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こういう時は炭酸に限る



「そういや、お前一人でいたんだろ。メシとかどうしてたんだ。金は? 水族館にも行ってたよな。ナンボか持ってんのか?」

「あははっ、なくなっちゃった」

 あ、そう。そう、か。また、余計な出費が……社長か九重に請求してみるか。



 レンの着替えや日用品、食料品を買い込んで家に戻ると、午後の七時を回っていた。財布の中身は空っぽに近いし、体力も限界である。今日は、もう休もう。無理。しんどい。数字付きの誰かに連絡しとこう。風邪引いたとか、適当言っとくか。

「お兄さん、お電話?」

「ああ、そうだよ。仕事、今日は休むんだ」

 こうして、そろそろ一日の終わりに差し掛かっていく訳だが、レンは大人しかった。デパートでも、スーパーでも、俺の傍を離れないで歩いていた。暴れられるよりはマシなんだけど、それはそれで気持ちの悪いものもあった。

「仕事、ないって言ってたよ」

 そりゃカラーズの方な。

「掛け持ちしてんだよ。そっちは大体、夜からの仕事なんだけどな」

「そ、そうなの……」レンは心細そうに俺を見ている。いや、そんな目ぇされても行く時は行くから。

「今日はアレだけど、明日からは行くからな。ちゃんと留守番しとけよ」

 返事はない。レンは俯いていた。また泣き出すつもりか、こいつ。



 さて、電話も済んだ。特に怪しまれてもいなかったし、大丈夫だろう。……まあ、明日は江戸さんやエスメラルド様に会うのかもしれないけど。はあ、考えても仕方ない。そろそろ晩飯にすっか。

「お兄さんお兄さん、見て見て似合う?」

「あ?」

 レンはくるくる回っていた。意味が分からなかったが、今日、買ってきたばかりの服をこいつは着ていたのである。知るか。似合うかどうか考えて買った訳じゃねえよ。安いの選んだだけだ。サイズ合ってりゃ文句ねえだろ。

「……もっとさ、黒とか青のが良かったんじゃねえか?」

「そうかなあ?」

 レンが着ているの真っ白いパジャマである。こんなん、この歳になって買わされるとは思ってなかった。他にも、下着とか、色々買わされた。

「つーか、もう寝んのかよ」

「ううん、次はこれを着ようかな」

 まあ、ああしてる内は大丈夫だろう。

「晩飯、どうする?」

「あ、ぼ、僕が作る……」

「作れんのか?」

 言ってから気付く。そういや、こいつ、初めて会った時にテント張ってたよな。小学生にしか見えないが、生活力はあるのかもしれない。

「お肉、ある?」

「豚肉が冷蔵庫に入ってる……ってこら、何するつもりだ?」

 振り向いたレンは、鉈を持っていた。ぶ、豚肉って俺の事じゃないからな?

「お料理だよ?」

「まさかお前、それで……いや、やっぱいい。しまえしまえ、そんな物騒なもん。包丁ならその辺にあるから」

「使いやすいのに」レンは鉈を振り回す。

「やめろって! 駄目だっ、料理ん時にそれはなし! 約束追加な!」

 文句を言うかと思ったが、レンは鉈をタオルで包み、押入れにしまった。ふう、助かった。

「で、何を作るつもりなんだ?」

「豚肉だったら、しょうが焼きかなあ」

「しょうがなんてウチにはないぞ」

「じゃあソテーにするね」

 レンは台所に立って、まな板やら包丁やらを並べ始める。何だか、俺よりも手慣れて見えたので、口出しは控えておこうと思った。

「あ、エプロンとかないの? お洋服に、油が跳ねちゃう……」

「エプロンだあ? そんなもんねえよ」

 しかし、こいつと初めて会った時には想像も出来なかっただろう。まさか、こいつの作ったメシを食う事になろうとは。



 食卓には、レンの作った料理が並べられていた。言っていた通り、ポークソテーに、サラダに、スープまである。そんで、いつの間にかご飯も炊いていたらしい。その間、俺はずっとテレビを見ていただけだった。ずっと、テレビを。味が、不味いか美味いかは関係ない。これはもう申し訳ないの一言だろう。

「あー、明日は俺が作るから」

「うんっ、楽しみにする。さ、お兄さん、召し上がれ」

 レンはにこにことしていた。何が、楽しいんだろう。相変わらず、分からん。

「はい、どうぞ」

「お、サンキュ」茶碗には白米がうず高く積まれていた。馬鹿にしてるのかと思ったけど、レンもそれくらいよそっていたので、何も言わない事にする。まあ、アレか。育ち盛りだもんな。あっはっは、食い潰す気か、てめえ。

 でも、メシは美味かった。




 風呂に入って、二人分の布団を敷く。そんで、電気を消「あ、点けといて欲しいな」そうとして、やっぱやめる。

「怖いのか?」

「う、うん。……ダメ?」 布団に包まりながらレンは言う。マジかよ。

 時刻は、うあ、まだ十時過ぎじゃん。駄目だ駄目だ。俺は寝られそうにない。いつもなら、組織の仕事でバリバリ動き回っている頃だし、体は正直である。全然眠くない。それでも、とりあえず布団には入っておこう。

「お兄さん、おやすみなさい」

「あー、うん。お休み」



 やっぱ寝られん。ケータイで時間を確認すると、まだ十一時になったところだった。こりゃアカン。少し、体を動かそうか。とは言え、ガキは寝てるし、筋トレするのもアレだろう。コンビニまで散歩にでも行くか。めんどくさいから、起こさないよう、静かに、静かに……。

「んっ、んん……」

 体を起こした瞬間、隣のレンが寝返りを打った。敏感な奴である。

「トイレ?」

「いや、コンビニ」

「あ、僕もいきたい……」

 えー? やだよめんどくせえなホントによう。

「寝てろよ」頼むから。

「やだ、いく」袖を掴むな。しがみ付くな。……こいつ、マジで何なんだ。

 しかし、嫌だって言ってもついてくるつもりだな。しようがない、暴れられるよりかはマシか。



「戸締まりは?」

「やったやった。それより、コンビニ行くだけだぞ。わざわざ着替えなくても良いじゃんかよ」

「だって、折角買ってもらったんだもん」

 レンはくるくると回る。子供っぽいプリントのTシャツと、短パンである。見せびらかすほどのもんじゃないだろうに。

「お前さ、眠くないのか?」

「ね、眠くないよ」嘘だな。

「家帰ったらちゃんと寝ろよ。そんで、明日は一人で留守番な」

「んー、あはっ、ねえ、僕もお兄さんの仕事場に行っちゃダメ?」

 駄目に決まってんだろ。俺は答えず、無視する事で自分の意志を示した。つもりである。

 レンは俺の隣に並んで、ちらちらとこっちを見上げていた。言いたい事でもあるんだろうか。けど、聞き出そうとは思えなかった。コンビニまで、十分歩くか、歩かないか。気まずいっつーか、変な感じである。多分、こいつが大人しいからだ。残虐スイッチがオフになってるレンは、普通の小学生にしか見えない。悪の組織の四天王であるグロシュラの庇護の下、改造を受けたバーサーカーには見えん。初対面での印象が強過ぎるんだろう。

「あは、どしたの?」

「何も。あ、つーか、お菓子とか買ってやらねえぞ」

「分かってるよう……あれ?」

 レンが足を止める。俺は止まらずに歩き続けた。それでも、彼は追いかけてこない。

「……置いてくぞ」

「お兄さん、走ろう」

 はあ?

「やだよ。だるい」

「変な人が後ろから来る」

 変な? 俺は振り向いて、レンよりも後方に目を向ける。が、暗いし何も見えねえ。

「嘘吐くなよ。悪い子にはゲンコツをくれてやろう」

「やっ、やあっ! それはやめてよっ」

 しゃがみ込むレン。ちょっと楽しくなる俺。……アホだな。ガキ苛めて何が面白いってんだ。

 ふと気になって、もう一度後ろを見てみる。すると、誰かが歩いているのが確認出来た。あいつが、変な奴か? まあ良いや。どんだけ変でも、俺に危害を加えさえしなけりゃ。

「ほら、行くぞ」

「ミミズだ」あ? 誰がミミズだよ。てめえこらクソガキが。

「お兄さんじゃなくて、後ろの」

 レンは指を差す。それにつられて見ると、

「みみ見つけたあ……」

「ああ?」

 二人組のミミズが、俺たちを指差していた。いや、ミミズみたいなスーツを着た二人である。どっかの戦闘員か? けど、俺たちを見つけたって、言わなかったか?

「みみみ、モグラとヒミズをやった奴だ」

「みみ見つけたあ」

 ミミズがこっちに近づいてくる。

 モグラとヒミズって、アレか。おい、あいつらの事か? つまり、何か、このミミズ怪人はウゴロモチの戦闘員で、仲間を倒した俺を狙ってるって事なのか? ふざけんなよ。今、完全に手ぶらだぞ。財布とケータイしか持ってねえ。つーか、俺の事をどうやって調べたってんだ。こっちは正体隠してヒーローを……モグラか? あん時、ヘルメット被ってたけど顔丸見えで戦ってたし。野郎、警察から逃げ出したのか? いや、違う。今は、どうやって、どうにかするかを考えろ。

 下っ端の戦闘員だとして、スーツのない俺が戦える相手じゃあない。グローブがないんだから、俺はただの青井正義でしかない。だが、奴らこっちを狙ってやがる。素直に逃がしてはくれないだろう。

「お前ら、ウゴロモチか?」

「……みみ見つけたあ」

「みみみ、ビンゴか。俺たちゃウゴロモチの戦闘員よう。モグラとヒミズから聞いてるぜえ、てめえがやったんだろう? なあ?」

 ヒミズって、あいつも生きてたんかよ。乱戦に放り込んでやったから、死んでるか捕まったかと思ってたんだが。甘かったか。

「スーツも着てねえザコにやられた怪人に成り代わるには、今しかねえよなあ、みみみ」

「みみ見つけたあ」それしか喋れねえのか。

 畜生、社長め。もっとまともなスーツをくれてたんなら、正体バレずに済んだのに。……戦闘員が出てきたタイミングから考えて、偶然ではない。俺は、ウゴロモチにつけられていたらしい。しかしこいつら、仲間の敵討ちにしちゃあ楽しそうだ。怪人を倒した俺を倒して、成り上がろうってか。馬鹿がっ、一般人ボコったって仕方ねえだろ。

「人違いだぜ、よそ当たんな」

「……みみみ、てめえの面ぁ割れてんだぜ。それに、そっちのガキが何よりの証拠だろうが。なあ、子連れのヒーローさん」

「そうかよ」俺が落ち着いていられるのは、レンがいるからだった。こいつら、モグラから聞いてねえのか? あるいは、騙されてんのか? ヒミズをやったのは俺だが、モグラをやったのはレンなんだ。そして、レンにはスーツなんかいらない。改造受けてんだから、戦闘員程度一秒掛かんねえ筈だ。その気になりゃ、そこのガキがやってくれんだろ。

「お兄さん、どうするの?」

 レンがこっちを見上げてくる。おかしいな、まだスイッチ入ってねえのかな。

「お前がやりゃ話は早いだろが」

「え、でも……」

「みみみっ、お喋りはそこまでだろ!」

 ミミズが仕掛けてくる。二人いる。同時に向かってこない。タイミングずらすつもりか? 無駄だろっ。レンに攻撃は当たらないし、次の瞬間死ぬのはてめえだ!



 ……何、やってんだ?

「みみみっ、こいつ抵抗しねえ! ガンジー気取りかコラアっ!」

「みみ見つけた、見つけたあ」

 ミミズどもは二人掛かりでレンに攻撃を続けていた。一秒なんか、とっくに過ぎてる。

「お、お……」声が出ない。出して、戦闘員の気を引いたら、次に殴られんのは俺だ。

 レンは、ミミズの攻撃を受け、捌き、避ける。だけど、攻撃には回らない。踏み止まり、ひたすらに耐え続けている。だから、何をやってんだよ。殴れよ。蹴れよ。鉈ぁねえけど、充分だろうが。どうして、どうして反撃しないんだ!?

「みみみ、てめえ倒したらそこでギャラリーんなってる兄ちゃん殺してやるからよ!」

「みみ見つけたけたあ」

 戦闘員の攻撃は鈍い。だからこそ、レンは耐えられる。改造を受けて、身体が強化されているのもあるが……いつまでも喰らってられるもんじゃない。俺なら、一発でぶっ倒される。それを、あのガキは防ぎ切っている。

「何を、何やってんだ!?」

 レンの瞳がこちらに向いた。それを確認して、俺は声を荒らげる。

「やれよっ、いつまで亀みてえに固まってんだ!」

 俺はお前に期待してたんだぞ! ふざけんなっ、てめえが死んだら、次に死ぬのは誰か分かってんのか!?

「そんな奴らに時間掛かってんじゃねえよ!」

 その時、レンの口が開き掛けた。だが、ミミズの攻撃が彼の頬を捉える。レンは僅かに体勢を崩し、別のミミズの蹴りを喰らった。

 レンは、俺に何か言おうとしていた。こっちの機嫌を窺うような、媚びた目で……あ。

 あ。嘘だろ。そうか。こいつ、守ってるんだ。


『一個、約束しろ』


 こいつ、俺との約束を守っているんだ。律儀に、馬鹿正直に。戦闘員だって、スーツ脱げば人だから。だから、こいつは。……どうして? 分かるだろ、手を出して良い時と、そうでない時がっ。火の粉だよ、そいつらは! 払わなきゃならねえだろうが! 手ぇ出さなきゃ、自分がやられちまうって、お前も分かってるだろ!?

 そして、俺は何をしてた。

 ガキに全部押しつけて、助かろうとしてたんじゃねえか。何が正義だ。何がヒーローだ。

 俺は、レンを知らない。分からないし、分かろうともしなかった。だけど、あいつは俺との約束を守ろうとしてたっ。

「……ガキがっ」

 言いたい事があんなら言え!

「みみみっ!?」

 ミミズがこっちを向く。が、遅い。俺は近くにいた方の戦闘員の背中を蹴っ飛ばす。足は痛むが、その分向こうにもダメージは通ってる筈だ。

「逃げるぞ!」

 レンを見ながら叫ぶ。彼はもう片方のミミズを手で押し、そこから逃れて、俺と合流する。立ち止まらず、二人して走った。

「みみみっ、逃がすか」

「みみみみみみみみみみみ……」

「ぼ、僕っ、僕ねっ」

「うるせえ黙って走れっ」

 馬鹿が。馬鹿が馬鹿が馬鹿がっ。どこまでガキなんだお前は!



 何とか撒いた。人通りこそ少ないが、だからこそ、近くにはヒーローがいる。ここらをうろつくヒーローの事なら、俺だってある程度は把握していた。ミミズどもめ、今頃はあいつの攻撃で火炙りにされてんだろうな。

「お兄さん」

 レンは息一つ切らしていない。俺は肩で息をして、電柱に体を預けているっつーのに。

「コンビニ、通り過ぎちゃったね」

「……楽しい散歩だったろ」

「あはっ、ちょっとびっくりしちゃったけど」

「そうか」

 迷った。

 俺との約束を守っていたのか? 聞きたかったけど、やめておく。

「さっきのミミズね、何か言ってた」

「何を?」

「『ヴィーフホリ様が動く』って。ヴィーフホリって、何だろ」

 聞いた事ねえ。が、大方奴らのボスって感じだろう。怪人か、それとももっと上の存在かもしれん。けど、今はそんなん考えてらんねえ。今は……ああ、今もいいや。やめとこう。

「喉、渇いたな」レンは少し戸惑ったのか、間を空けた後に小さく頷く。

「こういう時は炭酸に限る。スカっとしたのが良いんだ。……どうしたんだよ、行くぞ」

「んっ」

 全く、ガキだな。どっからどう見ても。

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