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お腹が減って死んでしまっただけなんです



 しゃもじヒーローを退けてから数日、俺のテンションは全くといって良いほど下がらなかった。下っ端戦闘員や数字付きの同僚に、酒を振舞う日々である。なので財布は空っぽだった。そして、その事実に気付いた俺のテンションは面白いくらいに下がった。給料日まで、どう凌ぐかに頭を悩ませている。つーか悩んでいる。解決方法は簡単。ぎぶみーまねー。どうすんだよ、爺さんに渡す誠意をなくしちまったぞおい。



「前借りとか出来るの?」

「嫌よ」

「……無理じゃなくて、嫌か」

 柔らかいソファに身を埋める。俺は溜め息を吐いた。社長は鬱陶しそうに俺を睨んだ。

「理由がないもの」

「理由ならある。金はないけどな」

「無駄遣いするからでしょう」

 反論出来ない。確かに、飲み過ぎた。食い過ぎた。祝勝だ大将だと持ち上げられて、悪い気はしなかったのである。

「もう少し我慢しなさい。そろそろ給料日だから。……ああ、振込みと手渡し、どっちが良い?」

 給料の話か? 組織は振込みである。うーん、口座を一緒くたにするのもアレだし。何より、手渡しは小銭をすぐに使えるし、もらった時の封筒の重みが素晴らしそうだった。

「手渡しが良い」

「分かったわ」

「ちなみにさ、俺の給料ってどれくらいなんだ?」

「待てないの?」

 待ちきれない。せめて、額だけでも聞いて楽しむ。何せ、カラーズじゃ初めての給料なんだ。心が躍るのも無理はないだろう。結構頑張ったし、常に命懸けだった。いや、案外、数字付きの給料より良いかもなあ。

「えーと、確か八百……」

「おいこらちょっと待てや」

「何よ? 折角教えてあげようとしていたのに」

「は、八百? どうして百の位から始まるの? ねえ?」

 流石に八百万円は多いよーなんてへらへら出来るかボケ。

「多かったかしら?」

「そんな事ないよ!?」

「でも、まあそれくらいが妥当じゃない?」

 んな訳あるか!

「冗談よ、あなたって、からかうと面白いから」

「年上をからかうな。もう良い。大人しく待つから」

「最初からそうしていれば良いのよ」

 テレビを点ける。ニュースでは、そこそこでかい悪の組織がヒーローに潰されたと報道していた。その後、芸能人が不倫していたっていうものに変わる。勿論、そっちのが面白そうだし、番組はヒーローよりも大きく取り上げていた。

「平和な証拠ね」

「まあね」言ってから、本当にそうだろうかと思った。

「勤労意欲が上がっているようで何よりね。そろそろ仕事が来るもの」

 仕事?

「ええ、あなた、『ウゴロモチ』って組織は知ってる?」

「知らん。何だそりゃ、餅の仲間か?」

「馬鹿ね。最近、活発に動いている組織よ」

 聞いた事ねえよ。つーか、どんだけの組織がこの街に巣食ってると思ってんだ。流石に、全部は知らないっつーの。

「活発、ねえ。どんな悪さを働いてんだ?」

「窃盗、かしら。でも罪の大小は関係ないでしょう? 悪は、悪よ」

 何故か、その言葉は俺に向けられているのだと、そう、思ってしまう。

「窃盗ねえ? けど、活発って。捕まらないのか? そんだけ目立てば、ヒーローだって動くだろ?」

 もしかして、滅茶苦茶強い奴らなんだろうか。

「いいえ、ウゴロモチは地下から建物に侵入するの」

「地下ぁ?」

「その手並みも鮮やかで、未だに、ウゴロモチの構成員はその姿を捉えられていないの」

 何? そりゃすげえな。けど、それでどうして、その、ウゴロモチって名前が出てくるんだ? 誰にも見つかってないんだろ? そんな風に尋ねると、社長は小さく笑った。

「メッセージを残していったのよ。『ウゴロモチに光を』って。メッセージを残した本人たちにしか分からないけど、多分、組織の名前でしょう」

 光を、ね。悪の組織のくせに、ふざけた事抜かしやがる。

「手口ってのは、どんななんだ? 地下から、とは言ってたけど」

「そのまま。穴を掘って、建物の下から出てくるのよ。だから、誰にも気付かれない」

「穴って、トンネルみたいなんか。そしたら、追いかけられるだろ」

「駄目なの」

 社長は首を振った。

「そのトンネルは途中で塞がれているのよ。彼らは大量のルートを持っているらしいわ。だから、惜しげもなく塞ぐ。それに、一度襲ったところまでの道を残しておいても仕方がないと考えているのでしょうね」

 うーん。まあ、土ん中なんて自由には入れないし、追えないだろうしな。そも、トンネルが残っててもアジトには行けないだろう。

「怪人の仕業なんだろうな、やっぱり」スーツの力でもないと、土なんか掘れないだろう。

「ん? で、仕事が来るってのとそいつらは、何か関係があんのか?」

「ウゴロモチの怪人を退治してくれって依頼、来ない方がおかしいと思うけど」

 来ないだろ、普通。そこまで騒がれてる怪人やら組織だと、カラーズなんかより、もっとでかいところに頼むと思うけどな。

「まあ見ていなさい。九重が格安と触れ込んで、方々に宣伝しているところよ」

「格安ぅ?」 信用出来るのか?

「他の会社の値段を調べたの。利益と相談して、ギリギリまで値段設定を煮詰めたわ」

 社長は怪しい笑みを浮かべた。俺より若いのに、俺よりえげつない顔をしやがる。

「件の組織を潰せば、カラーズの名も知れ渡るわ。仕事、嫌と言うほど来るわよ」

「だったら良いな」ま、気長に待つとしよう。



 あっさりと依頼人はやってきた。九重は出来る奴だ。

 やってきたのは、スーツの似合わないハゲたおっさんである。おっさんは言った。『ウゴロモチの怪人を倒してくれ』と。前に依頼で来た、マスターみたいに脅されているのかとも思ったけど、そうではないらしい。

 依頼人は、街の商店街で八百屋を経営している。生憎、俺はそっちにゃ用がない。買い物ならスーパーマーケットもデパートもあるこの街だ。今の時代、商店街ってのは生き残っているだけでもめっけもんだろう。尤も、若い奴らが行かないだけで、古くからの人間は今も商店街を利用するらしい。人情な話だった。とんと縁のない話だったので、何だかむず痒かったが。

 で、依頼人が店を構える商店街だが、実は、既に被害に遭っている店があった。殆どが食料品を扱う店である。魚屋とか、肉屋とか。そして、未だ被害に遭っていないのが八百屋のおっさんのところだという。正直、俺はどうかと思った。もう、ウゴロモチはそこを襲わないんじゃないのかって。まあ、出るかどうかも分からん相手だ。社長は話を聞き終えて、とりあえずお試しという事で、八百屋での見張りを申し出たのである。格安ってのが効いたな、うん。



 おっさんの自宅は八百屋の二階だった。が、怪人が出てくると危険だという事で、避難してもらった。どうやら、近くの雀荘で徹マンしているらしいが。……気楽なものである。

 俺たちは八百屋の二階に待機し、事が起こればそれに対処とすると決めた。

「あー……」

 つまり、事が起こるまでは何も出来ない。ありていに言えば超暇だった。

 二階には和室があった。畳の感触ってのはやっぱり落ち着く、まるで、自分の部屋にいるみたいだった。

「緩み過ぎ」社長は分厚い本を読んでいる。タイトルは、英語だったので読めなかった。良く見ると英語でもなくて、俺は死にたくなった。この野郎、これ見よがしに頭の良さをアピールしやがって。

「だって暇だし」

「残念。多分、明日の朝まで暇よ」

「……どういう事だ?」

 そりゃ、明日の朝まで見張る事になってるけど。それまで何も起きないって事か?

「あなたも気付いているとは思うけど」

 社長は栞を挟んで、本を閉じる。

「ここの商店街が襲われたのは、ウゴロモチが動き出した、最初期の話なの。軒並みやられたらしいけど、それから数日経っても、ここの八百屋は襲撃に遭っていない」

「うん」俺は体を起き上がらせた。窓の外を見ると、九重が戻ってくるのが見えた。おー、ちゃんと行ってきたらしいな。今日の晩御飯は肉屋のコロッケがメインか。素朴である。何だかとっても久しぶり。

「その次はスーパーマーケットが狙われた。そうして、襲う店の規模は大きくなっていく筈よ。次はデパート、百貨店、卸問屋? とか、銀行も狙われるかもしれないわね」

 まあ、そうだよな。既に小さい店を襲ってるんだ。もっとでかいところを狙いたいだろうよ、普通は。

「だから、この八百屋を狙う理由はないと思うわ」

「じゃあ、どうして依頼なんか受けたんだよ。もしかして、何もしないで金がもらえるって思ったからか?」

「あの依頼者も、そうして安心出来るでしょう? ……あのね、商店街で、この店だけが被害を受けていないの。この、狭くて小さな世界でね。私には分からないけれど、色々と、あるんでしょう」

 じゃあ何か、この依頼は被害を受けた店に対するポーズって訳かい。信じられねえな。金をドブに捨てるようなもんだ。俺には真似出来ねえ。

「ふうん? けどさ、俺はてっきり、次に狙われそうなデパートとかに顔出して、無理矢理にでも会社を売り込むかと思ってたぜ」

「無理ね。大手には、既に正式な依頼が回っている事でしょうから」

 はあ、まあ、社長もそれなりに社長している訳だ。俺は体を動かすだけだし、ま、期待しないで待つとしよう。



 晩飯を食い終わった後、俺はシャッターを開けて外に出た。既に、商店街は閑散としていた。と言うか人っ子一人いやしねえ。店、閉めるの早過ぎねえか? いや、でも、客が来ないんだから仕方がないか。

 見張りったって、やる事一つもねえんだし、少し散歩していこう。第一、いつまでもあいつらと一緒じゃ気が詰まる。……それに、なーんか社長と九重って仲が良いんだよな。社長は、九重は最近スカウトしたとか言ってたが。もしかして、彼がカラーズに入った理由って、社長が好きだった、からか? うーん、あの女、見てくれだけは良いもんな。喋るとアレだけど。

 ああ、駄目だ駄目だ。あんまり関わるのもどうかって話だよな。しかし、今の俺って気を利かせてる、みたいな感じなんだろうか。九重は嬉しがるだろうか。うーん。うーん? 余計なお世話なんかなあ、こういうの。あー、駄目だ。まともなところで働いてなかったから、こういうの慣れてねえ。もう良い。全部流れだ、流れ。成り行き任せに身を任せってのが一番良い。そうに違いない。

「……ん?」

 自販機でジュースでも買おうかと足を止めた時、ふと、視線を感じた。気のせいだろうか? でも、誰もいねえし歩いてねえし……い、いや、気のせいだ。うん、そうに違いない。アレだろ? 『ウゴロモチ』って奴らは地下から来るんだろ? って事は、この辺をのん気に歩いている訳がないって事だ。でもやっぱ怖いから帰るわ。



「あら、早かったのね?」

「まあな。……あー」俺は九重を見る。彼は、不思議そうにこちらを見つめ返していた。つーか、相変わらずタクシードライバースタイルである。制帽こそ取ってはいるが、室内なので何だか堅苦しい。

「邪魔したか?」

「何が、ですか?」

 俺の煩悶など知る由もない二人は、揃って小首を傾げた。

「いや、何でもない。それより、今日はどうなってるんだ?」

「何が? 明確な主語と述語をちょうだい」

「だから、俺の、今日のスーツだよ。いつもさ、何か用意してくれてんだろ」

 社長は、ああ、と、小さく漏らす。彼女が指を鳴らすと、九重が慌てて立ち上がり、部屋を出て行く。

「……あのさ、あいつをパシリみたく使うのはやめろって」

「だってあの子は私の足だもの」

「もっとさ、九重の気持ちも考えてやれよ」

「うるさい」

 可哀想。九重も、どうしてこんな奴を好きになっちまったんだか。はあ。

「そういや、こないだのマントはどうなったんだ?」

「あら、気に入ってくれていたの?」

 まあ、アレ着てる時にシャチ怪人ぶん殴れたんだし、縁起が良いじゃん、ほら。

「でも、駄目よ。あれは今のところ、あなたの勝負服なんだから」

「勝負服ぅ?」

「だって、あのマントで初勝利を飾ったんじゃない。文句なし、だったでしょ?」

 そう言って、社長は笑う。歳相応の、可愛らしい女の子のそれだった。



 九重が持ってきたのは、黄色い作業用のヘルメット(注意と書かれている。何にだ)と、ヘッドライト、そしてツルハシだった。

「重いから、気を付けてください」

「お、おお……いや、でも、これかあ? ヒーローっつーか」

「工事現場の作業員ね」

「持ってこさせたお前が言うな!」

 しかし、ツルハシの重みには確かな安心感があった。スーツ着てたって、こいつの直撃喰らったら、流石にやべえだろ。今までで、一番まともな武装である。

「すげえしっくりくる」

「……ええ、一番、良く似合っているわね」

 窓ガラスに映った自分を確認する。これでどこかの工事現場に行っても、違和感なんざなさそうだった。

「こんなもん、どっから持ってくるんだよ」

「買ってくるのよ。あなたの給料から引いておくから」

「てめえ、金に関して嘘は吐くもんじゃねえぞ」

「そう? まあ、嘘じゃないから心配しないで」

「嘘って言ってよ社長!」

 けど、どうしてこの装備なんだろう?

「アレか。相手が地下から来るから、この、何か鉱山スタイルなのか?」

「いいえ」社長は否定する。

「九重の案よ。ウゴロモチって、どういう意味かが分かったの」

 へえ。意味なんかあったのか。

「……モグラって事なんです」

 俺は九重を見つめた。そういや、何かこいつアニマルに詳しいよな。水族館ん時も張り切ってたし。

「ああ、それで、地下から」光を、ってのも、そういう意味か。けど、モグラって太陽の光を浴びたら死んじゃうんじゃねえの?

 そう聞くと、九重はふっと笑った。馬鹿にしたような風ではなく、何か、優しかった。

「……それは、お腹が減って死んでしまっただけなんです。モグラは、胃の中に半日以上食べ物が入ってないと、死んじゃうから。地上で見かけるモグラの死体は、仲間との縄張り争いに追い出されてしまったものなんです」

 へえ、そうなのか。燃費が悪いんだな。

「それから……」

 結局、俺は眠たくなるまでモグラ講義を受けさせられてしまった。社長は、いつの間にか敷いていた布団で寝息を立てていた。ずるい。

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