社長、お待たせしました
二晩経ったら、俺はヒーローになっていた。勝手に。どうやら、白鳥澪子社長が各種手続きを済ませてくれていたようである。俺がやった事と言えば、適当に書いた履歴書を渡したくらいのものだ。その間、俺は組織の戦闘員としてヒーローから逃げ回ったりコンビニで店員に絡んだりしていた。クズである。
「おめでとう、青井。あなたの初仕事よ」
そして同時に、今日はヒーロー派遣会社カラーズの初仕事の日でもある。
早朝、俺は社長に呼び出された。午前六時である。殺してやろうかと思った。
「……前日までに連絡をくれよ」
会社のソファにケツを埋め、俺は社長を睨みつける。こっちは昨夜も働いてたんだよ、戦闘員として。
「ああ、ごめんなさい。嬉しくて、舞い上がっていたわ」
社長はくすくすと微笑む。そうしていると可愛らしいが、中身は最悪に近い。
「それで、仕事の内容については教えてくれなかったよな。気に入らなければ、断っても良いんだよな?」
「念を押さなくても心配ないわ。けど、あなたは断らない」
言ってろ。
「仕事は単純明快よ。今日の午前八時、オフィス街に合成怪人が現れるから、あなたはそいつをやっつければ良いの」
確かに単純明快だ。見つけてボコれって事だからな。ただ、一つ問題がある。と言うか、心配と言うか。
「どうやってそんな情報を。タレコミか何かか?」
「馬鹿ね。ウチみたいな、どこにも知られていない会社に情報を流してくれる人なんかいる訳ないでしょう。自分で調べたのよ」
「それ、確かか? 騙されてるんじゃあないだろうな?」
「心配しないで。直接、そいつに聞いたようなものだから」
はああ? どういう事だよ。まさか、こいつ、怪人と繋がりがあるのか?
「余計な詮索は無用よ」
睨まれる。まあ、知らない方が良い事のが山ほどある。深く考えないようにしよう。与えられた仕事をこなして、お金をもらうだけだ。
「分かった。やるよ。相手は一人だろ?」
合成怪人ってのは、ウチの組織の奴じゃあない。別の組織の怪人だ。それだけが心配だった。いつ辞めるか分からないとはいえ、一応は俺の巣だ。同僚と戦うなんて真っ平ごめんだからな。
「ええ、どんなタイプの怪人かは分からないけど。自信、ある?」
そいつは俺に支給されるスーツ次第だな。スーツの性能が高ければ高いほど、戦闘では優位に立てる。安いのじゃあ、身体能力を二倍にだって引き上げられない。逆に言えば、どれだけ中身が貧弱な奴でも、スーツさえ良ければマッチョな奴とだって互角以上に戦える。
「そこそこ」
組織の戦闘員に支給される汎用スーツは安物だ。身体能力は大して上がらない。だが、怪人やヒーロークラスになると、二倍、三倍は当たり前だ。こっちは常に極限の状況に置かれている。自慢じゃないけど。けど、そんな俺がヒーロースーツを着れば、まあ、そんじょそこらの奴には負けないだろうな。
「良かった。ああ、現場までは車で行けるから安心しなさい」
「へえ、マジで?」
そういや、運転手がいるとか言ってたっけ。ヒーロー派遣の会社ともなると、何か、すげえ機能が隠されたりしてるスーパーカーだったりするんだろうか。あんまりゴテゴテした奴は恥ずかしいけど。
「九重とはまだ会っていないわよね。ちょうど良いから、自己紹介も済ませておきなさい」
「はいはい。……で、俺のスーツなんだけど」切り出すと、社長はテレビを点けた。
「他のヒーローに横取りされちゃうかもしれないから、迅速にね。でも、怪人に気取られるのも良くないから、八時ちょうどに着くようにするわ」
あ、社長もついていくつもりなんだ。へえ、あっそ。で、テレビの音量上げるのやめてくれねえかな。
「ちなみに、依頼者はいないから」
「はあ? 何言ってんだよてめえ」
「……あなた、誰に対して口を利いているつもりなのかしら」
うっ、すいません。柄の悪いところで働いているものですから。
「心配しなくても、怪人さえ倒せればお金は払うわ」
「金さえもらえるなら。でも、依頼じゃないのに、どうしてだ?」
「知名度よ。カラーズはまだ出来たばかりで誰も知らない。でも、怪人をバシッと倒してしまえば、注目されるかもしれないでしょ」
そうかあ? 今更ヒーローだの怪人だの、気にする奴なんているのかよ。
「小さな事からコツコツとが、我が社の方針よ」
「ふうん。それよりスーツ見せてくれよ、スーツ」
「コーヒーでも淹れてくるわね」
結局、はぐらかされてしまった。
待ち合わせの時間になったとの事で、俺と社長は雑居ビルの前で車を待つ。
「なあ、運転手ってどんな奴なんだ? 九重、だっけ?」
「あなたよりも若いわ。それに、仕事もしっかりしているから心配しないで。目的地まで安全に届けてくれるわ」
俺より若いのか。大変だなあ、こんなところに捕まって。
「そろそろ来るわね」
どんな車だろう。どんな人だろう。新しい出会いってのは、この歳になっても怖いな。少ない社員なんだし、仲良くやれれば良いんだろうけど。
と、向こうから車が走ってくるのが見える。タクシーだった。近づいてくる。どこにでも転がってるような、面白みのないセダンだ。屋根上には表示灯が設置されている。真っ白い車体に、桜色、とでも言うのだろうか、帯を締めるような塗装が施されていた。それが目の前に止まった。おい、邪魔だ。誰が手ぇ上げたよ。客ならよそで取れってんだ。
「来たわよ」
「はあ? いや、つーか退かせよ、これ」
運転席から降りてきたのは、どこから見ても間違いなく、タクシードライバーだった。どこのもんかは知らないが制服を着ている。背が俺よりも高くて、僅かに見下ろされてしまう。つーか、マジにでけえな。けど、細い。百八十、九十センチあるんじゃねえのか。
「社長、お待たせしました」中性的な声だった。俺よりは高く、社長よりも低い。
「って、え? 社長? 社長って言わなかったか?」
タクシードライバーは後部座席のドアを開けて、社長を車椅子から下ろし、両腕で抱き抱える。高慢ちきなウチの社長は何も言わず、ただ頷いていた。俺には何が起こっているのか良く分かっていない。ドライバーはせっせと働く。社長を後部座席に押し込めた後は、車椅子を畳み、トランクの中へ丁寧にしまった。そして、目が合う。何か、女みたいな奴だった。肌も白いし、なーんか頼りないっつーか。
「な、何だよ?」
「あ」ドライバーは帽子の位置を直し、白い手袋を外して、俺に手を差し出した。
「九重です」
どうやら、握手を求められているらしい。俺は咄嗟に、その手を握った。
「青井、です。えっと、よ、よろしく?」
「何をやっているのよあなたたちは」
後部座席のウインドウが開き、社長が身を乗り出す。
「ウチのドライバー、九重よ。さっき言ったじゃない。九重、彼は青井正義。ウチのヒーローよ。精々、仲良くしてあげなさい」
九重と呼ばれたドライバーは頷き、俺を見た。何か、物静かって言うか、何を考えているか分からないタイプだな。
「さ、話なら走りながらでも出来るでしょ。乗りなさい、青井」
「あいよ」俺は後部座席のドアを開けて社長の隣に座ろうとしたが、
「前よ、前」
社長は嫌そうに、俺を追い払うように手を振った。仕方なく、助手席に座る。が、気まずい。仲良くしろって言われてもなあ。
俺が乗り込んだのを確認してから、九重は運転席に戻る。彼は息を一つ吐き、社長をちらりと見た。
「出しなさい」頷き、九重は車を発進させる。
そうか。タクシーだったのか。はあ、何だかなあ。
「何をがっかりしているのよ、あなたは。感謝なさい。本当なら、あなたを現場まで自力で向かわせても良かったのよ」
「いや、まさかタクシーだとは思わなくて」
まあ、組織じゃあバスに乗って移動していたんだけど。
「九重は腕利きのドライバーよ」
「へえ、でもさ、わざわざそんな格好しなくても良いんじゃないか?」
九重は答えなかった。どうやら運転に集中しているらしい。
「まだウチに慣れていないのよ」
「まだ?」
「スカウトしたのよ、対応が良かったから。九重はタクシードライバーだったの」
え。マジで。いや、つーかやってる事は変わらないじゃねえか。……まあ、俺が言える立場じゃあないか。似たようなもんだし。
「どれくらいで着くんだ?」
九重へは、どういう風に接して良いか分からない。が、年下と聞いているし、まあタメ口で充分だろう。が、彼は答えない。あれ、もしかして無視されているのか? おいおい、初日からいじめかよ。
「無駄よ青井。運転中の九重に話したい事があるなら……」
タクシーが停まる。信号待ちらしかった。
「今ね。九重、現場まではどれくらい掛かるの?」
「……十分程度です」
「それから、頼んでおいたものは?」
「持ってきています。トランクの中です」
「そ、ありがとう」
信号が青に変わり、発進する。なるほど、そういう事か。
「車が停まっている時だけ、九重は答えてくれるから」
「すげえな」色んな意味で。
「最初は驚いたけどね。あ、無視してる。よりにもよってこの私を、と」
何様だよ。
午前七時五十分、つまり怪人が出現するという十分前に、タクシーは現場に到着した、らしい。
現場は、何の事はない。オフィス街である。まだ、背広姿のおっさんたちがそこらを歩いている。羨ましくもあった。ああいうのが、世間一般では普通と呼ばれて、俺には素晴らしく思える。普通でいれたら、どれだけ良かった事か。
「怪人って、マジで出るのか?」
「十分後には分かるわよ。それより、スーツね」
「お、おう。そうだよ、だからさ、ずっと聞いてたじゃねえか、どうして無視してたんだよ」
社長は俺と視線を合わそうとしない。彼女は九重に目を遣り、顎をしゃくった。九重は車を降り、トランクに近づいていく。
「ああ、何だよ。頼んでたものってスーツだったのか。驚かせんなよな」
そういうサプライズはやめろよな。いやー、スーツかあ。何か、こう、やっぱり良いな。やっすい戦闘服しか着た事なかったし。身体能力が二倍、三倍に上がるって、どんな世界なんだろう。やっぱ良いよなあ。普通ってのも羨ましいけど、六年もこういうのやってきたんだ。知りたいに決まってるし、実際に着てみたい気持ちってのもある。
大きな紙袋を抱えた九重が戻ってきた。彼は、そいつを社長に手渡す。
「初仕事よ、気合を入れなさい、青井」
「おう、任せろ。怪人なんざ一捻りだ」
社長から紙袋を受け取った。
「ところでさ、どこで着替えれば良いんだ?」
「その必要はないわ」
「あ?」
袋ん中に入っていたのは、リアルな馬のマスクだけだった。流石に、それはないだろうと思って、袋を逆さにして振ってみる。マスクが落ちてきた。どっから見ても馬だった。
「……これだけ?」
「そうよ。さあ、行きなさい」
「どっ、どこにだよ!?」
こんなもん被ってさあ! どこの二次会に行けってんだ!
「てめえにはっ、これがスーツに見えんのか!? 人を馬鹿にすんのも大概にしとけよコラ!」
「怒鳴らないでちょうだい。仕方ないじゃない、スーツなんて、そんな高いもの買える訳ないじゃない」
「はあああ!?」
怒り過ぎて死にそうだった。と言うか、こんなん被って怪人の前に出たら死ぬ。スーツを着れば誰だってヒーローになれる。怪人にだってなれる。だけど、スーツがなければ誰だって一般人だ。身体能力も何もクソもない。
「でも、これ高かったのよ?」
「知るかっ、帰る。帰るぞ俺は」
「ここまで来てそれはないでしょう」
「ここまで何も言わずに連れてきやがって、よくもまあ……!」
だから、言わなかったんだ。スーツの話題が出る度に、強引に話を逸らしてきやがったからな、このアマは。
「帰るの? なら、契約違反で違約金をせしめるわ。二百万出しなさい」
「アホかてめえ! 契約なんざした覚えねえよ!」
「あら? したじゃない。書類ならあるわよ?」
なっ、何だって?
「馬鹿ね、あなた。会ったばかりの他人に印鑑まで渡すかしら」
「お、お前……!」
「手続きなら、全てこちらで済ませておくと言ったでしょう?」
ぎゃあああ! ハメられた! 年下の小娘に騙された! 悪の組織の戦闘員がっ、こんな女に!
「ただじゃおかねえ」
「ヒーローの台詞じゃないわよ、それ。さ、行きなさい馬マン」
「名付けるな! 誰が馬マンだ!」
社長はしらっとした顔で窓の外を眺めていた。
「どうするの? お金、払えるの? 払えなければ、しかるべき所に訴えるけれど?」
畜生! 畜生畜生畜生! ふざけんなよふざけんなよ、こんなの、ただのパーティグッズじゃねえか。視界が悪くなる分むしろない方がマシだろ。
「俺を殺す気か」
「自信、あるんでしょ?」
ふっと、鼻で笑われる。野郎、そうかよ。ここでもそうか。ヒーローだの何だの言ったって、戦闘員と変わらねえ。俺たち下っ端は使い捨ての消耗品でしかないんだ。ふざけんなよ、クソ。
「来た」九重が呟く。窓の外に目を遣れば、高らかに笑う怪人がいた。
オフィス街、交差点のど真ん中、人の波が割れて、引いていく。そこから姿を現したのは、狼型のスーツを着た怪人だった。割と、オーソドックスなタイプのスーツである。狼ってのは、良く見るっちゃあ、良く見る。だけど、性能としては間違いなく、悪くない。
『オロロロロロ! 合成怪人様のお出ましだあ!』
「強そうね」
ぼそりと社長が言う。他人事だと思ってやがる。……合成怪人ってのは、自分の体の一部分をアニマルやらバードやらの強い部分と混ぜ合わせた、俺には想像出来ないタイプの怪人である。よくもまあ、親からもらったもんをいじくれるな。一応、スーツも着ているが、奴らはそれを脱いでもそこそこ戦える。
狼怪人は、中の奴の体格も良いんだろう。正直、無茶苦茶強そうだった。と言うか、俺じゃあまず勝てない。馬マンのデビュー戦には相応しくない相手だ。と言うか最初で最期。
「せめて、武器とかねえのかよ」
「ないわ」断言される。
「し、死ぬぞ、俺」
「うーん」
「口先だけでも大丈夫って言えよおおおおおお!」
やばいぞ、やばい。こうなったら他のヒーローが出てくるのを期待するしかない。
『オロロロロ! オロロロ! さあ戦闘員ども! オフィスレディをさらえっ、さらうんだ! 若いのだけだぞ! 去年まで女子大生やってたような女をさらえ!』
何言ってんだあいつは。
真っ白い、汎用スーツを着た戦闘員がわらわらと出てくる。その数は二十を超えていた。俺が行ったところで、怪人に辿り着く前にあいつらに殺されるかもしれない。
「何やっているの、馬マン。早くしないと女性が誘拐されてしまうわ」
馬のマスクを強く握り締める。悲鳴が上がる。絹を裂くような、若い女の声だ。だが、慣れた者もいるもので、怪人たちを見ずに、普通に会社ん中へ入るような連中もいる。見て見ぬ振りが生きていく上でのコツである。彼らの行動は実に正しかった。そして、彼らは面倒な事を無視するくせに、いざ自分が痛い目に遭えば叫ぶのだ。助けて、と。
『オロロロロロロロっ! いいぞ、いいぞ! バスん中に押し込め!』
『ヒャホー!』
流されるな、流されるなよ俺。勝てる訳がないんだ。行っても何も出来ない。パンチ一発で内臓ぶっ壊されて死んじまうのがオチなんだ。
「……悪を滅ぼせとは言わない。正義を守れとは言わない。けど、あなたはあいつらを見ても、何とも思わないのかしら?」
言いやがる。むしろ、俺は怪人側の人間だ。奴らの立場や境遇が手に取るように分かるんだよ。
「青井正義、あなたは、どう思うの?」
でも、関係ねえよな。気持ちが分かったところで、立場を知っていたところで、奴らは俺を分かってくれない。好き勝手に暴れ回って、控え室で『今日は楽だったな』なんて笑い合うんだ。俺は、こんなにも辛い目に遭ってるって言うのに。
「ムカつくぜ」
俺は馬のマスクを被った。
「けど、あいつらよりも、今はあんたのがムカつくよ」
「その怒りをぶつけてらっしゃい」
言われなくとも。