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そう言えば、レンは元気か?



 朝、良い匂いで目が覚める。腹が鳴ると、エプロンを着た人が笑うのだ。お腹は空いていないか、と。答えるまでもない。当然だ。死ぬほど減ってる。今朝は和食で、俺の食欲も一段と増すだろうと思われた。

 素晴らしいじゃないか。

 起きた時、既に誰かが目覚めていて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。無垢な笑顔は、俺だけに向けられている。

「あはは、新婚さんみたいだね、僕」

「…………ちげえだろ」

 そして現実に戻される。

 メシ作ってくれるよ? でも、ガキで、しかも男。どうするんだよ俺。この状況、いつまで続けるつもりなんだよ、マジで。



 お昼ご飯も美味しゅうございました! 青井正義です!

「もう駄目かもしれない」

「あははは、何が?」

 男を掴むには、やはり胃袋なのかもしれない。レンめ、普通に美味い。普通に上手い。正直、俺もこいつも何かを勘違いしてしまいそうである。

「夜は何が食べたい?」

 こいつもさー、もっと男らしくしてりゃ良いんだよ。

「何でも良いよ」

「何でもっていうのが一番困るんだよ? あ、じゃあ買い物に行こうよ」

 レンは俺のやった野球帽をくるくると回している。一応、変装という名目で渡したものなのだが。正直、こいつを外に出すのはどうかと思う。

「お前を知ってる奴に見つかったらどうすんだよ?」

 プラス、俺を知ってる奴に見つかったらどうすんだ。

「髪の毛も染めたし、帽子被るし、大丈夫だよ」

「けどなあ……」

「じゃあ、スカート穿く。女の子のカッコしてたら平気だよ?」

 いや、いやいやいやいや。平気じゃねえよ。何お前、女装願望とかあんの? やめろよ変態。それ以上おかしな設定付け足そうとするんじゃねえよ、頼むから。

「いっそ女の子になっちゃおうか」そう言って、レンは自分の下腹部に手を伸ばす。

「って何してんの!?」

「これ、取っちゃえば」

「取るな取るな!」

 レンは不満そうな顔になってしまった。

「お兄さんも、女の子と一緒に暮らす方が良いんじゃないの?」

 確かにそうだが、それとこれとは話が別である。

「僕、男の子だけど、本当に良いの?」

「何が良いか分からんが、とにかく馬鹿な真似はよせ。んな事したら死ぬほど痛いぞ」

「あはっ、僕、そういうのに鈍いから」

 パンチ一発で泣くくせに何を言うか。ぶっ飛んだ思考しやがって、手に負えんぞこの野郎。




 あのスーパーを利用するのは怖いので、少し遠出して、食材を買い込んで戻ってきた。レンは夕食の下ごしらえに、俺はテレビを見て時間を潰す。……ゲームとか漫画とか、そういうのに興味ないのかな、こいつは。趣味とかないんだろうか。駄目だな、それは。俺みたいに駄目な大人になっちまう率が高くなっちまうぞ。

「……楽しそうだな」

「うん。僕、こういうのって良いと思うんだ」

 鼻歌まで歌っていたレンは、振り向いて笑う。

「欲しいもんとかさ、ないのか」

「包丁が欲しいな、中華のとかさ」

「いや、そういうのじゃなくてだな」

「お兄さんだって美味しいもの食べたいでしょ? 僕も、お兄さんに美味しいものを作ってあげたいからさ」

 お前が女なら惚れてるね。何、尽くすタイプなの? 嘘だろこいつ。

「あは、気にしてくれてるの? 大丈夫だよ、今はこうしていられるだけで楽しいから」

「別に気にしてねえよ。まあ、欲しいもんがあったら言えよな。そこそこのもんならどうにかしてやるから」

「うん、ありがとう」レンは小さく笑って、調理に取り掛かった。



 晩御飯を食べた。身支度も済んだ。後は、

「…………へえ、行っちゃうんだ」

 レンをどうやって丸め込むか、だ。

「僕に三食作らせておいて、置いてっちゃうんだ」

「料理すんのは楽しいんじゃなかったっけ?」

「それはそれだもん」子供。

「良い子にしててくれよ、お願いだから。ちょろっと仕事してくるだけだって。留守番、出来るだろ? 昨日約束したもんな」

 俺がそう言うと、レンはむすっとして黙り込む。言質取ったんだから仕方ねえよなあ?

「分かった。けど、気を付けてね。……危ない事、するんでしょ?」

 あー、そうか。こいつは多分、気付いてんのか。気付いてんのか? 戦闘員の時は、顔バレしてなかったと思うけど。

「しないの?」

「するかもな」



 今日の戦闘員のお仕事は、なし、です。

 なので、俺は江戸さんの部屋にいた。少しでも情報を聞き出せればと思ったのだが。

「君が休みの間に、少し状況が変わってしまった」

「おぼろげながらなら、話は聞いてます」

 どうやら、江戸さんは色々と話をしてくれるらしい。

「先日、グロシュラがレンを追い掛けて出て行った。独断で、だ。それは仕方がない。問題なのは、尻拭いをさせられたのが我々だと言う事なんだ」

 スーパーでの事を言っているらしい。が、知らなかったー、と、驚く振りをする俺。

「エスメラルド様は集められる数字付きを集めて、グロシュラの援護に向かった。私も前線に出ていた。だが、そこで得られたものはなかったに等しい。裏切り者、レンには逃げられ、ヒーローたちとの戦闘でグロシュラは負傷した。命に関わるような怪我ではないが、当分は自粛するだろう。むしろ、してくれなければ困る」

 グロシュラが? 嘘だろ。仮にも四天王だろうが。

「グロシュラは目立つ。ヒーローの狙いも、自然そちらに向いていたのだ。お陰で、我々は無傷で済んだのだが。……だが、ヒーローたちを勢いづけてしまった。そして一番の問題は」

 嫌な予感がする。

「レンを連れて逃げ去った者たちだ。どうも、正体が掴めない。我々のような組織ではなく、ヒーロー派遣会社の者だとは思うが。まるで、嵐のようだった。乱戦でね、とてもじゃないが、状況が把握出来なかった」

 俺たち、カラーズの事か。畜生、江戸さんに目を付けられちまうとは。

「暫くは大人しくしているのが賢いと、私は思っている」

「……俺は、皆が無事で良かったと思ってます」

「ああ、私もそう思う。……青井君、ウゴロモチという組織を知っているかな?」

 江戸さんの口から、ウゴロモチ? 勿論、知っている。嫌と言うほど。だけど、素直には頷けなかった。

「最近になって動き出した組織だ。テレビでもやっていると思ったが、そうか、詳しくは?」

「知らないです。流石に、名前くらいは聞いてますけど」

「実は、彼らから共闘を仄めかされている」ぎくりとした。奴ら、何て事をしやがる。

「尤も、ウチは受け入れるつもりはない。他の組織もそうだろう。新興の組織と手を組んでも、得られるものは少ない。その上、ウゴロモチは怪人を何体か倒されているらしい。共闘と言えば聞こえは良いが、要は『助けてくれないか』というところだろう」

 ふう、一安心。

「とりあえず、ヒーローの目をウゴロモチに向けさせるのが良いと判断している。ウゴロモチが潰えようがどうなろうがは知らないがね。その間、我々は体勢を立て直す」

 強かな人だ。あるいは、ウゴロモチが馬鹿なのか。マスコミに取り上げられて調子に乗ってるのかね。

「じゃあ、俺たち数字付きも当分は、ああ、その……」

 江戸さんは苦笑する。

「ああ、暇になるだろう。何、気にする事はない。いつもの事だ」

 なら、当面の問題はウゴロモチって事になるな。レンを追い掛ける奴は、今のところいないっぽいし。グロシュラの容態は気になるが、すぐには動けないだろう。

「さて、私は書類を提出してくる。青井君、今日はもう帰っても構わない。一応、顔を出せる時には出して欲しいが。……エスメラルド様が、君を気にしていてね」

 苦々しく言われてしまう。江戸さん、エスメラルド様に心酔してるんだなあ。

「分かりました。それじゃ、今日はお疲れ様です」

「ご苦労様。それじゃあ、気を付けて帰りたまえ」

 紙の束を持ち、江戸さんは部屋を出て行く。さて、話も聞けたし、俺もそろそろ帰ろうかな。いや、しかし楽な仕事で良いやね。こう言っちゃなんだが、ヒーロー様様ってか。

「エドー、いるかー?」

「…………あ」

 江戸さんと入れ違いでやって来たのは、エスメラルド様である。彼女は室内を見回してから、俺に視線を定めた。

 まずいな。あの時、エスメラルド様は俺の正体に気付いていたような節がある。気にしているってのは、心配って意味じゃあなく、疑われてるって事じゃないのか。

「おー、アオイ。久しぶりだな、元気にしてたか?」

「お陰さまで。何だか、大変な事が起こっていたみたいですね」

 エスメラルド様は手近なパイプ椅子を引き、そこに腰を下ろす。……俺の気のせいかもしれないが、すぐには帰してくれなさそうな雰囲気だった。

「グロシュラが先走ったからな。私も裏切り者は放っておけなかったし」

「裏切り者には逃げられてしまったと聞きましたけど」

「変な奴に邪魔されたからな」

 うっ、間違いなく俺の事だろう。

「そいつな、袋を被ってた。お前に似てたぞ」

「うえっ!?」

 やべっ、声に出しちゃった。つーかストレート過ぎるだろ! もっと聞き方ってもんがあるんじゃないのか、こういうのって。

「お、俺にですか?」

「目が似てた」目、ですか。……野生児。

「他人の空似ですよ。俺がヒーローみたいな真似する筈ないじゃないですか」

 エスメラルド様は俺を見つめる。じっと、まるで咎めるように。目を逸らしたら駄目だと、直感する。

「そっか。そうだよな。アオイは私を裏切らないって言ったもんな!」

「その通りです」あれおかしいな、胸がずきずき痛むよ?

「ごめんな、疑って悪かった! 今度、ご飯に連れてってやるぞ、お詫びだ!」

 嬉しいけど、流石に申し訳ないし、何より誘いに乗った瞬間江戸さんに殺されてしまいそうだ。

「いえいえ、構いません。俺は気にしてないですから。それじゃ、俺はそろそろ帰ります」

「……そうか? ……うん、分かった。じゃあ、また明日な」

 さり気なく『明日も来い』と言われてしまった。が、それを断るのは気が引けた。俺は頭を下げて、爺さんのところに向かおうと思った。



 ウゴロモチ。

 奴らをぶっ潰さない限り、心の平穏は訪れないだろう。爺さんに、俺のスーツがどうなってるか聞きに行こうと思ったのである。だけど、気が乗らないだの誠意が足りないだの言い出す偏屈なじじいだ。詳しく事情を話せないままで、まともに取り合ってくれるかどうか。

「爺さん、俺だ。入るぜ」

 ノックしてから、返事を待たずに扉を開ける。相変わらずとっ散らかった部屋だ。心なしか、ケーブルの数が増えているような気もする。

「……お前か。スーツなら出来ておらんぞ」

「じゃあ帰る」

「かーっ! 近頃の者は我慢が足りん。青井、お前はただでさえ脳が足りとらんと言うのに」

 うるせえなあ。いきなり説教する奴がいるかよ。第一、ブツがないんじゃ用がないってんだ。

「ちょっとやべえ事になってる。グローブだけじゃどうしようもねえんだ」

 爺さんは振り向かず、一心不乱にキーボードを叩き続ける。ディスプレイには、良く分からん数字やら記号が上から下に流れていた。

「左用のグローブも欲しいのか?」

「そら、ないよりはマシだけどよ。俺が言ってるのは完全なスーツの事だよ」

「ならば誠意を見せろ。何度同じ事を言わすんじゃ」

 これだよ。いや、無理難題を言ってるのは俺だ。けど、それだけ必死なんだよ爺さん。ウゴロモチってやばい連中に狙われてるんだよ、俺は。

「訳ありなのは知っておる。事情を話してみい、面白ければお前のスーツを優先してやらんでもない」

「あんだよ、別の怪人のスーツ作ってんのか」

「ほれ、この間グロシュラがやられたじゃろ? 奴の部隊にも穴が出ていてな、怪人クラスのスーツを用意せんとまずいらしい」

 あー、あのしわ寄せがこんなところにまで。

「仕方ねえなあ、そりゃ。下っ端の面倒見てる場合じゃない、か」

「ほっ、抜かしおる。おお、そう言えば、レンは元気か?」

「は? 俺が知る訳ねえだろ」いきなり何を言い出すんだ爺さん。危うく返事しそうになったじゃねえか。

「それもそうじゃったな」

「もうろくしやがって。そんなんで大丈夫かよ?」

 爺さんは手を止める。椅子を回転させて、俺を見た。

「舐めるな。わしはまだまだ現役だぞ、小僧」

「そうかい。それじゃ、いよいよスーツを期待しちまうな」

「当然じゃ。ああ、スーツは無理だが、武器なら用意してやらんでもないぞ」

 おっ、マジか。あのグローブも相当なもんだが、懐に飛び込まなきゃならねえ。基本、生身の肉体だから危ない橋は渡りたくないし見たくもない。リーチのある得物があれば、楽にはなるだろう。

「目の色が変わったな。まあ、期待して待っておけ」

「おう、じゃあな爺さん。次来るまでに死ぬんじゃねえぞ」

 爺さんは答えず、軽く手を上げて答える。俺は部屋を辞して、今後もどうにかなりそうだと思った。

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