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どうせなら先に折っとくね



 今日も仕事だ。いや、今日こそ仕事だ。悪の組織の戦闘員として、粉骨砕身とは言わないが精一杯頑張る所存である。昨日は仮病使ってサボっちまったようなもんだからなあ。スーパーの駐車場での乱戦、その顛末についても聞いておきたいし。グロシュラが今後もレンを追うのか、そういった事も確かめておきたい。

「お兄さん、何が食べたい?」

「んー、任せる」

 俺はテレビから視線を外す。レンは、さっき買ってやったエプロンを着て流しの前に立っていた。本当なら、俺が晩飯を作る筈だったんだが、彼が作りたいと言ったのである。

「あは、分かった。それより、これ、どうかなあ?」

 レンがくるりと回ってみせる。エプロンが、フリルが揺れた。

「……花柄はどうかと思うがな」それとフリルも。

「えー、可愛いのに」

「男に可愛さは必要ない」

「時々古いんだね、お兄さんは」

 そうかもしれんが、俺はお前をそういう道には行かせるつもりがない。ただでさえガキなんだ。男か女か分からん体格のくせに、そういう紛らわしい真似はよせってんだよ。

「好きな食べ物とか、ある?」

「肉は好きだ。特に牛のはな」

「あはっ、ないよ? ……とってこようか」

 駄目だっての!

「だって、食べたいんでしょ?」

「今はそうでもない。好きなもんだってだけだ。作ってくれんなら何でも良いよ」好き嫌いとかないし。

「えへへ、分かった」言って、レンは俺に背を向ける。

 テレビに向き直り、俺はあくびを噛み殺した。どこの局でもクイズ番組とグルメ番組しかやってない。芸人だろうが俳優だろうが、やってる事は同じである。昔は、もっと色々面白そうな奴をやってたんだろうか。



「ごちそう様でした」

「あは、お粗末さまでした」

 レンが温かいお茶を差し出してくる。気を遣うなと言っているってのに。でも飲む。

 さて、お仕事だ。こいつには留守番を頼まなきゃならない。

「で、だ。俺は今から仕事に行かなきゃならないんだが」

 レンは何も言わず、じっとこっちを見ている。この、目だ。何か訴え掛けている。いつまでも見ていられるようなもんじゃない。

「留守番、出来るよな」

「……一人で?」

「そりゃそうだろ。出来るよな」

「で、出来ないと思う」

 いや、出来るだろ。てめえ、短期間とは言えテントで一人暮らししてたんだろうが。寂しいとか、その口で抜かしてみろ。舌引っこ抜いて首飾りにすんぞコラ。想像したらグロかったのでしないけど。

「どうしてだよ。お前、今までだって普通にやってこれてたんだろ」留守番くらいどうって事ねえだろ。

「だって、お兄さんが帰ってこなかったら……」

「不吉な事言うなっ」

 その可能性は常に、なきにしもあらずなのだ。むしろ、職業柄、その可能性は普通の奴よりも高い。

「僕、一人になっちゃうよ。そしたら、またいっぱい壊しちゃうかも」

「え? えっ? それってもしかして脅してんのか?」

「あははっ、お兄さんとの約束は絶対に守るよ? けど、お兄さんがいなくなったら、約束もなくなっちゃうんじゃないのかな」

 この野郎、大人しくしてると思ったらすげえ腹黒いじゃねえか。

「……だけどよ、働かなけりゃ金は入らねえんだ。金がなきゃ生活出来ねえってのは分かるだろ」

「盗っちゃえば良いのに」教育的指導パンチ喰らわすぞ。

「駄目だ。お前はもう、今までやってたそういうのは忘れろ。ただの、子供なんだからな」

 レンは面白くなさそうに頬を膨らませる。可愛くねえぞ、コラ。

「僕を一人にしないでよ」

「五年経ったら、その辺の女に言ってやれ」少なくとも、レンは不細工には育つまい。こいつなら女をとっかえひっかえのヒモ生活も余裕っぽい。ちょっと羨ましい。

「お兄さんじゃなきゃ駄目なんだもん」

「そこまで言うかあ?」

 正直、はっきり言って気持ち悪いぞ。

「僕、あんな事されたの初めてだったんだよ? 責任、取ってよ」

「ゲンコくれてやっただけだろうが」

「行っちゃヤだから」

「女々しい事抜かしてんじゃねえぞ、男だろうが」

 仕事だ、仕事。これ以上付き合ってられるかってんだ。俺は立ち上がり、組織へ行く準備を始める。

 すると、レンは俺に倣うかのように立ち上がった。彼は背後に回り、右腕を取る。勿論、俺の、だ。何をするのかと思えば、ぎりりと締め上げるように力を入れられてしまう。

「……何やってやがる」

「腕と足を折っちゃえば、お兄さんはどこにも行けないよね?」

「はあああ!? てめえふざけ……いだっ! いだい! いだだだだだだっ、離せ離せ離せって!」

 何してくれてんだこいつ!? 改造人間が本気を出したら、俺みたいな一般人がどうなるかって分かってんのかよ!? マジで折れるぞ冗談抜きに!

「お兄さんとなら、ムカついたら死なない程度に遊んでも良いんだよね?」

「ああああああああっ! 分かった分かった分かったから頼むから!」

「今日は、お仕事に行かない?」

 俺は首を縦に振り続ける。

「あはははっ、でも平気だよ? お兄さんのここが使えなくなっても、僕がご飯を食べさせてあげるから」

 そんなひでえマッチポンプ聞いた事ねえよ!

「きょ、今日はお前の相手をしてやるから……」

「本当?」

 もう限界だ。その寸前で、レンは俺を解放する。

「あはっ、嬉しいな」

 俺は畳の上に蹲り、必死に呼吸を繰り返す。畜生、痛過ぎる。そんでやば過ぎる。こいつ、本当にこのままじゃ駄目だ。駄目過ぎる。

「……今日は休むけど、明日は駄目だ」そろそろ組織に顔を出さなきゃ。色々と、話が動いているような気がする。

「どうせなら先に折っとくね」

「やめろって! 今度は死ぬ気で抵抗すっからな。お前、ただで済むと思うなよ」

 第一、組織に行くのはお前の為でもあるんだからな。

「そ、そんな風に睨まなくたって……」

「泣きたいのはこっちだぞ。良いか? 絶対に、折れないからな俺は」

「骨、強いの?」

 そういう意味じゃない。強いのは心だ。多分。

「お前がそんなんだったら、俺はいつまでも仕事に行けねえだろうが。それじゃ困る。ここで暮らしていけなくなるんだぞ」

「う、うー、それは嫌。でも、お兄さんがいないのも嫌だ」

 ありえんぐらいに懐かれてんのか、俺って。どうせなら可愛い女の子を助けりゃ良かった。そうすりゃあ、仕事に行かず爛れた生活を送るのも悪くなかったかもしれん。けど、なあ。レンじゃあどうしようもない。ただ鬱陶しいだけである。

「ちょっと留守番するだけだろうが」

「寂しいんだもん」

 だもんって言うな、だもんって。

「……絶対帰ってくるし、お前を放ってどこにも行きゃしねえよ。だから、明日からは大人しく待ってろ」

「絶対?」

「信じられねえのか?」

 出会ったばかりで、何を言ってるんだか。裏切るほどに、俺たちの仲は深くない。深くなろうとも思わない。

「じゃあ、約束、して? お兄さんは僕を見捨てないって」

 だけど、こんな状況のガキを一人で放り出すほどクズでもないつもりである。

「分かった。俺は、お前を見捨てない」

 軽い口約束だ。だけど、レンはそれに縋るのだろう。他に、やり方を知らないから。生き方ってのを教えられていないから。無性に、腹が立つ。グロシュラがこいつを拾ったのは良い事かもしれない。今となっちゃあ悪い風にしか捉えられねえけど。けど、助けるんなら最後の最後まで面倒見るのが筋ってもんだろうがよ。ガキをいつまでガキのままにさせとくつもりだったんだ、野郎は。

「お兄さん……? あの、僕……」

「怒ってねえから気にするなよ。気にするなって言ったろ」

 とは言っても、レンはそういう性分なんだろう。スイッチが入れば、前みたいにけらけらと笑って、自分を誤魔化し、偽る。抑えが利かないってのは、本来の性格を隠す為の、こいつの、処世術だったんだろう。すぐには直らない、か。



 二日連続で仮病を使ったが、同僚に怪しまれるような事もなかった。そう思いたい。せめてもの救いは、大して仕事がなかったという話だ。多分、スーパーマーケットでの戦闘のせいだろう。一組織の幹部とはいえ、そこらの怪人よりも四天王は大物だ。二匹目のどじょうを狙うヒーローが、その辺をうろうろしているに違いない。

「寝るぞ」

「で、電気消すの?」

「消さなきゃ寝られんだろうが」

 レンは布団で顔の下半分を隠す。涙で潤んだ瞳がこっちを向いていた。

「泣き虫が。いつまで経ってもガキのまんまだぞ」

「電気消すんなら、一緒のお布団入っても良い?」

 駄目に決まってんだろアホか。

「っておいコラ、移動してくんじゃねえよ」もそもそと、レンは枕を抱きながらこっちの布団に入ろうとする。

「何も言わなかったじゃん」

「言わなくても分かるだろ」

「あは、そっか。えへへ」

 あーっもうこっち来るなって!

「減らないんだからさー」

「いや、何か減ったり取られたり奪われたりするような気がする。絶対こっち来るなよ」

「昨夜は何も言わなかったのに」

「おっ、お前! 勝手に入ってたのか!?」

 レンは小さな笑みを漏らす。悪魔的なそれだった。

「すぐに戻ったけどね。あは、お兄さんってうるさいのに、寝ている時は本当に静かなんだよね」

「な、何をした……?」

「あはははははっ、何もしてないよ? 何も」

 だったら笑うな!

「とにかく寝ろ寝ろ」俺は電気を消して布団に潜り込む。畜生、二日も組織サボっちまったから体力が有り余ってやがる。妙に目が冴えて寝られん。

 目を瞑って無理矢理眠ろうとするが、駄目だ。

「ね、お兄さん」

 おまけに、レンがこっちに来る。俺は彼を押し退けようとするが、やっぱり力じゃあ敵わない。と言うか勝ってるのは歳くらいのものだった。家事だってやっちまうもん、こいつ。

 レンは無理矢理俺の布団に入り、顔を近づけてくる。近い。近い近い、近いから。

「……知ってた?」

 吐息が耳をくすぐる。生温かくて死にそう。

「一人って寒いんだ。寒いよ。だから、二人なら」

「寂しいんか?」

「そうなんだ、多分。こんな近くにお兄さんがいるのにね」

 いっそ突き放してやれば良かったのかもしれない。犬猫を拾うのとは訳が違う。見放せば、俺だってグロシュラを責められない。

「好きにしろよ」

「お兄さんの事は、もう好きだよ?」

 それもお前の生き方だろうが。好きだの嫌いだの、知りもしないでよくもまあ。



 暫くすると、レンは眠ってしまったらしい。規則的な寝息が耳元から伝わってくる。自由な奴だ。俺がガキん時はもっと大人しいっつーか、常識を弁えてたと思うんだけどな。

 レンが約束を守るってんなら、問題なのは一つ。ウゴロモチの連中だ。奴ら、俺を調べたとか言ってたな。向こうを潰さねえ限り、常に危険が付き纏う。それだけならまだマシだ。ウゴロモチとウチの組織が手を組むような事があったら、ヒーローを掛け持ちでやってる青井正義の情報が組織にまで流れちまう。そうなりゃ、裏切り者だって一発でバレる。

 ウゴロモチをどうにかする。

 だけど、俺は出来損ないのヒーローで、組織の一戦闘員でしかない。零細だろうが、集団を相手にするには力が足りなさ過ぎる。組織で情報を集めるにしても、ウチとウゴロモチとの距離が近づけば近づくほど、危険度が高まっちまう。一人でやるしかない、のか。無理だろ、そりゃ。

 ヴィーフホリ。

 俺が持ってる情報は、今のところそれだけだ。そいつを手繰り寄せりゃあ、ウゴロモチに辿り着くかもしれない。だけど、ミスっちまえばそこで終わり。ウゴロモチにやられても駄目。組織に気付かれても駄目。そんで、俺が出来る事は殆どない。……手詰まりじゃねえか。

 でもやるしかないんだ。やらなきゃやられる。味方なんかいやしない。地中を自在に行き来出来るウゴロモチに対して、先に仕掛けられるとも思えん。奴らが来たところを叩く。俺に許されてるのはそれくらいだろう。もっと良いスーツ、武器があれば話は変わってくるのになあ。叩くって言っても、出てきたモグラにボコられるって展開しか見えん。

「……いい気なもんだ」

 俺はレンのほっぺたを突く。思ったより柔らかくてドキドキしてしまった。馬鹿か、俺は。

「てめえのせいだぞ、おい」

 一ヶ月経ってないってのに、面倒くせえ事が立て続けに起こってやがる。明日も、明後日も、無事でいられますように。

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