貴様に決闘を申し込むと言う奴だ
仕事がなかったので、予想以上に早く帰れた。ただし、電車は動いていない。タクシーを使うのも勿体ないので、だらだらと歩いて帰る事にする。
夜の街は、えらい静かだった。どこの組織も、ウチみたく事態を静観しているのかもしれない。ヒーローが図に乗ってるから、それも仕方がない、か。そんでもって、その原因はレンにある。俺にもあるんだろう。
あそこで、俺がレンを連れて逃げなけりゃ、どうなっていたかな。……何も変わらない、か。うん、だからやめておこう。駄目だ、済んじまったもんはしようがない。そうに違いない。
俺は頭を軽く振る。いつにも増して静かだからか、やけに頭が冴えちまう。
「……平和だねえ」呟いてみた。悪の組織の戦闘員が、平和だな、と。アホらしい。
自販機を見つけて、そこで缶コーヒーを買って飲む。人工的な灯りに誘われて、蛾が俺の周りを飛んでいた。うぜえ。
急いでコーヒーを飲み干し、ゴミ箱に捨てて歩き始める。
いつもは電車だから気付かなかったけど、この辺は街灯が少ないんだな。ふうん、色々やるには好都合な場所である。
「……ん?」
何か、話し声が聞こえた。俺の後ろだ。くぐもったそれなので、男なのか、女なのかは分からない。ただ、一人ではなさそうだった。何気なく耳を済ませてみる。歩く速度は落とさなかった。
「……け……した」
こんな場所だ。嫌でも警戒しちまうじゃねえか。どうするかな、走ってみるか。でも、まだ家までは遠い。つーか、そこまで気にするような…………いや。いや、気にしろよ、俺。忘れたのか、俺は、狙われてるんだぞ。
走る。
「ああっ、逃げたっ」同時、声が聞こえた。明らかに俺を指している。
振り向くと、自販機の灯りがそいつらを照らしていた。ミミズ型のスーツを着た奴が一人。それから、やけにでけえ怪人らしきスーツの奴が一人。だが、見覚えはある。モグラだか、ヒミズだかは知らんが、それっぽい形をしている。あの二人は間違いなくウゴロモチだろう。
しまった。しまったぞクソが! 完全に狙われてたんじゃねえか! 野郎、どうやって俺を追ってるってんだ!?
とにかく走る。家までじゃなくても良い。むしろ、家はやばい。レンがいる。どっか、人のいそうな場所に逃げ込んでヒーローの助けを待つしかない。
逃げ切れると思っていたが、スーツ相手じゃあそれも難しかったらしい。
「生身のくせに手こずらせやがって、ああ?」
ミミズが声を荒らげる。俺は肩で息をするのに精一杯で、返事も出来なかった。
前方にはミミズが。後方にはモグラの怪人が。俺は今、挟み撃ちされている。
「てめえのせいで戦闘員と怪人が二人ずつやられてんだぞっ」
んなもん知るか。仕掛けたのはお前らだろ。
つーか、クソっ。クソが畜生。最近の俺ときたらどうなってんだよっ。俺は! ただの戦闘員だぞ!? 下っ端だ! そんな俺がどうして組織に狙われなきゃなんねえんだ!?
「ヴィーフホリ様、俺にやらせてくださいよ。仇取るんなら迷ってる暇はないは――――かっ?」
ヴィーフホリ。そう呼ばれた怪人の腕が、ミミズの腹に食い込んでいた。全く、見えなかった。位置的には俺を挟んでいた筈なのに、俺は、ヴィーフホリが動いたとすら気付けなかったのである。
こいつ、やべえ。すげえ強いじゃねえか。モグラやヒミズとは訳が違う、……そうか、前に他のミミズが言い残したヴィーフホリってのは、こいつの名前だったのか。
近くで良く見りゃ、モグラよりもシャープなシルエットだ。鼻は長く、全身には粗い毛が生えている。背中は赤く、腹は灰色で覆われていた。指には水掻きらしきものが付いている。垂れ下がった尻尾は細長い。水陸両用って事か? 羨ましいったらないな。
「……めちゃくちゃ強そうだな」
俺がそう言うと、ヴィーフホリは歯を見せて笑った。
「強そうではなく、強い。青井正義、貴様を一瞬で屠れるくらいにはな」
腹から腕を引き抜くと、ミミズは倒れて動かなくなる。
「悪いが、そいつは自慢にならねえぞ」
「かもしれんな」
「人違いって言っても、聞いちゃくれねえだろうな」
「下調べは済んでいる。マスメディアはウゴロモチを新興の組織と思っているようだが、それは違う。我々は長い間、地下からこの街にルートを張り巡らせていた。自由自在に移動出来るようなトンネルをな」
うるせえぞチキン野郎が。こそこそとやりやがって。
「ようやく、ウゴロモチが陽の目を浴びる時が来た。それを台無しにしてくれたのは、他ならぬ貴様だ。モグラとヒミズを倒したカラーズのヒーロー、青井正義」
「そこまで調べてんのかい。怪人辞めて探偵でもやったらどうだ?」
「この状況下で良く回る口だ。……だが、貴様は別のところでも働いているらしいな。我らがモグラなら……」
「俺はコウモリってか。悪いが、バットマ……コウモリマンとは名乗れねえんだ」
もう使われてるからな。
「長年の計画を水泡に帰した貴様には、相応の報いを受けてもらう」
「ご苦労なこった。手間暇掛けた割にゃ、随分とまあ詰めの甘い計画じゃねえか」
覚悟は決まってない。隙さえあればすぐにでも逃げ出してやる。だが、野郎のスーツは相当やばい。そうだ。こいつが、ヴィーフホリがウゴロモチのボスなんだ。そうに違いない。
「長自らが俺みたいな下っ端んところにお出ましとはよ、随分とマンパワーに困ってるみたいだな」
「否定はしない。我々は少数精鋭だったからな」
何を狙ってやがる。俺を殺すだけなら、すぐにでもやりゃあ良い。だが、ヴィーフホリはそうしない。一体、どういうつもりでだらだらとくっちゃべってんだ? こっちとしちゃあ有り難いがよ。
「だが、それも終わった。度重なる失敗でウゴロモチは瓦解してしまったのだから」
自分の組織の内情をぺらぺらと。湧いてんのか、こいつ。
「俺をスカウトでもしようってのか?」
適当に口にした事だったが、ヴィーフホリは意外そうに俺を見遣った。
「モグラを倒した時には、そういう考えもあったがな。今欲しいのは貴様ではなく、貴様の首だ」そうかよ。そりゃ残念だ。
「だからこそ、貴様には盛大に散ってもらう」
ああ?
「我々はこの街に巣食うどの組織の中でも、知名度では決して劣っていない。そのウゴロモチを幾度も邪魔した者を潰せば、去っていった者も戻り、新たにやってくる者もいるだろう」
「少数精鋭はどうしたよ」
「数は時に力となる。勉強になったよ。人さえ戻れば、ウゴロモチは回復する。以前よりも力を増して、この街を地下から支配し、そして、この街の人間を見下ろす。くはは、素晴らしいだろう」
ヴィーフホリは皮肉っぽい笑みを見せる。
ちっ、ここで俺を殺さないのは、時と場所を選ぶ為ってのか。俺とこいつが戦っても結果は分かり切ってる。言わばパフォーマンス。客寄せってかこの野郎!
「ここで貴様を殺しても良い。だが、納得しないし、嫌だろう?」
ああ嫌だね。死ぬのはごめんだ。
「つまるところ、貴様に決闘を申し込むと言う奴だ」
「決闘だと? 舐めやがって、まるでグラディエーターじゃねえか。てめえ何様のつもりだ」
「それでも構わん。何でも構わん。要は、貴様が無様に散れば良いのだから」
人が戻ればどうだの言ってやがるが、結局、こいつは自分が気持ち良くなりたいだけじゃねえか。だが、そいつを断れば俺は今すぐここで死ぬ。こんなところで殺されちまう。ざけんな、選択の余地なんざねえじゃねえか。
「……時間と場所は?」
「明日の深夜、貴様がモグラを倒した商店街で」
「商店街? 人がいるだろうが」
「だからどうした。……気付かないのか? 人質だよ。逃げる事は許されない。貴様が命惜しさに逃げれば、罪なき者がいわれのない罰を受ける事になるぞ。貴様の代わりにな」
どこまで面倒なんだこいつは!
「それだけか?」
「当然だが、一人で来い。カラーズには他のヒーローがいない事は確認済みだが、仲間を呼ぼうなどと考えるな。無論、こちらはギャラリーを用意するつもりだがな」
「ギャラリー、だあ?」
「楽しみにしておけ」
ヴィーフホリは背を向ける。どうやら、ミミズは放置するらしかった。
「明日の午前零時、商店街で待つ」
言い残して、ヴィーフホリは去っていく。俺はへたり込み、ゆっくりと息を吐き出していった。
俺はケータイをズボンのポケットにしまい、その場から立ち上がる。頭も体も、死ぬほど疲れていた。今日は仕事もなくて、さっさと家に帰れると思ってたのによう。
まさか、ウゴロモチのボスが出てくるとは思っていなかった。向こうから来るとは、これっぽっちも。
「……クソが」
明日の深夜、商店街で決闘、だあ?
本当、どうしようもねえよなあ。ヴィーフホリさんよう、だからお前は駄目なんだよ。俺を悩ませ続けていたウゴロモチも、明日でおしまいだ。コウモリを舐めやがって。モグラは大人しく土ん中に引っ込んでりゃ良かったんだ。光が眩し過ぎて、頭ぁイカれちまったんだよな。はっ、そうに違いない。
ドアを開けると、部屋の中は暗かった。そらそうだ。午前三時だもん。あ、だもんとか言っちゃった。
「……寝よ」
とにかく、明日っつーか、もう殆ど今日だけど、備える為にもう眠ろう。
「ん、お兄さん? 帰ってたの?」
布団に入ろうとすると、レンが目を覚ましてしまった。うわー、相手すんの超めんどい。
「お仕事、早く終わったの?」
「ああ、まあな」実質、仕事はなかったようなもんだけど。
「でも、何だか疲れてるみたい」
「目、良いんだな」
「あは、僕って改造人間だから」
そんなの笑いながら言うなっつーの。
「疲れてるよ。仕事だからな」
布団に入って目を瞑る。流石に、すぐには眠られそうになかった。
「お腹空いてない? 何か作ってあげようか?」
「良いから寝とけ。俺も寝っから」
「あは、明日もお仕事? あ、ヒーローのお仕事はあるの?」
一々逐一うるせえなあ。黙ってろよ。そんで寝かせてくれよ。
「ヒーローは休み。仕事は、明日の夜もある。ちょっと忙しくなるかもしんねえな」
「そっか。お兄さん、頑張ってね」
「あいよ」寝返りを打つ。レンはくすくすと笑っていた。
翌日、俺はレンの作ってくれたメシを朝、昼しっかり食い、夕方までだらだらと家で過ごしていた。エネルギーが余っている。だけど、そいつも使い果たしてしまうんだろうな。
「寝てばかりだね、お兄さん」
「お前もな」
「僕は色々やってるもん」
実際、レンは家事をそこそこやってくれている。彼は、暇を見つけては服にアイロン掛けたり、戸棚の中身を自分好みに入れ替えたりしていた。文句はない。ないけど、何だかなあ。
「マッサージ、してあげよっか?」
「……いや、いらん」
「あは、遠慮しなくても良いのに。優しくしてあげるよ?」
鳥肌立ちそうになるからやめろ。
「別に何もしなくたって良いのによ。ああ、そうだ。今日の晩飯は俺が作るか」
「えっ、だ、駄目だよ」
レンはアイロンを掛けたばかりだった俺のシャツを胸にかき抱く。折角、皺を伸ばしてもらったところだったのに。
「僕が作るんだもん。お兄さんはー、何もしなくて大丈夫だからね」
「そっ、そうか……?」
やべえな。完全に餌付けされてる感がある。正直、レンの繰り出す料理は美味い。彼がいなくなれば、俺の食事レベルも満足度も下がってしまう。更に、帰ってきたら寝床も用意されてるし洗濯物も掃除もやってくれてるし、このままじゃマジでまずいぞ、まずい。
「やっぱり俺が作る」
「あ、あはっ、ヤだなあ、駄目だって。僕が作るんだから」
このままずるずると関係が続いていても、後になって困る。それも、お互いが。
「そ、それとも、お兄さんは僕のご飯、嫌い?」
涙目。上目遣い。相変わらず惜しい。問題なのは性別だけだ。この俺が、それで落ちる訳がないだろう。
「美味い。だけど、いつまで家政婦みたいな真似してるつもりなんだよ。お前だって、ここで一生終えるとは思ってねえだろ。一応、追われてるんだからさ。身の振り方を一つや二つ考えたって間違いねえだろうが」
一週間なら。一ヶ月なら耐えられる。……その先を考えれば、やっぱり気が滅入る。当然だろう。
レンは何も言わず、瞳を潤ませてこっちを見ていた。
「やめろよその目。俺がいじめてるみたいじゃねえか」
「だって、捨てないって言ったのに」
「いや、だからそれは、今日明日の話じゃなくて」
「言ったのに!」
立ち上がったレンは押入れに向かう。えーと、そこには確か鉈とかがしまってあった筈だけど。
「分かったって! だけどっ、少しくらいは何か考えろって言ってんだよ」
「何を……?」
うわ、とうとう泣き出しやがった。
まあ、アレだ。こいつもガキだったんだ。まだ落ち着いていないのかもしれない。でも俺を頼りにし過ぎたって良い事なんかないんだぞ。分かってんのかよ。
「すまん。泣かせるつもりはなかった」
「……ご飯、作って良い?」
結局、こうなるか。
「美味いのを頼む」
レンは小さく頷く。まずいメシより、美味いメシを食える方が良いに決まってる。俺はもしかして、馬鹿なのかもしれなかった。