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最初からヒーローをやっておれば良いものを



 イダテン丸の事は気になるが、彼についての情報は少ない。彼がウゴロモチを潰したヒーローとは言っても、そう簡単に尻尾を出すような奴ではないとも分かっていた。

「知ってるわ。名前だけはね」

 そこで、もしかしたらと思い、朝一番で社長に聞いてみたのだが。これだよ。やっぱこんなもんだよ。彼女は軒猿の名前だって知らなさそうである。

「第一、初めて見た時には名前だって知らなかったんだもの。イダテン丸って名前も、一体誰が漏らしたのかしらね」

 社長は新聞を放り投げる。そこには小さな記事があり、ブレまくりの写真が載っていた。多分、イダテン丸を撮ったものなんだろうが、これじゃあ何が写ってるのかさっぱりである。



 その日の夜、俺は仕事がないと分かっていながらも組織に顔を出した。江戸さんから、詳しい話を聞く為である。昨日は教えてくれなかったが、あの人なら他にも何か隠し持っているような気がしたのだ。

 が、

「いない?」

「江戸さんは出張だぜ。ちゃんとボード見とけよな」

 どうやら、そう言う事らしかった。

 ホワイトボードで確認すると、江戸さんは他の組織へ出張に行っているらしい。ウチと協力関係にある組織も幾つかあるし、出張だってそう珍しくはない事だけど、このタイミングで、かよ。

 やべえ、すげえやる事がない。



「武器なら出来ておらんぞ」

「知ってる。いや、暇潰しに来ただけだから」

 仕方がないので、俺は今、爺さんのところに来ている。

「暇潰しじゃと? 仕事はどうした。お前は今、四天王の数字付きだろうが」

「ないもんはないんだから、どうしようもねえだろ。それよりさ爺さん、軒猿って知ってるか?」

 爺さんはキーボードを叩く手を止める。

「ほう、随分とまあ懐かしい名前を聞いたもんじゃ。青井、どうしてお前が軒猿を知っておる」

 どこまで説明して良いものか迷ったが、適当に誤魔化して話す事にした。

「最近さ、イダテン丸ってヒーローが活躍しているらしいんだ」

「そっちは聞いた事がないのう」新しいヒーローだしな。爺さんはここに引きこもってるし、その辺に転がってるヒーローなんざ興味がないんだろう。

「どうやらそいつ、軒猿を抜けてヒーローやってるらしいんだ」

 爺さんは鼻で笑った。心底からイダテン丸を馬鹿にしているらしい。

「最初からヒーローをやっておれば良いものを」

「それより、知ってんのか?」

「軒猿か? ああ、えげつない忍群だった」

「だった?」

「ま、昔の話じゃ。あまり覚えておらん」

 やっぱりもうろくしてるじゃねえか。大丈夫かよこの爺さん。

「戦闘員一人一人の錬度が高く、殺人すら厭わん連中だ。ある意味お前よりもクズだが、潔い分、向こうのがマシかもしれんな」

「あっそ」その辺の話なら江戸さんからも聞いてるっつーの。

「確か、組織は能力に応じて上忍、中忍、下忍と分かれていた筈じゃ。ウチで言えば、中忍が四天王で、下忍がお前らと言ったところか。力の差は歴然だがな」

 余裕で俺らのが下って事か? けど、中忍でウチの四天王と同レベルってのは眉唾だな。

「軒猿の上忍は一人しかおらんがの」

「へえ、そいつが親玉って訳か?」

「そう言う事になるか。じゃが、それは前の、わしが知っている軒猿の話じゃ。今、どうなっているかまでは知らん」

 一体、この爺さんは何歳で何者なんだろうか。なんて、考えるだけ無駄だ。本人が覚えてねえんだからな。

「果たして、十人衆や三行者(さんぎょうじゃ)が残っているかどうかすら怪しいな」

「……何だそりゃ?」

「ああ、そいつらは軒猿の中忍でも別格の存在じゃ。……数字付きみたいなものか」

 はいはい、そんで比べるだけ無駄だって話なんだろ。

「そんなのが十三人もいるのかよ」

「イダテン丸というのがどんな奴かは知らんが、古今東西、抜け忍というのは死ぬまで追い掛け回されるものだ。……あるいは、その抜け忍が追う側の組織を潰すか、組織自体が諦めるまでは」

 どっちかが死ぬまで続くってかい。そりゃ難儀な話だな。

「そもそも、軒猿ってのは何をやりたい組織なんだ?」

 今のところ、ストーカー集団ってイメージが拭えない。

「さて、良く分からん物を追い掛けているとも聞いた事が」

 ほう。

「あったような、なかったような」

「もう良い。……んじゃ、俺は帰るわ」

「おう、青井。新しい武器についてだがな」

 俺は立ち止まる。

「可変式のものを考えておるんじゃ」

「かへん式? それって、どんなだ?」

「近、中、遠距離に対応した武器。それから、サブウェポンのようなものを幾つか。そいつを一つに纏めてしまおうかと考えている」

 なっ、何それ? すげえ、超至れり尽くせりじゃねえか。

「じゃが、複雑な機構のものは強度に難がある。どこまで遊んで良いか、目下検討中じゃ」

「遊ぶってな、爺さん。俺は……」

「勘違いするな。物事と言うのは、少しくらい力を抜いていた方が上手くいくものよ。それに、試作品を用意してある。テストが終わるのもすぐだろうし、明日には渡せるだろうよ」

「えっ、マジで? もう武器くれんのか?」

 爺さんは顎鬚を弄ぶ。

「だから、試作品だと言っているだろうが」

 それでも充分だろう。何せ、俺には武器が殆どないんだから。どんなもんだって有り難がってみせるっつーの。

「いや、存外来て良かったわ」

「どういう意味だ。全く、可愛げのない……」

 爺さんはぶつぶつと呟き始めていた。こうなると手に負えないな。さっさと逃げるに限る。



 この日は、終電よりも一本早い電車で帰った。明日辺りには、組織に顔を出していないかもしれない。恐ろしい職場である。いや、下っ端ん時とはえらい違いだ。偉くなるって素晴らしい。もっと偉くなってもっと楽をしよう。

 労働意欲に燃え上がりながら、俺は帰宅する。

「あ、お帰りなさいっ」

 扉を開けた瞬間、レンが飛びついてきた。引き剥がしたいが、相変わらずこいつの馬力は凄まじい。

「まだ起きてたのか。ガキは早く寝て、早く大きくなるもんだ」

「うん、もう寝る。お兄さんもそうするよね?」

「あー、シャワー浴びたら寝るわ」

「あはは、僕も僕も」

 手を上げるレン。ふざけるなよ。

「えー、一緒に入ろうよー?」

「お前、俺が出る前に入ってたろ。日に二回も入ってどうすんだ。ふやける気か?」

「あは、お背中お流ししますよ」

 お前が十年経って女に生まれ変わったら、こっちからお願いしますと頭を下げるけどな。

「いらん。早く寝ろ」

「……意地悪」

 性悪が。



 ゆっさゆっさと、体を大きく揺さぶられる。が、何か変。横にっつーか、縦に? そんで、俺に何かが乗っかってる? 地震、にしちゃあ微妙だし。

 妙な感覚に目を覚ませば、レンが馬乗りになって俺をじっと見ていた。で、時折、縦に揺する。

「あは、起きた」

「…………今何時だ?」

「えっとね、二時」

 勿論、夜中の。

「おっしゃ、ちょっとそこに正座しろ。ぶん殴るから」

「だっ、だって! だって怖い夢見たんだもん!」

 理由になってねえぞ。

「お前は一々かわい子ぶろうとするな……首を傾げるな! 男だろうがてめえは!」

「お兄さんの布団で寝てもいーい?」

「じゃあ俺がお前の布団で寝るわ」

「ひ、酷いっ」お前がな。

 あー、くそ。声張ったから目ぇ覚めちったじゃんか。

「……寝られねえのか?」

「あ、あは。今は、無理かも」

 レンは俺の服の裾を握っている。ちぎるつもりかこの野郎。

「しゃあねえ。コンビニでも行くか」歩いてりゃ気だって紛れるし、少しは眠くなるだろう。

「あはっ、やった。お出かけだね。……あは、お兄さんと一緒」

「ま、まあそうだな。そんな嬉しいか? コンビニだぞ、コンビニ」

「嬉しいよ?」

 その笑顔は、何ら含むものがない、あっけらかんとしたものだった。



 コンビニで缶ビールと適当なつまみを買う。

「あ、僕も飲みたいな」

「駄目に決まってんだろ。お前はから揚げでも齧ってろ」

 レンは素直に、串に刺さったから揚げを齧っていた。俺も、自分の串を取って、口に運ぶ。ゆっくりと歩きながら、アルコールで体を充たす感覚。いや、良いね。たまにはこういうのも良いじゃねえか。

「あは、こんな時間にこういうの食べてたら太っちゃうね」

「育ち盛りだろ。あんま気にすんな」

 そもそも、こんな時間にガキが起きているのが駄目だ。駄目駄目だ。



 缶の中身を半分くらい飲み干した辺りで、俺は足を止める。レンが俺の前で立ち止まったからだ。彼は前方をじっと見据えている。

「おい、どうしたよ?」

「誰かが遊んでる」

 遊んで……? いや、違う。戦ってるんだ。暗がりの中で、時折火花が散っている。物音は殆どしていない。だが、凄まじい速度で何かが動いているのは辛うじて分かる。

「お兄さん、こないだの人だよ」

「こないだって、イダテン丸か?」

 レンは頷いた。俺はどうして良いか分からずに、ビールを呷る。ビニール袋の中から、ピーナッツを取り出して開封した。ひょー、超美味そう。

「……あは、余裕があるんだね」

「今だけな。……レン、約束忘れてないよな」

「あははは、当たり前じゃん!」

 けど、なーんか不安なんだよな。ほら、ちょっとテンション高くなってるし。

 しかし、イダテン丸か。妙な縁があるな。やだやだ。相手は軒猿って事なんだろうし。うーん。昨日の、氷手裏剣とか抜かしていた奴か?

「ねえ、遊んできても良い?」

「駄目だって」少なくとも、俺が絡んで得するような奴らではない。このまま回れ右するのが正解だろう。

「こっちだ。行くぞ、レン」

 レンは戦闘をじっと見つめていたが、俺に手を引かれて、黙って歩き始める。

「……あっ」

「ん?」

 振り向いた瞬間、何かが俺の頬を掠めていった。暗いし、速過ぎて全然見えなかった。カナブンか?

「ちっとびっくりしちま――――レン?」

「お兄さん、ほっぺから血が出てる」

 えっ、嘘だろ。指を当てると、それっぽい感触を確認出来た。『すげー強いカナブンじゃん』とか言ってる場合じゃねえ。多分、今のは流れ弾だ。いや流れ手裏剣?

 それよりも、レンさん、顔が怖いんですけど。きっと向こうを睨み付けていらっしゃる。

「お、おい、俺なら大丈夫だから……」

「……よくもお兄さんを……!」

 が、レンは俺の手を振り解いて、一目散に駆け出した。

「レーン!? 馬鹿戻ってこい!」

 死人が出るから!

 俺は追い掛けられなかった。だってすげえ怖かったんだもん。

 暫くして火花が見えなくなる。多分、レンのせいで戦いが中断しているんだろう。

「うぎゃあああああああああああああああああああああああ!」

 ひっ。

「ひっ、う、うわ……」

 えげつねえ叫び声だ。この辺一帯に響き渡ったな、こりゃ。今のは、どっちの声だろう。どっちが、レンにやられてしまったんだろうか。こ、殺したりしてないよな? 今、あいつは武器だって持ってないし、流石に素手で人間を殺すってのは……ありうる。大いにありうる。

「ストップ! レンストップ! レェーン!」



 腕を変な方向に捻じ曲げられていたのは、昨夜に見た軒猿の忍者だった。そいつは泡を吹いて倒れている。ひでえ。

「あはははっ、お兄さんお兄さん、僕ね、約束守ったよ?」

「いや全然守ってねえじゃん」

 スイッチオンで楽しそうだったじゃん。

「お兄さんが危ない時は、こういう事しても良いんだよね?」

 まっすぐに見つめられる。そう言えば、そんな事を言ったような気が。

「殺してないよな?」

「あはは、その前に気絶しちゃったもん」

「そ、そうか」ここで安心しちゃう俺ってどうなんだ。

 そして、さっきから立ったまま何も言わないイダテン丸。相変わらずブレない奴である。

「……軒猿の追っ手か?」

 イダテン丸は答えないが、僅かに表情が曇ったように見えた。

「…………かたじけない」

「あ、おい。ちょい待てって」

 必要以上には関わり合いになりたくないが、こいつには借りがある。

「一緒に戦ってくれとか、そういうのはきついけどさ。何か困った事があったら……」

「…………何故」

「ん?」

 何か言ったみたいだけど、声が小さくて全然聞こえん。

「あー、そう。カラーズってヒーロー派遣会社に連絡くれよ。少しは力になれるかもしれない」

 返事は、ない。イダテン丸は俺たちに頭を下げて、夜の闇へ溶けるようにして、見えなくなっていく。

「お兄さん、この人でもう少し遊んでもいーい?」

「駄目に決まってんだろ」

 放置ってのも可哀想かもしれん。ケーサツ呼んで、とんずらこくか。

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