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邪魔じゃけぇ、消えろ



 タクシーから出てきたのは、馬のマスクを被った男である。俺の事である。ジーンズにジャケットを羽織った俺は気炎万丈、戦闘員と怪人を睨み付けた。だけど奴らはこっちを見ない。若い女にうつつを抜かしてやがる。俺だってそうするに違いない。こんな変態、誰が相手にするだろうか。スーツもなしに、舐めた格好でやって来る奴なんざ、無視するに限る。

「おい」

 だから、易々と近づけた。と言うか、一般人には俺も同類に見られていただろう。

「ああっ? 何だよお前」

 近くにいた戦闘員の肩を叩く。無防備に振り向いたそいつの股間を蹴り上げる。

「がっ…………!?」

 スーツを着て身体能力が上がったとしても、無敵ではない。ダメージは通る。戦闘員に支給されている程度のスーツでは、急所に通ったダメージは中々抜けないだろう。

 俺は悶絶している戦闘員の頭を掴み、地面に叩きつけた。アスファルトとそいつの頭がぶつかり、

「オロロ? 何者だ?」

 狼型のスーツを着た怪人がこっちを見る。距離は遠い。奴と俺との間には、戦闘員がうじゃうじゃといやがる。気付かれてしまったからには、もう不意打ちは通じないだろう。

「見た事ないヒーローです!」

「ウルフさん、やっちまいましょう!」

 戦闘員が好き勝手に喚き出す。

「オロロロッ、お前らがやれ。俺は、若い子とバスで遊ぶ。無視しても良いけど、さっさと始末して帰るぞ」

「ずりい! くそっ、やるぞお前ら!」

 ウルフと呼ばれた(まんまじゃねえか)怪人がバスに戻ろうとする。奴が背中を向けた瞬間、俺は覚悟を決めて駆け出した。掴み掛かろうとする戦闘員を擦り抜けて、ウルフとやらに狙いを定める。

 そもそも、この数相手じゃ分が悪い。だったら頭を潰すのがセオリーだ。うん、いつもそうやってやられてるし。

「うお意外と早いぞっ」

「追いつけ追いつけっ、野郎生身じゃねえか!」

 その通り。戦闘員での仕事ん時みたいには走れない。息だってすぐに上がるだろう。つーか捕まる。なるだけ攻撃は喰らいたくない。今晩だって仕事はあるんだ。俺は立ち止まり、飛び掛ってきた戦闘員をやり過ごして、交差点から背を向ける。向かってきた俺を見て、野次馬たちが道を開け始めた。

「何なんだてめえはっ」俺が聞きたいっつーの。

 人込みに紛れて、ビルの間に身を隠す。息を整えていると、足音が聞こえてきた。軽い音だ。くそっ、やっぱスーツがないと洒落んなんねえぞ。

「いたっ、いたぞ!」

 見つかった! 狭い路地、更に向こうへ逃げる。と、集団の中でも、一際足の早い奴がすぐそこまで迫ってきた。無理だ。俺は反転し、振り上げられた拳を避ける。戦闘員のバックを取り、そいつの首に腕を巻きつけた。躊躇はなしだ。一気に締め上げて窒息させる。首の骨を折るつもりじゃねえと効果はないだろうし。

「動くな動くな動くな! こいつがどうなっても良いのか!」

 タップされているが無視。スーツを着ていても、関節を極められたり、こう、隙間を狙われるような技には弱いのだ。

「卑怯だぞ、ヒーローじゃねえのかてめえ!」

「離してやれよ! そいつ昨日から風邪気味なんだって!」

「知るかっ、散れ散れ! お前ら、全員で飛び掛かればイケるなんて思うなよ! マジで! 一人か二人くらいは殺すからな!」

 俺が一歩前に進めば、縦に並んだ戦闘員どもは一歩退く。

「この馬が!」

「うるせえぶっ殺すぞ!」

 しかし、やはり覆面もないよりはマシだったかもしれない。面が割れりゃあこの辺、どころか街を出歩けないぞ。こうやって、また恨みを買っていく訳か。ヒーローって因果な商売だな。

「お前ら邪魔すんなよ、あのウルフとかいう怪人とタイマン張らせろ。そうすりゃ命だけは助けてやる」

「なっ、お前そんな真似出来るかよ!」

「下っ端が」

 怪人よりは劣ったスーツを着ているとは言え、数が数だ。万に一つの勝ち目があるなら、これしかない。けど、明らかに分が悪い。戦闘員二十人に囲まれるか、並外れた性能を持つ怪人とサシでやり合うか、どちらが死に難いだろうか。いや、欲張んな。とにかく、俺としちゃあ金や勝利は二の次だ。生き抜くのを考えなきゃなんねえ。時間さえ稼げば、騒ぎを聞きつけた他のヒーローがハイエナよろしくやってくる筈だ。そっからは隙を突いて逃げれば良い。

「怪人守って死ぬなんざごめんだろうが! おらクソが、道開けろってんだ!」

 怒鳴った瞬間、何かに躓いてしまった。調子に乗り過ぎたかもしれない。つんのめり、無様にこける。戦闘員の首を絞めていた為に、受身すらろくに取れず、地面にぶつかった。

「今だーっ! やっちまえ!」

「おわあああああ待て待て待て待て!」

 うわーっ前が見えねえ! くそマスクの位置が畜生どうなってんだどうなるんだ俺は!?


「待て、悪党どもめ」


「な、何者だ?」

「ふん」

 な、何だ。何が起こった? 女の声がしたと思ったら、戦闘員たちが足を止めたぞ。

「あーっもう! こんな馬野郎の相手なんかしてっからだよ! 新手が来ちまったじゃねえか!」

「囲め囲めっ」

 新手? そっ、そうか。ヒーローが来てくれたのか。良いぞやっちまえ! ……何だかなあ。

 戦闘員を手放し、こそこそと離れる。マスクの位置を直してみると、そこには確かにヒーローらしきスーツをまとった女がいた。

 すげえ格好だった。スーツと言えばスーツだが、肌はかなり露出している。真っ赤なビキニみてえな、こんなんで攻撃を防げるのかよ。つーか恥ずかしくねえのかよ。

「はん、雁首揃えてぞろぞろと、われら雑魚にゃぁ相応しい」

「てめえ面白い格好しやがって、おっ、おい、一、二の、三で行くぞ」

「はあ? マジかよ、ウルフさん待とうぜ」

 女ヒーローは腕を組んでいた。九重や俺よりも背は低いが、それでも百七十センチ近い。彼女の顔は、バイザーで半分が隠れていたが、真一文字に結ばれた口からは、意志の強さ、みたいなものが感じられる。長い黒髪はポニーテールにまとめられて、青いマントと一緒に風に吹かれて揺れていた。うーん、それっぽい。確かに、ヒーローだ。顔立ちも整っているし、扇情的なスーツも、艶やかな黒髪も注目を惹くだろう。けど、何よりも目を引くのは、

「……こっちから行くぞ」

 彼女の持つ、恐らくは武器であろう、巨大なしゃもじだ。二メートル近くはあるだろうか。そんで、分厚い。叩かれりゃ痛い筈。しかも、スーツのお陰で力は上がってるんだ。戦闘員程度のスーツじゃあ、あの攻撃には耐えられないだろう。

 しかし、しゃもじである。あの、ご飯をよそったりするアレ。ビキニヒーローはしゃもじを片手で振り回している。恐ろしい。

 戦闘員たちがじりじりと間を詰めようとする。が、ヒーローは腰を深く落としてしゃもじを振り被った。掬い上げるような動作で、得物を振るう。近くにいた戦闘員二人が攻撃を喰らい、宙に浮いた。とんでもないパワーだ。あのスーツ、かなり良いものに違いない。

「ぎゃああああああああ何だよそれ!?」

「ふざけんなよ馬鹿力女が!」

「てめえそんなの喰らったら死ぬだろ普通!」

 戦闘員がぎゃあぎゃあと喚き出す。ヒーローは何も言わず、しゃもじを構えた。そのしゃもじには『一周年記念』と筆文字で書かれている。酷いセンスだ。あんなもんで殴られて死にたくねえ。

「畜生、ウルフさん呼んで来い」

「おっ、俺が行く!」

「いや俺が行く、俺が行くから誰かあいつを押さえとけ!」

 結局、残った戦闘員は倒れていた仲間を背負い、一目散に逃げ出した。なので、構えを解いたヒーローは俺を見る。彼女は暫くの間こっちを見ていたが、興味をなくしたように顔を逸らした。

「……ほうとくない。邪魔じゃけぇ消えろ」

 ホウトク……? そういや、こいつさっきから方言喋ってんな。広島かどっかか? 何て言ったか知らないが、馬鹿にされているのは分かった。邪魔だし、消えろとも言われた。面白くねえ。助かったのは事実だけど、後から来ておいしいところ掻っ攫いやがって、正しくヒーローだ。礼は言わない。情けないけど。

 しゃもじヒーローはこっちを見ないまま、じっと怪人を待っていた。



「オロロロロロロ! 好みじゃねえが、若い女は大歓迎だ! 痛めつけて弄んで楽しい思いをさせてもらうからな! オロロロロロロ!」



 やってきた怪人はしゃもじの一発を受けて動かなくなった。頭を打ち据えられ、地面に叩きつけられて、ぴくりともしなかった。ギャラリーと化していた戦闘員どもは怪人を見捨ててバスに乗り込もうとしたが、別のヒーローに囲まれて、バスから引き摺り下ろされて一人ずつ丁寧にボコられていった。

 広島弁のヒーローは携帯電話でどこかに連絡をした後、普通に歩いて帰っていった。

 残された俺は事態の収拾を見届けた後、馬のマスクを脱ぎ捨てて、とぼとぼとタクシーに戻った。

「全然駄目じゃない、あなた」

 もはや、憎まれ口を叩く気すら起こらない。助手席に乗り込み、深く、長い息を吐く。九重が心配そうに俺を見ていたが、じっと窓の外を見つめるしかなかった。戦闘員がリンチされる。バスの中に押し込まれていた若い女は、ヒーローに礼も言わず、そそくさとその場を後にしていた。

 まあ、こんなもんだ。

 現場に駆けつけたヒーローだって、賞賛浴びる為に来た訳じゃない。金欲しさ、あるいは、俺たちみたいに知名度とやらを上げる為に戦闘員と戦いに来たのだ。尤も、数人掛かりで一匹の雑魚を袋叩きにするような事しかやってないけど。

「あら、マスクはどうしたの?」

「……知らねえよ」

「ふうん? じゃ、給料から引いておくわね」

「好きにしろよ」

 社長の顔を見られなかった。そりゃ、スーツどころかまともな武器すら用意していない彼女のやり方には腹が立つ。俺が死んだって『あらそう』の一言で済ませてしまいそうな女なのだ。腹が立たない方がおかしい。戦闘員を倒すどころか、怪人とすら戦えなかったのは俺の責任じゃあない。土台、ただの人間には無理な話なんだから。けど、やってやると息巻いて出て行ったのは俺なんだ。彼女の、ほんの少しの期待を裏切ったのは俺なんだ。初仕事、失敗しちまった。

「九重、出してちょうだい」

「……良いんですか?」

「良いも悪いもないわ。帰るわよ」

「……シートベルト」

 タクシーが発進する。九重に言われて、俺はベルトを締めた。かなりの時間、車内には陰鬱な空気が立ち込めていた。

「青井」

 社長が口を開く。俺は、ミラー越しに彼女を盗み見た。

「一つ褒めてあげる。あなたは、あいつらみたいなハイエナにはならなかった。怪人には届かなかったし、戦闘員とだってまともに戦えなかったでしょう。けれど、あなたはあなたの正義を守った。あなたは私の正義を守った」

「……良く言うぜ」

 それきり、社長が口を開く事はなかった。



 ヒーローとしての仕事が終わった数時間後、俺は戦闘員のスーツを着て仕事場に立っていた。悪の組織としてのお仕事である。うん、こっちのがしっくり来るよな、やっぱり。

「先輩、今日の相手は誰でしたっけ?」

「ああ?」

 オフィス街の一角、人気のない路地裏。持ち場にいる時に話し掛けられて、俺は面倒くさいながらも振り返る。

「相手はいねえよ。俺らの役目は陽動だってチーフが言ってたろ」

 先日の、倉庫での戦闘のせいで、俺たちの班の戦闘員の数は減っていた。なので、今日は別の班の仕事に組み込まれている。俺たちの班の役割は、騒ぎを聞きつけてノコノコとやって来るであろうヒーローの注意を引きつけ、本隊の仕事をやり易くする、である。

「捨て駒っスね」

「……うるせえ」

 確かに、俺たちは捨て駒に違いない。けど、無理をする必要はない。今回に限っては適当にやってれば良いんだ。

「今日はバスも出てない。自力で帰るしかねえんだ。怪我なんかしてみろ、捕まっちまうぞ」

「はあ、けど、二人一組ってのは心細いっスよ。陽動ったってどうするんスか? この辺の建物に火ぃつけて回るんスか?」

「馬鹿野郎、そんな事したら捕まった時に酷いぞ。てめえが持ってるのは何だ?」

「メガホンっス」

 後輩の戦闘員は、メガホンを掲げてみせる。

「そいつで喚いてろ。ヒーローがこっちに来るかもしんねえ」

「来たらどうすんスか!?」

「知るか! 逃げろ!」

 まあ、俺たちの班はそこら辺に分散しているし、運悪くこっちにヒーローが来るとは限らない。そもそも、ヒーローが来ないかもしれないしな。



 俺と後輩は必死に逃げ回っていた。運悪く、ヒーローがこっちに来ていたのである。

「はっ、はっ、はあ……やべえやべえっスよやべえっスよう」

 路地裏から路地裏へ、時には深夜の交差点を横切って、俺たちはヒーローを撒こうとしていた。けど、あっちのスーツの性能は高い。完全には振り切れない。背中には、常に殺気を感じている。プレッシャーのせいか息が切れてきた。俺は背後を見遣ってからビルの壁面に背中を預けて、呼吸を整える。後輩はその場にへたり込んでいた。

 追ってきているのは、この辺を縄張りにしているヒーローだ。戦国武将の鎧みたいなスーツを着た、トルーパーとか呼ばれている奴だ。俺たちじゃあ手も足も出ないまま、撫で斬りにされて呆気なく殺されるのがオチだろう。悪党に人権はないのだ。

「ひっ……! だ、誰か来るっスよ!」

「ここまでか」敵を引きつける、その仕事は必要以上に終わっている。ここらが潮時だ。組織に逃げ帰るべきだろう。

「帰るぞ。本隊とは逆方向から、こう、遠回りに」

「追いつかれたらどうするんスか!?」

 その時はその時だ。けど、ヒーローだってそろそろ気付く頃だろう。俺たちが囮だという事に。

「見つけた」

「うわああああああっ!?」

 後輩が叫ぶ。俺たちの前方、進路を塞ぐかのように立つ者がいた。ビキニみたいなスーツを着た、髪が長くて背の高い女である。彼女は、巨大なしゃもじを持っていた。

「……野郎」

 見間違える筈はない。こいつ、昼間のヒーローじゃねえか!

「先輩っ、先輩どうするんスか!?」

「ぶっ殺してやる!」

 恨み晴らさでおくべきか。俺は駆け出す。昼間の馬マンとは違う。今はスーツだって着ているし、しゃもじ女の攻撃やパターンは既に見ているんだ。勝てるかどうかは分からんが、一矢報いる。つーか殴る。掻き集めろ嫉妬パワー! 巻き起これ俺のエネルギー!



 無事に組織へ戻れたのは奇跡と言っても差し支えないだろう。俺の体はぼろぼろだった。体中が痛い。が、スーツのお陰か、幸いにも軽い打撲だけで済んでいた。生きてて良かった。生きているって素晴らしい。

『お前、すごいな、よくもまあそんなスーツでヒーローに向かっていったもんだ』

 チーフからは褒められたが、あんまり嬉しくなかった。結局、あの広島女には指一本触れる事すら叶わなかったのである。どうやって助かったのか、いまいち覚えていない。とにかく、今日はもう何もかも忘れてゆっくり休もう。

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