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私の隣に座ろうなんて十年早いわ



 ウゴロモチが潰れて、ヴィーフホリも捕まった。つまり、俺の悩みが一つ消えたのである。ビバ安眠だ。

「何か機嫌良くねえか?」

「そうかあ?」

 俺の頬は緩んでいた事だろう。数字付きの同僚に返事して、俺は控え室のコーヒーメーカーのサーバーから、カップに中身を注いだ。俺のカップには『13』と、油性ペンで書き殴られている。エスメラルド様が区別がつくようにとやってくれた事らしい。

 パイプ椅子を引き、コーヒーを飲む。対面に同僚、数字付きでは七番の奴が座った。

「気持ちは分かるけどよ。最近、楽だからな」

 楽じゃなくて、暇と言う。マジで、何も仕事がない。

「江戸さんは嘆いてたけどな」

「暇だからだろ?」

「いや、ウゴロモチって組織が潰れただろ? 何か、江戸さんはヒーローの目をそいつらに向けさせたかったらしいぜ。でも、すぐにやられちまったじゃんか」

 あー、そういやそんな事言ってたっけ。しまったなあ、江戸さんには申し訳ない事をしてしまった。

「当分は様子見だろうな。ヒーローの動きを警戒するとかで」

「一生警戒でも良いけどな」賛成したいが、それは流石にまずいと思う。

 俺はコーヒーを飲み干し、マグカップを流し台に置く。

「洗えよ」うるせえな。

「掃除のおばちゃんがやってくれんだろ」

「嫌々やってんだよ、ありゃ。俺はこないだ嫌味を言われたところなんだぜ。俺はおばちゃんに嫌われたくない。洗え」

 俺は言われてない。

「洗えって言ってんだろ!」

「そんなんで怒ってんじゃねえよ!」

 暇過ぎてエネルギーが余ってんじゃねえのか? 無駄に発散させようとしやがって。

「洗わなきゃ殺すぞ」

「そこまで言うかあ?」

 だが、こいつの目は本気だ。こんなくだらない事で喧嘩するのはどうかと思ったので、ここは従っておく。

「最初からそうしてりゃ良かったんだよ、ボケが」

 戦闘員ってのは、基本的に血の気が多い。つーか馬鹿が多い。ヒーローとの戦闘がなけりゃ、ストレスやらを発散出来ないのである。スーツ脱いでる時に暴れても、普通に捕まるだけだし。



 今日も終電で家に戻る。コーヒーを飲んでカップを洗うだけの簡単な仕事だった。いや、暇だ暇だとは聞いてたけど、どうなんだ、これって。

 レンはぐっすり眠っていた。そりゃそうだ。組織に行くまでトランプに付き合ってやったからな。疲れているんだろう。改造人間って言っても、所詮ガキなのである。

 全然疲れるような事はしてないけど、眠くなってきた。明日もカラーズは休みだろうし、昼まで寝てられる。幸せ。……幸せなのか?



 ケータイのアラームで起こされる。

 しかし、設定した覚えはない。枕元のケータイを掴んで、蓋を開ける。着信だった。時刻は午前八時。はええよ畜生。朝っぱらからジャカジャカ鳴らしくさってボケが。

「何だよ、もう」

『……おはようございます、でしょう。あなた、上司に対する態度がなっていないわよ』

 社長だった。不機嫌なのはお互い様である。

『あなたが愚劣なのはいつもの事だから構わないけれど』ありがとうございます。

『それより仕事よ』

「はあっ? 昨日は何も言わなかったじゃねえか」

 当日に言うなってんだ。前もって連絡しろと言ってるだろうが。

『急遽決まったのよ。そうね、三十分以内に会社へ来なさい。遅刻したらノーギャラで働いてもらうから』

「ふざけんなや守銭奴が! てめえマジで訴えるぞ! ……あっ、切ってる」

 くそっ、やばい。三十分って朝飯だって食えねえぞ。

「んんっ……今日は、早起きさんだね」

 レンが体を起こす。しまった、さっきの声で目が覚めてしまったのか。

「仕事だからな」

「もしかして、ヒーローの?」

「そんな感じだ」

 身支度を整えながら、適当に相槌を打つ。

「楽しそうっ。あは、僕も行くよ。良いよね?」

「だめー、お前は留守番な」

「僕も行くっ」

 布団を跳ね除けたレンが俺の腰付近に抱きついてくる。すげえ邪魔。

「連れてってくれなきゃ噛むよ!」

「どこを!?」

 ケツか? ケツなのか?

 ……まあ、最近はレンも大人しいし、何より時間がない。向こうに着いたら九重に相手してもらおう。あいつには何か懐いてるし。

「分かった分かった。じゃ、早く顔洗って歯ぁ磨きな」

「はーいっ! あは、お兄さん、ありがと」



 カラーズの(正確にはカラーズの入った雑居ビルの)前に着くと、既に九重のタクシーが停まっていた。後部座席には社長が座っており、運転席には九重がスタンバイ済み。用意が良いな。

「……おはようございます」ウインドウが開き、九重が軽く会釈してくる。

「おー、おはようさん。もう、仕事なのか?」

「そうよ」後部座席が開き、社長が俺を睨んできた。な、何だよ。三十分以内に着いただろ。

「私が三十分と言ったら、五分以内に来なさい」

「体内時計狂ってんだな」

 後部座席に乗り込もうとしたら、平手が飛んできた。避けようとして頭を天井にぶつけてしまう。

「てめえ何を……!」

「あなたは助手席よ。私の隣に座ろうなんて十年早いわ」

 頭を摩りながら、俺は助手席に乗り込んでシートベルトを着ける。後部座席にはレンが乗り込んだ。

「出してちょうだい」

 頷き、九重は車を発進させる。ミラー越しに確認すると、レンは景色を見て楽しそうに笑っていた。

「……で、仕事って?」

「ポスティングよ」

 ポスティングってアレか。直接家にチラシを配っていくアレか。

「ウチの宣伝か?」

「いいえ、ピザ屋のよ」

 社長は鞄の中からチラシを抜き取り、俺に手渡す。うん、ピザ美味しそう。って言うか、またこんな仕事かよ。

 俺は鞄を見遣り、さり気なくチラシの枚数を確認する。

「そんだけか?」

「トランクに山ほど積んであるわよ?」

 あ、そう。そうですか。まあ、車使える分楽は出来そうだけど。

「えー、ヒーローのお仕事じゃないの?」

「文句言うなよ。そっちのが楽だろうが」

「あは、楽なの? じゃあ僕にもやらせてよ」

 レンはピザ屋のチラシを折り始める。こら、そいつは商売道具だぞ。

「駄目だ、駄目。ガキが働くとか言うな」

「僕だってこれっくらい配れるもん」

 働いて欲しくないと言うか、組織の奴に見つかりたくない気持ちのが強い。

「車ん中で大人しくしてろ。社長からも何か言ってやれよ」

「あら、私は構わないわよ? 社会勉強の一環じゃない。それに、小汚い男が配るよりも、可愛い子供が頑張ってる方が受けると思うわ」

「やっぱ黙っててくれ」

 しかし遅かった。レンは社長の言葉に乗っかり『ベンキョーベンキョー』とオウムみたいに繰り返している。

「車から出るな。出たら怒るぞ」

「じゃあ、もうご飯作ってあげない」

 なっ!? 何!?

「ふざけんな、だったら俺のメシを誰が作るってんだ」

「……あなた、この子に食事を作らせているの? 児童虐待で訴えられるわよ。と言うか私が訴えるわ」

「だってこいつ、俺より上手いんだぞ」

「情けない」

 その通り過ぎるので言い返せなかった。

「それに、一応こいつは追われてる身なんだぞ?」

「顔を隠せれば良いのよね? その点は心配しないで」

 わー用意周到。

「とにかく駄目だからな! でもメシは頼むからな!」

「本物のクズね、あなた。……レン、私が許可するわ。青井と一緒に行っても良いわよ」

「あはははっ、やった。お兄さん、頑張ろうね」

 ぐう、このコンビ、すげえめんどい。俺にとって一番相性が悪いかもしれん。



 ポスティングは、主にマンションや団地をターゲットとしていた。一戸建てをこつこつ配っていては数を捌けないらしい。怠慢である。第一、マンションって下から上へ移動して、結構疲れるんだぞ。

「それをあんたは分かっていない」

「いきなり何を言い出すの?」

 チラシは七割程度消化出来た。どうやら、一日で配り切らなくても良かったらしい。決められた期間内に、決められた枚数を配れれば済む話なのである。それを面倒がって纏めてやろうとするから、俺の足腰が痛む事になるんだ。

 陽は傾き掛けている。今日はここまでだろうな。

「オフィス街にも配っておきましょうか」

「おいふざけんなよ? こっちはもう限界だ。一歩も動きたくない」

「あはっ、じゃあ僕が頑張ってくる」

「それも駄目だ」

 レンを一人にさせれば、何をしでかすか分からんからな。

「嫌だからな、俺は」

 タクシーは道路脇に停まる。俺は完全に無視されていた。

「一番大きなビルに向かいなさい」

「お前が行けよ! 扱き使い過ぎだろ!」

 もう勘弁してくれ。

 俺は助手席に深く腰掛ける。動かないぞと言うアピールのつもりだった。

「九重、このまま俺んちまで向かってくれ」

「……そ、それは」あー、分かってる。お前は社長の犬だもんな。

「お兄さん、もう少しだから行こうよう」

 ぐいぐいと後ろ髪を引っ張られる。

「わーかったよ。だから離せって、痛いから」

 俺は車から降りようとしてシートベルトを外す。覚悟を決めたのだ。

「待ちなさい」

 が、挫かれる。

 文句を言ってやろうと振り向けば、社長は窓の外を指差していた。何かあんのか?

「誰かが戦っているわ」

「はあ? ……あー、マジだ。レン、見えるか?」

 大分先の、ビルの屋上に人影が見える。飛んだり跳ねたりしていて、影が忙しなく動いていた。どんな奴が戦っているのか、はっきりとは見えないが。

「うん、見えるよ。あは、何だか忍者みたい」

 忍者? 忍者って言うと、まさか。

「恐らく、イダテン丸でしょうね。怪人と戦っているのか、それとも、前みたいに追われているのかしら」

「レン、青い忍者は見えるか?」

「一人いるよ。後は、黒っぽい人たち。格好は似てるよ」

 どうやら、イダテン丸で間違いなさそうだ。こんなところで、つーか、あんなところで戦ってて恐ろしくないんかね。一歩間違えりゃ転落死だぞ。

 しかし、その心配はなさそうである。見ていてはらはらするが、イダテン丸は鉤縄っぽいものを巧みに使い、ビルからビルへと縦横無尽、自由自在に飛び移っていく。追っている忍者たちも飛び移ろうとするが、既に迎撃体勢に入っているイダテン丸から攻撃を受けていた。

「……あの人、強いんだね」

「あー、そうだな……ってこら! 外に出るなって!」

「レン君!? あっ、青井さん!」

 レンは後部座席のドアを開けている。俺は急いでシートベルトを外し、車の外に出て彼の襟元を引っ張った。

「いきなり何してんだお前は」

「あはっ、だって楽しそうなんだもん。僕もやりたいから、あっちに行くね」

 あ、こいつスイッチが入ってやがる。

「駄目だ!」

「離してっ、離してよ!」

 離したら死人が出るって!

 仕方ない。俺はレンの頭を軽く叩いて、

「ひうっ」

 もう一発、強めにぶん殴る。

 レンは頭を押さえて、その場にしゃがみ込んだ。

「……う、ううっ、痛い……痛いぃ……」

「痛くしたからな」

 涙目のレンを抱えて、後部座席に放り込む。社長は溜め息を吐いた。

「危ない子ね」何を今更。

「九重、出せ出せ。あいつらが見えなくなるところまでな」

「わ、分かりました」

 俺は車に戻り、ぐすぐすと鼻を啜っているレンを睨む。

「ひっ、酷い。お、お兄さんなんか、お兄さんなんか……」

「俺との約束を忘れたのか? いらん事すんな、馬鹿が」

「もっと優しくしたら?」

 うるせえぞ。ここで甘やかしたら付け上がられるってんだ。俺にレンを押し付けといて、好き勝手抜かすな。



 車は走る。どうやら、カラーズに戻っているらしかった。

 そうしている内、レンも泣き止んで大人しくなる。

「……お兄さん」

「何だ?」

「ごめんなさい。もうしないから、だから、僕を……」

 またそれか。

「それについても言っただろ。忘れたのか? 安心しろって」

「う、うん。あ、あはっ」

「んー? がっ、ぐ……!?」

 座席越しに首を絞め、し、絞められている……!?

「お兄さんって本当優しい! あはははっ、僕ね、今日のご飯は腕によりをかけちゃうから!」

 腕を! 腕を離せ! 息が出来ないってんだろ!

「あなたたち、随分と濃密な関係を築いているのね」

「た、しゅ……けて」九重、九重っ、あ、ガン無視。

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