煮るなり焼くなり手柄立てるなり、好きにしてくれ
お仕事だ。
とは言っても、悪の組織、数字付きとしての仕事はない。いつもよりも早く組織に行き、江戸さんと少し話をして、同僚と駄弁って、終電ぎりぎりで駅前に戻る。全く、何をしていたのか自分でも良く分からない。
時刻は、午前零時を回ったところである。俺は適当な場所に腰を下ろして、空を見上げた。商店街までは少し歩かなきゃならない。ぼちぼち行こうかね。
ウゴロモチのボス、ヴィーフホリとの決闘。零時に、商店街で。野郎は待ってるんだろうな、きっと。馬鹿だから。
昨夜、本当なら俺は殺されていた。
ヴィーフホリは恐ろしく強い。小さいながらも、一組織の首領なのである。そして、小さな組織を纏めるだけなら特別なものは必要ない。力だ。それさえありゃ下はついてくる。結果的にそうなっただけだが、俺みたいな下っ端がウゴロモチをここまで引っ掻き回せたのは奇跡にも近い。それでキレられてりゃ世話ねえが。
だが、ヴィーフホリはそこまでだ。所詮アレだ、サル山の大将止まり。組織をでかくしたけりゃ、力だけじゃ無理なんだ。それを分かっていないから、決闘なんて前時代的な事を言い出す。誰がまともに相手をするかよ。
俺は昨夜、ヴィーフホリが去った後で社長に連絡をしていたのである。『ウゴロモチの怪人が、明日の深夜、商店街に現れる』と。勿論社長は食いついた。いつも通り、俺に出動するように命じたのである。だが、そりゃ無理だ。用事があるし体調を崩したと必死に凌いだ。カラーズには俺しかいないから、彼女は諦める他ない。さんざん憎まれ口を叩かれたし、情報源を聞かれたが、どうにかかわせたとは思う。
そんでもって、俺が社長に頼んだのは一つ。その情報を、他のヒーロー派遣会社に流せ、だ。最初は渋っていた社長も、自分たちではどうしようもないと思い直したらしく、情報を流すと約束してくれている。彼女は何だかんだでヒーロー側の人間なのだ。怪人をみすみす逃すような事はしない。その事で、別の奴が得をしたとしてもだ。
俺も仕事に行く前、幾つかの派遣会社にタレコミをしておいた。今頃商店街は火の海……とまではいかないが、中々の騒ぎになっているだろう。正直、匿名の俺や弱小カラーズの情報を信じる会社が一つ、二つあれば良い方だが。ま、まあ、一つか二つ。一人か二人は来ているだろう。うん。じゃないと困る。
商店街に着くと、予想以上の光景が広がっていた。
俺は物陰からその様子を眺める。中々に壮絶だった。ミミズ型のスーツを着た奴らが数人、それから
、モグラ型のスーツを着た奴が一人。生きてるのか死んでるのか分からないまま、多数のヒーローに引きずられているところだった。
つーか、ヴィーフホリの野郎。ぞろぞろと連れてきやがってクソが。ギャラリーってそういう事か? あるいは、俺を袋叩きする為か、はたまたこっちの援軍を警戒していたか。とにかく、中途半端な奴には違いない。
火の海とはならなかったし、商店街の人たちにも被害は出ていなさそうだ。あの八百屋も、シャッターを閉めている。まあ、レンが破ったままになってるけどな。アレじゃあ意味ねえ。
「しかし、多いな」
思っていたよりも、出張ってるヒーローが多い。こっから見える限りでも、十は超えてやがる。暇人どもめ、あやふやなソースに踊らされやがって。
……ああ、そうか。暇なんだ。ウチの組織だけじゃない。あの乱戦以降、活動を控えているのはよその組織も同じだったんだ。だから、ヒーローは暇を、力を持て余していたのだろう。そこにウゴロモチの怪人なんて情報が入れば、罠だと気付いてても行くしかねえよな。
全く、時勢が読めてない感じじゃねえか。ますます駄目だなヴィーフホリ。
だが、肝心の奴がいない。まだその辺をうろちょろしてるヒーローがいるって事は、ヴィーフホリは見つかっていないんだ。危険を察知して逃げたか? 逃がすか。ここで逃せば、今度こそ俺の命はない。今日、ここで確実に仕留める。やるかやられるかだ。別に、他のヒーローが野郎をぶっ飛ばしたって良い。だけど、五体満足で逃がす訳にはいかねえぞ。どうにかして見つけなきゃあな。
ヒーローから逃れるには、幾つかのパターンってもんがある。お約束と言っても良い。
一目散に走って逃げる。障害物を駆使して撒く。煙幕を使う。トカゲの尻尾よろしく戦闘員で足止めさせる。援軍を待つ。色々とある。
が、今回はそのどれにも当てはまらないらしい。ヒーローは商店街からいなくなり、随分と時間も経ったが、ヴィーフホリを見つけたという話は一向に聞けなかった。
商店街に残っているヒーローは、殆どいない。俺の知ってる奴と言えば、忍者の格好をしたイダテン丸くらいのものだ。他の連中は、良く分からんな。スーツもヘボそうだし。あるだけ羨ましいけど。
残ってるのは五人、か。
少し頼りないな。何せ、ヴィーフホリは戦闘能力だけを見ればとんでもねえ野郎なんだから。
俺は八百屋のシャッターに目を遣る。そこにいるのは、何となく分かっていた。決闘申し込んでおいて、そう簡単に退くような奴ではなさそうだったからだ。第一、部下や仲間がボコボコにやられて素直に引っ込めるほどの器量もなかったんだし。
物陰から一歩、前に出る。俺は顔を隠す為に、スーパーで使った紙袋を被っていた。さあ、出てこいよ。
「遅くなっちまったな」声を出すと、周囲のヒーローがこっちに視線を向けてくる。
ヒーローから逃れるには幾つかのパターンがある。その内、ヴィーフホリが使ったのは非常に簡単なものだろう。ただし、野郎にしか出来ない手段で、だ。
「……貴様……っ!」
そうら出てきた。八百屋のシャッターを壊して、ご立腹のヴィーフホリが姿を見せる。
ヴィーフホリが使ったのは古典的なやり過ごしである。自分が逃げるのではなく、追跡者を遠ざけた。勿論、八百屋の中も改められただろうが、そこにはモグラの使っていたトンネルがある。流石に、地面の下までは調べられないからな。野郎は穴ん中で息を殺していたらしい。
「出掛けに腹を痛めてよ。気張ってたらこんな時間だ。悪いな」
「貴様は! 恥を知らないのかっ」
てめえだって仲間を呼んでただろうが。
「さあ、やろうぜウゴロモチ」
ヴィーフホリが吼える。俺まで、その距離は十メートルあるかないか。野郎のスーツなら、ないに等しい距離だ。昨夜のスピードなら、数秒掛からず俺に迫れる。ただし、そこに障害物がなければの話だ。
目の色変えたヒーローたちが、ヴィーフホリの前に立ちはだかる。前進を阻む為ではなく、ただ、痛め付ける為に。
「があああああああっ!」
右足を剣で斬りつけられる。銃弾が左腕を貫いていく。ヴィーフホリが右手を突き出す。ヒーローがきりもみに吹っ飛ぶ。怒号と共に、ヴィーフホリの腹部に拳がめり込む。彼の左足がヒーローの頭部を捉える。
まるで獣だ。感情を剥き出しにして、痛みを忘れてひたすらに突っ込んで来る。
「貴様があっ、俺を! 俺をっ!」
ヴィーフホリの四肢は傷つき、痛めつけられていた。足を引きずりながら、気力だけで俺を睨んでくる。辺りには、ヒーローが四人、蹲り、倒れ、動けなくなっていた。
俺はグローブをはめる。ヒーローは良くやってくれた方だろう。今の状態なら、こいつも当たる。俺でも上手く当てられそうだ。スーツはぼろぼろ、尻尾は千切られ、長い鼻は折れ曲がっている。ヴィーフホリのスピードは今や見る影もない。今夜、こいつはとことんまで奪われたのだ。
「てめえの負けだ」
「負けはない……!」
腰を低く落とす。標的の方からのろのろやってくるんだから楽なもんだ。
「モグラのお前じゃ誰かの上には立てねえんだよ。欲張らないでこそこそやってりゃ良かったんだ」
「黙れっ、黙れ!」
力ならあった。だから、こいつは誰かの下で働いておけば良かったんだ。
「よくもビビらせてくれたな。てめえらのせいで、最近の俺は睡眠不足だ」
お前をこの手でぶっ潰すまで、俺は安らかに眠られねえ。
――――ウゴロモチ。
こいつらは、地上の光に目が眩まなけりゃ、もっと上手く立ち回れていたんだろう。……やっぱりそうじゃねえか。モグラってのは、土ん中から出たら死ぬんじゃねえか。
「ウゴロモチにっ、光を……!」
ヴィーフホリが腕を振り上げる。疲労困憊のせいか、緩慢な動きだった。
俺は野郎の拳を右手で殴って弾き飛ばし、
「ひか――――を!」
顔面に拳を叩き込む。
バランスを崩したヴィーフホリの頭が下がった。俺は一歩踏み込み、アッパー気味に野郎の顎を殴り飛ばす。瞬間、今まで事態を静観していたヒーロー、イダテン丸が動いた。彼は倒れ込もうとするヴィーフホリの背中に蹴りを放ち、首根っこ掴んで地面に引きずり倒した。
構うもんか。後は好きにやってくれりゃあ良い。
「……よう、今まで手を出さなかったのはさ。俺に、気ぃ遣ってたのか?」
イダテン丸はこっちを見ない。返事をしない。
「ま、どうでも良いけどよ。そいつ、やるよ。煮るなり焼くなり手柄立てるなり、好きにしてくれ」
長い間の後、イダテン丸が小さく頷いたのが見えた。
これで、ウゴロモチも終わりだな。構成員も殆ど倒されたし、残党だってろくにいやしない筈だ。俺の悩みも一つ消えた訳である。
「あんたさ、口が堅そうだけど、一つ約束してくれねえか?」
ヴィーフホリの状態を確認していたイダテン丸は、目だけをこっちに向けた。
「今日、俺はここにいなかった。そいつをやったのはあんただ。そういう事でよろしく頼む。……頼めるか?」
「…………心得た」
そりゃ心強いお返事で。
「助かるぜ。じゃあな、またどっかで」
会うだろうな、多分。こいつヒーローだし。もしかしたら、次は数字付きの仕事やってる時に出くわすかもしれない。そん時は、見逃してもくれないし、気の一つも遣ってはくれないだろう。
それで良い。俺は今日、ヒーローとしてヴィーフホリを殴った訳じゃあないんだから。誰かを守りたいとか、大層な気持ちもお題目もなかった。だから、だろうか。やけに虚しいのは。
翌朝、ウゴロモチが壊滅したとのニュースがテレビでちらっとだけ流れた。新聞の一面を飾る事もなく、小さな記事で。
「青井」
「何だよ」
社長に睨まれる。俺は朝から、彼女に呼び出しを受けていた。
「ウゴロモチ、どう言う事かしら?」
「潰されたんだろ。良かったじゃねえか」
「……あなたが忙しいだのお腹が痛いだの言わずに出ていれば、新聞に載っていたのはカラーズだったのよ?」
載ってたら厄介な事になってたんだよ。俺は目立ちたくないぞ。
「勿体ない。それに、ウゴロモチのリーダーを倒したのはイダテン丸、ですって? あの時、公園で囲まれていたヒーローじゃない」
社長は新聞を机の上に叩きつける。睨まれそうになったので、俺は九重に視線を移した。
九重はレンとトランプで遊んでいる(本当はレンを連れてきたくなかったのだが、脅されれば仕方がない)。二人で神経衰弱をやっているらしかった。
「なあヴィーフホリって動物がいるのか?」
「……あ、ウゴロモチの、ですか?」
「そう。モグラやヒミズは分かるけど、ヴィーフホリなんてのは聞いた事がないからな」
今更だが。
「……ヴィーフホリというのはロシア語で、ロシアデスマンの事ですね」
デス……? えらく強そうな名前じゃねえか。伊達にボスの名前じゃあねえな。
「えっと、ロシアデスマンっていうのは、その、巨大なモグラって思ってもらえれば」
「ロシアとか、その辺に住んでるのか?」
九重は頷く。その間、レンはトランプを次々とめくり、ペアを作り始めていた。どうやら、改造を受けて記憶力も優れているらしい。
「でも、土の中ではないんです。ロシアデスマンの生活圏は水中や水辺に限られていますから」
「水? そうだったのか」
「水辺の地面に巣穴を掘って、あっ、泳ぎも上手いんですよ」
やばい。また九重のアニマル講座が始まりそうだ。
社長の方に目を向ければ、彼女は気難しそうに溜め息を吐いている。きっと、俺に対する悪口でも考えているのだろう。そうに違いない。
仕方ないので、窓の外に目を遣った。洗濯日和とでも言うのか、良い天気である。……光なら、無理に掴もうと、望もうとしなくても良かったんだろう。アレは誰にでも、平等に降り注いでいるんだから。だけど、少しはウゴロモチの連中の気持ちも分かる。暗がりに潜む身としては、あの眩しさと温かさに焦がれる気持ちってのは分かるんだ。
「あっ、何か気持ち悪い事を考えていそうな顔」
「失礼だな、あんたは」
全く、平和だ。明日もこういう日であれば良い。悪い事なんか何も起こらずに。いや、皮肉じゃあなく。