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恐ろしく強く、素早い



「いってらっしゃいお兄さん、明日の朝ごはんも期待してて良いからね!」

 お、おう。

 エプロンつけてお玉を持ったレンに送り出されて、俺は仕事場こと、悪の組織へと向かった。

 あいつ、やけに気合が入っていたけど、今から仕込んだりするんだろうか。朝から、何を食わされるんだろか。ちょっと怖い。晩飯もすげえ手が込んでたし。



 ロッカーの鏡で確認すると、喉にはうっすらとした手形が残っていた。あのまま、死ぬかと思った。社長も九重も止めようとしねえし。畜生、俺はカラーズ唯一のヒーローなんだぞ。もっと丁寧に扱ってくれってえの。

「青井ー、お前さ、今日はどうすんの?」

 何も考えていない。

「コーヒー飲んで帰る」

「給料泥棒が。少しは働けよ」

 働きたくても仕事がない。つーかお前だって泥棒だろうが。



 しかし、控え室に三十分もいると退屈になってくる。流石に、一時間足らずで帰ってしまうのもどうかと思うので、江戸さんの部屋へと向かった。上司のところに暇だから行くっていうのは、部下としては最下層の部類に入りそうだが、その辺の言葉は言われ慣れているので問題なかった。

「……イダテン丸?」

「はい、そういうヒーローがいるんですけど、知ってますか?」

 江戸さんは苦々しい表情を浮かべる。何か、おかしな事を言ってしまっただろうか。

「青井君、私はエスメラルド様の右腕なのだよ。イダテン丸と言えば、ウゴロモチを潰したヒーローだ。その憎むべきヒーローの名を、私が知らない筈がない」

 う、ま、まあ、そりゃそうなんですけど。

「今の質問は、受け手によっては馬鹿にされていると思われかねない。覚えておきたまえ」

「も、申し訳ありません」

「うん、素直に謝るのは君の美徳だと思う。それで、イダテン丸がどうしたのかな」

 うーん、どうしたもこうしたもないんだなあ、これが。第一、ここには暇潰しに来た訳だし。

「いつか戦うかもしれませんから、出来るだけ情報が欲しいかなあ、と」

「ほう、素晴らしい心掛けだ。他の数字付きにも見習って欲しいものだ。良いとも、教えようじゃないか。ただ、イダテン丸の情報は少ないのだよ」

 忍者、だからか……? すげえぜ忍者。

「これまでの目撃情報などから、イダテン丸を追っているのは軒猿(のきざる)の構成員だと分かっている。恐らく、イダテン丸というのは、元はそこに属していたのだろう。抜け忍と言えば分かりやすいかな」

 やっぱり、そういう理由で追われていたのか。しかし、の、軒猿? そいつは初めて聞いた名前だな。

「軒猿と言うのは……そうだな、忍者集団、忍群とでも呼べば良いだろうか」

「忍者の集まりなんですね」俺たちだってクズの集まりだけど。

「噛み砕けば。だが、その実力は他の似たような組織とは比べ物にならないほど、高い」

 江戸さんは目を瞑り、指で自分の二の腕辺りを叩いていた。苛々しているのだろうか。

「そもそもは、戦国武将の上杉謙信が使っていた忍者の一種だ。けんえんとも呼ばれていたらしい。その名の由来は中国の伝説上の皇帝だとも言われている」

 ん? そいつらって、戦国時代からいたのか? すげえ古株じゃん。どの悪の組織よりも古い。超先輩じゃねえか。

「ああ、いや、勘違いはしないでくれたまえ。あくまで、軒猿と言う名にあやかっているだけだろう。実際の軒猿は、忍者の中でも特に高い戦闘技量を持っていたようだったからね。同じ忍者を殺害するのが主な任務であり、それを得意としていたらしい」

 なるほどね、確かに強そうだ。そんでもって、今の軒猿もその名前に恥じないくらい強いんだろう。イダテン丸みたいな化け物が所属していたくらいだしな。

「尤も、組織自体がどのようなもので、一体何を狙って活動しているのかは殆ど分かっていない。他の組織との交流を嫌っているような節さえ見受けられるくらいだ」

「どっかのお偉いさんに雇われているのかもしれませんね」

「かもしれない。肝心のイダテン丸の情報だが、これが嘘のようにないのだよ。恐ろしく強く、素早いといった話は聞くがね」

 むしろ、軒猿なんて名前が出てくるだけでも奇跡だろう。

「しかし、関わり合いにならなければ問題はない。今のところ、軒猿が追い掛けているのはイダテン丸だけで、他にどこかを襲ったとか、誰かを殺したとかは聞いた事がない。うん、早くあのヒーローがいなくなれば、我々も仕事がやり易くなる」

 俺は苦笑する。うん、そうだ。自分から首を突っ込まない限りは大丈夫。俺はイダテン丸を少しだけ知っているが、まあ、問題ない。そうに違いない。

「済まないね、青井君」

「とんでもない、勉強になりました。……それじゃ、俺はそろそろ帰りますね」

「ああ、気を付けて帰りたまえ」

 江戸さんに見送られながら部屋を出る。

 軒猿、ね。まだまだ、俺の知らない組織がこの街にはあるって事か。



 電車に乗り、がたごとと揺られて駅に着く。最近はずっと終電で帰ってるな。何もしてないんだけど、何かやったって感じがしているんだが。疲れたサラリーマンの次に改札を通り、俺は体を伸ばす。眠い。さっさと帰って、とっとと眠っちまおう。



 厄介事は無視するに限る。そうすりゃ、危ない目には遭わないで済む。

 が、忘れていた。そういうのに限って、俺の意思を無視して向こうからやってくるんだって事を。

「ひっ、ひい! ひいい!」

 俺の目の前を、全身タイツの覆面野郎が走り抜けていく。どっかの組織の戦闘員だろう。あらら、首元には白いスカーフなんか巻いちゃって。おっしゃれー。

「くるなくるなくるなああああ!」

 そいつを追い掛けるのは、青い忍び装束を着たヒーローである。……イダテン丸、である。彼は戦闘員の首元に手刀を叩き込んでいた。

 焦る。さっきまでの俺は悪の組織の戦闘員だったからな。いや、くわばらくわばら。ここは見て見ぬ振りをして、さっさと行っちまおう。

 路地裏に連れ込まれる戦闘員と、無言で引きずっていくイダテン丸から背を向けて歩き始めた瞬間、俺の前方に何かが落ちた。突き刺さったと言うべきか。地面に刺さってるのは刃物だ。こう、細長い手裏剣? みたいな。

 ふと、上を見る。黒い忍び装束を着たのが二人、いた。そいつらはビルの壁に立っている。

「ああ……?」

 目の錯覚じゃない。確かに、壁面に直立不動していやがるのだ。

 二人の忍者は音もなく、俺の前方に着地する。片方は大柄な男だ。もう片方は、小柄な……女、か?

「……イダテン丸の仲間か?」

 はあ?

「どちらにせよ、目撃者は消すだけだ」

 小柄な忍者が小さく笑う。何が、どうなってんだ?

「ちょっと待てよ。俺は別に、何の関係も……」

 最後まで言えなかった。でかい方の忍者が得物を構えたからである。

 どこに隠し持っていたのか、巨大な、刀だった。あの変わった刀身には見覚えがある。忍者の持ってる奴だ。つー事は、つまり何か、こいつらはまさかイダテン丸を追ってるって言う、軒猿って連中なのか?

「はあああっ!? てめえ正気かコラ! 俺は無関係だぞっ!」

 返事はない。巨大な忍者刀を持った男が突進してくる。

「うおおおおおおおおおっ!?」

 駄目だ絶対逃げらんねえ! 速過ぎだろ!

「……ぬう、現れたか」

「な、何が」男が俺から距離を取る。振り向けば、そこにはいつの間にかイダテン丸が立っていた。まるで幽鬼のようである。存在感のかけらもない。

 イダテン丸は俺の前に立ち、懐から短刀を取り出して、そいつを逆手に構えた。

「ふ、仕掛けるか? だが、良いのか?」

 小柄な忍者がくすくすと笑ってから、俺を指差す。……俺?

「お前が動けば、そこの一般人に額に穴が開く事になるが?」

「ふざけんなっ」逃げ出そうとするが、俺の顔のすぐ横を、冷たいものが通り過ぎていった。何かを投げつけられたらしい。何かを、確認するほどの勇気はなかったが。

「次は当てるよ?」

 軽い感じで言われてしまう。俺は動けなかった。

「抵抗したら、どうなるか分かってるよね?」

 こ、これってやばいっつーか、俺がめちゃくちゃ足引っ張ってる形になってる? (恐らく)軒猿の二人はこっちに狙いを定めてやがるし、そもそもイダテン丸が俺を助けてくれるとは思えん。ヒーローっちゃヒーローだけど、誰だって我が身が一番可愛いに決まってるんだ。

「た、助けてください」俺にはプライドなどなかった。

「ふふ、さ、どうするイダテン丸?」

 マジで! マジで助けてくれ! お願いだから!

 縋ってみる。めっちゃ見つめてみる。イダテン丸は表情一つ変えない。

「……へえ?」

 だが、イダテン丸は短刀を懐にしまい込む。そうして、軒猿の方へと歩いていく。

「はっ、軒猿の幹部候補がこのザマかい。すっかりヒーローに毒されちゃって」

「おっ、おい……」

 このままじゃ、あいつは殺されちまう。俺は、助かるか? 俺だけでも、どうにか……?

「おい、待てって」

 いや、助からない。

 奴らは言ったんだ。目撃者は消す、と。イダテン丸がやられれば、次にやられんのは俺だろう。野郎、俺を良いように利用するつもりかよ。そうはさせるかボケが。

「先に死にたいのかい?」

 小柄な忍者が俺に何かを向ける。それは、真っ白な手裏剣だった。さっき投げつけてきたのはアレだったのか。

「待てよイダテン丸。お前が行っても、結局俺は殺されちまうんだぞ」

「ぬう、鬱陶しいな、貴様」うるせえデカブツ。つーかお前の体格じゃ全然忍べてねえぞ。

「ここであいつらをどうにかしてくれ。頼むから」

 イダテン丸は返事をしないが、足を止めてくれた。

「随分とまあ、好き勝手言うじゃないか」

「好き勝手言ってんのはそっちだろ。良いから、見逃せ」

「馬鹿かっ、見逃す筈ないだろ!」

 軒猿の忍者が構えっぽい姿勢になる。対するイダテン丸は、再び、短刀を構えた。

「そうかよ」俺はしゃがみ込み、奴らからは見えないように石を握り込む。

 あいつらは、俺をただの一般人だと思っている。……まあ、スーツ着てないから実際そうなんだけど。だけど、そこそこは向き合える筈だ。少しくらいは、隙を作れる筈だ。

「……むうっ?」

 立ち上がったと同時に、大柄な男の方へ石を放る。奴は、受ける事をせず、横に避けるのを選んだ。残念だが、今のはただの石である。ビビって体勢崩すほどのもんじゃない。

 イダテン丸が地を蹴る。俺は姿勢を低くした。小柄な忍者は喚き、手裏剣を放る。それを、イダテン丸が短刀で弾き返した。

「フドウ来てるよっ」

「ぬうううううう!」

 大柄な忍者は得物を横薙ぎにする。だが、イダテン丸は地面に這い蹲るみたいに身を低くしていた。忍者刀は空を切る。次の瞬間には男の喉に短刀が突き刺さっていた。ゆっくりと、倒れていく。

「よくも……!」

 小柄な忍者の両手から手裏剣が放たれる。その内の一本は俺を狙っていたが、イダテン丸はそいつを弾き、尚且つ、全ての飛び道具を回避していた。

 フドウと呼ばれた男は後頭部から倒れ、イダテン丸に顔面を踏みつけられている。

「私の氷手裏剣をっ」

「逃げてくぞ!」

 小柄な方は不利を悟ったのか、ビルの壁面を走り抜けて、屋上に辿り着いていた。イダテン丸はそれを確認し、もう追えないと判断したらしい。得物を戻して、俺を見遣る。

「あ、あのさっ」

 イダテン丸は何も言わず、さっきの奴がが逃げてったのとは違う方向に駆け出した。姿が見えなくなるまで、五秒と掛からなかった。

 これは、もしかしてまた面倒な事に巻き込まれてしまったのだろうか。正直、勘弁して欲しい。が、イダテン丸には借りを作りっぱなしである。公園の時も、スーパーの時も、ヴィーフホリの時も、今も。借りっぱなしは性に合わないけど、あんな奴に恩を返せるとは思えなかった。

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