は全く見えん。街灯を壊されたからではない。辺りが暗闇に包まれているからでもない。単純に、上手い事死角に潜り込んでいるらしい。レンがまだ見つけられていないのが、何よりの証明だ。これくらいの暗がりで、改造人間の視力は変わりやしない筈だからな。
「逃げるぞ」
「…………無理です。恐らく、我々は囲まれております」
金属が擦れるような音がする。イダテン丸が短刀を抜いたのだろうか。
ここで、戦う?
嘘だ。無理だろ。敵は見えない。向こうからはこっちが見えてる。仕掛けてこないのは、必中を狙っているからだろう。飛び道具を撃って避けられれば、自分たちの位置がバレちまうかもしれないからな。……今は、遊んでいるのかもしれないが。レンはともかく、畜生、一般人と変わらん俺と、弱っているイダテン丸か。
イダテン丸は軒猿の構成員を返り討ちにしてきた。楽には殺されないだろう。拷問にでも掛けられて、惨たらしく殺されるに違いない。
「げげげげげろ! イダテン丸、お前の仲間も道連れだ!」
攻め手に欠けている。流石に、俺たちを守りながらでは、レン一人でも厳しいだろう。かと言って、こいつのフォローに回れるほどの力もない。イダテン丸だって、一分凌げりゃ良い方だろう。
「右から!」
レンが短く叫ぶ。俺は地面に這いつくばった。そのすぐ上を、何かが通り過ぎていった。
「…………うつぼ坊の攻撃です」
「どっから来た!?」
返事はない。くそ、分からなかったか。
「…………明かりを」
「何だと?」
「携帯をお持ちでは? 一瞬で構いません。点けてください」
アホか! 自殺かてめえ! 明るくしたら正確な位置がバレて一発で死んじゃうだろ! 狙ってくださいって言ってるようなもんじゃねえか!
「…………向こうは我々の位置を分かっている筈です」
「お兄さん、早く」
「知らねえぞ!」
こうなったらヤケだ。このままここで這いつくばっていても死んじまう。俺はケータイをズボンのポケットから出して、蓋を開ける。
瞬間、風を切るような音が一つ。
金属音が三回、連続して響いた。
「見つけた」イダテン丸が呟く。彼女は跳躍し、破壊された街灯に向かった。
「げろろっ!?」
「くっ……!」
焦ったような声が聞こえて、何かがこっちに向かってくるのが確認出来た。目が暗がりに慣れてきたのである。
レンが飛んできた何かを払い除ける。
「げろおおおおおおっ!」
断末魔。
その時、影が二つ、真上に躍り出た。
深い編み笠を被り、袈裟を着た小柄な男と、スーツを着た細身の男である。
「根来よ!」
「応よ、うつぼの!」
「来たぞレン!」
レンが俺を蹴り飛ばした。
「ごめんなさいっ」
「いだあっ!?」
俺は地面を滑っていく。イダテン丸と何者かがブロック塀の上にいるのが見えた。彼女は、同じく塀の上に立っていた、やたら太った男をそこから蹴飛ばす。
「げろ、げっ……軒猿が三行者っ、木目蝦蟇破れたりぃ!」
俺の近くに落ちてきたのは、カエルみたいな顔をしたおっさんだった。こいつが、木目、蝦蟇? カエルを操るって言う、あの? ……ちょっと。ほんの少しだけ見たかった気もする。
「…………青井殿、ご無事ですかっ」
「俺は良い、レンを!」
頷き、イダテン丸はブロック塀の上を駆けた。
少し離れた場所で、レンは行者の二人を相手している。だが、軒猿の二人は相当に手強いらしい。あのレンが攻撃に回れていない。
実にシンプルな、ヒットアンドアウェイである。攻撃をしたと思えば、捕まる前にすぐに退く。そうして、二人は呼吸を合わせて再び仕掛けるのだ。あんな事されちゃあ、俺なら一秒持たねえぞ。
腕を伸ばして攻撃しているのは(気持ち悪い)うつぼ坊で、短刀を得物にしているスーツの男が根来刑部だろう。
俺は援護に回れない。近づいたって邪魔になるだけだ。レンとイダテン丸に任せるしかねえ。
根来刑部が短刀を振りかざす。イダテン丸が自分の得物でその攻撃を防いだ。
「あははははっ! 早い早い!」
レンが低く飛ぶ。うつぼ坊が両腕で頭を庇おうとする。が、そのガードは無意味だった。
ハイキックと見せかけて、ミドル。体勢の崩れたところに、素早い回し蹴りが突き刺さる。うつぼ坊は苦しそうに呻いた。
「おおっ」イダテン丸から離れた根来刑部が、レンに向かって短刀を投げつける。
「…………取った」
レンは短刀の柄の部分を殴って弾いた。咄嗟の判断だろう、イダテン丸はうつぼ坊の懐に潜り込んでいる。そのまま、野郎の顎を蹴り上げた。
「おおう! うつぼよっ、果てりしかあっ!?」
根来刑部が懐から、新たな得物を抜く。が、彼はレンの接近に気付いていない。
レンは体を沈ませて、根来刑部の脛を強く蹴った。そのまま、起き上がりながら連撃を浴びせていく。ふらつく軒猿の忍者に、イダテン丸が飛び膝蹴りを放った。しかも顔面。根来刑部は鼻血を撒き散らしながら後ろ向きに倒れていく。
……戦いは終わった。
あっという間の出来事で、俺はついていくので精一杯だった。しかも、レンは手加減している状態で、イダテン丸は万全ではなかったのである。あの二人が本調子なら、俺程度の奴が目で追える筈もないのだ。頼もしい。が、改めて、恐ろしく思える。
三行者にはまだ息があった。
「…………息の根を止められなかったとは、不覚」
イダテン丸は倒れているうつぼ坊に短刀を向ける。ちょい、待て待て待て。
「おい、わざわざ殺す事はないだろうが。後始末は他のヒーローに任せようぜ」
「…………青井殿がそうおっしゃられるのなら」
「レンも。良いな?」
レンは小さく頷き、俺の方に走り寄ってくる。
「あはっ、見てた?」
「見てたよ。手加減、してたんだろ」
「何か、窮屈でやり辛かったなあ。あは、水族館でお兄さんと遊んだのを思い出しちゃった。アレは楽しかった……う、嘘。嘘だから、にっ、睨まないでよう!」
全く。とんでもないガキだなお前は。
「でもさ、この人たちを壊しとかないと、また遊びに来るんじゃないの?」
「…………その通りです。やはり、とどめを……」
そうかもしれん。三行者がヒーローに捕まったとしても、抜け出してくる可能性はゼロじゃない。それに、別の軒猿の忍者がやってくるだろう。
「あははは、だったら壊しちゃっても良いよね」
「や、待て。イダテン丸、こいつらん中で、一番ダメージ少ないのはどいつだ?」
イダテン丸は倒れている奴らを見遣り、
「…………甲乙つけがたいですが」
根来刑部を指差した。
良し。
俺は根来刑部の傍にしゃがみ込み、彼の頬を張った。目覚めるまで、何度も。
「イダテン丸、こいつが目ぇ覚めたら腕を取れ。折れるぎりぎりまで関節曲げろ」
イダテン丸は指示通り、しゃがみ込んでスタンバイする。
やがて、根来刑部が呻き声を発した。彼の鼻からは、まだ血液が流れている。なので、俺の手にも血がついちまった。汚ぇ、マジで。
「おい、起きろ」
「……ぐ、う、きっ、貴様は……!」
「お前さ、死にたいか?」
根来刑部が腕を伸ばそうとする。その動きを察したイダテン丸が、力を込めた。彼の腕から、鈍い音が鳴る。骨が軋んでいるのだ。
「答えろ。折るぞ」
「の、軒猿三行者は、死を、おそれ……いっ、ごあああああぁぁぁああ!?」
思い切り喚いてんじゃねえか。
「死にたくないんなら、俺の言う事に従え。断ったら、爪先から頭のてっぺんまでただじゃ済まさねえ。死にたいって泣き叫んでからが本番だ」
レンが手を振る。根来刑部の顔が歪んだ。
「そっ、組織については何も話せぬ」
「そんなんどうだって良いんだよ。……お前、イダテン丸を殺した事にしろ」
「…………それは」
何故か、根来刑部よりもイダテン丸が驚いている。
いや、そりゃそうだろ。そうでもしなきゃあ、本当に死ぬまで鬼ごっこやらなきゃならねえんだぞ、お前。
「したら、見逃してやる」
「誰が……ぐおおおおおおっ、ぎっ、お……!」
イダテン丸がぎりりと締め上げていた。彼女、ちょっと必死になっている。
「…………根来、断ればお前だけでなく、他の二人の命もないと思え」
「あはは、この人たちさあ、踏んづけたら壊れちゃいそうだよね」
無邪気に笑うレン。演技であると信じたい。
「てめえんところの組織に言え。自分が仕留めたと」
「があああああああああっ!」
「うるせえっ、おい、ちょっと力緩めろって!」
申し訳なさそうに頭を下げながらも、イダテン丸は根来刑部の腕を放さなかった。
「他のヒーローが来る前に決めろ」
何も、こっちだってこいつを百パー信用するつもりはねえ。時間稼ぎ、それさえ出来れば良いと思っている。
根来刑部はさんざん喚き、イダテン丸に関節を決められ、押し黙った後、
「分かった」
と、一言だけ、ようやく喋った。
「は、そうか。安心しろ、悪いようにはしねえよ」嘘だけど。正直、後の事は知らん。俺が見逃すと言ったのは根来刑部だけで、まだ気を失っている二人の忍者がどうなるかまでは分からん。
「…………これを持っていってもらいたい」
イダテン丸は懐から手裏剣を取り出す。それで、自分の指の皮を切り裂いた。血が滲み、溢れていく。彼女は、自分の血液を手裏剣に染み込ませているようだった。決め手にはならないだろうが、そんなんでもないよりマシだな。
「…………軒猿が十人衆筆頭、イダテン丸は死んだ。そう伝えろ」
根来刑部の背中を見送り、俺は息を吐く。野郎が、他のヒーローに捕まらないのを祈るだけだ。
木目蝦蟇とうつぼ坊は渡さなかった。言っちまえば人質である。尤も、ついさっきヒーローに引き渡したところではあるが。あの二人がどうなるか、それは誰にも分からないのである。
「…………かたじけない」
謝られる必要はない。俺は、お前を守った訳じゃない。助けたいと思った訳でもない。第一、これで全てが終わったと思えないしな。根来刑部がどこまでやれるかっつーか、野郎、すぐに仲間呼んで引き返してくるかもしれん。軒猿の上忍とやらをいつまで騙せるかどうか、である。
「お兄さん、早く会社に行こうよ」
「ん、ああ、そうだな」
俺とレンは歩き出そうとした。けど、イダテン丸は動かない。彼女はじっと月を見上げている。何を思い、何を考えているのか、そんなの俺には分かりそうになかった。
だけど、これで依頼は終わったんだろう。
形がどうであれ、イダテン丸を助けた。未だ結末がどこに向かうか、それすらも定まらない状態ではあるが。
「…………青井殿」
だからきっと、イダテン丸は行くのだろう。組織から逃れる為に、遠くへ。ヒーローとして悪を倒す為に、どこかへ。
「行くぞ、社長が待ちくたびれている」
今までずっと、一人で戦ってきたんだろう。組織の追っ手と、悪と。
何故、イダテン丸はヒーローになるのを選んだんだろう。逃げるだけなら簡単なのに、わざわざ面倒な奴らを相手して、顔が売れるような事までやっちまって。……俺みたいなグズを助けた。
もしかして、イダテン丸は仲間を、誰か傍にいてくれる人を望んでいたのか? なんて、感傷的な事は絶対に口にはしない。
「あのアマ、怒らせたら怖いんだ。お前も覚えとけよ」
青井正義は、縹野初芽に借りがある。
カラーズの依頼は完了したのかもしれない。けど、ここで彼女と別れてしまうのはどうかと思うのだ。中途半端に首を突っ込んで、見捨てるようなものじゃあないか。
「あは、早く行こうよ、お姉さん」
「…………了解しました」
イダテン丸は、かたじけない、とは言わなかった。
彼女は相変わらず無表情だったが、何かを押し殺しているようにも見えた。