その喋り方さ、おもしれえな
走れ走れ。
逃げろ逃げろ。
頑張れ頑張れ。
「てめええええええええっ、黙ってりゃバレなかったんだろうがよおおおお!」
「ふざけんなよおおおおおお!」
「悪いっ、気がっ、動転してて!」
ラッキーだ。これはラッキーなんだ。そう言い聞かせて、必死で走る。追いつかれりゃ終わりだが、罠を仕掛けているであろうエリアまで引っ張り込めばこっちのもんだ。
俺が、元同僚たちに頼んだのは、罠の仕掛けである。最初はヒーローから逃げ切る為の消極的なものだったが、そこは下っ端の俺たちだ。暇を見つけりゃ、罠の改良に勤しんだり、新しいものを作ったりしていたのである。もはや趣味の領域だった。もう随分とやっていなかったが、対ヒーローの罠としては、未だに有効の筈だ。実際、何人かのヒーローをそれで仕留めている。手柄は、ヒーローを追い込んだ怪人どもが持っていってしまったが、とにかく効果の程はある。
しかし、数字付きにはバレたくない。ありゃあ、下っ端だけのものだ。何年も掛けて、少しずつやってきたんだから。だから、俺にとっては最後の機会だ。罠を使うのは、今日が最後である。失敗したくはない。あれは、俺の……!
「引きつけるっ、お前らは先に行ってろ!」
「おっしゃ任せた!」
「骨が残ってりゃ良いな!」
あ、くそっ、躊躇なしに逃げやがる。俺を置いてった数字付きは、もう背中が遠くなっていた。都合が良いけどな。
俺は一瞬立ち止まり、ビルとビルの間に体を滑り込ませる。足音は近い。しゃもじはこっちに狙いを定めたらしかった。
「ここでっ、何をしとるお前ら!」
けど、遠いな。一駅、二駅分は自力でどうにかしなきゃいけねえ。そこまで、無事に辿り着けるかどうか。
戦闘員のスーツを着ているが、とっくに息は切れている。休みなしに逃げ続けるのは、心臓に悪い。背中に纏わりつくヒーローのプレッシャーが、俺の体力をじわじわと削っていた。
でも、後、もう少し。
足がもつれそうになるが、根性でカバーする。腕が上がらなくなってきた。頑張れ。しっかりしろよ青井正義。あのアマに一泡吹かせたいんだろうが!
「はっ、ぐ……」
見えた。雑居ビルが建ち並ぶ場所だ。もう数分逃げれば、そこまで辿り着ける。直線じゃあ地力が違い過ぎる。遠回りになるが、曲がり角を駆使してヒーローとの距離を稼ぐ。しゃもじに飛行能力が備わってなくて助かった。あいつ、やっぱりパワーだけだ。得物で叩く。それ以外に能がない。
角を一つ、二つ、三つ……そして、見える。元はコンビニ、今は空っぽの建物があるだけの土地である。そこが、目的地。開けたところには、罠が待っている筈だ。あいつらがちゃんと仕掛けてくれているんなら、いつもの場所に紐がくくり付けてある。それを切っちまえば、罠が発動する。
だが、
「あれ? どうしたんだよ青井」
罠は、まだ仕掛けられていなかった。
元同僚、下っ端戦闘員たちはだらだらとしながら罠を仕掛けている途中だった。こいつらあああ……! 今晩仕掛けろって言ったろうが! ああでも、しゃもじを見つけるのが早過ぎたし、こいつらだって、まさか今日仕掛けるとは思ってなかったんだろうしいいいいい。ああああどうしようどうしよう!
とにかく、逃げなきゃやべえ。ここで一網打尽だ!
「逃げろ! しゃもじだ!」
戦闘員は顔を見合わせる。十数人が、俺を見て一斉に首を傾げた。
「嘘?」
「もう来るぞ!」
俺の剣幕に、どうやらマジだと信じてもらえたらしい。戦闘員は仕掛けを止めて、撤収の準備を始めた。
「もう来るのか!?」
「一分ねえぞ!」
「だったらやるぞっ、途中までは仕掛けてある!」
そう叫んだ奴が、俺の方へと走ってくる。そいつは、クロスボウを持っていた。畜生、そいつを持ってるって事は、全然仕掛けられてないじゃんかよ。
「どこまでやったんだ?」
「第二段階」
「全然じゃ――――来たぞ仕掛けろ!」
俺の声に弾かれて、全員が所定の位置につく。第二段階って事は、殆ど、何もない。ヒーローを、ちょっとびっくりさせるだけだ。
それでも、やる。やれるとこまでやる。
しゃもじがこっちを認めて、狭い路地を駆け抜ける。もう数秒でコンビニの駐車場に姿を現すだろう。紐が切られる。瞬間、罠が発動した。仕掛けが作動し、下方の物陰に置いてあった消火器が破裂する。視界が利かなくなった筈だ。ヒーローがどこにいるのか、こっちにも分からない。それでも、ここまでは一本道だ。路地を抜けてここまで来るには、まっすぐ行くしかねえんだろうが。下っ端二人が走る。その手には、ロープが握られていた。二人はしゃがみ込み、そのロープを、張る。うん、それだけだ。罠っつーか悪戯っつーか。だが、女の声が聞こえる。焦ったような、そんな声だ。ロープから手を離し、下っ端は手を上げて戻る。
合図だ。間抜けが、引っ掛かったっていう、喜びの!
「Booooooooooooooobyyyyyyyyyyyyyyy!」
全員が叫ぶ。ヒーローの位置は捉えた。ありったけの飛び道具をぶち込む。クロスボウと、投石。当たったかどうかなんか知るものか。それでも、今はこれくらいしか出来ない。
「……やったか?」
「あっ馬鹿! その台詞は駄目だろ!」
濛々とした煙が晴れていく。真っ白い粉が、風に流されていく。
ヒーローは、健在だった。しゃもじを盾の代わりにしたのだろう。彼女の得物には、多数の矢が突き刺さっていた。……失敗だ。
俺が何か言うまでもなく、戦闘員たちは背中を向けて逃げ出している。俺は、足元に転がっていた石を拾って、投げつけた。しゃもじに当たって、乾いた音を立てる。
「……終わりか」
ヒーローは、ゆっくりと立ち上がった。しゃもじがぼろぼろだったのを確認して、彼女は口元を歪める。キレてやがんな、ありゃ。
「くだらん真似しやがって……!」
「よう、久しぶり」
「あ? ……動くなよ、いとぉしてあげるから」
残念、俺の事は覚えちゃいないか。ま、そりゃそうだろう。
けどな、俺は、お前を覚えてる。
「くだらないときたか。言ってくれるなあ、ヒーローさんは」
しゃもじは得物を構えた。
「わりゃぁ、絶対殺す」
こいつは、ムカつく。腹が立つ。何故だか分からない。そう、思っていた。けど違う。こいつは、俺を否定しやがったんだ。俺の事を何も分かっていないくせに、分かっているからと言わんばかりに、切り捨てた。てめえなんかが、俺の、これまでの六年間をっ、どうして! どうして! どうしてっ! くだらないと言えるんだ!? こうやって、こうして俺たちは生きてきたんだ。てめえは立派にヒーローしてるか知らねえけどよ、舐めんじゃねえぞクソが。
「その喋り方さ、おもしれえな」
無言で、しゃもじが地を蹴った。まっすぐ来ると分かっていたから、俺は横っ飛びで地面を転がる。そうして、走った。奴には背を向けて、笑いながら走る。
「気にしてんのか!? 気にすんなよっ、遠慮なく喋れよ! なあっ!?」
「このおおおっ!」
走れ走れ。
走れ、走れ。
目的地まではすぐそこだ。
「ぐっ……!?」
だけど、俺は背中に衝撃を感じて、前のめりに倒れ込む。ヒーローは、俺の首根っこを掴んで顔を近づけた。鬼より怖い顔だった。
「捕まえたぞ」捕まった。
「われ、何じゃ。何を狙っとる」
お前を、凹ます事だけを。それだけを考えて、ここ数日は動いていた。お前の事が忘れられなかった。もう謝って欲しいとは思わない。ただ、痛い目に遭って、泣いてくれ。
ここまで近づくと、バイザー越しの顔だって分かる。ああ、間違いない。こいつは、あの女だ。ようやく会えた。
「だんまりか」
なら、それでも構わない。女はそう続けて、拳を振り上げる。
「ちゃんと着けたかよ?」
「……ああ?」
僅かに、俺を拘束する力が緩んだ。
「あの日、会社には行けたのかよ?」
「なっ……!? お前っまさか!」
緩んだ!
俺は隙を衝き、ありったけの力でしゃもじ女を突き飛ばす。それから、もう振り向かずに駆けた。深夜の交差点には一般人なんていやしない。
「待て――――あ」
ここには、クズとグズしかいないんだ。
数え切れないほどの戦闘員と怪人が、俺と、しゃもじ女に視線を向けている。交差点には、下っ端戦闘員が仕掛けた、第二段階の罠が待っていた。
つーか、要するに自分たちよりも強い奴を呼んできただけである。罠に掛かったヒーローを倒し切れなかった場合、こういう風にプライドを捨てるのがコツだ。弱った奴を怪人が倒す。そのお膳立てをしたに過ぎない。けど、今日はどうにも数が多いな。なあ、ヒーロー?
「喜べよ。お前の為に集まってくれたんだぜ」
怪人と戦闘員は驚いていたが、我に返りしゃもじ女を見据える。睨む。
ヒーローは唇を、強く噛み締めていた。ハメられた事に気付いたんだろう。まあ、偶然が重なったって感じだけど。今日ばかりは、簡単にはいかねえぞ。手柄立てたい奴らがわんさかいやがるからな。
「なあ、何人倒せる? 何人殺せる? そんで、お前は何人目に倒されるんだ?」
「……お前……!」
すっげえ楽しい! 超っおもしれえ! こいつのこんな顔っ! 見られるとは思ってなかった! ざまあみろバーカ! おらかかってこい! やれるもんならやってみろ!
「あっ! てめえ十三番! お前何やってんだそこで!」
げっ、数字付き。うーん、流石に留まるのはやばいか。抑えが利かなくなってきてる怪人もいる事だし。あー、恨み辛みで成り立ってるんだなあ、この世界は。
「どこのモンかは知らないけどな! 退いた方が良いぜ! このっ、サイ怪人サマが! そこの女ごと踏み潰してやっからなああ!」
「おー、怖い怖い。で、どうするよ?」
しゃもじ女は怪人たちを睨みつけた後、背中を向けた。
「やっぱり逃げるか! じゃあなヒーロー! ぎゃっはははははは!」
「次は殺す!」
俺はおかしくておかしくてしようがなかった。
交差点からは人がいなくなった。怪人も、戦闘員も、目をぎらぎらさせてヒーローを追いかけていったのである。数字付きも、皆追いかけた。残ったのは俺と、元同僚の連中だった。
「……行かなくて良いのか? 捕まえりゃあ大手柄だぞ」
「あー、疲れた」
戦闘員たちは道路の真ん中に座り込む。俺も、それに倣った。そして、酷く懐かしいと思った。数字付きになってから、まだそんなに時間は経っていない。なのに、こいつらとこうしていたのが、随分と昔のように感じられた。
「もう良いって、今日はすげえ頑張ったから」
「帰ろうぜー、めんどくせー」
「おい青井、飲み連れてってくれんだろ?」
明日な、明日ー。今日はもうしんどいー。
「バカ野郎。てめえはすぐに約束破るんだ。引っ張ってくぞ」
「はあああ? ざっけんなよお前」
「ガタガタ言うなや! 罠仕掛けてやっただろうが!」
「効いてなかったじゃねえか! お前らが適当やってるから!」
笑い声が起こる。俺は面倒くさくなって、立ち上がろうとするのを止めた。
「もういーや」今日は、あのアマに一矢報いた、筈だ。うん、気持ち良かった。全部が全部上手くいったとは思わないけど、終わり良ければそこそこ良しだ。
「分かった分かった。おごるから、だから黙れって」
こいつらは、出世したくないんだろうか。金さえありゃ、何でも買えるってのによ。怪人くらいにまで偉くなれば、こうやって疲れる事だって少なくなるのに。
「青井さー、でもお前全然変わってねーよな」
「数字付きっていっても、俺らと同じじゃん。いやー、相変わらず良く走るねー青井君は」
俺の六年か。こいつらとうだつの上がらない毎日を繰り返していた。時には馬鹿にされたし、くだらないとも切り捨てられた。けど、ざまあみろ。今にして思えば、案外、恵まれていたんじゃないかとも。そう、思う。
「ところでさ、とりあえず俺らの事言っとけよ」
「そうそう、数字付きに穴が開いたら埋めてやるからさ」
「正義ちゃーん、おねがーい」
「名前で呼ぶなって言ってんだろ!」
いや、きっと、恵まれていた。楽しかった。俺の六年ってのは無駄じゃなかった。そうに、違いない。