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探したよ、お兄さん



 俺は八百屋の一階に寝かされていた。春だけど、下は土間みたいになってるので肌寒い。いや、寒いのはそれだけじゃない。こうして、俺だけが部屋から追い出されたのも理由の一つである。九重は良くて、俺が駄目って。何だよそれ。畜生、実は相思相愛じゃん。覚えとけよ、あいつら。ツルハシで、こう、ガツン! とやってやろうかアアン!? 無理だけど。

 中々眠れなかった。俺は、枕が違ったら眠れないタイプなのである。環境の変化には、中々対応出来ないのだ。と言う訳で、布団の上でぼけっとしていた。電気は点いていないが、目が慣れた。万が一、という事もあり、店ん中には一個だって野菜がなかった。異様な空間である。気味が悪い。

「くあ……」あー、眠い。でも眠れない。地獄だな、こりゃ。明日っつーか、もう今日になってるけど、夜から組織でも仕事があるし、嫌だなあ、もう。面倒くせえ。早く帰って仮眠を取りたい。……とりあえず、トイレ行こ。

 立ち上がった瞬間、物音が聞こえた。社長か、九重が起きたのだろう。俺は気にせず、トイレに向かう。で、戻ってくる。すると、土間では、何かが蠢いていた。何か、である。眠い目を擦りつつ、その様子を眺めていると、一際大きな音が聞こえた。何だか、地面が盛り上がっているような気がする。

 地面?

「……うわ、マジかよ……!」

 出ないって言ってたじゃねえかよ。これって、アレだろ! 完全にモグラじゃん! ウゴロモチじゃねえかよ! やべえどうしよう。どうするんだ、こういうの。もう、叩いちゃって良いの? 出待ちで良いわけ?

 とっ、とにかく装備だ。えーとツルハシとヘルメットは……うわあ何かモコモコしてる!?

「こっ、ここのえー! ここのえー! 出たーっモグラだーっ」

 パニックになった俺は一番頼りになりそうな奴の名前を呼ぶ。少ししてから、誰かが階段を下りてくる音がした。いや、社長には無理だ。だから、九重しかいない。彼は制帽を忘れてはいたが、スーツはきっちり羽織っていた。馬鹿野郎非常事態だ、全裸でも良いから急いで来いってんだ。

「……ね、寝ぼけてますか」

「違うっ、見ろ!」

 俺はヘルメットを装着し、ヘッドライトで土間を照らす。あっ、すげえこれ意外と役に立つ。

 九重は盛り上がった地面を見て、息を呑んだ。

「しゃ、社長を……」

「いや、寝かしとけ。それよか電気点けてくれ!」

 壁に立て掛けておいたツルハシを掴み、俺は土間を見下ろす。……こいつ、何をしてるんだ? 何かを探しているみたいにも見えるけど。

「あ、青井さん、どうするんですか」

 やるしかねえ。場所は分かってんだ。だったら、こいつでぶっ叩く!

「モグラってのは! 叩かれる為にいるんだな!」

 盛り上がっている部分を、ツルハシの先端で突き刺した。手応えとか、そういうのは嫌だったけど仕方がない。猟奇的な武器を渡した、ウチの社長を恨むんだな。俺を恨むな。あの女を恨め。女の名は、白鳥澪子という。

「動かなくなった」でも、手応えがない。やったって感触がない。

「地面の下に逃げられたのかも」

 やっぱり出てくるのを待った方が良かったかな。とりあえず、俺は靴を履いて土間に出る。

「危ないかもしれませんよ……」

「逃げたんだろ? だったら」

 平気だと言おうとした瞬間、両の足首を掴まれた。

 掴まれた?

 何に?

「うっ、うおおおおおおおおおおお!?」

 俺の足首を掴んでいるのは、人間の手ではない。獣のそれだった。

「青井さんっ、逃げて!」

「無理っ、無理無理! つーか、やべえ! やべえぞこいつ!」

 俺はツルハシを振るって、地面に突き刺す。だが、やはり感触はない。野郎、どこにいやがる。

「俺をっ、引きずり込もうとしてやがる!?」

 ここは土間の筈だ。なのに、足元からずぶずぶとした、沈んでいくような感覚が走る。底なし沼で、下から何者かにがっちり掴まれているような……とにかく、やばいやばい!

 だが、力比べではスーツを着ているであろう向こうに分がある。いつまでも立っていられなかった。両腕をついた途端、足首から手が離される。助かったと思った瞬間、ツルハシが俺の手からするりと抜けて、地面に潜っていった。いや、取られた。モグラ怪人が、武器を取り上げやがったんだ。次の瞬間、再び足首に負担が掛かる。このままだと、土ん中に連れて行かれる前に、あ、足首が千切れるかも……!

「やめてくれええええええ!」

 俺はヘッドライトをかちかちする。光が点いたり消えたりしていた。それだけだった。

「青井さん落ち着いてくださいっ」

 そ、そうだった。モグラの弱点は光ってのは嘘だったんだ。じゃあ、どうすんだ? このまま、やられちまうのか?

「こっ、九重! グローブだ! 布団の近くにっ、グローブはないか!?」

 爺さんのグローブなら、何とかなるかもしれねえ。ここの土、全部ぶん殴ってひっぺがす! そしたら好き勝手出来ねえ筈だ。

「早くっ早くっ」

「ど、どこにあるんですか!?」

「どっかにあるだ――――ぎゃあああいてええええ! やめろってクソ! 離せボケエエ!」

 あー! もう耐えられん! やめてくれ! 畜生、こんなモグラにこの俺があ! 俺はっ、あのしゃもじ女をボコボコにしたんだぞ! 畜生!

「九重ーっ!」

 俺の悲痛な叫びを聞いて、九重は何かを想像してしまったんだろう。布団の上に突っ伏してしまった。つーか、気を失ってしまった。

 ……え?

 マ、マジか。やばい、やばいだろ、やばいだろこれ。こうなったらなりふり構ってられん。助けを呼ぶんだ。

「しゃっ、社長! 白鳥さん! 白鳥さーん!」

 返事はない。まさかあのアマ、この状況で寝てるんじゃないだろうな。

「だ、誰か! 誰か聞こえてませんか!? 誰か助けて! お願いしまああああああす!」

「……モグモグモグ」

「なっ、何だ!?」

 声が聞こえてくる。下から、だった。姿こそ見えないが、その声はモグラ怪人のものに違いない。

「こんな情けないヒーロー、初めて見たモグ」

 うるせえ!

「それより、野菜はどこモグ? どこにもないモグ」

「ここにゃあねえよ! だから帰れ! 俺を放せ!」

「そうはいかないモグ。ミミズみたいによわっちいとは言え、ヒーローをここまで追い詰めたんだモグ。手土産に、お前の首を持って帰るモグ」

「モグモグうっせえんだよ! 土食って帰って寝ろ!」

 返事をする代わりに、力が強められる。もっ、もう駄目だ。



 俺は気を失いかけていた。痛過ぎて、もうまともに意識を繋ぎ止めてられない。これ以上こんな目に遭うのなら、狂った方がマシだとすら思える。目を瞑る。次の瞬間、けたたましい破砕音が聞こえた。何事だと目を見開けば、シャッターが、砕かれていた。

「なっ、今の音は何モグ!? お前っ、心臓に悪いからそういうのはやめろモグ!」

「あはは」笑い声。

 アシンメトリーな髪型。右目を隠した、生意気そうなクソガキが、そこに立っていた。……気が滅入る。そう、か。そういや、妙な視線を感じていたが、それは、こいつだったのか。

 レン。

 数字付きを殺し、ゴリラ怪人を殺し、ヒーローを殺したモノが、そこにいる。ここで、笑っている。

「探したよ、お兄さん」

「こっ、こんな時に……!」

 やべえ、嬲り殺しだ。この状況じゃあ、それ以外にないぞ。

 だが、レンは何もしてこない。俺を見て、それから、俺の足元を見る。

「何やってるの?」

「遊んでるように見えんのか!?」

「遊んでるの?」

 違うっつーの!

「も、もう一人増えたモグ? お前の仲間か?」

「敵だ!」

 しかも、考えられる限り最悪の。

「これ、怪人?」

 レンはしゃがみ込み、モグラ怪人の腕を指差していた。

「だったらどうした!?」

「ふーん」レンは怪人の腕を、自分の両腕で掴む。

「なっ、何だモグ!?」

 そして、引っこ抜いた。

 大して力を入れているようにも見えなかったが、こいつは、改造を受けているんだったっけ。

「モグウウウウウウウウ!?」

「あはっ、何これ!? クマ!?」

 レンは怪人の腕を掴んだまま、店の壁へと叩きつける。くぐもった呻き声を上げ、怪人は地面へとずり落ちていく。

 戒めから解かれた俺は、その場にへたり込んだ。良く分からんが、とりあえず助かったらしい。……とりあえず。

「う、うう? お、お前、一体何者モグ……?」

「駄目だよ。お兄さんと遊ぶのは僕なんだから。勝手に、お兄さんを取らないでよ」

 誰が遊ぶかクソガキ。部屋に帰ってテレビゲームでもやってろ。

「あっ、遊びでやってんじゃないんだモグー!」

 モグラ怪人は起き上がり、レンに向かって爪を突き出した。鋭い。アレで切られりゃあひとたまりもないだろう。

「先に遊んでくれるの?」

 しかし、すばしっこいレンには当たらない。彼は攻撃を掻い潜り、モグラ怪人の顎を軽く小突いた。それだけで、怪人の体がふらつく。

「あはははっ、弱っ!」

 ふらつく怪人の腹に拳を叩き込む。レンは容赦しない。ガキだから、加減を知らないんだ。こう、第三者の視点から見ると、こいつの戦闘能力ってのは本当に凄まじく、恐ろしい。どうして、こいつが怪人になれなかったのかが不思議でしようがない。

「やっ、やめ……!」

 モグラは地面に逃げようとする。だが、レンに尻尾を捕まれてじたばたとしていた。

「逃げるの? 僕からお兄さんを取ろうとしたのに?」

「ぎゃあああああお兄さん助けて欲しいモグーっ!」

「誰がお兄さんだ!」

 可哀想だけどもうちょっとやられとけ! せめて、このガキの残虐スイッチがオフになるまで!

 俺はその場から逃げ出そうとする。

「お、お兄さんが逃げるモグ!」

「だっ、駄目だよ。ちゃんと遊んでよ」

「うるせえ馬鹿が!」

 やってられっか人害どもめ。お前と遊ぶくらいなら、タランチュラの群れん中でメシ食う方がまだマシだ。

「じゃあ、邪魔なのを片付けちゃうね」

 言うと、レンは怪人の尻尾を掴んだまま、宙ぶらりんになったモグラの腹へ蹴りを入れる。

 何度も、何度も、何度も。……やり過ぎだと思った。やられてるのは、さっきまで俺に対して調子乗ってた怪人だけど、それでも。

「あはっ、は、あはははっ。どうしたの? もう動かないの?」

 モグラ怪人は声を上げる事すら出来ない。俺は、レンの手首を掴んだ。こうしたって、止める事は出来ない。力では敵わないのは、分かり切っている。だけど、これ以上は見ていられなかった。

「……何?」

 上目遣いで尋ねられる。

「その辺で良いだろ」

「じゃあ、お兄さんが遊んでくれるの?」

「う。そ、それは無理だ」

「じゃあ、もっとこれで遊ぶもん」

 レンが足を動かそうとした。

「それ以上やったら、もうお前とは遊んでやらねえ」

「ど、どうして……?」

 今にも泣き出しそうな顔で、レンはこっちを見る。まるで、ただのガキだった。その辺で鼻を垂らしてるようなクソガキだ。

「お前がやってんのは、遊びじゃねえんだ。殺す気かよ」

「壊れる方が悪いんだもん」

「壊す方が悪いに決まってんだろ!」

「う、あ……」レンは怪人から手を離した。そして、俺から一歩退く。

 何だ?

「た、叩かないで。痛いの、やだ……」

「ああ? お前、前も言ったけどな、自分が叩くのは良いのかよ。そんで叩かれんのが嫌だって言うのか?」

 そりゃあ都合が良過ぎるだろ。ガキだって言っても、そんくらい分かるだろうが。

「や、めて……」

 俺が前に出ると、レンは後ろに下がる。こいつ、もしかして俺にビビってんのか? でも、そんな馬鹿な。生身の人間に、改造人間が怖がる必要がどこにある。だけど、どう見たって、これは。

「じゃあお前がやめろ。蹴るのをやめろ。もう、こいつには手を出すな」

 拳を振り上げて、殴る振りをする。それだけで、レンはへたり込んでしまった。しかも泣いている。事情を知らない人が見たら、ちょっと誤解されそうだった。俺は無実である。

「お、お願いっ、やめて」

「もうしないか!?」

「し、しないっ。しないから……」

 鼻を啜る。すんすんと。

 何か、すげえ悪い事をしているような気分に陥ってきた。いや、待て。俺、待て。こいつに甘い顔見せたら、何されるか分からないんだぞ。笑い掛けた次の瞬間には、笑顔で殺されるかもしれないんだ。

「……お前、どうしてこんな事するんだよ」でも、俺は腕を下ろした。

「こんな、事?」

 分かっていないのか。

「人蹴ったり、殴ったりだよ」

「あ、遊んでるだけだもん」

 怒鳴りたくなるのを堪えた。

「人を、殺してんだぞ……!?」

「こわ、壊れただけ、それだけだもん! 僕っ、何もしてない!」

「てめえ幾つだ!? 責任逃れ出来るとでも思ってんのか!?」

 レンは短く叫ぶ。本当に、怖がっているようだった。

「……う、うう……僕は、言われただけだもん」

「何? 言われた?」

 何を? 誰に?

「お兄さん、怖い……」

「お前、何の話をしてるんだ」

 手を差し出すと、レンはそれを払い除ける。その衝撃で、腕まで痺れた。

「ってえな。だから……って! おいこら逃げんな!」

 レンは泣きながら逃げ去ってしまう。俺は、訳も分からずその背中を見送った。どうせ、追いかけたところで追いつけないだろうし、癇癪起こしたガキに近づくほどアホな事もない。

 とにかく、終わった。

 モグラ怪人は倒したんだ。うん、そうしよう。俺が、倒した。そういう事にしておこう。



 怪人を倒したけど、この後は良く分からない。社長、前にシャチを倒した時とかどうしてたんだろう。とりあえず、八百屋のおっさんと、警察に連絡しておいた。駆けつけてきたおっさんには滅茶苦茶お礼を言われたが、警察が怖かったので、俺は後の事を任せて、奥に引っ込んだ。



 そんで結局、社長も九重も、朝になるまで起きてこなかった。

「おはよう、青井」

 どうやら、社長の寝起きは……いや、寝つきは頗る良いらしい。本人曰く、全然気付かなかった、との事だ。羨ましい。どこまで図太いんだ、あんた。

「褒めてあげる。一人で怪人を倒したのでしょう? すごいわ、私の期待以上の働きよ。ふふ、本当、すごい」

 社長も、久しぶりに普通に褒めてくれた。

 だけど、どうしても引っ掛かっている。レンの事だ。あのガキが、心配とかそういうんじゃない。俺は、狙われているのだ。何が奴のお気に召したか知らないが、次もあると、そう思って間違いないだろう。何とかしなきゃなんない。漠然と、そう思った。

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