それが俺の正義だ
とんでもない乱戦だった。社長と九重は端っこに避難しているが、ヒーローの数は多くなっているし、騒ぎを聞きつけた他の組織の戦闘員や怪人もやってきていた。レンがどこにいるのかも分からない。混乱に乗じて、上手く逃げてくれていると良いんだけど。
「ヒッ、ヒミミ! 意味が分からんヒミ!」
「お前とは気が合いそうだ!」
ここにはカラーズだけじゃなく、組織の方の上司も来ている。長居は無用だ。とっとと逃げなきゃとにかくやばい。それに、俺が逃げなきゃ社長と九重は動かない。本当、馬鹿! 早く死んじゃえ! ええい、とにかくっ、その為には、足元のこいつをぶん殴る!
俺はグローブをしている右手に力を込める。
「くたばれやモグラが」
「僕ちんはヒミ――――!」
アスファルトを砕く。その音には誰も気付かない。誰もが、誰かと向かい合っている。こっちを向いてる余裕はない。好都合だった。俺にはグローブしかない。だから、悪の組織の戦闘員としての正体がバレる前に、カスみたいなヒーローだとバレる前に、こいつを片付けちまえば問題ない。
俺の足を掴んでいた手が、地面に潜ろうとする。させまいと、怪人の逃げる方向へパンチを放った。もう一度、アスファルトが割れて砕ける。
「ヒーッ! スーツもないのになんつーパワーだヒミ!?」
お前が出てこなけりゃ、もっと簡単に逃げられたんだ。ただじゃおかねえ。もう二度と、地上に出たいと思えなくしてやる。
怪人の尻尾を右手で掴み、引っ張り上げる。アスファルトの上に転がし、腹ぁ狙って拳を放った。
「だらあああああああ――――!」
「ぎゃ……!」
手応えありだ。怪人は痙攣を繰り返している。死んでないけど、当分は動けねえだろ。おっしゃ、今だ。今しかねえ。……とりあえず、こんな場所にこの状態での放置は可哀想だったので、ヒミズ怪人の足を持ち、俺は社長たちへ駆け寄る。息苦しかったので一度だけ袋を取り、すぐに被り直した。
「良くやったわ、青井」
「アホ」俺は社長の頭を小突く。
「……謀反?」
ふざけんなっ。
「行くぞ。この人数だ、巻き込まれちゃあ本当にやばい」正体がバレるからな。
「ええ、そうね。……九重?」
社長が動いたと思ったら、今度はこいつか。俺は九重の肩を掴み、詰め寄る。彼の肩は思っていたよりも華奢で、少し驚いてしまったが。
「死にてえのか?」
目を伏せて、九重は首を横に振る。
「あの子が……」
「お前はまだ、そんな事を言ってんのか。なあ、何でだ? どうして気になる。あのガキは、俺を、社長を、お前だって殺そうとしたんだぞ。分かってるよな? なあ、そこまで馬鹿じゃないもんな」
九重は俺を突き放した。睨みつけてやると、彼が涙を流しているのに気付く。……俺の周りは、泣き虫ばっかだ。
「子供ですよ……?」
「子供だからってなあ、何したって許される訳じゃねえんだぞ!」
「でもっ、でも! あの子は!」
聞き分けのない奴め。お前だって体はでかいが充分ガキだ。
「放っておけないっ。こっ、殺したけど、そうかもしれないけど、だ、だからって! だからって殺されても良いなんておかしいです!」
俺は、拳を握った。お前は一々うるせえんだ。
「どうしてっ、こんな……もうやめてよ! 誰かが止めてよ! あの子はぬいぐるみが好きなっ、ただの子供なのに!」
どうして、泣いてるんだよ。どうして、誰かの為に泣けるんだ。お前も、グロシュラも……!
「青井さんはヒーローなんでしょ!? だからっ、だからお願い……お願い、あの子を、助けてあげて……」
九重はその場に泣き崩れる。社長が、彼の頭に手を置いてやった。
止めろ、だと。誰を? どうしろってんだ。ほら、泣いてないで見ろよ。
「おおおおおおおおおおおっ!」
「エスメラルド様っ、そちらは危険ですっ……数字付き、あの方を守れ!」
「サンライトソードっ! 掛かって来い悪人どもめ!」
「うわあああああああ!? 足っ、足が燃えて……」
「エドっ、私よりもグロシュラを助けろ!」
「レンはどこだああああああああああああっ!? おおっ、おおおおおお!」
ほら、あっちを見ろよ。
あそこはもう、俺みたいな半端者がいていい場所じゃあない。スーツを着たクズどもと、改造を受けたグズどもが楽しそうにやってるじゃねえか。俺が、ヒーローだと? 馬鹿言うんじゃねえよ。スーツもないのに、やれってのか。あのガキを助ける為に、俺に死ねって言うのか、お前は。
正義と悪が、混ざり合っている。ある意味、俺には相応しい場所なのかもしれない。
だけど、俺は、ヒーローじゃあない。戦闘員でもない。俺は、酷く宙ぶらりんなんだ。
「なあ、社長」
社長は顔を上げる。
「俺は、何なんだ?」
こんな、こんな、俺みたいな奴に、何が出来る。何が守れるって言うんだ。
「何を迷っているの?」
「……何をって」
何を? 俺は何を、迷っているんだ?
「俺は……」
「あなたはヒーローでしょう。ヒーロー派遣会社カラーズの社員、青井正義。違うかしら?」
「違わない、けど」
けど、俺はヒーローじゃないって。社長、あんたは知らないだろう。俺がこの六年間、悪の組織の戦闘員として働いてきたのを。今も、働いているって事を。
「ヒーローよ、あなたは。高性能のスーツがなくても、強力な武器がなくてもね」
「スーツも武器も、あんたが渡さないだけだろうが」
「ちょっと盗まれちゃって」
「言ってろ」
クソが、そんなまっすぐ俺を見んじゃねえよ。
正義か、悪か。どちらにつくか。俺が迷ってたのは、つまるところ、そういう事なんだろう。
「どんな事情があるにせよ、泣いている子供を見過ごす訳にはいかないわ。そして、その子を無視する者は、ヒーローだろうと何だろうと、私は許せない。悪を滅ぼせ、正義を守れ、とは言わないわ。ただ、あなたはあなたの正義を貫きなさい」
俺の正義? 俺に、正義? んなもん……。
「ないとは言わせない」
向こうの混戦に目を遣る。
エスメラルド様も、江戸さんも、しゃもじ女も、空飛ぶヒーローも、イダテン丸も、皆が戦っていた。金の為だろうと、名声の為だろうと、結構じゃないか。奴らには、確固とした信念がある。自分の正義を、己の悪を掲げているのだから。
レンは、今も蹲っている。駐車場の隅で小さく。
グロシュラはレンを見つけたらしい。ゆっくりと、しかし堂々と歩を進める。彼を阻む者はいない。誰かがあいつを止めなけりゃ、レンはきっと死ぬ。グロシュラに殺される。
「俺にも、あるのか」
分からない。分かんねえよ、そんなもん。けど、俺は、そういうのを見たくない。正義だとか悪だとか、そんなもん知らねえよ。だけど、この気持ちを正義だと呼ぶのなら、悪くはない気がした。
「俺の正義が」
「あるわ。そうに、違いない。保証する」
「そうか」
俺は気を失っているヒミズ怪人の尻尾を掴む。
「……九重、タクシー持ってこい」
「青井、さん……?」
「あのガキを助けたいんだろうが。俺が、あいつを持ってくる。お前は待ってろ」
怪人が目を覚ましても厄介だ。申し訳ないが、てめえにはそのままでいて欲しい。
俺は、怪人の腹を見遣る。
「すぐに戻る。……いってくるぜ」
「ええ、いってらっしゃい」
ヒミズ怪人が吹き飛ぶ。ヒーローとヒールの間を擦り抜けて、地面に落ちる。俺は駆け出していた。チャンスなんて、二度とない。いや、初めからないのかもしれない。けれど、走る。
「なっ、何か飛んで……!」
「こっちにくんぞぉ!?」
「袋だ! 袋!? 袋だけ被ってやがるこいつ!」
喧騒を無視して、あのクソガキんところへ向かう。誰も彼もが俺を見る。だけど手出しは出来なかった。と言うよりしないんだ。スーツを着ていない小者は相手にされなくて当然だ。てめえらは、仲良くそこでやり合ってろ。
……よりによって、端っこに逃げやがって。そんでもって動かない。ガキが。今の状況で、てめえを助けようと思う奴なんかいやしねえんだ。そこで待ってても、誰も来ないんだ。分かれよ、もう。
「おおおおおおおおっ、おおおおおおおお!」
グロシュラか。
正直、真正面からいってもこいつにゃ勝てん。勝てる奴なんか、いるとは思えねえ。でもやる。
息を吸い込め。気を引け。俺の存在を、分からせてやれ。
「グロシュラアアアアアアアアッ!」
グロシュラがこっちを見る。構わず、俺はこいつの脇を擦り抜けて、レンの前に立つ。
「……お、おお。我を、我の邪魔を……!」
怖いな。すげえ怖い。トレーニングルームで話した時とは全く違う。野郎、アクセル全開じゃねえか。話し掛けても、時間稼げるか? いや、何か喋れ。戦闘に入ったら、死ぬのはこっちなんだ。
「お兄さん、誰……?」
「よう、クソガキ」
レンは、俺のズボンの裾を握り締めていた。ガキがこっちを見上げた瞬間、その目から涙が零れる。
「泣くな」
「……え? お、お兄さん?」
「言うなよ」
うーん、流石に気付かれたか。まあ、良い。俺は袋の位置を調整する。万が一にでも、脱げないようにしとかねえとな。
「おっ、おおっ! おおおおおお、我の邪魔をする貴様は、何者だ!?」
「袋マンだ」
「ヒーローか! 我を悪だと断ずるか! その子供を守るか!? 貴様は知らぬだろう、それは鬼の子……!」
何言ってんだ、てめえ。
「違うね。こいつはただのガキだ」
「違わぬわっ! 盲目めっ、子供を守ればヒーローだと信じているのか!」
それも違うだろ。
俺は、あんたにレンを殺して欲しくないんだ。どうせ、他の誰かにやられちまうなら自分がって考えたんだろうけどな。けどな、グロシュラ。お前は昨日、泣いていたんだろうが。
「ぼ、僕……壊されちゃうの……?」
「そうだ! 我が殺す! そこで大人しくしていろ!」
グロシュラは俺をねめつける。憤怒が、立ち上っていた。
「凝り固まったモノを! 我に押付けるな!」
「俺は、このガキを守らなきゃなんねえ。今のあんたには渡せねえんだ。悪いけどな」
「その子供が罪を犯していたとしても守ると言うのか! それが貴様の正義か!?」
正義も悪も関係ない。むやみやたらに悲しむ必要はないだろうが。第一、グロシュラはレンを殺したくないんだろう。最初からそのつもりなら、こうして俺と言葉を交わす必要はねえもんな。
「若いのだっ、貴様は! 貴様の正義は未熟そのもの!」
「それが俺の正義だ」
青い正義と笑わば笑え。だけど、これが俺の正義だ。中途半端で適当で、先も見えない俺だけど、今だけはやらせてもらう。貫かせてもらう。
「吠えるか!」
限界だな。
「あ、わっ!? えっ、何!?」
「逃げるんだよ!」
俺はレンを抱えて、グロシュラから背中を向ける。奴は追いかけてくるだろうが、時間なら充分稼いでんだよ。
「おおおおおおおっ! 貴様! ぬううっ、後ろからとは!」
しゃもじ女が、乱戦の中を抜けてきている。奴の戦闘能力なら、勝てるかどうかは別として、グロシュラの相手くらい出来るだろう。
「お兄さんっ、どうして、どうして?」
どうして助けてくれるの、か? 馬鹿が。俺はてめえみてえな憎たらしい奴どうでも良いんだよ。
「九重って奴に感謝しろよ」
「う、うん」レンは素直に頷こうとするが。がくんがくん揺れて変な声を上げた。
駐車場の出入り口にはタクシーが停まっている。九重が、こっちに気付いて手を大きく振っていた。逃げ切れる……!
「お兄さんっ、前!」
「なっ、この……!」
最悪だ。グロシュラからは逃げ切れたが、俺の前には、
「止まれ」
エスメラルド様が立ち塞がっていた。
畜生、畜生畜生ふざけんなよ。もう、あと少しでタクシーに乗り込めるんだぞ! どうして、あなたがここに出てくるんだ!
戦う? いや無理だ。彼女も、れっきとした四天王なんだ。昨日、グロシュラの拳を受け止めていたじゃないか。今、俺は数字付きじゃない。あの人は決して、今の俺に笑顔を見せてくれやしないんだ。敵、なんだ。
「クソガキ、離すぞ走れるか」
「あの人、強いよ……」うるせえ、そんなん分かってんだよ。けど、このまま突っ切るしかないだろうが。
俺は走りながら、レンを殆ど落とすような形で離した。彼は転ぶ事なく、両足で地面に着地する。そうして、俺の隣に並んだ。
「壊すの?」
「壊すなっ」
エスメラルド様は、敵だ。
覚悟を決めて、俺は彼女を睨みつける。エスメラルド様のまっすぐな瞳が、こちらを捉える。グローブが、ある。だから、俺はこれで、お、俺の正義を貫く、たっ、為に……!
「お、おおっ、退け! 退けよっ、退いてくれええええ!」
「…………っ」
エスメラルド様は、何かに気付いたような顔をして、構えを解いた。俺とレンは立ち止まった彼女を見ながら、走り抜けていく。
退いて、くれたのか? でも、どうして?
「お兄さんっ、僕、どこに行けば良いの!?」
「泣くなって言ってんだろ! あのタクシーに乗れっ」
九重が後部座席を開いて待っている。彼は運転席に戻り、俺たちはそこに飛び込んだ。
「行きます」
「うっ、おおお!?」
滅茶苦茶飛ばしやがるな!?
レンが倒れそうになるので、俺はこいつの頭を抱き抱える。
スーパーの方を見ると、まだまだ戦いは終わりそうになかった。誰が、どこにいるのか分からない。だけど、あそこではまだ正義と悪が掲げられている。
「こっ、この車、どこに向かってんだ?」
一体何キロ出てんだ? たかがタクシー、こんな飛ばせるもんなのかよ!? ふ、風景がっ、線になって流れていってる!
「そんなの決まってるじゃない。私たちの……」
社長は何かそれっぽい事を言い掛けるが、青い顔でビニール袋を握り締めた。
「あ、酔ってきた……」
「吐くなよっ? 絶対に吐くなよ!?」