白くてね、かっこいいヒーロー
眠い。
意識は既に覚醒しているが、布団から起き上がりたくない。この温かさを失いたくない。今日、仕事あったっけ? 確か、夜から組織で仕事があったっけ……? だりいいい。行きたくねえええ。あー、すげえ体がだるい。
「ううううう……」
もう動きたくねえよ。ずーっと、ここでこうしていたい。
「ううん……」
寝返りを打つと、頬に柔らかいものが当たった。目を瞑って、二度寝をしようと決め込む。今まで滅茶苦茶やらされていたし、たまにはさー、だらけんのも良いじゃん。良いよね。良いに決まってる。俺の眠りを妨げる者は、何人たりとも許さん。
「……お兄、さぁん……」
「…………んん?」
至近距離から声が聞こえる。同時に、俺のものじゃない吐息が顔に掛かった。
俺の腰に、何かが巻きつく。……手? これ、手? えっ? 目、目は、目は……開けられなかった。そして、昨日何が起こったのかを思い出す。
そう、スーパーマーケットだ。そこで、俺はウゴロモチのヒミズ怪人を倒した。やったぜ! しかし、そこでレンとグロシュラを見つけてしまった。知ってる奴が死ぬとか殺すとかいうのは好きじゃないので、俺はレンを助けた。と言うか助けてと九重に頼まれた。何が正義とか悪とか、やっぱり分かんないけど、まあ、やってしまったものは仕方がない。組織の上司に楯突くような真似をしてしまったが、バレて、ない、よな? うーん。けど、あの時、エスメラルド様は何かに気付いているみたいだった。もしかして、袋を被ってるのが俺だって、気付いたんだろうか。
やめておこう。今は、ゆっくり休みたい。
まあ、俺と同じ布団で寝てる奴に気付かなけりゃの話だったんだけどな。すやすやと寝息を立てる奴を見て、俺は諦めたように寝返りを打った。
昨日、俺はレンを自分の家に連れ帰った。カラーズに連れて行っても、危険だと判断したからである。見た目は子供、でも中身は猛獣と変わらない。スイッチがオンになれば、社長と九重に危害を加えるかもしれないのだ。正直、俺の家にも連れて行きたくなかった。疲れ果てて眠るレンを背負い、通行人からはちょっとした好奇の視線を浴びる。死にたくなった。つーか、このガキが目ぇ覚ましたら殺されるかもしれない。
「はあ」俺は溜め息を吐いて、布団の上に座り込む。レンは、まだ眠っていた。
どうして、連れてきちまったんだろう。俺だってこいつには殺され掛けたのに。……甘い。超甘いな、俺。
テレビでニュースをぼけっと見る。また、ウゴロモチの怪人がどこかの店を襲ったらしい。ウチの組織の四天王が倒されたとか、そういう報道はなかった。取り上げられなかっただけかもしれないが、何かあれば江戸さんから連絡も来るだろうし、とにかく、安心である。昨日、あの戦場がどうなったのか、気になるが、今はレンをどうにかしないといけないだろう。とりあえずグローブをはめておく。
「…………ん、ん」
レンが寝返りを打った。じっと見つめていると、ゆっくりと、目が開いていく。俺は思わず身構えた。目を覚ました彼は、じっとこちらを見つめていた。それから、きょろきょろと視線をさ迷わせる。
「あ、お兄さん……?」
「よ、よう」手を上げる。レンは小さく笑った。
「ここ、どこ?」
「俺の家。つっても、安いアパートだけどな」
それでも、風呂とトイレはついている。押入れや冷蔵庫まであるぞー。はあ、そこそこ良い部屋だと思うんだけどなあ。
「お兄さんの? あ、僕……どう、なったの?」
レンは起き上がろうとしたが、俺は手で制した。何か、こいつを動かすのが怖かったのである。
「昨日の事、どこまで覚えてる?」
「タクシーに乗った、んだよね、僕」
そこまでか。まあ、その後は大して説明する事もないんだが。
「その後、俺の部屋に運んで。お前はずっと寝てたんだよ」
「……生きてるんだよね?」
「ああ。誰も死んでねえよ」
グロシュラも、きっと生きているだろう。
「あんな、聞きたい事があるんだけどよ」
レンは小さく頷く。やけに素直だった。まるで別人だった。こいつには、色々と聞きたい事がある。改造についてとか、裏切り者について、とか。けど、まあ、起きたばっかじゃ頭も動いてねえだろう。
「その前に、メシでも食うか」
「良いの? だって僕……」
「遠慮してんのか? ……良いよ、テレビでも見てろ」
そういや、昨日色々と買ったけど、あんな事になったから食材とか駐車場に置きっぱなしだったんだよな。冷蔵庫は、空っぽだ。食パンならあるけど、うーん。
「パン好きかー?」
「う、うん。食べられる」
「そうか」何かぎこちねえ。けど、しようがないか。ついこないだまで、こいつはただの危険人物で、俺はこいつの標的になってたって間柄だもんな。……それに、仲良くする必要だってない。いつまでも、こいつをここに置いておくつもりもない。落ち着いたら、グロシュラのところに連れて行こう。
簡素な食事を終えた後、俺はテレビの音量を少しだけ下げる。何から聞こうか迷ったが、裏切り者については後回ししようと決めた。
「お前、改造受けてたんだってな」
「う、うん。そうだよ」
「それは、お前が頼んだのか?」
レンは首を横に振る。その仕草が、とても弱々しいものに見えた。
「気付いたら、なってた」
「ああ、そうなのか」どんな改造を受けて、どんな能力を持っているのか、突っ込もうかとも思ったが、俺は口を噤む。
「僕、ここが弱かったんだって」
言って、レンは胸に手を当てる。……グロシュラは命がどうとか言ってたな。心臓が悪くて、それを治す為に手術をってのは、マジなのか。
「でも、僕は強くなった。ケガもしないし、病気にもかからなくなったんだよ?」
だよって言われても、困る。羨ましい事なのかどうか、俺には分からなかった。
「あの、ライオンみたいな怪人に追われてたよな?」
「うん。僕を拾った人。グロシュラって名前なんだ」
知ってる。が、レンには俺が組織で働いてるとは言わない方が良さそうだな。
「親みたいなもんか?」
「ちょっと違うかも」
でも、拾われたんだろ。そんな奴に、本気かどうかは別として、襲われてたんだぞ。何か、言えよ。へらへらすんなや、クソガキが。
「改造って聞いて、何とも思わなかったのかよ」
「あは、分かんない」
楽しそうに笑いやがる。怪我も、病気もしなくなった、か。それって、痛いのも、苦しいのも、辛いのも、全部なくなったって事なのかな。だから、こいつは笑うのか? 他に、どういう顔をして良いか分からないから。そんで、ずっと楽しくやってきた訳だ。自分への、他人への痛みを忘れて、好きに生きてきたんだ。
「ああ」思わず、声が漏れる。
だから、俺にビビってたのか。あんな、たかが拳骨一発で、こいつは痛みを思い出した。トラウマって言葉を使うのは、簡単過ぎるかもしれないけど。
「……なあ、前に言ってたよな。『言われた』って。そいつに言われたから、組織ってのを裏切ったのか?」
「お兄さん、知ってるの?」
「ほら、その、グロシュラって奴が言ってただろ?」
「そうだったっけ」
レンは小首を傾げる。俺は無理矢理に押し通した。
「なあ、誰に言われて、あんな事をしたんだ?」
「変なスーツを着た人」
変な? も、もっと情報をくれ。
「変なって、どんな? ヒーローみたいなんか、怪人みたいなスーツか?」
「白くてね、かっこいいヒーローみたいだった。僕のね、友達だって言ってくれたの」
言葉が、出なかった。
かっこいい、ヒーロー? お前の、友達?
「あははっ、僕はね、何でも出来るんだって。だから、言うとおりにしたらさ、皆、壊れちゃった。あは」
本当のヒーローが、そんな事をするかよ。友達ってのは、そんな事をしないんだ。
「皆が弱いから、壊れちゃったんだよ」
「……だから、僕は何も悪くないってか」
「え?」
「いや、何でもねえよ。それより、そいつの名前とか、どこにいるかとか分かるか?」
レンはふるふると、首を振った。否定の意を示したのだ。やりきれねえ。けど、裏切り者の情報は掴めた。白い、ヒーロー。いや、ヒーローっぽいスーツを着ていただけだ。……これだけ、か。爺さんや、他の奴らには言えねえな。つーか、誰に言えるよ?
やっぱり、レンをどうするか、もう少し考えた方が良いような気もしてきた。こいつを自由にしたら、そのヒーローとやらにまた何か吹き込まれるかもしれん。
「出かけてくる」
「あ、僕も……」
「いや、ここで大人しくしてろ」
「な、なんで?」
マジで分かってねえのか?
「俺はな、今からカラーズ……車椅子の女の子と、タクシードライバーの格好をした奴、覚えてるか? そいつらんとこまで行くんだよ」
「僕も行きたい」行ってどうすんだよ。また襲い掛かろうすんのか、ああ?
睨むと、レンはめそめそとし始める。また、泣き出した。改造受けてんだろ。笑えよ、もう。鬱陶しいから。
「……や、やだ」
「わがまま言うなよ」
グローブは外せない。これだけが、今の俺を支えてくれているような気がしていた。
「ひっ、う、うう……ひとりに、しないで」
「そんな目で見ても駄目だからな」
身支度を済ませて、靴を履こうとする。シャツを掴まれて、背中に顔を押し付けられる。温い。涙が、俺のそこを濡らしていた。
何が悲しくて泣いてんだ、お前は。痛くないんだろ。辛くないんだろ。
「一個、約束しろ」
「す、するっ、何でもするからぁ……」
「ちゃんと聞いてから答えろよ。あんな……」
人を殺すな。そう言い掛けて、俺はやめた。流石に、ひでえ言い方だと思ったからだ。
「もう二度と、人をおもちゃにすんな。それが約束出来るんなら、連れてってやる」
ちらっと、振り向く。レンは頷いていた。何度も、何度も、何度も。
カラーズの前に着き、ビルを見上げる。隣に立つレンも、俺につられてビルを見上げた。その拍子に、野球帽が落ちそうになる。一応、変装用としてレンに無理矢理被らせたものだ。
「ここ? 何か汚いね」
「ああ」生返事をして、エレベーターのボタンを押そうとする。けど、やめた。閉じられた空間で、このガキと二人きりになるのが恐ろしく思えたのだ。いや、一応、俺の言いつけを守っているのか、レンは大人しかった。だけど、俺はあの日を、あの夜を忘れた訳ではない。
最近、社長は鍵をかけていない事が多かった。俺が顔を出しに行くようになってからか。けど、無用心なのでやめといた方が良いんじゃないか。
部屋っつーか会社ん中に社長と、九重もいた。
「あら、青井……と、その子は」
レンは社長を見て、小さく頭を下げる。俺は、こいつの事をどう説明していいものか考えた。組織で知ったのを省けば、レンについて話せる事なんか、殆ど残りやしない。
「名前は?」
「え……あ、レン。黄前レンだよ」へー、初めて知った。オーマエって、どういう字なんだろ。後で聞いてみるか。
「そう」社長は微笑んだ。
「私は白鳥澪子。ここで一番偉いの。あなたも、私には敬意を払いなさいね」
こんなチビにそんな事言ったって仕方ねえだろ。
「あー、社長。こいつの事なんだけどな」
「怪我とかは、していないのかしら」
俺ではなく、レンが返事をする。大丈夫だよって、屈託のない笑みで。
「そう、良かったわね」
「良かったわねって、それだけか?」
「ええ。別に、聞きたい事もないし」
本心からそう言ったのか、俺には分からない。けれど社長は指定席に戻り、窓を開ける。
「良い天気ね」
そうしていると、さっきから黙り込んでいた九重が、つかつかとレンに近づいていく。
九重はしゃがみ込み、小さなレンと視線を合わせた。頭を撫でられたレンは目を細める。
「……これ、あげる」
「あ、イヌだーっ」
ぬいぐるみ? 九重は、レンに犬のぬいぐるみを渡す。それを受け取ったクソガキは、嬉しそうにそれを抱き締めた。
「いいの? いいの?」
「……うん。大事にしてね」
こいつは、まあ、そうか。昨日の時点で何も気にしていなかったもんな。九重め、気が小さいのか、そうでないのか分からない奴だな。
しかし、こうして見ると、本当にただのガキだな。人を傷つけないって約束を守っていれば……こいつ、誰かにしつけられたとか、そういう経験がなかったのかもしれないな。聞き分けは、まあ、その辺のハナタレに比べりゃ良い方か。
「青井、あなたはその子をどうするつもり?」
「ん? あー、そうだな」レンがこっちを見上げる。
レン、か。とりあえず、警察に持ってくのが筋っつーか、一番手っ取り早いよな。もしくは、こっそり組織まで連れて行くか、だ。だが、昨日の今日でグロシュラに渡すってのもどうだろう。もう少し、時間を置いた方が良いんかな、やっぱ。
「警察は駄目よ」
「はっ? なんでだよ?」
「だって、訳ありなんでしょう」
「だったら九重、お前がこいつを引き取れよ。お前が、助けてくれって言ったんだからな」
九重は慌てていた。すぐに拒否するのもレンに悪いと思ったのか、目を泳がせているだけではあったが。
……いや、ちょっと待て。社長と九重にレンを任せんのはまずいな。もしもって時、ザ・口だけ達者組じゃあレンは押さえられないだろう。畜生、貧乏くじだ。
「ぼ、僕は……」
「皺んなるから離せや」
レンは俺の後ろに回り、ズボンの裾をきつく掴む。
「懐かれているじゃない。じゃあ、決定ね」
「青井さん、そのう、お願いします」
「…………とりあえずだぞ、とりあえず」
くそ。どうして俺が、こんなガキの面倒を看なきゃなんねえんだ。お前らで助けるって言っといて、後は俺任せか。つーか! いつもそうじゃん! 言うだけ言って、尻拭いすんのは俺なんだ!
「そんな目で睨まないでよ。私も考えておくから」
「ちっ、マジで頼むぞ。それよか、仕事って入ってねえのか?」
「何も。何もないわ」社長は窓の外に目を向ける。
「じゃ、帰るか」
説明しなきゃなあ、とか考えていたが手間が省けた。
「え? も、もう帰るの……」
「買い物しなきゃダメだろうが。お前、着替えとかどうすんだよ」
「あ、あはっ、そっか。ん、そうだよね!」
レンは俺の手に視線を注いでいる。こいつが何を求めているのか、分かろうともしなかった。
「面倒見、良いじゃない」
「……ですね。青井さんって良い人だ」
聞こえてんだぞ、お前ら。